第3話 これは不可抗力だ


「魔物だ!! 逃げろ!!」


 張りつめた空気を切り裂くように、一人の男の声が響き渡った。その言葉の意味を人々が理解するより早く、俺は南へときびすを返した。


 そんな俺の背を追いかけるように、段々と人々の怒号どごうや悲鳴が大きくなってくる。それに重なるように魔物の咆哮ほうこうまで聞こえてきて、増え始めた心拍数を誤魔化ごまかすように大きく息をついた。なんだって、こんなことになってしまっているのか。


「北門が破られたんだと! 衛兵えいへいじゃ手も足も出なかったって!!」


 悲しいかな、俺の足はその辺りの非戦闘員と比べても早い方ではない。特に相手が冒険者ともなれば、勝ち目は全くないだろう。現に冒険者らしき男たちが、次々と俺を追い抜いているのだから。


 しかし、本来は北門で魔物を食い止める役割を果たしているはずの冒険者たちが、こうして俺と同じように逃げているとは何事だろうか。


 いや、そりゃあ俺だって冒険者だけどさ。スライムすら斬れない下位冒険者ですし?


「逃げろ! 北門で赤いワイバーンが出たってよ!」

「赤だと!? それ亜種あしゅじゃねえか?!」

「やべえぞこれ!」


 そんな俺の疑問は、直後に聞こえた怒声により解決することとなった。


「……ワイバーン、亜種?」


 ワイバーン。それも通常種ではなく、上位にあたる亜種。なるほど、そこらの冒険者や衛兵では対処できない訳だ。


 ワイバーンは、本来は岩の露出ろしゅつした山や荒廃こうはいした土地にしか住み着かない魔物だ。どの個体も木々の隙間をって走れるくらいに小柄だが、その体は頑強がんきょうで、内包ないほうする魔力の質も極めて高い。


 一体何故そんな凶暴な魔物が、こんな平穏へいおんな街まで降りてきてしまっているのか。


「北門、か」


 ここは街の中心から南門へと向かう大通りで、魔物の侵攻があったのは北門だ。つまりこのまま南門に向けて走り続ければ、魔物と会敵かいてきすることもなく街の外に出ることができるはずだ。


 ――逃げるのか?


 頭の中に浮かんだ言葉を、頭を振って追い払う。


 じゃあどうしろってんだ。ほんの少しでも戦うすべがあるなら、諦めて逃げたりなんかするなと?


 そうやって目の前の問題にばかり向き合い続けた末に、一番大切なものを失ってしまったのは誰だ。今回もそうならないと言い切れる根拠こんきょはどこにあるんだ。俺は、俺の目的のためだけに生きると決めたんじゃないのか。


 思考も迷いも全てを振り切るように、ただ前だけを見て走る。今はもう、余計なことは考えるな。とにかく逃げ切ることだけを目指そう。


 逃げて、モンバルから出て、それから――


「兄ちゃん! 後ろだ!!」

「うわっ!」


 聞き覚えのある声がした。それと同時に感じた強力な気配、場所は背後。嫌な予感がして、咄嗟とっさに俺は左に大きく跳んだ。勢いを殺しきれずに地面に転がり、次の瞬間には先程まで俺が立っていた石畳いしだたみ粉砕ふんさいされた。


 石畳を砕いたのは、魔物の強靭きょうじんな足だった。真っ赤な、爬虫類はちゅうるいの後ろ足。鋭く湾曲わんきょくした爪が地面に食い込んでいる。あんなものを食らったら、人間の身体なんてひとたまりもないだろう。


「ワイバーン亜種かよ……」


 北門だ、って言っていなかったか?

 もうこんなところにまで来ているなんて。


 その姿を見た人々は悲鳴を上げ、恐怖に泣きわめきながら逃げていく。当然ながら、地面にひっくり返った俺を助けようとする者はいない。そのはずだったのに。


「そんなところで何してんだ、おっさん! 今すぐ逃げろ!」


 そこにいたのは、予想通り飯屋の店主だった。黙って南門へ逃げていればいいものを、わざわざ危険な方にやってくるなんて。


 俺は飯屋のおっさんに向けて怒鳴りながら急いで立ち上がり、体勢を立て直したワイバーンに向けて剣を構えた。剣で勝てる見込みなんて全くない。だが背中を向けたが最後、あの強靭きょうじんな足でザックリか、大きなあごでガブリだ。


