寒く晴れた日
⛄三杉 令
吹雪の平原
俺は大学の山岳部員。冬休みを利用して北海道、日高山脈の縦走を行っている。1月13日から4日かけて目的のルートを走破し、ゴールはもうすぐだがひどい吹雪。
あと半日も歩けば人里に着くが、もう午後なので無理せず下山途中でビバーク(野営)することにした。牧場か何かと思われる平地に手ごろな雪の小山(おそらく小屋が埋まっている)があったので、そこに1時間かけて雪洞を掘り寝ぐらを確保した。
4日歩き通して、今日も雪山をラッセルしながら下ってきたので体の疲労は激しいが、なんてことはない。あとはゆっくり帰るだけなので気は楽だ。
雪を溶かしたお湯で夕食を作りお腹を満たしたあと、寝袋に入るとブラウニングの詩集を手に取った。しかし疲れのせいかすぐに眠ってしまった。
* * * * *
翌朝……外を覗くと真っ白い雪原がどこまでも広がっていた。粉雪が舞っている。うっすらと大きな満月が西の地平線上に見える。見慣れているはずの北の冬の景色がとても不思議な光景に見えた。そしていつもの凍えるほどの厳しい寒さ。
不意に光が舞って眩暈がした。体が浮いたような感覚があった。実はまだ夢の中なのではないか? そうも思った。
「やあ、こんにちは」
「!……」
突然すぐそばから男の声が聞こえた。ぎくりとして隣を見ると光に輝く半透明の男性がいた。40~50歳ぐらいに見える外国人だった。古い毛皮の服を着ており精悍な顔。明らかに現実の人間では無い。それなのに、俺は不思議と違和感を持たなかった。
一人で山登りをしていると時に幻覚を見ることがある。それと変わらない。ただいつもと違うのは彼の声が間近で聞こえたことだった。しかも日本語で。俺は幻覚であることを確信して黙って彼の話を聞くことにした。
「ありがとう。まあ聞いてくれ」
彼は俺の心が読めるようだった。そして話し出した。
「俺達は最終的に5人で未踏の目標を目指すことにしたんだ」
その時点で俺は彼がクライマー(登山家)だと思った。古めかしい格好からエベレストを初登頂したヒラリーか、マロリー卿の幻影だろうと勝手に決めつけた。
「11月1日に出発したんだ。苦しい行程だった。2か月以上かけてようやく目標にたどり着いたんだよ」
彼は雪原の遠くを見つめて言った。いつの間にか雪は止み青空が見えていた。太陽がどこにもないが不思議と明るく天気はいつの間にか回復したようだった。しかし寒さはより厳しくなっていた。俺は凍えながら男の話を聞いた。
「こんな感じの……穏やかだがとても寒い日だった。俺達がそこで見たものは他国の国旗だったのさ。そうさ、分かっていたよ。彼らが通った跡を見てきたからな。でも引き返す気は毛頭無かったよ。進むだけさ。君なら分かるだろう?」
男の見つめる先には小さな旗の幻がはためいていた。男の国の旗ではないのだろう。それを見つめながら――男は悔しそうな顔をした。体の透明度が少しずつ増してきた。幻影の語りが終わりに近づいている。
「でもな、あの旗を見た時のメンバーのショックは想像以上だった。俺達は何の為に吹雪や極寒の中を2か月も耐えてきたんだ? 失意の中、今度はそこから帰らなければいけないんだ……。結局俺達は帰路を再び吹雪に阻まれて、3か月後に息絶えたんだ」
そこまで聞いて俺は彼が誰なのか完全に理解した。勘違いしていた。
彼は登山家ではない。南極点を目指した探検家だ。
「あなたはスコットさんですね? 南極点初到達はなりませんでしたがあなたは立派でした。帰れなかったのは南極では珍しい2月~3月の天候の悪化によるものでした。今度、天国でブラウニングについて一緒に語りましょう」
スコット大佐の幻影はにっこり笑うと青空に消えていった。
俺はブラウニングの詩集を左手に持ち、右手を振って大佐に別れを告げた。
晴れわたった天気の下、雪原はいつまでも静かに輝いていた。
俺は次の瞬間に全てを悟った。
しばらく目を閉じて静寂に身を委ねた。
ゆっくり目を開けると、まだ雪洞の中。シュラフに入っていた。
手には大佐と同じようにあの詩集があった。
この詩集が俺を大佐に会わせてくれたのだ。夢の中で。
1時間後、いい天気のもと俺は最後の帰路についた。
「大佐、また会いに来るよ。今度は家族の話でも聞かせてくれよ。じゃあな」
✧ ✧ ✧
――114年前
1912年1月17日、英国人ロバート・スコット大佐は4人の仲間とともに南極点に到達した。しかしそこにはノルウェーの国旗が翻っていた。先立つこと1か月前にアムンセン隊が到達していたのである。
それからの帰路で2か月が経過、すでに2人が死亡……
スコットは3月29日付の日記に「我々の体は衰弱しつつあり、最期は遠くないだろう。残念だがこれ以上は書けそうにない。どうか我々の家族の面倒を見てやって下さい」と書き残している。彼にはキャサリン夫人と2歳の息子ピーターがいた。
寝袋に入ったまま、スコットを含め残りの3人全員がテント内で息を引き取った。スコットは親友のウィルソンの胸に手をかけ、もう一方の手でブラウニングの詩集を握っていた。
テント内では、遺品、日記、地質標本等が残されていた。特筆すべきは、南極点でアムンセン隊から委託されていた手紙である。アムンセン隊が帰途に全員遭難死した場合に備え、次に到着した隊に自分たちの初到達証明書として持ち帰ることを依頼し書かれたものであった。スコット隊が所持していたことにより、アムンセン隊の南極点先達が証明され、それは同時に「自らの敗北証明を持ち帰ろうとした」としてスコット隊の名声を高めたのである。
(出典:Wikipedia)
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