第10話「逃走」

「走れ!」


 管理官の男が、叫んだ。


 次の瞬間、

 地面が爆ぜる。


 影――執行体が、一斉に動き出した。


「カイ!」


 リィナが、俺の腕を引く。


 身体が、重い。


 さっきまで見えていた“先”が、

 まったく見えない。


 視界が、揺れる。


「……くそ」


 力を使おうとした瞬間、

 心臓が、強く痛んだ。


 ドクン――止まりかける。


「使うな!」


 管理官の男が叫ぶ。


「今それをやったら、

 本当に終わる!」


 分かっている。


 分かっているが――

 走れない。


 足が、もつれる。


 世界が、通常の速度に戻っただけなのに、

 それが、異様に遅く感じる。


「カイ!」


 転びかけた瞬間、

 支えられた。


 リィナだ。


 細い腕で、必死に俺を引き上げている。


「……離れろ」


「嫌です」


 即答だった。


「今度は、私が引っ張ります」


 彼女は、歯を食いしばる。


「あなたは、さっきまで

 一人で立ってた」


 息を切らしながら、続ける。


「今度は、私の番です」


 その背中が、前に出る。


 守る位置。


 俺の前に、立つ位置。


 胸の奥が、熱くなった。


「……重いだろ」


「知ってます」


 それでも、離さない。


 管理官の男が、後方で応戦している。


「右だ!」


 彼の声。


 反射的に、方向を変える。


 細い通路。


 古い整備用の道だ。


 執行体が、壁を砕きながら迫る。


「……カイ」


 走りながら、リィナが言う。


「怖いです」


「……ああ」


「でも」


 一瞬、こちらを見る。


「今は、生きてる」


 その言葉で、

 足に力が戻った。


 走る。


 ただ、走る。


 先も、未来も見えない。


 でも――

 後ろは、見ない。


 通路の奥に、光が見えた。


「出口だ!」


 管理官の男が叫ぶ。


「外に出れば、

 一時的に追跡は切れる!」


 次の瞬間。


 背後で、爆音。


 衝撃で、身体が前に投げ出される。


「――っ!」


 転がる。


 視界が回る。


 立ち上がろうとして、

 足に力が入らない。


 執行体が、通路を塞いでいた。


『逃走経路、遮断』


 終わりか。


 そう思った瞬間。


 リィナが、俺の前に立った。


 震えながら、両手を広げる。


「……やめて」


 小さな声。


「この人は、私が守る」


『灯主、戦闘権限なし』


「関係ありません」


 彼女は、涙をこらえて言う。


「生きたいって言った」


「一緒にって、言った」


 執行体が、動きを止める。


 ほんの一瞬。


 その隙に――

 管理官の男が、叫んだ。


「今だ!!」


 彼は、装置を投げ込む。


 閃光。


 爆風。


「行け!」


 俺は、リィナに引っ張られ、

 光の向こうへ転がり出た。


 外だ。


 夜風が、肌を打つ。


 背後で、通路が完全に崩れた。


 しばらく、誰も動けなかった。


 荒い息。


 心臓の音。


「……生きてる」


 リィナが、呟く。


 俺は、空を見上げる。


 星が、静かに瞬いていた。


 その星空の下で、

 はっきりと分かった。


 この旅は、もう

 誰かの犠牲を見送る物語じゃない。

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