第15話 朝から自由行動――天橋立、膝と嘘とアカペラと「シリウス」

朝の天橋立は、ちょっとだけズルい。

 空は青いのに、風はまだ春で、ほんの少し冷たい。

 松並木の間を抜ける潮の匂いが、寝起きの頭を勝手に起こしてくる。

「はい! 今日一日、班で自由行動!

 集合時間と場所だけ守れ! 以上!」

 先生の雑な宣言で、宿舎の前が一気にお祭りになる。

「自由行動きたぁぁぁ!」 「股のぞき行こ! 股のぞき!」 「写真撮るで! 映えや!」 「京都市内の“映え”とちゃう、“海の映え”や!」

 京都人、やたら“区分”したがる。

 A組・第3班――まつ班長の号令が飛ぶ。

「はいはいはい、整列!

 利家、走るな! テンションだけ先に行くな!」 「俺のテンション、天橋立の先に行ってる!」 「戻ってこい!!」

 寧々がニヤニヤしながら腕組みする。

「今日の班行動、うち、仕切ったろか?」 「仕切らんでええ、班長おる」 「でも班長、まつやで?」 「まつやからええねん!」

 竜子は静かに笑って、みんなの顔を見た。

(……昨日の夜、寝れへんかった人、何人かおるな)

 寧々、目がギラギラ。

 利家、元気すぎて逆に心配。

 まつ、すでに胃が痛そう。

 秀吉――

「……秀吉くん、どうしたん?」

 竜子が声をかけると、秀吉は一瞬だけ眉をしかめた。

「……膝、ちょいヤバいかも」 「え?」 「昨日の移動で固まったっぽい」

 利家がすぐ寄ってくる。

「大丈夫か!? 俺が肩貸す!」 「お前の肩、高すぎて逆に危ないわ」 「なんでや! 190cmの肩やぞ!」 「高層ビルか!」

 まつが冷静に言う。

「とりあえず湿布貼れ。

 あんた、痛いの我慢して余計悪化さすタイプやろ」 「……はい」

 秀吉、素直。

 その素直さが、余計に危ない。

 寧々が距離ゼロで覗き込む。

「ほんまに大丈夫なん?」 「大丈夫……やと思う」 「“やと思う”って言う男は信用ならん」 「なんでや」 「うちのオカンが言うてた」 「情報源そこかい!」

 ワイワイしてる間に、周りの班はもう出発していく。

 天橋立は朝から観光客も多くて、松並木の道に人が流れる。

 秀吉は膝を軽く叩いて、笑った。

「俺、ちょっと休みながら行くわ」 「え、みんなでゆっくり――」  竜子が言いかけた瞬間、秀吉が首を振る。

「大丈夫。

 俺、遅れると迷惑かけるし」 「迷惑やない」 「迷惑や」

 寧々が即ツッコむ。

「迷惑やなくて、心配や!!」 「心配は……ありがとう」

 秀吉はそう言って、あっさり笑った。

 その笑顔が、寧々の胸をまた刺す。

 竜子の胸も、刺す。

(……こういうとこや)

 まつがため息をついて、班長として結論を出す。

「ほな一旦、秀吉はここで休憩。

 私らは近場のスポット回って、途中で合流。

 連絡はすぐ取れるようにしとき」 「うん、ありがとう」 「礼言う前に、膝守れ」

 秀吉は一人、松並木のベンチに座った。

 みんなは「すぐ戻るで」と言いながら、にぎやかに歩き出す。

 けど――

 歩き出した瞬間、寧々が振り返った。

 秀吉の横顔。

 潮風で髪が揺れて、少しだけ寂しそうに見えた。

(……あかん)

 寧々は、口の中で小さく呟く。

(“大丈夫”って言う男、いっちゃん大丈夫ちゃうねん)

 竜子も同じタイミングで振り返っていた。

 同じことを思ってしまって、少し悔しくなる。

(……私まで、同じ顔してる)

 班は進む。

 けど二人の心だけ、後ろに引っ張られていた。

◆ 秀吉、一人になる

 時間が少し経つと、松並木の道は観光客の流れが変わった。

 団体が別ルートに行ったのか、人の気配がふっと薄くなる。

 ベンチに座った秀吉は、膝を伸ばしたり曲げたりして、息を吐いた。

「……あー、情けな」

 誰に言うでもなく、小さく呟く。

 高校入学して、まだ四月。

 自由行動初日。

 みんなで騒ぎたいのに、膝がそれを許さへん。

 ふっと視線を上げると、阿蘇海の水面が見える。

 太陽の光が揺れて、まぶしい。

(……ここ、誰もおらん)

 周りに人影は少ない。

 波の音だけがある。

 秀吉は、ゆっくり立った。

 膝は痛い。

 でも立てる。

 そして――

「……歌、うたお」

 口に出した瞬間、自分で笑いそうになる。

(誰に聞かせるねん)

 でも、今はそれでよかった。

 阿蘇海に向かって、息を吸う。

 胸の奥に溜まってたもんを、声に変えるみたいに。

 秀吉は、アカペラで歌い出した。

◆ 「シリウス」 ――羽柴秀吉(アカペラ)

