塩対応の悪役令嬢ですが、婚約破棄?わかりましたわ。

パリパリかぷちーの

第1話

「リリアンヌ・フォン・ヴェルナー! 君との婚約を、今この時をもって破棄する!」


澄み渡るような高い声が、王城の大広間に響き渡った。

豪華なシャンデリアの光が、声の主――このレオンハルト王国の王太子、ユリウス・アーク・レオンハルト殿下の輝く金髪を照らし、まるで舞台の上の役者のように彼を際立たせる。


その隣には、庇護欲をそそる小動物のように震える男爵令嬢、アイラ・ミモザが寄り添い、潤んだ瞳で床の一点を見つめていた。


ああ、やっとですわね。


わたくし、リリアンヌ・フォン・ヴェルナーは、内心で静かにため息をついた。

目の前で繰り広げられる茶番に、表情筋を一つも動かすことなく、ただ静かにユリウス殿下を見つめ返す。

周囲の貴族たちが息を飲み、扇の陰でひそひそと言葉を交わす気配が肌を刺す。


「殿下、それは……どういうことですの?」


わざとらしく、心底不思議です、という響きを声に乗せて問いかける。公爵令嬢としての完璧な作法だ。


「とぼけるな! 君が、このか弱く心優しいアイラに対して、どれほど残虐な嫌がらせを続けてきたか! 私は全て知っているんだ!」


殿下はわたくしを指さし、糾弾の言葉を続ける。


「夜会のたびにドレスにワインを『偶然』こぼし、階段で『うっかり』突き飛ばそうとし、挙句の果てには根も葉もない悪評を流した! 君の嫉妬深さには、もううんざりなんだ!」


なるほど。アイラ嬢がわたくしに泣きついてきた数々の失態は、すべてわたくしのせいに変換されておりましたのね。ご苦労なことですわ。


「リリアンヌ様……わたくしが至らないばかりに、申し訳、ありません……っ」


アイラ嬢が、しおらしくも計算され尽くしたタイミングで口を開く。涙が宝石のように瞳からこぼれ落ち、それを見た殿下の庇護欲は最高潮に達したようだ。


「アイラ、君は何も悪くない。悪いのは全て、君の優しさにつけこんだこの悪女だ!」


悪女。

そうですか。わたくしは、いつの間にやらそんな称号までいただいていたとは。光栄ですわね。


周囲の視線が、非難と侮蔑の色を帯びてわたくしに突き刺さる。

『まあ、あのリリアンヌ様ならやりかねないわ』

『いつも氷のように冷たい方だもの』

『アイラ様がお可哀想に……』


聞こえてくる声に、わたくしはただ、すっと背筋を伸ばした。


「言い訳があるなら聞こう。だが、君の冷酷な心では、反省の言葉など出てこないだろうがな!」


ユリウス殿下は、勝ち誇ったように言い放つ。

さあ、ここで泣き崩れて謝罪でもすれば、殿下のご満足に繋がるのでしょう。


しかし、わたくしはヴェルナー公爵家の令嬢。

安っぽい芝居に付き合う趣味はございませんの。


「……言い訳、でございますか」


わたくしはゆっくりと口を開いた。

シン、と静まり返る大広間で、わたくしの声だけがやけにクリアに響く。


「わたくしには、殿下がおっしゃるような悪事を働いた記憶は、一切ございませんわ」


「なっ……まだ白を切る気か!」


「ですが」


わたくしは殿下の言葉を遮り、続けた。


「殿下が、そのように固く信じていらっしゃるのでしたら、わたくしが何を申し上げても無駄でしょう。殿下のお心は、すでにアイラ・ミモザ嬢にあるのですから」


わたくしの静かな言葉に、ユリウス殿下は一瞬、言葉を失った。

アイラ嬢の肩が、ピクリと震える。


「殿下のお決めになったこと。一臣下であるヴェルナー家の娘に、否やはございません。謹んで、婚約破棄をお受けいたしますわ」


わたくしは、完璧な淑女の礼法に則り、スカートの裾を優雅につまんで一礼した。

その場にひざまずいて許しを請うとでも思っていたのだろうか。予想外の展開に、会場のざわめきが一層大きくなる。


「そ、それで……いいのか? それで、君は」


動揺を隠せない殿下に、わたくしは顔を上げて静かに微笑んだ。もちろん、口角をミリ単位で引き上げただけの、営業用の笑みだ。


「はい。ですが、最後に一つだけ、ご確認させていただいてもよろしいでしょうか」


「……なんだ」


「この度の婚約破棄は、あくまで殿下とわたくし個人の問題。王家と我がヴェルナー公爵家との間に、遺恨を残すものではない。そのように理解して、よろしゅうございますね?」


政治的な確認。

痴話喧嘩を、国家間の問題に発展させないための、最低限の防衛線。

それを聞いた瞬間、ユリウス殿下の顔からスッと血の気が引いたのが分かった。彼は、ただ恋愛感情のもつれで公爵令嬢を断罪するという、己の行動の危うさに今更ながら気づいたのだろう。


「も、もちろんだ! これはあくまで、我々二人の問題だ! ヴェルナー公爵には、私から改めて説明しよう」


「結構ですわ。殿下のお言葉、確かに賜りました」


それだけ聞ければ、もうここに用はない。


「では、皆様、ごきげんよう」


わたくしはもう一度、今度はその場の全員に対して優雅に一礼する。

そして、何事もなかったかのように、凛とした姿勢で背を向けた。

アイラ嬢の「あっ」という小さな声と、ユリウス殿下の呆然とした気配を背中に感じながら、一歩、また一歩と大理石の床を進む。


誰一人、わたくしに声をかける者はいない。

モーゼの海割りのように、貴族たちがわたくしのための道を開けていく。


ああ、スッキリした。

これでようやく、息苦しい王太子妃教育からも、見栄と虚飾にまみれた王宮からも解放される。

明日からは、わたくしの、わたくしだけの時間が始まるのだ。


そう思うと、自然と足取りが軽くなる。

大広間の重厚な扉を出る、その瞬間。


ふと、遠くの壁際に立つ一人の男性と視線が合った気がした。

王国騎士団が誇る、黒一色の制服。

黒曜石のような髪に、全てを見透かすような、凍てつくほどに冷たい青い瞳。


『氷の騎士団長』アレクシス・フォン・シュライバー閣下。


彼は、ただ無表情に、わたくしのことを見ていた。

その視線に、ほんの少しだけ胸が音を立てたが、わたくしは気づかないふりをして、扉の向こう側へと静かに姿を消した。

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