無能と蔑まれた鑑定士、追放された日に【神眼】が覚醒しました ~今更戻ってこいと言われても、もう遅いですよ?~

アリス

第1話 追放の日


 いつもと同じ夕刻、いつもと同じ酒場。だが今日は、何かが違った。


 冒険者ギルド本部の一階にある酒場——通称『鉄の杯亭』。俺たち【黄金の剣】が定例会議に使う奥のテーブル席で、俺は妙な居心地の悪さを感じていた。


 窓から差し込む夕日が、テーブルの上の酒瓶を琥珀色に染めている。周囲では冒険者たちが酒を酌み交わし、笑い声を上げている。いつもと変わらない光景だ。


 だが、このテーブルだけは——違う。


 俺、ユーリ・クレインは五年間、このパーティーに所属してきた。鑑定士として。裏方として。表舞台に立つことはなく、常に一歩後ろから仲間を支える役割。それが俺の居場所だった。


 五年間の日々が、脳裏をよぎる。


 あれは三年前のことだ。Bランクダンジョン『深緑の迷宮』で、俺たちは隠し部屋を発見した。俺の鑑定が、壁の僅かな魔力の揺らぎを捉えたのだ。その奥には、希少な魔石が眠っていた。


 二年前には、街の商人から買い付けたアイテムの中に、偽物が混じっていることを見抜いた。あの時、俺が気づかなければ、パーティーは大損をしていただろう。


 そして一年前——あのダンジョンで、致命的な罠を事前に察知したのも俺だった。あの罠にかかっていれば、誰かが死んでいたかもしれない。


 だが、それらは本当に俺の手柄だったのだろうか。


 結局のところ、レオンの判断があってこそ、うまくいっただけだ。俺はただ、言われたことをやっていただけで……。


「……ユーリ」


 隣に座るセレナが、小さく俺の名を呼んだ。俺の婚約者であり、このパーティーの回復役でもある彼女は、今日はどこかよそよそしかった。


 銀色の髪が夕日に照らされて輝いている。整った顔立ち、高貴な物腰。貴族の令嬢である彼女は、俺にはもったいないほどの女性だった。


「どうかした?」


「……いいえ。何でもありませんわ」


 目を合わせない。声が冷たい。いつもなら、もう少し柔らかい笑顔を向けてくれるはずなのに。


 今日は朝から様子がおかしかった。話しかけても素っ気ない返事しか返ってこない。何か気に障ることをしただろうかと考えたが、思い当たる節がない。


 孤児だった俺を拾ってくれたのは、セレナの家——クレスティア家だった。路上で飢えていた俺に手を差し伸べ、教育を与え、冒険者になる道を開いてくれた。


 その恩に報いるために俺は冒険者になり、セレナと婚約した。彼女の隣に立てる男になるために、五年間必死に働いてきた。


 だから俺は——。


「おい、聞いてるか」


 向かいに座るレオンが、腕を組んだまま俺を見ていた。


 レオン・ヴァルハルト。【黄金の剣】のリーダーであり、Aランク冒険者として王都に名を馳せる男。金色の髪に精悍な顔立ち、鍛え上げられた体躯。誰もが認める英雄だ。


「ああ、悪い。少しぼんやりしていた」


 レオンは鼻で笑った。その表情に、見慣れないものが混じっている気がした。冷たさ。あるいは——軽蔑。


 いや、気のせいだろう。レオンは俺を仲間として受け入れてくれた男だ。五年間、一緒に戦ってきた。


 だが——。


 他のメンバーたちも、どこか落ち着かない様子だ。戦士のガルドは落ち着きなく足を揺すり、魔法使いのエルザは視線を逸らしている。互いに目配せをし、ひそひそと何かを囁き合っている。