Aメロ

春の朝 少し冷たい風

名前を呼ばずに 君を思う

当たり前みたいに笑う

その横顔が 今日を決める

近づいたら

壊れそうで

好きって言葉だけ

胸にしまった

Bメロ

誰かになるより

君のそばで

普通の時間を

選びたかった

サビ

シリウス 夜空で

一番遠く光る星

触れられなくても

目を離せない

シリウス 君が

気づかなくてもいい

この想いが

君を照らせば

それでいい

Aメロ②

駅までの道 並んで歩く

会話の隙間に 言えない本音

「大丈夫」って

君が言うたび

守りたい理由が増えていく

Bメロ②

伝えないのは

勇気じゃなくて

今を壊さない

覚悟だって

信じたい

サビ

シリウス 夜空で

ずっと消えない星

選ばれなくても

ここにいる

シリウス 君が

別の誰かを見ても

この気持ちは

嘘にならない

ブリッジ

もしも君が

立ち止まったら

理由はいらない

名前もいらない

ただ そばにいる

ラストサビ

シリウス 夜空で

一番遠く光る星

伝えなくても

届くなら

シリウス 君の

明日が曇るなら

この想いを

灯りにして

進めばいい

アウトロ

好きだなんて

言わないよ

それでも

大好きだ

 歌い終わったあと、

 潮風がすっと抜けた。

 秀吉は、少し笑った。

「……何してんねん俺」

 自分でツッコミ入れて、肩をすくめる。

 けど、胸の奥は少し軽かった。

 誰に届けるでもない。

 でも、阿蘇海が全部飲み込んでくれる気がした。

 ――その時。

 松の影が、わずかに揺れた。

◆ 寧々、ズキューン

 寧々は、班行動を抜けた。

「ちょっとトイレ」 「嘘つけ、方向ちゃう」  まつに見抜かれたけど、押し切った。

「……黙っててな、班長」 「はいはい。

 戻る時間だけ守れよ」 「任しとき」

 任せたら危ないやつやけど、まつは分かってる。

 寧々は、松並木の方へ戻ってきた。

 そっと、秀吉のベンチの近くへ。

(おる……)

 秀吉の声が聞こえた瞬間、足が止まる。

 歌。

 アカペラ。

 しかも――

(オリジナル……?)

 寧々は反射的に松の裏へ隠れた。

 隠れるつもりはなかったのに、体が勝手に動いた。

 歌詞が、胸に刺さる。

 「好きって言葉だけ胸にしまった」

 「伝えないのは覚悟だって信じたい」

 寧々は、口を押さえた。

(なにこれ……なにこれ……)

 心臓が、痛いくらい鳴る。

(ズキューンて、ほんまにあるんや……)

 歌い終わった瞬間、寧々は危うく飛び出しそうになった。

 でも――出られへん。

 涙が出そうで、喉が熱い。

(あんた、こんな歌うたう人やったん……?)

 そして、思ってしまう。

(これ、うちのこと……?)

 いや、違う。

 まだ知り合い程度のはず。

 入学して、まだ四月。

 せやけど――

(“名前を呼ばずに君を思う”って……

 それ、めっちゃ京都っぽい遠回しやん……)

 自分でツッコミ入れそうになって、余計に泣きそうになる。

◆ 竜子も、松の影

 同じ頃。

 竜子も、班を抜けていた。

 理由は違う。

 でも向かう先は同じ。

(……膝、大丈夫かな)

 それだけのはずやった。

 ほんまに、それだけ。

 でも、聞こえてきた。

 秀吉の歌声。

(……え)

 足が止まる。

 竜子は、言葉を失った。

 声が、綺麗すぎる。

 まるで、音楽室の合唱コンクールで聴くような、

 でももっと近くて、生々しい声。

 竜子も、無意識に松の影へ入っていた。

 歌詞が、刺さる。

 「選ばれなくてもここにいる」

 「別の誰かを見てもこの気持ちは嘘にならない」

 竜子の胸が、きゅっと縮む。

(……これ、寧々のこと……?)

 いや、違う。

 分からん。

 でも、歌の中の“君”は、

 きっと一人じゃない。

 それが、余計に怖い。

 竜子は、そっと唇を噛んだ。

(……私、

 こんな声、知らんかった)

 昨日まで、ただの同級生。

 今日の朝まで、ただの班メンバー。

 なのに、いま、

 目の前の男の子が遠い。

 夜空で一番遠く光る星。

 シリウス。

(……遠いのに、

 目、離せへん)

 竜子の心臓も、暴れ出す。

◆ 二人は、出会わない

 寧々は松の影で、

 竜子も松の影で、

 お互いの存在に気づかないまま、同じ歌を聴いていた。

 それぞれが、それぞれの戦場で撃ち抜かれて。

 秀吉は、何も知らずに、

 膝をさすって、空を見た。

「……戻るか」

 その背中に、

 二つの視線が刺さる。

 寧々の視線。

 竜子の視線。

 どっちも、熱い。

 どっちも、言葉にならへん。

 そして二人は同時に思う。

(あかん)

(あかんわ)

 もう一回、恋してしもた。

 臨海学校、自由行動一日目の朝。

 天橋立の松並木の影で、

 恋は静かに、でも派手に、爆発した。

 ――ズキューン。

 ドキドキが、止まらない。

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