その花嫁、代行します! 〜ヌシ様は元プログラマーで、異世界デバッグ生活が始まりました〜

凰 百花

第1話 お別れは突然に

 行きつけの喫茶店で霧島きりしま灯里あかりは、付き合いだして5年になる一文字拓馬と待ち合わせをしていた。遅れてきた拓馬が向かいの席に腰掛けると、入れ替わるようにウエイトレスがやってきて注文を取っていく。


「どうしたの、急に。仕事は大丈夫?」

「ああ、悪い。話があるんだ」

 彼は、灯里と目を合わせようとしなかった。

「あ、そうだ先に頼んであった資料、もらえるかな」


 思い出したように言われ、灯里は鞄の中から厚みのある封筒を取り出した。

「はい、これ」

 拓馬はクラフト封筒内の書類を取り出し、パラパラと確認する。

「これで明後日の会議に間に合う」


 と安堵の笑みを漏らす。その笑顔に灯里の胸が温かくなる。徹夜で資料をまとめた甲斐があったというものだ。だが、書類を鞄に仕舞った拓馬は、やおら表情を引き締めて向き直った。


「あのさ、きっと耳に入るから言っておく。俺、受付の橘さんと付き合う事になった。彼女に告白されたんだ」

「えっ」

 橘さんといえば、社内一の美貌で有名な受付嬢だ。


「ごめん、別れよう。君には俺より、もっとふさわしい人が現れると思う」

 灯里が絶句している間に言うだけ言うと、拓馬はそそくさと店を出ていってしまった。テーブルには、彼の注文した手付かずのコーヒーと伝票だけが残された。 

「最後まで、これ」

 冷めきった自分のコーヒーを飲み干し、灯里は二人分の料金を払って店を出た。


「なにが『君にも相応しい人』、よ! 」

 銀行で金を下ろし、回らない寿司屋に入り、飲み屋を数軒はしごした。彼は会社のホープとして営業部から経営戦略部へと抜擢されたばかりだ。このところ「資料をまとめて欲しい」というメールばかりが届いていたが、忙しいのだと自分を納得させていた。それが、都合よく利用されていた挙げ句の別れ話。これが酔わずにいられようか、そんな気分だったのだ。


 いささか酔いが回りすぎたのか、足元がふらついてなにかにつまずいて転んだ。膝を打った痛みで声が出ず、じわりと涙が滲む。自分がたまらなく情けなかった。ふと顔を上げると、視界の端に、くうに巨大な真円が浮かんでいた。黒曜石のように暗いなかにどこか透き通った様な黒い穴。その縁には、紋様を描くかのような光が点滅している。円の奥には光の模様は、よくよく見ると0とか1の羅列が、熱に浮かされたように歪みながら蠢いていた。


「なに、これ」

 暗い円の黒がうごめき、何本もの黒い索条コードのようなものが生き物のように這い出してきた。それらはするりと伸びて灯里の体にまとわりつく。紐を通じて何かを読み取られていくような不快感が走り、同時に何かが書き込まれるような感覚に怖気が立つ。電源コードか加熱した基盤が焼け焦げたものに甘さが加わったかのような、奇妙な匂いが鼻を突いた。


 気がつけば、あの黒円もまとわりつく紐も消失していた。酔って幻覚でもみたのだろうか。立ち上がって辺りを見回すが、公園かどこかに迷い込んだのか、周辺には木々が立ち並んでいるばかりだ。街灯はなく、月明かりだけが地面を照らしている。

「帰らなきゃ。でも、ここはどこだろう」

 まだ酔いが回っているらしく少しぼうっとしながら、月明かりを頼りに林の中の一本道を歩く。


(こんなところ、近所にあったかしら。記憶が少し飛んでいる?)

 しばらく歩くと集落に出た。家々は古めかしい日本民家のように見える。灯里は鞄の中を探ったが、スマートフォンがない。どうやらどこかで落としたようだ。

(困った。マップで現在地を調べようと思ったのに)

 周囲を見回しても駅らしき建物も見当たらない。酔いで気が大きくなっていたのか、彼女は手近な一軒の門を叩いた。


「すみません、夜分遅くに。どこか近所に泊まれるところをご存知ありませんか? 」

 いつもの彼女だったらしなかったであろう不躾な真似だったが、得体の知れない不安から逃れるために、誰かと話したかったのかも知れない。

「はい」


 玄関先に現れたのは、綺麗な若い女性だった。少し目が赤いのは、泣いていたのだろうか。

「あの、道に迷ってしまいまして…… 」

 女性は灯里をじっと見つめ、やがて口を開いた。

「うちに泊まっていただいても結構ですよ。なんのお構いもできませんが」


 灯里が目を覚ました時、見知らぬ天井が目に入った。

「え、ここ、どこ」

 昨日の記憶が蘇り頭を抱えたところへ、障子戸を開けて昨夜の娘が声をかけてくれた。

 案内された座敷には、娘の両親が待っていた。


朝餉あさげの用意ができていますから、どうぞ」

 爽やかな笑顔の娘と、穏やかな夫婦。灯里はその場に平伏した。

「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました!」

 一瞬、静まり返ったが、父親が柔らかな声で応じた。


「なに、困った時はお互い様です。そんなに鯱張らずに。気にせんでいいですよ」

「たいしたものはありませんが、どうぞ召し上がって下さい」


 温かいご飯とお味噌汁、卵焼きとお新香。彼女にとって人と一緒に食べる朝食は久しぶりだった。膳を囲み、畳敷きの和室で座布団に座って食べる。目の前の三人の装いは着物とは少し違うが、洋装でもない。父親が着ているのは作務衣ように見えた。灯里は食後のお茶を飲み、落ち着いたところで切り出した。


「あの、ここはどのあたりなのでしょうか。近くに駅はありますか?」

 父親は不思議そうに首を傾げる。

「えき、とは何でしょうか」

「電車の駅です。バス停でもいいのですが」

 三人は顔を見合わせた。


「……そう考えると、貴方は迷い人だと思われますな」

「迷い人……」

 神隠しか、あるいは異世界転移か。魔法陣に呼ばれた記憶はないけれど。唖然とする灯里に、父親は静かに告げた。


「村長の所に届け出なければなりますまい」

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