旅行が嫌いで、なにが悪い
みやも
第1話:価値の天秤を置く場所――「体験」と「安らぎ」は同じ皿に乗るのか
「体験は価値である。そんな言葉を聞くたびに、私は自分の持ち物の中で一番大切なものを否定されたような気分になる。」
誰かが悪意をもって言っているわけではない。
むしろその言葉は、親切そうな顔をして差し出されることが多い。
「せっかく自由なんだから、もっと外に出たら?」
「旅行でも行って、リフレッシュしてきなよ」
「今しかできない体験ってあるよ」
どれも、正しい。
正しくて、善意で、間違いではない。
だからこそ、私は言葉を失う。
それらの言葉が示しているのは、「今ここにあるものは、まだ価値として足りない」という前提だからだ。
体験は価値である。
確かにそうだろう。
知らない土地へ行き、見たことのない景色に出会い、日常とは違う刺激を受ける。
そこに感動があることも、人生を豊かにする側面があることも、私は知っている。
実際、何度も経験してきた。
いや、正確に言えば
私は「経験してきたつもりでいた」。
自分も周囲と同じ価値観を持っているのだと、長い間、思い込んでいた。
動くことが正しい。
変化に身を置くことが成長だ。
刺激に触れてこそ、人は前に進めるのだと。
そう信じて、行動した。
予定を詰め、知らない場所へ行き、勧められるままに体験を重ねた。
「楽しいはずだ」と自分に言い聞かせながら。
けれど、積み上がったのは充足感ではなく、理由のわからない疲労だった。
帰ってきた後、どっと押し寄せる消耗。
思考が鈍り、感情が荒れ、何もしていないのに「早く終わってほしい」と願っている自分。
それでも私は、すぐには認められなかった。
合わないのは、慣れていないからだ。
疲れるのは、まだ適応できていないだけだ。
そのうち楽になる…そうやって、何度も自分を押し出した。
本当は、最初から私に合っていなかったのに。
世間が善意で勧めるそれらすべてが、自分の神経をすり減らす方向にしか働いていないことに気づくまでには、かなりの時間がかかってしまった。
だから、その価値が常に最上位で語られることに、私はどうしても頷けない。
なぜなら、私の人生の天秤には、最初から別のおもりが乗っているからだ。
それは、静けさだ。
予測できる時間の流れだ。
明日も同じ場所で目覚められるという確信だ。
それらは、派手ではない。
写真映えもしないし、人に話しても「で?」と言われて終わる。
だが、それらは確実に私を生かしている。
世間が差し出す天秤は、こうだ。
移動、刺激、非日常、変化。
それらをどれだけ積み上げたかで、人生の豊かさを測ろうとする。
一方で、私の天秤はまるで違う。
変わらないこと。
何も起きない時間。
安心して力を抜ける場所。
それらは同じ皿に乗らない。
少なくとも、私にとっては。
「体験しないなんて、もったいない」
その言葉の裏にあるのは、「動かない時間は空白だ」という価値判断だ。
けれど私は、その空白の中で、ずっと息をしてきた。
むしろ、そこでしか自分を取り戻せない人間だった。
だから、体験を否定されるときよりも、安らぎを軽んじられるときの方が、私は深く傷つく。
体験は価値である。
ただし、それは唯一の価値ではない。
少なくとも、私の人生の天秤は、もうその結論を出している。
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