「私」

@nnnn_0001

記録

思考がままならないと思った。ならそれを文にしてみようと考えた。そして、私は椅子に腰を下ろしパソコンを開き、今メモ機能を広げた。今渦巻く胸の渦中は内心穏やかではない、それは不安かもしれないし恐怖かもしれない。胸に広がるのは、食道を胃の間を締め付けるような感覚とずっしりと思い石が入ってるようだ。しかし、私は心というものは無いと否定する派だ。私たちが感じる感情の起因は記憶によるものが多い。例えば何か美味しいものを食べた時、それがハンバーグだとして「ハンバーグを食べた」という記憶に起因して「美味しい」と感じる。辛い体験があった時、その「出来事を思い出して」「辛い」と感じる。その他は神経系が過剰に敏感にキャッチしすぎてるだけだ。


私が胸の渦中を感情と断定できないのは、身体的な要因もある。それは胃の動き。つまり消化器系のトラブルだ。最初になった時、意識を保つだけでもやっとだった。それは夏の蒸し暑い時期でちょうど地球温暖化が深刻になろうとしていた時期だった。薄明かりで満たされた自室。布団で横になる自分。外の蒸し暑さがやけに鮮明に覚えてるのに、体が辛かったという記憶はあるが実際にその痛みまでもは思い出せないでいる。きっとそれはいいことなんだろうと私は思う。

しかし、この話をするためには、私の出生からの話をしなくてはならない。単に私という一人の人生だ。私はこのことを語る時、事実を淡々と述べるように語るか、少し笑い飛ばすようにして語る。理由は単純だ。「人生山あり谷あり」だからだ。


私は生まれた時母親のお腹から出る前から呼吸をしていないことがわかった。

つまり、私は産声を上げなかったのだ。中の内臓が肺より上に押し出されていたと

いう、先天性横隔膜ヘルニアという症状を患っていた。

この症状はいまだに原因もわからないという、しかし、私の主治医はなんとその

押し上げた内臓を元に位置に戻したそうだ。それは死ぬはずだった命を生かした

のだ。それはもう神の領域だ。今の医療はもう命の生も死も介入することが容易であろうと今はただ純粋に圧倒されている。聞いた当初はまだ幼くことの大きさも気づかなかった。今は、それがどれだけの奇跡かと思う部分もあるが、だがその記憶が無いからこそ実感はない、あったという証拠は左の胸の鳩尾あたりの縫合した跡ぐらいだろうか。


ここまで語ったことは、あくまで私が思っている部分と客観も交えたものだ。そもそも話すことなど全くない。そういうものだ。私は自分の人生を不幸とも幸とも思わないからだ。だが、その話を聞いて母親からの健気に病院に通う話を聞くときはいつも涙が無性に出てくる。それは死を恐れてなのかはたまた母を思ってなのかその両方もあるだろう。私は感情を定義したくないからだ。

だが、これだけではない、私の人生で壮絶だったのは側湾症の手術だ。私は骨が小学生あたりから曲がっていた。だからコルセットもつけたりしたが私にとっては煩わしくてしょうがなかった。装具特有の硬い感触とベットに横になった時のふかふかな布団を感じれないことは私にとってはすぐに外したくてたまらなかった。私が中学に上がると整骨院にも通ったりもした。しかし、私はやる気がなかった。それはこの側湾症がコルセットだけでなく「手術」という別の手段もあったからだ。母からはその手術をしてほしくなくて懸命にやっていた。今思ってもその時の母はとても愚かだった。私に言わせればまるでテストの答えを丸暗記してるのにわからないとほざいてるような滑稽さがあった。私は元から自分の親を冷めた目で見ていたし、親として甘えられる部分もあるが、この時から母を親と思うと同時に一人の人間とも捉えていた。そして、中学3年あたり、もう手術するほどに曲がってセカンドオピニオンを受けた時、手術に対する恐怖が出てきた。体の震えが止まらず、もしその手術が失敗して命を落としたら…そう思っただけでも話を聞いてる間も涙が出るのとなんとか堪えるのに必死だった。涙を堪えていたのはここで泣いても意味などないからだ。泣くのは、全て終わったあとでいい。


そして背中の手術ということもあって規模はデカかった。ICUという集中治療室に入るぐらいに、私は慢心していた。自分が子供だから親かそれとも大人を信頼していたのか手術室まで意識を失っていくものだと思った。しかし、自分を足でそこまではっきりと意識を保って歩いた。最初はモダンで木製のある壁から。どんどん奥に進むほど鉄の壁が見えてきて、無菌ゆえの物々しさを感じるようになり、オペの自動ドアが開いた瞬間、オペ室に入った時、並べられた器具、無数の見知らぬ人、心電図の音、点滴、真っ白なベット、目の前に映った光景に息が苦しくなって視界が暗くなった。自分の心臓の音しか聞こえなくて涙で前が見えない。誰も差し伸べてくれない、嫌だ、怖い、行きたくない、嫌だ、死にたくない、この時、私は死んだ。


意識が戻った時、この世のものとは思えないほどの想像を絶する痛みが走った。背中が焼けるように裂かれたかのように痛みがジンジンと痛く、涙が止まらなかった。不安で不安でそれで行き場をなくした手を滑らかでさらりとした手が私の手を握ってくれた。それは看護師だった。私はその痛みに縋るようにその手を必死に握っていてその手がまるで聖母のように思えた。意識を保つのがやっとで目も開けらなかったがあの時の手は美人を彷彿とさせた。


