第6話「王宮に渦巻く不協和音」

 私がアシュフォード公爵邸で穏やかな日々を送り始めた頃、王宮は不穏な空気に包まれていた。

 聖女として、そして次期王太子妃として迎えられたエリアナ。

 彼女の存在は、初めこそ国中の話題となり、歓迎ムードに満ちていた。

 だが、その熱狂が冷めるのに、時間はかからなかった。


 エリアナは、貴族社会の作法や教養を全く身につけようとしなかった。

 それどころか、『平民出身の自分には難しい』『聖女の祈りに集中したい』と言い訳をし、エドワード殿下の寵愛を盾に、妃教育の全てを放棄した。


「殿下ぁ、こんなに難しい書物を読むより、お庭でお花を眺めていた方が、聖なる力が高まる気がしますぅ」


 エリアナが甘えた声でそう言えば、エドワード殿下はすぐに頷いた。


「そうか、エリアナ。君の言う通りだ。君は勉学などせず、その聖なる力を保つことだけを考えていればいい」


 周囲の側近たちが、どんなに諫めても無駄だった。

『エリアナのやることに口を出すな』と、殿下は聞く耳を持たない。

 エリアナは、高価なドレスや宝石を次々とねだった。それも、国費で。

 王家の財政を預かる大臣が顔をしかめても、殿下は『聖女への正当な対価だ』と言って、気にも留めなかった。


 彼女のわがままは、日に日にエスカレートしていく。

 ある時は、気に入らない侍女をその日のうちに解雇させ、またある時は、自分への挨拶が丁寧でなかったという理由で、年配の伯爵を人前で罵倒した。

 その横暴な振る舞いは、これまでの『か弱く健気な聖女』というイメージとはかけ離れたものだった。

 貴族たちの間で、徐々に不満の声が上がり始める。


「あの女、本当に聖女なのか?」

「リゼット様の方が、よほど王太子妃にふさわしかった」

「殿下は、完全にあの女にたぶらかされておられる」


 そんな声が、エドワード殿下の耳に入ることはない。

 彼は、エリアナが見せる甘い顔だけを信じきっていた。

 彼女が自分の前でだけ、完璧な『理想の少女』を演じていることに、全く気づいていなかったのだ。


 決定的な出来事は、隣国からの使者を迎えた晩餐会で起こった。

 エリアナは、隣国の特産品であるワインを『口に合わない』と言って、使者の目の前でグラスを床に叩きつけたのだ。

 場の空気は一瞬で凍りついた。

 これは、ただの無作法では済まない。相手国への侮辱行為だ。


 慌てた側近たちが取りなそうとするのを、エドワード殿下は制した。


「エリアナの口は、聖なる祈りを捧げるためのものだ。粗悪な酒で汚すわけにはいかんだろう。そちらの国の配慮が足りなかったのではないか?」


 信じられない言葉だった。

 王太子自ら、相手国を非難したのだ。

 隣国の使者は、怒りで顔を真っ赤にし、その日のうちに帰国の途についてしまった。

 両国の間に、かつてない緊張が走る。

 この一件で、国王陛下もようやく事の重大さに気づき、エドワード殿下を厳しく叱責した。

 しかし、殿下は反省するどころか、『エリアナを守れるのは自分だけだ』と、さらに頑なになってしまった。


 王宮に渦巻く不協和音。

 その中心にいるエリアナは、自分の行いが国を揺るがす事態になっていることにも気づかず、今日もエドワード殿下の腕の中で、甘い微笑みを浮かべている。


 一方、その全ての情報を、キリアン・アシュフォードは自身の執務室で静かに受け取っていた。

 彼の持つ独自の諜報網は、王宮内のどんな些細な動きも見逃さない。


「……愚かなことだ」


 報告書から目を上げ、キリアンは小さくつぶやいた。

 銀色の瞳に宿るのは、冷たい怒りの炎。


「キリアン様、いかがいたしますか」


 報告を終えた側近が、指示を仰ぐ。


「まだだ。泳がせておけ。化けの皮が完全に剥がれ落ちるまで、あと少しだ」


 彼は窓の外に目をやった。

 その視線の先にあるのは、リゼットがいるであろう、庭園の方角。


「彼女が安心して笑える場所を、俺が必ず取り戻す。そのためなら、どんな手段も厭わん」


 その声は、誰にも聞かれることなく、静かな執務室に溶けていった。

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