ちょうどいい天気の作り方

成田紘

晴れすぎな春の教室

 高校に入学してから空は毎日、機嫌がいい。


 太陽は穏やかな春の陽射しを惜しみなく地上に降りそそぎ、雨予報の日でも傘の出番はなかった。


 校庭の桜はちらちらと花びらを舞い散らせ、水色の空と淡いピンクを背景に、女子たちが写真を撮りまくっている。


 俺は教室の窓からその光景を眺めながら、ひとり首を捻った。


 ――おかしい。


 俺は日向ひむかい陽太ようた

 赤茶色の癖毛がコンプレックスな、十五歳。


 信じられないと思うけど、俺は晴れ男の末裔だったりする。


 いわゆる、その人が外出したり、何かイベントに参加すると決まっていい天気になるっていう、そんなポジティブな意味合いのヤツじゃなくて。


 明らかに常人とは違った能力を持つ晴れ男・晴れ女の一族ってのが、この世には存在するんだ。


 その末裔が、この俺。


 その事実は、誇りであると同時に、どうしようもない呪いでもあった。


 感情が高ぶると、容赦なく天候を左右する。

 運動会は炎天下、遠足は真夏日、修学旅行は灼熱地獄。

 それが、晴れ男一族に生まれた俺にとっての平常運転だった。


 そんな俺の一族には、いくつかの掟がある。


 ひとつ、他人に能力を知られてはいけない。

 ふたつ、普通の人間として生きる。

 そして——普通の人間として、幸せになること。


 だから俺は、いつも気を張っている。


 喜びすぎない。

 怒りすぎない。

 熱くなりすぎない。


 ――平常心、平常心。


 心の中でいつもそう唱えてる。

 それが、俺の「普通」だった。




「じゃあ四人か五人の班になって、決まったら黒板に班ごとに名前を書いてくださーい」


 黒板の前で、クラス委員長が声を張り上げた。帰りのホームルームを使って、高校に入学して最初の大きな行事――春の遠足の班決めが始まる。


 途端に教室が湧き立ち、あちこちで人の輪ができ始めた。


「陽太ー!一緒に組もうぜ!」


 入学早々に仲良くなった何人かの男子に呼ばれ、俺は視線を窓から教室に戻し、その輪に加わる。


「決まった人から帰ってもいいです。だから早く決めてくださーい!」


 委員長の声に、教室の空気がさらに弾んだ。


「おーし、俺らはこの四人で決まりだな」


 俺はみんなの顔を見渡す。

 笑顔と頷きでそれに応えてくれる。

 するとひとりが楽し気に口を開いた。


「帰り、どっか寄ってかね?」

「いいね!じゃあゲーセンかカラオケ行かね?」

「陽太のはっちゃけるとこ、見てみたいよね」

「俺?俺はほら、クールビューティーだから」


 どっと笑い声が上がる。

 俺も笑う。


 ――おかしい。

 俺、今、めちゃくちゃ楽しいんだけど。


 今までなら、この高揚に反応して太陽が照りつけ、気温が上がる。

 教室はじわじわ蒸し暑くなり、誰かが窓を開けたりする。

 それなのに今、室内は驚くほど快適だった。


 感情と能力のコントロールが、できてきたのかもしれない。

 そんなことを考えながら黒板に名前を書いていると、背後で声がした。


「あれ?帰っちゃうの?」

「おい、遠足の班どうすんだよ」


 振り返ると、雨宮あめみやみおが、カバンを掴んで席を立ったところだった。


 雨宮は、しっとり濡れたみたいに艶のある黒髪をした男子だ。

 挨拶すれば返事は返ってくるけど、基本的に無口。休み時間はひとり本を読んでいるか、ぼんやり空を眺めている。


 友達作りが苦手なんだろうな、と思う。

 でも、いつかちゃんと話してみたいとも思っていた。

 ――あのツヤ髪の秘訣とか、聞いてみたい。


「ごめん、適当に決めてくれていいよ」


 そう言って教室を出ようとする雨宮の背中に、俺は思わず声をかけた。


「なあ、雨宮。まだ決まってないなら、俺の班来ない?」


 雨宮は一瞬だけ俺の顔を見た。

 そしてまるで何も見なかったみたいに視線を逸らし、薄く口を開く。


「さすがに日向くんの班は、ちょっと……。気、遣わなくていいから。本当に適当でいい」


 それだけ言って、廊下へ向かって歩き出す。


 俺は咄嗟にその背中を追った。

 伸ばした手で、雨宮の肩に触れる。


「おい。今の、どういう意味だよ。もしかして俺、嫌われてる?」


 ちゃかすように俺は言った。

 けれど雨宮は立ち止まらない。

 振り返りもしない。

 ただ、淡々とした声でこう告げた。


「だって日向くんたちって、カースト上位じゃん。僕なんかじゃ釣り合わないし」


 その言い方にイラっとする。

 チリッと胸の奥に火がともる。

 心臓のあたりが、じわっと灼けるみたいに熱い。


 その瞬間、廊下の窓から強烈な陽射しが差し込んだ。

 

「まぶしっ」

「うわ、なにこれ」

「え、なんか急に暑くない?」


 廊下を行き来する生徒たちの間から声が上がる。


 ――ヤバい。


 俺は反射的に拳を握りしめ、息を整えた。

 静かに深く、ゆっくりと。


 能力は隠せ。

 普通に生きろ。


 一族の掟が、頭の中で警告音みたいに鳴り響く。


 ……落ち着け。

 平常心だ、俺。


 すると俺の状態に比例して差し込む陽射しが弱まり、気温も安定してきた。


 雨宮の方を見ると、彼は眉をひそめ、怪訝そうな顔で窓の外を見ていた。

 俺の視線に気づいたのか、雨宮はハッとしたように前を向き、何事もなかったかのように歩き出す。

 俺も、自然な顔を装って並んだ。


「なあ。じゃあ、俺の班に入るってことでいいよな」

「……なんでそうなるの」


 雨宮はうんざりしたように息を吐く。


「ていうか、ついて来ないでくれる?」

「返事聞いてないし」

「まあ、いいけど。……どうせ行く気ないし」


 ぽつりと呟くと、雨宮は一瞬だけ足を止めた。


「え?」


 聞き返した俺を見ることなく、素早く口を開く。


「僕なんか、放っといてくれていいから」


 小さく言い捨てると、雨宮はカバンを肩にかけ直し、昇降口へ駆け出した。


 帰宅や部活に急ぐ生徒たちが横を通り過ぎていく中、俺は一歩も動けず、ただ遠ざかっていく背中を見送ることしかできなかった。






 翌朝の教室に、雨宮の姿はなかった。


 朝の天気予報では一日中雨だと言っていたのに、窓の外は見事な晴天だった。

 というか、四月にしては暑いくらいだ。


うちの方じゃ降ってたのに、学校来たら全然降ってねえな」

「今日はもう、このまま降らないんじゃね?」

「てか、変に蒸し暑くね?」


 首を傾げるクラスメイトたち。

 ノートでパタパタと風を送り合っている彼らに、俺は笑ってごまかす。


「いやぁ、晴れてラッキーだったな!」


 ――そう、本来ならこうなるよな。


 俺を中心にしてその周辺の雲は切れ、青空が広がり、太陽がその勢いを増す。

 昨日までの麗らかさの方が、むしろおかしかったのだ。


 そうだ、おかしい。

 てっきり感情と能力のコントロールができてきたのかと思ってたけど、どうやらそうじゃないみたいだ。


 昨日までと今日で、何が違うんだろう。


 そんな疑問を胸の奥で転がしていると、予鈴が鳴り、担任が教室に入ってきた。

 みんなが慌てて席に戻り、日直の号令で朝のホームルームが始まる。


「雨宮は今日、欠席だ」


 担任は出席簿から顔を上げて、そう告げた。

 それからいくつか連絡事項を伝えると、思い出したようにつけ加える。


「ああ、そうだ。遠足の班だけど、雨宮だけまだ決まってないだろ。登校したら、どこかの班に入れてやってくれ」


 考えるより先に、俺の手が挙がっていた。


「先生」

「どうした、日向」

「雨宮は、俺の班に入れます」


 一瞬、教室が水を打ったように静まり返る。


「いいのか?」


 担任が念を押す。

 そうだ、勝手に手を挙げてしまったけど、班のメンバーはどう思っているんだろう。

 もしかしたら他にも雨宮と組みたいヤツがいるかもしれない。

 俺は振り返り、教室内を見渡した。


「みんなはどうだ?」


「もちろんオッケー!」

「陽太が決めたんなら異議なーし」

「まだちゃんと雨宮と絡んだことなかったし、それがいいと思う」


 次々に上がる賛成の声に、俺はそっと胸を撫でおろす。


「よし。じゃあ、そういうことで」

 担任が頷き、朝のホームルームはそれで終わった。


 雨宮は、ガチで俺の班に入ったって知ったら、どんな顔をするだろう。


 一瞬いやそうな顔をして、それから少しうんざりした声で、「別にいいけど」とか言うんだろうか。


 大人しそうな見た目のくせに、アイツは意外と口が悪い。

 でも、そういうところも面白そうだな、と俺は思っていたりする。


 ……おっと。

 また、ちょっと楽しくなってきた。

 室温がほんの少し上がった気がする。


 俺は癖毛をひと束、指に巻きつけながら、平常心、平常心と呪文みたいに唱えた。

 





 ――なのに。


 翌日も、雨宮は学校に来なかった。

 朝のホームルームで、担任があっさりと言う。


「雨宮は今度の遠足には参加できないそうだ。日向、みんなもそのつもりでな」


 その言葉が、俺の胸の奥をガリッと引っ掻く。


 次の瞬間、教室内をまばゆい太陽光が照らし、室温が一気に上昇する。

 教室中から戸惑いと不満の声が上がった。


「あっつ!」

「なにこれ、眩しすぎる」

「早くカーテン閉めてよ」


 ダメだ。

 感情を昂らせるな。


 俺は大きく息を吐き、深く吸い込んだ。

 何度も、何度も。


 それでも、胸の引っ掻き傷は治まらない。


 なんだこれ。

 どうしてこんなに落ち着かないんだ。

 雨宮が遠足に来ない――それだけのことで。


 そもそも、なんでアイツは学校を欠席してるんだろう。

 病欠なら担任がそう言うはずだ。

 でもそうじゃない。

 だったらどうして?

 俺がしつこく誘ったせいか?

 迷惑だっただろうか。


 どんどん小さくなっていき、人波に紛れて見えなくなった雨宮の背中が、俺の頭をよぎる。


 カーストがどうとか、くだらねーこと言ってたけど、ガチで思ってるわけじゃないよな。

 それとも、やっぱり嫌われてる?

 俺、アイツになんかしたっけ……?


 胸の傷が、ずくんと不安の音を立てる。


「今日、異常に暑くね?」

「センセー、エアコンつけてー!」

「無茶言うな、窓開けろ、窓」

「開けてるけど、熱風しか入ってこないー!」


 教室中のざわめきが、音の洪水となって俺を包囲する。


 しっかりしろ俺!

 平常心だ、平常心!

 

 能力を他人に知られるな。

 普通の人間として生きろ。


 そうやっていつもどおりに呪文を唱えているのに、傷はずくずくと疼くばかりだった。 


 俺は両手で耳を塞ぎ、癖毛を乱暴に掻き回す。




「……なんだよ、普通って……」






 その日、学校周辺の気温は二十八度を超え、四月としては記録的な暑さになった。



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