 その視線が、時折俺の方を向くのが分かった。


 嫌な予感がした。胃の奥が冷たくなる感覚。何かが、決定的に変わろうとしている。


「——話がある」


 レオンが、ゆっくりと口を開いた。その声には、有無を言わせぬ重さがあった。


  ◇  ◇  ◇


 レオンの表情に浮かぶ冷たさを、俺は見たことがなかった。


 いや、違う。見ないようにしていただけかもしれない。五年間、ずっと。


「単刀直入に言おう」


 レオンは腕を組んだまま、俺を見下ろすように言った。テーブルを囲む他のメンバーたちは、一様に沈黙している。酒場の喧騒が、急に遠くなった気がした。


「お前はもう不要だ」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


 不要。その言葉が、頭の中で空転する。


「……何を、言って」


「聞こえなかったか?」


 レオンの声が、冷たく響いた。


「お前の鑑定なんぞ、なくても俺たちは困らん。むしろ足を引っ張っている。分け前だけは一人前に持っていくくせに、戦闘では役に立たない。パーティーから出ていけ」


 追放。


 その言葉が、頭の中で反響した。何度も、何度も。


「待ってくれ、レオン。俺は五年間——」


「五年間、何をした?」


 レオンの声が、俺の言葉を遮った。


「お前がいなくても、俺たちはAランクに上がれた。お前の鑑定がなくても、ダンジョンは攻略できた。むしろ、お前を守るために余計な労力を使わされた。お前は——最初から、いてもいなくても同じだったんだ」


 違う。そう言いたかった。


 あの時の鑑定がなければ、全滅していた。あのアイテムの真価を見抜かなければ、大損をしていた。あの罠に気づかなければ、誰かが死んでいた。


 だが——言葉が出てこなかった。


 本当に、俺の手柄だったのか? レオンの判断があったからこそ、うまくいっただけではないのか? 俺の鑑定なんて、本当に必要だったのか?


 俺は——本当に、必要とされていたのか?