ここまでは私の身体的な話、ここからは私の自我、つまり「自己」の形成に至る話をしよう。

私は、小学生時代、外に遊ぶことも大好きで絵を描くことも好きだった。放課後に描いた絵は拙い目も顔も体も比率も明らかに奇天烈な絵だった。それをを見た同級生が「上手だね」と言ってくれた。私はとても嬉しかった。その描いた絵は自分で考えた一人の女の子だった。波打ち際の海、白い帽子、黒いツインテール、ハイライトが大きい目、半袖の青いTシャツ、白いスカート、ピンク色の靴、今も絵を描くことは好きだし女の子を描く時が一番楽しくまるで鮮やかな色を目で見て楽しみように心がとてもくすぐったくってとても心地よい安らぎを与えてくれる。

では男の子は描いてただろうか?一度も描いたことが小学生の頃なかった。私の思考の中で絵を描くことは「女の子を描くこと」であって「男」を描くことは含まれていなかった。


私の生まれた時代にはもうスマホもタブレットもあり、YouTubeもあった。私が俗にいう「BL」を知ったのは最初はexe系の動画の素材からだっただろう、それはゆっくり実況だったかもしれないし一人実況者の動画だったかもしれない、この時知ったものが男同士の恋愛というより俗にいうホモビデオであった。私は、幼い頃から好奇心が強かった。それがいけなかったのだろう、元ネタが知りたくなって少し見ただけで吐き気を催らした。それは生理的な拒絶であり、男同士というものに対する嫌悪と現実的な肌の生々しさのグロテクスさだった。一分もしないうちに見るのをやめ、その時に思ったのはショックととてもない男同士に対する拒否反応、母が持っていたBL小説も決め手になっていた。私がこの衝撃を受けてから、役4年間、私は男同士の恋愛描写に対する拒絶反応は凄まじかった。それは男同士以上に、私が男性恐怖症に近いものを持っているからだろう、怒鳴りつけてくる父、考えの読めない大人、いつも邪魔をしてくる男子、要因を上げるならこれくらいだろう。では性の目覚めはいつだろう、それも小学生あたりだろう。それはたまたま「見た」や「知った」ではない、「体験」したのだ。


それはまだ引っ越してないまだ小学生になってまもないぐらいだったと思う、あの時はよく弟を喧嘩をして姉なのに情けなくも弟を殴ったりした。原因は弟の口煩さと人を小馬鹿にしたような言い草と悪口だった。こっちが静かにしてと言っても全く聞く耳も持たず、それを必死に言って怒鳴ってもむしろ煽ってきていた。それに限界を感じていたのだろう。正当防衛もへったくれもない今ならそれは犯罪であり、警察に突き出されてもおかしくなかった。私が殴った時、弟が倒れた、その時弟は骨折したのだ。私は幼ながらに警察に出されることの恐怖も感じたし、罪悪感もかんじた、弟の様子からただ事ではないと察した母が私を怒りをこもった声で冷たい声で言うのを感じた。でもこれだけなら失敗談で済む、事項だとそう思って今なら弟にあの時はごめんって今なら言える。だが、私はその渦巻く感情の中に何故か嬉しいと思ってる自分がいることに気づいた。言葉にすればほんの些細な,そっとあるぐらいの重さだ。今まで感じた嬉しいは例えば好きなことを共有できた事や一緒に遊んだこと、美味しいものを食べて満腹になるような純粋さだった。視界、この感情がそれとかけ離れていることだけはわかった。それは掠める程度の想いでありながら胸にずっしりとして重さと脳が痺れる感覚がした。後になって自覚した。その感情は「殺意に対する性的興奮」だった。それは私が中学生が終わるあたりまでは気づくことはなかった。そう、私は知っている。人間という生き物がどこまでも堕ちれることもどんなに取り繕っても醜悪な感情いや「本能」からは逃れないことを。つまり、私から言わせれば「この世界が残酷だ」ではなく「人間は残酷だ」が正解であり、「善があるから悪がある」でもなく「善も悪もない」のだ。なのに元からこんなに曖昧な生物なのになぜこうも人間は定義したがるのか私には不思議でならないと常日頃人を見てはそう思う。この経験はある意味警告だった。もしこの感情の正体を早いうちに知ってしまえば私は人を殺していたかもしれない。法の抜け穴を調べたかもしれない。でも私がしなかった、いやできなかったのは「法の支配」があったからだ。幼くでもわかっていた殺人をすることの重みとそしてそのリスクをメディアの格好の餌食になること、社会に対する犯罪者の目も、何より私には力がなかった、性別もあるだろうが体格がそこまでいいわけでもさせるほどの腕力なかった。親にさえ取り押さえられただろう、今思えば私は環境によって自分の道徳を犯さなくて良くて済んだのだ。私は人間は醜いとは思うが、社会は醜いとも綺麗とも思わないあるようにあるそれが「社会」だ。だが、それでもこの体験が起因して今の自分の性的な興奮や魅力の感じ方があるだろう。


小学四年あたりから私はインターネットにどっぷりハマっていた、YouTubeも然り、二次元がとにかく大好きになった。そこで出会った有名な作品の金髪で赤い真紅の瞳と赤いスカートと七色の翼に私は魅了されてしまった。それは二次創作のMMDだった。幽閉されていて外に遊びたがっていた。そして地下を開けた瞬間壁に滴る血、自分の翼を嬉しそうに捥ぐ少女、そして振り返った少女の浮かべた笑みはとても幼く可愛らしく、目は爛々としていた。地下の物々しさ、鉄が古びたようなレンガ。窓のない部屋、そこで浮かべる笑みとまるで月のような存在感がありながらどこか目が離せないような、その時私の五感から目と視覚以外の情報は完全にシャットアウトされていた。これが私にとっての、「初恋」であり「私の自己の形成」の開拓者となったのだった。

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