第29話 京都男子(伏見の男)秀吉基準――答えを持たん夜に、逃げ場はない――
夜。
伏見酒造の二階、秀吉の部屋。
昼間、あれだけ人の声が詰まっていた部屋が、今は嘘みたいに静かや。
開きっぱなしの参考書。
半分だけ残った麦茶。
ベッドの端には、誰かが座って泣いたみたいに、シーツの皺が残ってる。
「……」
秀吉は、何も言わへんままギターを膝に乗せた。
ぽろん、と弦を鳴らす。
思ったより、音が響いた。
伏見の夜は静かや。酒蔵の町は、昼より夜のほうが音に敏感になる。
小さな音ほど、心に刺さる。
(……集中せぇ)
いつものコード。
体が勝手に覚えてる進行。
――けど。
「……あかん」
指が止まった。
浮かぶんは、ギターやない。
寧々の顔。
涙。
袖で拭いた、あの仕草。
(なんで、あんな泣き方すんねん……)
天井を見上げる。
今日、あいつは言うた。
『大事や』
『好きや』
真正面から。
逃げ道、なし。
(重いとか、ちゃう)
重いんやない。
軽いわけもない。
ただ――
(どう受け止めたらええかわからん)
それだけや。
ぽろん。
もう一度弦を鳴らす。
今度は、歌わへん。
コードだけ。
ぽろん、ぽろん。
弦が鳴るたび、胸の奥が少しずつ締まる。
(……竜子も、言うたな)
あの子は静かやった。
声も、目も、落ち着いてて。
せやのに、芯だけが、ど真ん中に刺さる。
『……大事』
それだけ。
装飾、ゼロ。
逃げ場、ゼロ。
(……なんやねん今日)
伏見酒造、告白祭りか。
頭を掻く。
(俺、なんかしたか?)
記憶をたどる。
困ってたら、助けた。
……それは普通やろ。
笑うた。
……笑うぐらいするやろ。
歌った。
……昼やけど。
「……歌か?」
ぽつりと漏れる。
歌ってるとき、二人が静かに立ち止まってた気はする。
でも、それで恋されるほど、
自分は大したもんやない。
(サッカーも、もう無理やし)
膝をかばいながら走る毎日。
努力しても、結果がついてこん世界。
(せやのに)
人の気持ちだけ、
自分の努力とは関係なく、
勝手に向いてくる。
「……ずるいやろ、それ」
誰に言うでもない独り言。
秀吉は、ゆっくり起き上がって、
またギターを抱えた。
今度も歌わへん。
ただ、音を並べる。
ぽろん、ぽろん。
(俺は、どうしたい)
自分に聞く。
寧々とおったら、にぎやかで、
考えんでええ時間が流れる。
竜子とおったら、静かで、
考えてしまう時間が増える。
(どっちも……嫌ちゃう)
それが、一番あかん。
伏見の男としても、
京都男子としても、
一番あかんやつや。
「……決めなあかん、んやろな」
高校生でも。
一日目の告白でも。
人の気持ちは、
置きっぱなしにはできへん。
ギターを置いて、布団に倒れ込む。
腕で目を覆う。
(……俺、まだ答え持ってへん)
伏見の酒蔵を背負う未来。
杜氏になるかもしれへん人生。
サッカーを諦めた、その先。
そのど真ん中に、
誰かを置く覚悟。
(……京男子とか言うてる場合ちゃうな)
自分で自分に、少しだけ呆れる。
それでも。
今日、逃げへんかったことだけは、
自分で自分を褒めてもええと思った。
「……逃げへん」
誰に聞かせるでもなく、そう言う。
電気を消す。
布団に入って、目を閉じる。
浮かぶのは、
涙の寧々と、静かな竜子。
「……京都、しんどいわ」
伏見の夜は静かや。
その静けさが、余計に胸に沁みる。
無自覚な優しさが、
もう誰かを巻き込んでしまった夜。
京都男子(伏見の男)は――
逃げられん場所に、立ってしもた。
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