「南門もやられてる! 逃げ場がねぇんだ!」


 おっさんも負けじと怒鳴り返し、どこから取り出したのかナイフを構えている。


 戦うつもりなのか、冒険者でもないのに。手、震えてるぞ。


「だとしてもとりあえず離れとけ! 一般人だろ!?」

「お前が離れとけクソ雑魚ザコ冒険者が!」

「そんなこと言うなよ泣くぞ!!」


 気づけば俺たちの周りには誰もいなくなっていた。この辺りの住人は逃げてしまったらしい。おっさんが言うには南門までやられているらしいから、逃げ場なんてどこにもないだろうが、どんな場所でもワイバーン亜種の目の前よりは格段かくだんにマシである。


「危ない!!」


 その時だった。

 ワイバーンの前足が俺に襲いかかってきた。遅れて店主が大声で叫ぶ。


 俺は慌てて片手剣を構えた。奇跡的に受け止めることはできたが、その衝撃全てを相殺そうさいするだけの膂力どりょくは持っていない。勢いのまま吹き飛ばされた俺は、石造りのへいに容赦なく叩きつけられた。


「っ……!!」

「兄ちゃん!!」


 背中を激しく打って、息が詰まる。

 もちろんこの程度で死ぬことはない。しかし残念ながら、俺は一般人とそう変わらない頑丈がんじょうさしか持ち合わせていないのだ。


 塀に体重を預けたまま、なすすべなくズルズルと座り込む。剣は何とか手放さずに済んだが、すぐに立ち上がれそうにはなかった。


「逃げろっ……おっさん……!!」


 低くうなりながら、赤いワイバーンが迫ってくる。それをにらみつけながら、俺はかすれ声を絞り出した。ワイバーンの標的は、全く動けない俺のようだ。店主は、奴の視界から完全に外れている。彼を逃がすのであれば、チャンスは今しかない。


「馬鹿言え! そんなことしたら、お前が死んじまう!」

「あんただけなら、逃げられる……このままじゃ、二人とも無駄死むだじにだぞっ……!!」

「だが……」

「行け!! 行って助けを呼んで――」


 不意に、前足が振り下ろされる。咄嗟とっさに剣を構えたものの、受け止められるはずもなかった。片手剣は一撃で弾き飛ばされて、二撃目で尖った鉤爪かぎづめが俺の上半身を押さえつけた。


「く、そっ……!!」

「兄ちゃん! 今行くぞ!」

「馬鹿! 来るな!!」


 あんなに逃げろと言ったのに。


 それなのに店主は、迷うことなくこちらに駆け寄ってくる。手にしたナイフを、ワイバーンの背中に突き立てるつもりなのだ。


「この、馬鹿野郎っ……!!」


 思わず悪態あくたいをつく。あんなナイフでは、ワイバーンの硬いうろこを貫くことはおろか、掠り傷をつけることさえできないだろう。


 俺の予想通り、店主のナイフがワイバーンの背に突き立てられることはなかった。赤い鱗はナイフを弾き、跳ね返された店主は体勢を崩して地面に座り込んだ。取り落としたナイフがクルクルと回転しながら石畳をすべっていく。


 そのすきを、武器を向けられた側のワイバーンが見逃すはずもない。


 俺を押さえつけていた鉤爪から力が抜ける。それと同時に、俺に照準しょうじゅんを合わせていたワイバーンが顔を上げて後ろを向いた。その視線の先にいるのは、店主のおっさんだ。

 

「違う、こっちだ……俺を狙え……!」


 いくら亜種といえど、魔物には人間の言葉をかいすることはできない。ワイバーンが俺の言葉に反応を示すことはなく、ついには俺から離れて店主に歩み寄り始めた。店主は逃げようと後ずさるが、立ち上がることはできないようだった。腰が抜けてしまっているのだ。


「ふざけんな……!」


 一般人のくせして、どうして逃げようともしないのか。どうして迷わないのか。どうしてあきらめないのか。どうして。どうして。


 ぎり、と奥歯を噛みしめる。汗が米神こめかみを伝う。ジリジリとした緊張感に、思考まで焦げ付きそうだ。


 このままでは店主のおっさんは死んでしまう。見殺しにするのか? いや、まさか。だからって、片手剣で立ち向かっていては勝てやしない。迷っている時間もない。


 打ちつけた背中を気にしつつ、ゆらゆらと立ち上がる。自分でも分かっているのだ、手段なんて最初から一つしかなかったということを。本当はこうなってほしくはなかった。だから店主には俺を見捨てて逃げるよう言ったのに。


