第二十二章「床屋・神楽、永久に」
それから一年が経った。
「床屋・神楽」は、王都で最も有名な店になっていた。毎日、予約は満杯。穢れに苦しむ人々が、全国から訪れる。
だが、一刀はそれだけでは満足しなかった。
「理容学校を作る」
「学校……?」
蒸野とハジメが目を丸くした。
「俺一人では、全ての人を救えない。理容師を育てて、全国に派遣する。そうすれば——」
「どこでも、清潔を保てるようになる……」
「そうだ」
一刀は図面を広げた。王都の郊外に、学校を建設する計画だ。
「教育課程は二年。カット、シャンプー、シェービングの基本技術に加え、衛生管理、解剖学、皮膚科学を教える」
「本格的ですね……」
「当然だ。理容師は、人の身体に触れる仕事だ。中途半端な知識では、客を傷つける」
「私も、教える側に回りたいです」
蒸野が手を挙げた。
「シャンプーなら、教えられます」
「俺も」
ハジメも続いた。
「消毒の方法とか、タオルの管理とか……基礎的なことなら」
「頼む」
一刀は二人を見た。
「お前たちは、俺の最初の弟子だ。これからは、弟子を育てる側になる」
「はい」
「はい!」
理容学校は、翌年の春に開校した。
最初の入学者は五十人。村人、町民、元清浄師ギルドの関係者——様々な背景を持つ者たちが集まった。
「理容の基本は、『清潔』です」
一刀は教壇に立った。
「髪を切る前に、道具を消毒する。手を洗う。タオルを清潔に保つ。これらを怠れば、客に感染症をうつす恐れがある」
「感染症……?」
「目に見えない小さな生き物——病原体——が引き起こす病気のことです。この世界では、穢れの一部として認識されていますが、本質は同じです」
学生たちは熱心にノートを取った。
「理容師は、客の身体に触れる仕事です。だからこそ、責任が伴います。一つのミスが、取り返しのつかない結果を招くこともある」
「……」
「だが、正しい知識と技術を身につければ、人を救うことができる。穢れを祓い、清潔を保ち、健康を守ることができる」
一刀は学生たちを見渡した。
「それが、理容師の仕事です」
三年後、理容学校の卒業生は二百人を超えた。
彼らは全国各地に散らばり、理容室を開いた。「床屋・神楽」の名を冠した店が、王都だけでなく、地方の村々にも建ち始めた。
穢れは、徐々に減少していった。
完全に消えたわけではない。人の髪は伸びるし、髭も生える。放っておけば、また穢れが溜まる。だが、定期的に理容室を訪れることで、穢れを防ぐことができるようになった。
「神楽殿」
セリーヌが一刀のもとを訪れた。彼女は今、王宮の衛生管理責任者として働いている。
「王から、伝言があります」
「なんだ」
「来月の式典で、貴方を『理容王』として叙任したいとのことです」
「理容王?」
「この世界に清潔をもたらした功績を称え、正式な称号を授けたいと」
一刀は苦笑した。
「王なんて柄じゃない」
「でも、人々はそう呼んでいます。『理容王・神楽一刀』と」
「……」
「断りますか」
「いや」
一刀は首を振った。
「称号なんてどうでもいい。でも、それで理容師の地位が向上するなら、受け入れる」
「わかりました」
セリーヌは微笑んだ。
「では、式典の準備を進めます」
式典の日が来た。
王都の中央広場には、数万人の民衆が集まっていた。一刀は壇上に立ち、王から称号を受けた。
「神楽一刀。貴方を『理容王』に叙任する。この世界の清潔を守り、人々の健康を守る者として」
「謹んでお受けします」
一刀は頭を下げた。民衆から歓声が上がった。
「理容王万歳!」
「神楽殿万歳!」
一刀は民衆を見渡した。蒸野とハジメが前列で手を振っている。セリーヌも、村人たちも、学校の卒業生たちも——みんなが笑顔で一刀を見ていた。
「皆さん」
一刀はマイク——この世界にはまだないので、大声で——話し始めた。
「俺は、王じゃありません。ただの理容師です」
民衆が静まった。
「理容師の仕事は、髪を切り、髭を剃り、人を清潔にすることです。特別なことじゃありません。誰にでもできることです」
「……」
「だから、皆さんにお願いがあります」
一刀は民衆を見つめた。
「清潔を、当たり前のことにしてください」
「……?」
「俺がいなくても、理容室がなくても、皆さん自身が清潔を保てるようになってほしい。手を洗い、髪を洗い、身体を清潔に保つ。それが、穢れを防ぐ最善の方法です」
民衆がざわめいた。
「俺は、いつか死にます。理容室も、いつかなくなるかもしれません。でも、清潔の大切さは、永遠に続いてほしい」
一刀は深呼吸した。
「俺が皆さんに伝えたいのは、それだけです」
沈黙。
そして——
拍手が起こった。
一人、二人、三人——やがて、広場全体が拍手に包まれた。
「神楽殿……!」
「ありがとうございます……!」
「清潔を、守ります……!」
一刀は微笑んだ。
「ありがとう」
式典の後、一刀は「床屋・神楽」に戻った。
店の前には、いつもの風景があった。予約を待つ客、準備をするハジメ、受付をする蒸野——何も変わらない、日常の光景。
「神楽さん、おかえりなさい」
「ああ。ただいま」
一刀は白衣に着替え、店に立った。
「最初のお客さん、どうぞ」
「はい……」
若い男が理容椅子に座った。緊張した様子で、一刀を見ている。
「今日はどうされますか」
「髪を、切ってください」
「かしこまりました」
一刀はケープをかけ、ハサミを手に取った。
「お任せください」
店内に、ハサミの音が響いた。
いつもと同じ、穏やかな午後。
一刀は髪を切りながら、思った。
俺は、これでいい。
称号も、名声も、どうでもいい。
俺はただ、髪を切り、髭を剃り、人を清潔にする。
それが、俺の仕事だ。
それが、俺の人生だ。
「床屋・神楽」の看板が、午後の光を受けて輝いていた。
赤、青、白——三色のサインポールが、静かに回り続けていた。
「さて」
一刀は呟いた。
「今日も開店だ」
(完)
理容師 異世界転生_聖剣よりも切れ味鋭く ~異世界転生した理容室は今日も世界を救う~ もしもノベリスト @moshimo_novelist
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