星葬の旅人

あいばし

第1話:星が泣く夜、騎士は還る

 星が泣いている。


 夜空の彼方から降り注ぐ、凛とした鈴の音にも似た、清冽なSOS。

 それは耳を打つ雑音ではない。世界という器からあふれ出した、あまりに純粋な『想い』の余波だ。


 ステラは夜空を見上げ、その響きを静かに受け止めた。

 その呼び声は彼女の心臓と重なり、身体の奥底から熱い活力を呼び覚ましてくれる。

 この高鳴りこそが、彼女が星と繋がっている証であり、今夜向かうべき場所への道標だった。


 彼女は暗闇の一点を睨み据えた。

 視界の端が熱を帯びる。あそこだ。


 ステラは手元のランタンを掲げた。

『星灯路(せいとうろ)』。

 硝子の内側で揺らめくのは、蒼く静謐な炎。

 その清冽な輝きが空間に穴を穿ち、ステラの姿を吸い込んだ。


 転移先は、冷たい夜霧が立ち込める廃聖堂だった。

 その中心に、それはいた。


「ヒメ……ヒメ、サマ……」


 かつて騎士であったものの成れの果て。

 肉体を失ってもなお、「守らねばならない」という未練だけが質量を持ち、その魂を現世の底に繋ぎ止めている。その強すぎる妄執が、星の巡りをせき止めていた。


 ステラは、静寂を纏ったまま歩み寄る。恐怖も、躊躇もない。


「……長かったな」


 ステラの声は、夜気のように冷たく、澄んでいた。


「お前の忠義は、十分に果たされた。」


 亡霊が咆哮し、見えない大剣を振り上げる。生前の記憶などとうに砕け散り、ただ衝動のみで暴れる哀れな魂。

 だがステラは、それを怪物とは呼ばない。役割を終える時を見失った、私の同胞だ。


「お前の想いは、私が引き取る」


 銀剣を抜く。

 構えに隙はない。彼女は「倒す」ために来たのではない。「繋ぐ」ために来たのだ。


 亡霊の剣圧が、石畳を砕きながら襲いかかる。

 ステラは深く息を吸い込む。鳴り止まない星の慟哭を、自らの精神へと招き入れる。


「――星辰同調(アストラル・シンク)」


 彼女の瞳孔が、赤く鮮烈に輝く。

 瞬間、爆発的な熱量が全身の血管を駆け巡った。

 人の身には余る星の力。

 ドクン、と心臓が早鐘を打ち、血液が沸騰するような高揚感。


 世界が凍りついたように減速する。

 星の威光を纏ったステラが、地面を蹴る。


 振り下ろされた大剣の下を、流れる水のように潜り抜ける。

 その目に映るのは、亡霊の胸の奥にある一点。未練の核だ。

 そこには、誰かを守りたかったという、痛いほど純粋な想いが残っていた。


 間合いはゼロ。

 ステラは剣を突き入れる。それは物理的な斬撃ではない。世界の理(ことわり)に基づき、在るべき場所へ還すための「鍵」を開ける動作。

 剣先を通じて、ステラの体温が伝播する。

(預かったよ……)


 閃光が弾け、そして消えた。


 亡霊の姿はない。

 無数の光の粒子となり、ステラが掲げるランタンの灯火へと引き寄せられていく。

 だが、まだ星へは還らない。

 粒子は硝子の中へ滑り込むと、蒼い炎に寄り添うように、小さな光の球となって留まった。


 石畳の上には一つだけ、形ある「忘れ形見」が残されていた。

 古びて黒ずんだ、銀のロケットペンダントだ。

 ステラはそれを拾い上げ、泥を払う。蓋を開けると、そこには数十年前に描かれたであろう、若い女性の肖像画があった。


「……行こう」


 ステラはランタンの中の光に優しく語りかけ、ロケットを懐に仕舞い込んだ。


***


 夜明け前。

 廃聖堂から数キロ離れた、小さな宿場町。

 その外れにある古い墓地の前に、一人の老婆が佇んでいた。

 彼女は、かつて滅びた国の「逃げ延びた王女」であり、今は身分を隠して生きる墓守だった。


「……あんた、誰だい」


 霧の中から現れた銀髪の少女に、老婆は警戒の目を向ける。

 ステラは何も答えず、懐から銀のロケットを取り出し、老婆の手のひらに乗せた。


「こ、これは……」


 老婆の目が驚愕に見開かれる。

 震える指先が、黒ずんだ銀の感触を確かめる。それは、あの日――城が炎に包まれた夜、自分を逃がすために囮となって走り去った、幼馴染の近衛騎士が持っていたもの。


 ステラは淡々と告げる。


「彼はずっと守っていた。あの廃聖堂で、追っ手を食い止め続けていたんだ。……貴方が、今日まで生き延びたと知る、今の今まで」


 老婆はその場に崩れ落ち、ロケットを胸に抱きしめた。

 六十年。長い、長い歳月だった。

 自分だけが生き残り、皺だらけの老婆になってもなお、あの日の彼は若き騎士のまま、たった一人で戦い続けていたのだ。


「馬鹿だよ……っ、あんたは……」


 その時だった。

 ステラの腰元にあるランタンが、カラン、と音を立てて強く瞬いた。


 硝子の中から、一筋の光が溢れ出す。

 それは、まるで慈しむように老婆の頬を撫で、ロケットの周りを一周した。


「え……?」


 老婆が涙に濡れた顔を上げる。

 光は、もう迷わなかった。

 朝霧を切り裂き、一直線に空へと昇っていく。未練という重りから解き放たれ、ただの清浄な魂となって、今度こそ星の海へと還っていく。

 最後に、キラリと強く輝いた気がした。

 それは言葉のない「ありがとう」だった。


 ステラはそれを見届け、踵(きびす)を返す。

 そして、耳を澄ました。


「…………」


 ステラは、小さく息を吐き、自らの胸に手を当てる。

 そこにあるのは、ドクンドクンと脈打つ生身の鼓動だけ。


 老婆は、長い時を超えて想いを受け取った。

 亡霊は、想いを届けて星へ還った。

 ……なら、私は?


 ステラには、記憶がない。

 自分がどこから来たのか、なぜ星の声が聞こえるのか。星葬の旅人となる以前の「私」が、誰を愛し、誰に愛されていたのか。

 その記憶は、まるで星の彼方へ消えてしまったかのように、真っ白だ。


(誰かの想いを繋ぎ続ければ……いつか、私の「忘れ物」も見つかるのだろうか)


 答えは、星だけが知っている。

 あるいは、この長い旅路の果てに待っているのかもしれない。


 ランタンの中で揺れる蒼い炎は、何も語らない。

 ただ、行く先を照らすように、静かに瞬いているだけだ。


「……次へ」


 その足取りが止まることはない。

 まだ見ぬ誰かの想いを繋ぐために。

 そしていつか、自分自身の物語を見つけるために。

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