「そうだな、レオンの言う通りだ」


 隣に座っていたガルドが、薄ら笑いを浮かべて言った。筋骨隆々の戦士は、俺を見下すような目で見ていた。


「鑑定士なんて、低級スキルの代表格だろ。最初から要らなかったんだよ。対象の名前が分かる程度のスキルに、何の価値がある?」


「よく五年も我慢してたよな、リーダー」


 エルザが、くすくすと笑いながら言った。


「私たち、ずっと思ってたの。なんでこんな役立たずがパーティーにいるんだろうって」


 嘲笑が、俺を取り囲む。


 五年間、共に戦ってきた仲間だと思っていた。苦楽を共にした同志だと思っていた。だが、彼らの目には——俺は最初から、荷物でしかなかったのか。


 周囲の喧騒が、遠くなっていく。視界が狭まる。心臓が、痛いほど鳴っている。


 言い返したかった。俺がどれだけパーティーに貢献してきたか、叫びたかった。


 だが、自信がなかった。俺の貢献は、本当に意味があったのか。俺がいなくても、彼らは成功していたのではないか。


 その疑念が、言葉を奪った。


「……そう、か」


 声が震えていた。情けないほどに。


「分かった。お前たちがそう思うなら、俺に言えることは何もない」


 反論の言葉は、出てこなかった。


  ◇  ◇  ◇


 追放を告げられ、俺が呆然としている間に、セレナが立ち上がった。


 椅子が床を擦る音が、やけに大きく響いた。


 俺はセレナを見上げた。五年間、隣にいてくれた女性。俺の婚約者。俺が守りたいと思っていた人。


 その顔には、一片の情もなかった。


「申し訳ないけれど」


 彼女は俺を見下ろして言った。その声は、五年間の婚約者に向けるものとは思えないほど冷たかった。冬の湖のように、凍てついていた。


「婚約は破棄させていただきますわ。あなたでは……釣り合いが取れませんの」


 言葉が、理解できなかった。


 頭が真っ白になる。心臓が、一瞬止まったような気がした。


「セレナ、俺は——」


「最初から、あなたには期待していませんでしたの」


 セレナは、俺の言葉を遮った。その声には、微塵の揺らぎもなかった。


「クレスティア家があなたを引き取ったのは、使える駒が欲しかっただけ。わたくしがあなたと婚約したのも、万が一のための保険でしたの。でも、もう用済みですわね」


 保険。使える駒。


 その言葉が、胸に突き刺さった。


 孤児だった俺を拾ってくれた家。その恩に報いるために、俺は冒険者になった。セレナの隣にいられるように、必死に努力してきた。彼女に相応しい男になるために、五年間頑張ってきた。


