第14話「調律獣」
調律獣は、音を立てずに着地した。
重いはずの身体が、
まるで地面と溶け合うように沈む。
三つの目が、ゆっくりと瞬く。
その視線は、俺ではない。
リィナだ。
「……狙われてるな」
ハルドが低く言った。
「魂脈に触れた者は、
あいつらには“甘い歪み”に見える」
「甘い、って」
「祈りすぎた人間は、
世界からすると不自然だ」
調律獣が、一歩踏み出す。
その足跡から、
淡い光の筋が地面に残った。
まるで、世界そのものが
傷ついているみたいだった。
「来るぞ」
俺は、息を整える。
剣も、魔法もない。
あるのは――
この身体と、覚悟だけだ。
獣が、跳んだ。
速い。
だが、前みたいに
“見えない”わけじゃない。
「……遅い」
そう感じてしまった自分に、驚く。
力は使えない。
でも、
身体が世界に慣れ始めている。
横に転がる。
獣の角が、
俺のいた場所を抉った。
地面が、音もなく削れる。
「っ……!」
寒気が走る。
触れたら、
ただじゃ済まない。
「カイ!」
リィナの声。
振り返ると、
彼女が、調律獣を見つめていた。
だが――
祈っていない。
目を閉じていない。
ただ、見ている。
「……?」
獣が、動きを止めた。
三つの目が、
同時に瞬く。
『――』
声なき声。
空気が、ざわめく。
「何が起きてる」
ハルドが、息を呑む。
「調律獣が……
迷っている?」
俺は、気づいた。
リィナの周囲の空気が、
“整っている”。
歪みが、ない。
祈っていない。
願っていない。
ただ――
そこに立っている。
「……そうか」
理解が、胸に落ちる。
「お前、もう
世界に“お願い”してない」
リィナが、こちらを見る。
「……はい」
小さく頷く。
「生きたいって、
言いましたから」
獣が、低く唸る。
三つの目が、
別々の方向を見る。
過去。
未来。
今。
そして――
判断した。
獣は、ゆっくりと後退した。
「……退く?」
ハルドが、信じられない声を出す。
「調律獣は、
歪みがなければ、
存在理由を失う」
焚き火の炎が、
元の色に戻る。
獣は、一度だけ
リィナを見た。
それは、
敵を見る目じゃなかった。
確認する目だった。
次の瞬間。
獣は、夜の闇に溶けるように消えた。
しばらく、誰も動けなかった。
「……勝ったのか」
「いや」
ハルドは、首を振る。
「見逃された」
俺は、リィナを見る。
「なあ」
「はい」
「今の感覚、覚えてるか」
「……はい」
胸に手を当てる。
「空っぽじゃ、なかった」
その言葉に、
背筋が震えた。
ハルドが、静かに言う。
「灯主は、
世界の願いを背負う存在だ」
「だが」
一拍、置いて。
「君は違う」
リィナを見る。
「君は、
世界と並んで立つ人間だ」
その瞬間。
遠くで、
アークの方向が、かすかに光った。
嫌な予感が、胸を締める。
「……覚えられたな」
俺は、呟く。
「世界に」
ハルドが、短く笑う。
「ようこそ」
「神話の入口へ」
夜風が、吹いた。
物語はもう、
“人の話”だけじゃ終わらない。
世界そのものが、
語り部になろうとしていた。
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