第5話

王都を出発してから、実に五日が過ぎていた。

長い馬車の旅路の果て、ようやく目的地である西の別邸の姿が丘の上に見えてきた時、馬車の中ではアンナが安堵のため息を漏らした。


「まあ、お嬢様! ようやく到着ですわね!」


「ええ、懐かしいですわね」


わたくしにとって、この質実剛健ながらも美しい館は、幼い頃の思い出が詰まった大切な場所だ。

出迎えてくれた老執事のゼバスチャンに旅の労をねぎらわれ、わたくしたちはようやく固い馬車のシートから解放された。


「皆様、長旅お疲れ様でございました。まずはゆっくりとお休みください。お部屋の準備は整っております」


ゼバスチャンの言葉に、護衛の騎士たちも、そしてわたくしの隣に立つアレクシス様も、わずかに表情を緩めたのが分かった。

彼も、この奇妙な監視対象との旅に、相当疲れていたに違いない。


しかし。

わたくしには、休んでいる暇などなかった。


「アンナ」


「はい、お嬢様」


「動きやすい服を用意してちょうだい。乗馬用のパンツスタイルがいいわ」


わたくしが荷解きもそこそこにそう命じると、アンナはきょとんとした顔をした。


「お嬢様? お疲れでしょうに、どちらへお出かけになるのですか?」


「決まっているでしょう?」


わたくしは窓の外に広がる領地を眺めながら、きっぱりと言い放った。


「領地の視察よ。まずは、この館から一番近い農村から見て回るわ」


「ええっ!?」


アンナの素っ頓狂な声が、静かなロビーに響き渡る。

その声に、壁際に控えていたアレクシス様の眉が、面白いくらいにひそめられたのを、わたくしは見逃さなかった。

(到着したばかりだぞ? 正気か、この女は)とでも言いたげな顔だ。


わたくしは、そんな彼の方へと向き直る。


「騎士団長閣下」


「……なんだ」


「貴方はわたくしの監視役ですわよね? わたくし、これから領地の視察へ参りますが、どうなさいますか?」


にっこりと、完璧な淑女の笑みで問いかける。


「お疲れでしたら、この館でゆっくりお休みになっていても、わたくしは一向に構いませんことよ?」


これは、わたくしなりの意趣返しだ。

監視対象が目の前からいなくなることを、監視役が許すはずがない。

アレクシス様は、チッと舌打ちでもしたいだろう表情を隠しもせず、低い声で答えた。


「……同行する」


「まあ、ご親切にどうも」


わたくしは満足して頷くと、意気揚々と部屋へ向かった。



手早く着替えを済ませ、馬に乗って向かった農村は、わたくしの記憶にある姿よりも、少しだけ寂れているように見えた。

黄金色に輝いていたはずの麦畑は、まばらで色も薄い。

道端で遊ぶ子供の数も少なく、すれ違う農民たちの顔にも活気がなかった。


わたくしとアレクシス様という、場違いなほどに着飾った二人の登場に、農作業をしていた村人たちは皆、警戒した目でこちらを見ている。

やがて、村長らしき腰の曲がった老人が、おずおずと前に出てきた。


わたくしは馬からひらりと降りると、埃っぽい地面にスカートの裾が付くのも構わず、優雅に一礼した。


「ごきげんよう。わたくし、本日よりこの地の別邸で過ごすことになりました、リリアンヌ・フォン・ヴェルナーと申します」


「ヴェ、ヴェルナー様のお嬢様で……!?」


村長の声が裏返り、他の村人たちにも動揺が走る。


「しばらくの間、こちらでお世話になりますわね。早速で恐縮なのだけれど、少し畑の様子を見させていただいても?」


「は、はあ……どうぞ……」


わたくしは、返事もそこそこに畑の中へ足を踏み入れた。

そして、ためらうことなく痩せた麦の根元の土をひと掴みする。

その匂いを嗅ぎ、指先で感触を確かめた。


「村長」


「は、はいっ」


「畑を拝見しましたが、今年の作物の出来はあまり良くないようですわね。何か問題でもありましたの?」


「いえ、その……ここ数年、天候が、あまり良くありませんで……」


しどろもどろに答える村長に、わたくしは乾いた土を払いながら、静かに告げた。


「天候だけが原因ではなさそうですわね。土が、すっかり痩せてしまっているわ。……ここ数年、同じ作物ばかりを植えていませんこと?」


「なっ……!」


図星だったのだろう。村長は息を飲んだ。


「典型的な連作障害ですわ。土の中の栄養が、すっかり偏ってしまっている。これでは、どんなに種を蒔いても、まともな収穫は望めませんわよ」


「そ、そんな……」


「それから、あちらの水路。流れがひどく滞っているように見受けられますが。おそらく、上流から流れてきた土砂が溜まっているのではなくて? あれでは、大雨が降ればすぐに水が溢れてしまいますわ」


わたくしの的確すぎる指摘に、村人たちは顔を見合わせるばかりだ。

口調はどこまでも傲慢な貴族令嬢。しかし、言っていることは、この村が抱える問題を的確に言い当てていた。


その全てを、アレクシス様は馬上から黙って見下ろしていた。

公爵令嬢が、まるで熟練の代官のように土を掴み、農民と専門的な問答を繰り広げる。

その光景が、彼の理解の範疇を完全に超えていることは、その硬直した表情から明らかだった。


(この女は、一体何者なんだ……?)


彼の心の声が聞こえてくるようだ。

悪役令嬢という噂。道中の理解不能な奇行の数々。そして今、目の前で繰り広げられる、有能な領主のような振る舞い。

点と点が、全く繋がらない。


わたくしは、そんな彼の困惑など露知らず、村長に最後の言葉を告げた。


「改善策は、追って考えますわ。まずは、この領地全体の現状を把握しませんとね」


そう言い残し、再び馬上の人となる。


「さあ、閣下。感心している暇はございませんことよ。次の村へ参りますわ」


わたくしは馬の手綱を引き、振り返りもせずに次の目的地へと馬を進めた。

背後で、氷の騎士団長が、深い深いため息をついたような気がした。

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