『お前は邪魔だ』と言い捨てた冷徹義兄が、実は私を地獄から救い出すために猛特訓させていた件〜200万の給料と資格を武器に、モラハラ夫と義実家を完膚なきまでに叩き潰します〜
品川太朗
第1話 新婚なのに、居場所がない
早朝五時。
まだ夜の闇がへばりつく、薄暗いキッチン。 包丁がまな板を叩く音が、虚しく響く。
一月の水道水は、指先の感覚を容赦なく奪っていく。 あかぎれだらけの私の手は、水に触れるたびにピリピリと悲鳴を上げた。
けれど、ハンドクリームを塗っている暇なんてない。
「……よし、お義父さんの分はこれで終わり」
四人分の弁当箱を並べ、手際よくおかずを詰めていく。
義父は、焼き魚と煮物中心。 夫のユウジは、肉多め。 義兄のリョウさんは……特に好き嫌いはない。
けれど、彩りが悪いと義母に文句を言われるのは私だ。 「これじゃあリョウが食欲をなくすじゃない」と。
ふう、と小さく息を吐く。
結婚して、まだ一年。 本来なら「新婚さん」と呼ばれて、甘い時間を過ごしているはずの時期。
けれど――相沢ミユの現実は、想像とはあまりにかけ離れていた。
「あら、ミユさん。おはよう」
背後から声をかけられ、ビクリと肩が跳ねる。 義母のフミエだ。
いつも私が朝食の配膳を終える六時半きっかりに起きてくる。
「おはようございます、お義母さん。朝食、できてます」
「ん……。今日の味噌汁、ちょっと出汁が薄くない? 昨日も言ったけど、お父さんは濃いめが好きなのよ」
「すみません、すぐに調整します」
「あと、パンの耳。もう少しカリッと焼いてちょうだい。 ……はぁ、何度も言わせないでね」
義母はわざとらしい溜息をつくと、私が淹れたお茶をずず、と音を立てて啜りながらテレビのスイッチを入れた。
手伝おうという素振りは、一切ない。
この家において、私は「家族」ではない。 ただの「便利な労働力」なのだと、毎朝思い知らされる。
◇
七時過ぎ。 夫のユウジが欠伸をしながら起きてきた。
「ふわぁ……おはよう。飯ー」
「おはよう、ユウジ。すぐ出すね」
愛する夫。 大学時代から付き合って、やっと結ばれた人。 私は縋るような思いで、彼の顔を見た。
「あのね、ユウジ。今日、少し買い物に行きたくて……家事の合間に」
「ん? 行けばいいじゃん」
「それが、お義母さんが『無駄な外出は控えて』って……。 ユウジから一言、言ってくれないかな」
ユウジはスマホでニュースを見ながら、味噌汁を口に運ぶ。
「母さんも悪気はないんだよ。 ほら、ミユって世間知らずなところあるから、心配してくれてるんだって。合わせてあげなよ」
「……でも」
「あー、俺もう行く時間だわ。ごちそうさん」
彼は私の訴えを聞き流し、席を立つ。 視線すら、合わせてもらえなかった。
「悪気はない」。
それが、この家での魔法の言葉だ。 その言葉の下で、私の心は毎日少しずつ削り取られていく。
その時だった。
リビングの空気が、ふっと冷たくなった気がした。
二階から、義兄の相沢リョウが降りてきたのだ。
三十四歳。若くして起業し、成功を収めている経営者。 無口で無表情。
何を考えているのか分からなくて、私はこの人が少し怖かった。
「……おはようございます、義兄さん」
私が頭を下げると、リョウさんは私の前で足を止めた。
鋭い視線が、私の顔から、エプロン、そして荒れた指先へと落ちる。 じっと見つめられ、私は思わず手を後ろに隠した。
汚い、と思われたかもしれない。
リョウさんは眉間に深い皺を刻むと、低く呟いた。
「……邪魔だ」
それだけ言い捨てて、彼は玄関へと向かっていった。
心臓が早鐘を打つ。 やっぱり、嫌われている。
仕事ができて完璧主義な義兄にとって、要領の悪い弟の嫁なんて、視界に入るだけで不快な存在なのだろう。
◇
八時。 全員を送り出した家の中は、不気味なほど静かだ。
テーブルの上には、食べ散らかされた食器の山。 洗濯機からは終了を告げるブザーが鳴っている。
私はリビングの棚に飾られた、結婚式の写真を見つめた。 ウェディングドレスを着た私は、世界で一番幸せそうに笑っている。
「……私が我慢すれば、丸く収まるんだもんね」
誰に言うでもなく呟いて、私は流し台に向かった。
ポタリ、と。
蛇口から落ちた水滴と一緒に、涙が一粒だけ、あかぎれた手の甲に落ちた。
この時の私はまだ知らない。
あんなに冷たい目をしていた義兄さんが、本当は何を考えていたのかを。
そして、この地獄のような生活が、彼の「ある計画」によって終わりを迎える日が来ることを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます