ラスト・ラングナー 〜第七王女が家族全員ブチのめす〜

斜ー

第一話 狂王女、戦場に恋い焦がれる

 帝国ラングナーの空は、いつだって重厚な鉄の色をしている。


 その中心に聳える「第七宮」の最奥、第七王女リザ・ラングナーの私室からは、今日も規則正しい「音」が響いていた。


 ドゴォッ、という重低音。


 それは華奢な少女の部屋から聞こえていい音ではない。建物の構造材が悲鳴を上げ、微かに震動が床を伝う。


「――九百九十八。九百九十九。……千」


 最後の一回。


 リザは逆立ちした状態から、片手の指先だけで全身を突き上げ、空中で一回転して音もなく着地した。


 腰まで伸びたストレートの紫髪が、汗に濡れて肌に張り付いている。蒼い瞳は、激しい運動の後だというのに、凪いだ湖のように静かだ。


「……足りないわね」


 ポツリと独り言を漏らす。


 その視線の先には、特注の「対魔導師用サンドバッグ」があった。ミスリルを練り込んだ硬質ゴム製で、並の兵士が殴れば拳が砕ける代物だが、今は無残にも中央がひしゃげ、中身の魔導砂が床にぶちまけられている。


 リザ・ラングナーは、美しかった。


 ラングナー一族特有の深い紫の髪と、吸い込まれるような蒼い瞳。その容姿は「帝国の至宝」と称されるに相応しい。だが、その内側にあるのは、権力への野心でも、贅沢への渇望でもない。


 ただ一点。


 自分を壊してくれるほどの、あるいは自分が全力を出し切って壊せるほどの「強者」との邂逅。


 それだけが、彼女の生存理由だった。


「お嬢様、また備品を壊されましたな。これで今月は十二個目。予算申請書を書く私の身にもなっていただきたい」


 背後から、一切の気配を感じさせない声が響く。


 リザは驚く風もなく、振り返った。


 そこに立っていたのは、背筋を真っ直ぐに伸ばした老紳士だ。執事服に身を包み、非の打ち所のない所作で一礼する男――マルコ。


「マルコ、また気配を消したわね。……今なら、あなたの首を獲れると思ったのに」


「おやおや、恐ろしい。老い先短い老人の命を狙うものではありませんよ。それよりも……」


 マルコは手にした銀盆の上にある、黒い縁取りのなされた書簡を差し出した。


「皇帝陛下が、崩御なさいました」


 リザはタオルで汗を拭いながら、興味なさそうに視線を逸らした。


「……そう。あのおじいさん、やっと死んだのね。それで? お葬式なら出ないわよ。肩が凝るだけだもの」


「そうも参りません。陛下は、とんでもない『置き土産』を遺されました。これより謁見の間にて、遺言状の公開が行われます。リザお嬢様、貴女も出席は義務でございます」


「パス。誰が継いでも同じでしょ。ヴィルタ兄様かフォルカス兄様が適当にやっておけばいいじゃない。私は、明日からギルドの遠征に出るんだから」


 リザにとって、父である皇帝の死すら、日常のトレーニングを中断させる理由にはならなかった。彼女にとっての価値基準は「強いか、否か」。政治的な力など、彼女には羽虫の羽音ほどにしか聞こえないのだ。



 マルコに促され、渋々と謁見の間へと向かうリザ。帝国ラングナーの象徴である深い紫の髪が、荘厳な大聖堂のステンドグラス越しに差し込む光を浴びて、毒々しくも美しく輝いていた。


 先代皇帝の崩御に伴う「遺言の儀ゆいごんのぎ」。それは帝国の秩序が一時的に「空白」になることを意味する。


 謁見の間には、不気味なほどの沈黙と、肌を刺すようなプレッシャーが充満していた。


 上座から順に、ラングナーの血を引く気高き獅子たちが並んでいる。


 第一王子、ヴィルタ。帝国軍総帥。座っているだけで城門のような圧迫感を放つ巨躯。


 第二王子、フォルカス。微笑を絶やさないが、その瞳の奥には底知れない深淵がある。


 第三王子、スタウフ。複雑な数式が刻まれた魔導衣を纏い、周囲の魔力を変質させている。


 第四王女、リルルト。眼鏡の奥で狂気的な光を走らせ、リザの方を見ては舌なめずりをしている。


 第五王女、アマリア。傍らにはべらせた小型の幻獣を撫で、傲岸不遜ごうがんふそんな笑みを浮かべている。


 第六王子、ロッタ。退屈そうに指先でテーブルをリズムよくトントンと叩いている。


 そして末席、第七王女リザ・ラングナーは、腰まで届く艶やかなストレートの紫髪を弄びながら、盛大なあくびを噛み殺していた。彼女だけが、この場に相応しくないラフな戦闘服だった。


「……以上が、父帝ちちみかどの遺言である。この四つの宝珠ほうじゅを揃え、玉座に捧げた者が次代の皇帝となる。異論はあるか?」


 祭壇の上で、宰相が重々しく宣言する。


 沈黙。


 その場に満ちるのは、哀悼ではなく、獲物を狙う獣たちの殺気だ。


「……あーあ。辞めた辞めた」


 静寂を切り裂いたのは、鈴の音のように澄んだ、しかし酷く退屈そうなリザの声だった。


「……下らない」リザは大きな溜息をついた。


「核を取り合う? 興味ないわ。皇帝の椅子なんて、座っているだけでお尻が痛くなりそう。私、降りるわ。勝手にやって」


 リザは立ち上がり、蒼い瞳を虚空に向け、扉へと歩き出す。


「待ちなさい、リザ。これは義務よ?」


 声をかけたのは、第五王女アマリアだ。彼女は扇子で口元を隠しながら嘲笑を浮かべた。


「逃げるのね? 貴女のような『戦う事しか能の無い野蛮人』には、この高度な政治闘争は荷が重いかしら」


「逃げる? 違うわよアマリア姉様。面倒なの。椅子取りゲームなんて。私は強い奴と戦いたいだけ。紙切れ一枚で決まる地位も、政治も、遺産も、ラングナーの看板も、私の人生には必要ないわ」


 リザは振り返りもせず、出口へと歩き出す。その足取りは軽く、まるで散歩にでも行くかのようだった。


「あらあら、リザちゃん。相変わらずつれないね」


 ねっとりとした、粘り気のある声が響く。第四王女リルルトだ。ショートボブに眼鏡、整った顔立ちには知性が宿っているが、その瞳の奥には、正気と狂気の境界線を踏み越えた者特有の濁りがあった。


「せっかくお姉様が、今回のために『痛覚を三倍に増幅する特製毒』を開発してあげたのに。貴女のその綺麗な肌が、苦痛で歪むところを見せてくれないのかい?」


「リルルト姉様、その実験は自分の腕でやりなよ。……あーあ、どいつもこいつも『足の引っ張り合い』ばっかり。つまんない。私はもっと、こう……魂が震えるような、命の削り合いがしたいわけ」


 リザが扉に手をかけたその時。


 それまで沈黙を守っていた第一王子、ヴィルタ・ラングナーが静かに口を開いた。


「……リザよ。一つ、お前に伝え忘れていたことがある」


 その重厚な声に、リザの足が止まった。ヴィルタは帝国軍の総帥であり、リザが唯一、組手で勝ったことのない男だ。


「今回の継承戦――ルールは『宝珠の奪い合い』だが、その過程において、王族間の『私闘禁止法』は一時的に解除される。……意味がわかるか?」


 リザの背中が、ピクリと震えた。


「……私闘禁止の解除?」


「そうだ。この期間内に限り、王族同士が技を尽くし、刃を交え、殺し合ったとしても、それは罪には問われぬ。むしろ『選定の過程』として正当化される。……お前が望んでいた『本気の決闘』が、公式に認められるということだ」


 ゆっくりと、リザが振り返った。


 先ほどまでの退屈そうな表情は、消えている。


 腰まである紫の髪が、彼女から溢れ出した魔圧によって、ゆらりと逆立った。


「……つまり。この継承戦に参加すれば……そこにいるスタウフ兄様の心臓を、正面からぶち抜いてもいいってこと? 完璧に防御を固めたアマリア姉様の首を、法に触れずに撥ねていいってこと?」


 ゆっくりと、彼女は首を巡らせる。


 視線の先では、ヴィルタが腰の巨大な戦斧に手をかけていた。その眼光は、妹を見る優しさなど微塵もなく、戦場の一兵卒を見るような冷徹な「武」そのものだ。


 隣のフォルカスは、優雅に立ち上がりながら、抜き身の細剣を点検している。その剣気は、以前の比ではない。


「……ねえ、マルコ」


「はい、お嬢様」


「今のヴィルタ兄様、私を殺そうとしてる?」


「ええ。間違いなく。先ほどから、貴女の延髄を狙う殺気が漏れ出ております」


 リザの唇が、無意識に吊り上がった。


 心臓の鼓動が早くなる。全身の血が沸騰し、皮膚が粟立つ。


 これだ。


 この感覚を待っていた。


 これまでの組手と違い、ルールも、手加減も、寸止めも、遠慮もない。


「皇族」という枷を外された、本物の化け物たちとの殺し合い。


「……気が変わったわ」


 リザはヴィルタの方を向き、一歩、足を踏み出した。


 その瞬間、彼女から放たれたプレッシャーが、謁見の間の大理石に亀裂を入れた。


「四つの核を奪い合えばいいのね? で、最後に玉座に座っていれば、私の勝ち?」


「いかにも」とヴィルタが応じる。


「わかった。私も参加してあげる。でも、勘違いしないでね。私は皇帝になんてなりたくない」


 リザは、拳を握り込み、最高に凶悪で、最高に美しい笑顔を兄姉たちに向けた。


「私はただ、あんたたちを――本気でブチのめしたいだけよ」


 その宣言は、帝国の長い歴史の中で最も苛烈な「家督争い」の幕開けを告げるものだった。


 

 遺言状の公開から数時間後。帝都の喧騒を離れたリザの離宮では、旅支度が整えられていた。


「遺言の儀」の開始は翌朝。四つの聖域へは、それぞれの意志で向かうことになる。


「お嬢様、準備が整いました。まずは北の聖域、『氷獄の回廊』を目指されるということでよろしいですね?」


 マルコが、リザの愛用する黒い革のグローブを差し出しながら尋ねる。


「ええ。あそこには確か、アマリアとスタウフが向かうはずよ。魔導師と召喚術師……まずは搦め手から潰しておくのが定石でしょ?」


「最小の労力で最高の結果を。お嬢様の戦闘スタイルらしい選択ですな」


 リザはグローブをはめ、その感触を確かめるように拳を突き出した。シュッ、という空気を切り裂く鋭い音が響く。


「マルコ。あなた、お父様が死んだ時のこと……何か隠してるでしょ」


 マルコは眉一つ動かさず、優雅に一礼した。


「……何のことやら。私はただの老いぼれ執事。陛下の最期など、知る由もございません」


「ふん、まあいいわ。どうせこの儀式が終わる頃には、全部ハッキリする。……それよりマルコ、一つ約束して」


 リザは蒼い瞳に、純粋な、そして残酷なほどの闘争心を宿してマルコを見つめた。


「もし、兄様や姉様たちが私を殺せなかったら。その時は――あんたが相手をして。執事としてじゃなく、元S級冒険者の『怪物』として」


 マルコは一瞬、沈黙した。


 そして、その眼鏡の奥の瞳が、リザのそれと同じ、あるいはそれ以上に深い「夜」の色を帯びる。


「……畏まりました。もしお嬢様が、全ての神獣を屠り、全ての御兄姉を越えられたなら。その時はこのマルコ、不遜ながら貴女の命を奪いに参りましょう」


「最高ね」


 リザは短剣を一本、腰のベルトに差し込んだ。


 彼女にとって、この家督争いは「冒険」ではない。


 自分という存在がどこまで通用するのか。自分を凌駕する強者が、この世にどれほど存在するのか。それを確かめるための、血塗られた証明の儀式なのだ。


「行くわよ、マルコ。……まずは、あの生意気なアマリアのペットを全部、素手で引きちぎってあげなきゃ」


 夜風が、リザの紫髪をなびかせる。


 帝国ラングナーの長い夜が明ける時、世界は史上最強の「戦闘狂王女」の誕生を目撃することになる。


 

 翌朝、リザは離宮のバルコニーから、遠く四方に光る「聖域」の標識灯を眺めていた。


 北には、永久に凍てつく「氷獄」。


 南には、大地が溶け落ちる「灼熱」。


 西には、人を喰らう植物が繁茂する「樹海」。


 東には、かつての王国が滅びた「廃都」。


 それぞれの場所に、先代皇帝が封印したとされる「神獣の核」がある。


「神獣」――それは、かつてこの大陸の覇者であった超越的な生命体だ。その核を手にすることは、強大な魔力を手にするだけでなく、次代皇帝としての正当性を示す唯一の手段。


「……ねえ、マルコ。あのおじいさん、どうしてこんな面倒なことを始めたと思う?」


 リザの問いに、荷造りを終えたマルコが静かに歩み寄る。


「先代陛下は、常々仰っておりました。『ラングナーの血は、戦いの中でしか純化されぬ』と。おそらくは、平和に慣れ始めた帝国に、今一度、血の緊張感を与えたかったのでしょうな」


「死んでまで迷惑な話ね。でも……感謝してるわ。こんなにワクワクするのは、ヴィルタ兄様に初めて挑んだ時以来だもの」


 リザは不敵に笑う。


 彼女は知っている。この戦いに参加する兄弟たちは、誰もが「怪物」であることを。


 帝国軍を束ね、文字通り「無敗」を誇るヴィルタ。


 誰にもその真意を悟らせず、ただ優雅に敵を屠るフォルカス。


 深淵の知識を求め、人の理を捨てたスタウフ。


 倫理を嘲笑い、自らの身体すら実験台にするリルルト。


 強大な異形の力を従え、女王として君臨するアマリア。


 影に潜み、盤面を支配するロッタ。


「普通の人なら、震えて逃げ出すような顔ぶれね。……ああ、たまんないわ」


 リザの手が、歓喜で微かに震えていた。


 彼女は、戦うことが好きなのではない。


「戦いの果てにある限界」を見ることが、何よりも好きなのだ。


 自分の魔力が枯渇し、筋肉が悲鳴を上げ、思考が白濁する。


 その極限状態で、なおも相手の喉笛を狙う自分。


 その瞬間にこそ、リザ・ラングナーは「生きている」と実感できる。


「お嬢様、そろそろ出発の刻限です。最初の標的は、北。アマリア様とスタウフ様が既に動かれたとの情報が入っております」


「そう。じゃあ、まずはその二人に挨拶に行かなきゃね。……マルコ、ついてきなさい。私の戦い、一番近くで見せてあげるわ」


「御意」


 二人の影が、月明かりの下で伸びる。


 それは、帝国の秩序が崩壊し、混沌と暴力が支配する時代の始まりだった。


 リザ・ラングナー。


 後に「狂王女」と、あるいは「救国の女神」と称されることになる少女の、最初の一歩。


 彼女は、静かに、そして猛烈な速度で、闇の中へと駆け出した。


 その背中には、一切の迷いも、権力への執着もない。


 ただ、蒼い瞳の中に「強者」への飢えだけを宿して。


【第一話・完】

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