 あぁそうだ、仕方がないんだ。これは不可抗力だ。


 心の中で、散々言い訳を繰り返す。

 このおよんで俺はまだ、逃げ道を探しているらしい。


 はぁ、と大きなため息をつく。そして俺は、小さく呟いた。




「……落ちろ」




 その瞬間、ワイバーンの姿がかき消えた。代わりに残されたのは、淡い緑の光だった。それを見た店主が、間抜けな声を上げる。


「へ?」


 地面に吸い込まれるように落ちていった赤い魔物は、直後にはるか上空に現れた。そのまま重力に従って落下し、俺達から数メートル離れた地面に叩きつけられた。


 これは、魔法だ。


 今や俺しか使い手がいなくなってしまった、変わった魔法。


「まぁ、そんなもんじゃ死なないよな」


 かなりの高さから落としたつもりだったが、それではやはり足りなかったようだ。ワイバーンは苦痛の声を上げながらも、足をばたつかせて起き上がろうとしている。


「ま、魔物が……どうして……」

「おい、おっさん。どうせ腰抜けて動けないだろうから、言っとくぞ」


 状況を理解できていない店主に一声かけて、俺は転がっていた片手剣を拾って腰に収めた。

 ぶつけた背中が酷く痛んで、そんな何気ない動作も一苦労だ。こんなことになるなら、最初から魔法を使って対処しておけばよかった。


「今見たこと、今から見ることは誰にも言うな。……いや、言わないでくれ。頼む」

「言うな、つったって」


 店主が困惑したように言った。それを無視して、俺は右の手のひらをワイバーンに向けた。先程使ったのは離れた場所を繋ぐ"ポルテ"という魔法だったが、これから使うのは"断裂セカレ"だ。


 空間を無理に挟み込むことで、ものを二つに切断してしまう。大雑把な魔力操作でも発動できる、最も初歩的な魔法だ。しかしどんな頑丈な魔物でも、これに耐えることはできない。空間に物理的な頑丈さは関係ないのだから。


「断ち切れ」


 "断裂セカレ"を、ワイバーンの首元に仕掛ける。


 直後、悲鳴を上げる間もなくワイバーンの首が吹き飛んだ。真っ赤な血液と不釣り合いな、緑の光がフワフワと瞬く。


 そうして切断されたワイバーンの頭が、そのままこちらに飛来してくる。今更いまさらためらうことはないか、と俺は再度"ポルテ"を開いた。俺の目の前の空間が緑に歪む。歪みの中に飛び込んだ頭は、離れた場所に開いた空間の歪みから転がり落ちてきた。


「終わり、と……」


 魔法を使えば、こうやって簡単に魔物を倒すことができる。ただ俺の魔法は、人前で行使するには個性的すぎるのだ。


 恐らくこの世界で、この魔法を使えるのは俺しかいない。そしてその使い手は、今この国では英雄として知られている。


 そのことに気づいたのだろう、店主の顔が驚愕きょうがくに引き攣っている。俺はそれに構わず彼に近寄って、その肩を掴んだ。いつもは自分にしかかけない魔法を店主にかけると、先程と同じ緑色の光がフワリと広がって店主を包み込んだ。それを見た店主が、慌てた様子で訊ねる。


「な、何をしたんだ!?」

「魔法をかけたんだよ」

「魔法って、兄ちゃん……さ、さ、さ、さっきのも、まさか、あんた……」


 尻もちをついたまま、店主は慌てて後ずさって俺から離れていく。俺が『そう』だと分かった途端にこれだ。分かってはいたが、良い気持ちはしなかった。せっかく、仲良くなれたってのに。


「そのまさかだったら、どうするんだ」

「どうするって……」


 口止めはしたが、あんなもので人の口に戸を立てられるとは思わない。俺はもうこの街にはいられないだろう。どちらにせよ、明日には発とうと考えてはいたが。


「さっきの魔法な、あんたを保護するまくを張ったんだ。30分くらいは敵の攻撃が一切効かないから、その間にさっさと安全な場所を見つけるんだ。いいな?」


 そう言って、俺は店主に背を向けた。


 話は終わりだ。

 俺は「じゃあな」とつけ加えて歩き始めた。


 ここの住人全員を救ってから出ていこう、なんて崇高すうこうな思考は俺にはない。だからといって、目の前で人が死ぬところを黙って見ているのも胸糞むなくそが悪い。全くもって中途半端な奴だよ、俺は。


「……なあ、兄ちゃん」


 おっさんに呼び止められたが、俺は歩みを止めなかった。それでも店主は言葉を続ける。


「英雄、タイラー。それが、兄ちゃんの本名なのか?」


 今度は、思わず立ち止まってしまった。

 俺は数秒迷って、そして小さく呟く。


「俺は、ジンだよ」


 店主は、それ以上何も言わなかった。

 俺を引き留めようとすら、しなかった。


 それが本当にありがたくて。

 そして少しだけ、寂しかった。

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