 それが——全て、打算だったのか。


 セレナの視線が、一瞬だけレオンの方を向いた。その目に浮かぶ感情を、俺は見逃さなかった。


 熱を帯びた視線。期待。そして——愛情。


 俺に向けられたことのない感情が、そこにあった。


 ああ。そういうことか。


 レオンが薄く笑っている。勝ち誇った、優越感に満ちた笑み。全てを理解した俺を、嘲笑うように。


 パーティーの仲間たちは、冷たい視線を向けるばかりで、誰も俺を庇おうとしなかった。当然だ。彼らにとって、俺は最初から仲間ではなかったのだから。


「……分かった」


 俺は、静かに立ち上がった。


 言いたいことは、山ほどあった。叫びたかった。泣きたかった。怒りをぶつけたかった。


 だが、何を言っても無駄だと分かっていた。彼らの目には、俺はもう「不要なもの」でしかない。


 感情が、どこか遠くへ消えていく。怒りも、悲しみも、何もかもが麻痺していくようだった。心の中に、ぽっかりと穴が開いた感覚。


 俺は、何も言わずにテーブルを離れた。


 背後で、誰かが笑う声が聞こえた。


  ◇  ◇  ◇


 足が動いていた。どこへ向かっているのか、自分でも分からないまま。


 酒場の喧騒を抜け、ギルドのホールに出る。冒険者たちが行き交う広い空間。掲示板には依頼書が貼り出され、受付には列ができている。いつもと変わらない光景。


 だが、俺にはもう関係のない世界だ。


 気がつけば、ギルドの受付カウンターの前に立っていた。


「パーティー脱退の手続きを」


 俺の声は、自分でも驚くほど平坦だった。感情が死んだような声。


「……承知しました」


 ギルド職員は、俺の顔をちらりと見ただけで、淡々と書類を差し出した。中年の女性職員。何も聞かない。何も言わない。こういう光景は珍しくないのだろう。


 俺は機械的にサインをし、パーティー証を返却した。金属製の小さなプレート。【黄金の剣】の紋章が刻まれている。五年間、肌身離さず持っていたもの。


 それを手放す瞬間、何かが終わった音がした気がした。


 ロッカー室に向かう。薄暗い通路を歩き、自分のロッカーを開ける。中には、鑑定用の道具一式と、少しばかりの金貨。それが、俺の五年間の全てだった。


 荷物を鞄に詰め込みながら、記憶が蘇る。


 初めてこのロッカーを使った日のこと。緊張しながら、パーティー証を受け取った日のこと。初めてのダンジョンで、足が震えていたこと。


 あの時、俺は希望に満ちていた。これから始まる冒険者生活に、胸を躍らせていた。


 五年間。振り返れば、俺は何を成し遂げたのだろう。


 あの時の鑑定で罠を見つけた。あのアイテムを見抜いたおかげで、大金を得た。あのダンジョンで隠し部屋を発見した——。


 だが、それは本当に俺の手柄だったのか。レオンの言う通り、俺がいなくても彼らは成功していたのではないか。


 俺はただ、邪魔だっただけなのかもしれない。


 ……何も、なかったのかもしれない。


 ロッカーを閉める。金属音が、静かな通路に響いた。


 ギルドの通路を歩く。すれ違う冒険者たちは、俺のことなど眼中にない。当然だ。俺は、誰でもない。何者でもない。


 追放された、元鑑定士。低級スキルしか持たない、役立たず。それが今の俺だ。


 正門が見えてきた。大きな木製の扉。その向こうには、夕暮れの街が広がっている。


 夕日が沈みかけていた。オレンジ色の光が、ギルドの床を照らしている。窓から差し込む光が、俺の影を長く伸ばしていた。


 ——これから、どうすればいいのだろう。


 住む場所もない。金もほとんどない。頼れる人間もいない。


 孤児に戻るのか。路上で暮らすのか。それとも——。


 俺は、その門に手をかけた。重い扉が、軋みながら開く。


  ◇  ◇  ◇


 門をくぐった瞬間——頭が、割れるように痛んだ。


「——っ!」


 視界が歪む。膝が折れる。石畳に手をつき、激しい頭痛に耐える。


 何だ、これは。


 痛みが頭蓋を貫くように走る。目の奥が焼けるように熱い。呼吸が乱れ、額に汗が噴き出す。こめかみを押さえるが、痛みは引かない。


 まるで、頭の中で何かが砕けるような感覚。いや——何かが、生まれようとしているような。


 ——止まれ。止まってくれ。


 だが、痛みは収まらない。むしろ、どんどん強くなっていく。視界が明滅する。意識が遠のきそうになる。


 通りを歩く人々が、不審そうに俺を見ている。だが、誰も近づいてこない。関わりたくないのだろう。


 そして——。


 唐突に、痛みが引いた。


 嵐が過ぎ去ったように、頭の中が静かになった。


 だが——視界が、変わっていた。


 いや、違う。歪んでいるんじゃない。


 ……見えている。今まで見えなかった何かが、見えている。


 ゆっくりと顔を上げる。通りを歩く人々の姿が、違って見える。彼らの頭上に——何かが浮かんでいた。


 文字だ。淡く光る、透明な文字。


 太った中年の男が、荷車を押して通り過ぎる。汗を拭きながら、疲れた顔で歩いている。その頭上に、淡く光る文字列が浮かんでいた。


『名前:マルコ・ベイン』

『職業:行商人』

『体力:C』

『特記:腰痛持ち』


「……なんだ、これは」


 意味が分からなかった。文字が見える。人を見ると、その人物に関する情報が——視界に浮かび上がる。


 俺は目をこすった。だが、文字は消えない。


 若い女が、酒場の方へ歩いていく。給仕の制服を着ている。栗色の髪を後ろで束ね、足早に歩いている。


『名前:リリア』

『職業:給仕』

『体力:D』

『特記:なし』


 別の男。冒険者風の身なり。腰に剣を佩き、革鎧を纏っている。


『名前:ゲイル・オルソン』

『職業:冒険者』

『ランク:D』

『特記:左腕に古傷、剣術に自己流の癖』


 見える。全て、見える。


 名前だけじゃない。職業、能力、特徴——人を見るだけで、その情報が視界に浮かび上がる。


 俺の鑑定スキルは、対象の名前が分かる程度の低級スキルだったはずだ。それも、集中して発動しなければ使えなかった。こんな風に、見るだけで情報が浮かぶなんて——。


 いや——これはもう、鑑定じゃない。


 何か別の、とんでもないものに変わっている。


 俺は震える手で自分の顔を触った。目に異常はない。視界は正常だ。ただ、その上に——文字が重なって見えている。


 これは——何だ?


 日は完全に沈み、街には夜の帳が降りようとしていた。街灯に火が灯り始め、通りを歩く人々の姿が影絵のように見える。その全員の頭上に、淡く光る文字が浮かんでいる。


 世界が、変わった。


 俺に何が起きたのか、まだ分からない。この力が何なのかも、なぜ俺に目覚めたのかも、分からない。


 だが——これだけは、確かだった。


 もう、元には戻れない。

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