返す返す、また又貸し

襖山諄也

返す返す、また又貸し

 終業のチャイム、最後の電子音の途切れ。ツツツ、とスピーカーが拾える音の限界まで流れると、国語担当の古垣先生が名簿とテキストをまとめていそいそと教室を後にして行った。

 残りの時間は自習とします。チャイムが鳴ったら私も出て行くので挨拶は大丈夫です。

 授業の初めにそう言うと、前回の授業で解いた現文、古文、漢文が一つのセットになったテストの丸付けと解説が始まる。終わったら残りの時間は自習。それが今日の授業の内容だった。

「瀬戸、どうだった?」

 振り返って小声で言うのは、前の席に座る栗林。こいつとは同じテニス部と、共通点があった。今はもう高校三年生となって引退を迎えたが、同じクラスとなれば毎日顔も合わせるのでいつも話している。

「及第点ってかんじかな」

 丸付けをしてみて思ったのは、実践形式への慣れの必要性。その時、ふと頭に浮かんだことがあった。

「そうだ栗林、進路指導室に行ったことある?」

「進路指導室? 一回あったかな、うん」

 あるかないかを思い出すには微妙な間を挟んで、あるような答えが返ってくる。

「んじゃあ、そこでテキスト借りたことはある? 俺、借り方分からないから教えてくんない?」

「まあ。変わってなければだけど」

「そんな急に変わることもないだろ。じゃ、案内してくれよ」

 三年七組、自クラスのある三階からの眺めはいい。ガラス張りとなった踊り場の壁から、景色と一緒に下っていく。

 進路指導室は一階だった。電気が点いていないので、形だけのノックを三回。引き戸の取っ手を握り、ガラガラとレールを走らせる。

 部屋の中には長机を二つ合わせて向い合せにパイプ椅子が置かれている。さらに、本棚の数々。目を見張るのは、至る所に掲示されている使用上の注意書きのポスターだった。

 貸し出し期限厳守! 借りた本は元の場所に! 後から使う人のためにコピーは多めに!

「で、どれを借りんの?」

「そうだなあ」

 背表紙の赤い本が並ぶ一角へ歩み寄る。地元の大学は最新版が十冊も用意されている。その一方、俺の志望校の参考書は去年の一冊に留まっていた。利用者数との兼ね合いだと思うが、その差に閉口しつつ取り出す。

「これで」

「やっぱりそれなのね」

「なんだよ、悪いかよ」

 まあ、とかうーん、とか曖昧な言葉を噛んで栗林が言うところを遮ってさらに聞く。

「で、借りるにはどうすんの?」

「そこの貸し出し帳にいろいろ書くはず」

 栗林が指差したのは、「借りる時には貸し出し帳への記入を忘れずに!」のポスターを指差す。

 机の上にはバインダーがあった。ぺらりとした紙一枚が挟まれている貸し出し帳。進路指導室の図書は図書室と違い、司書さんがいるわけではない。各々借りたい図書を帳面に記入する方式を採っていたようだった。

 一月二五日。今日の日付をスマホのロック画面で確認して書き出し、その隣に参考書の背表紙の名前を写す。そして、瀬戸岳斗。一行を埋めたところで栗林に声を掛ける。

「ありがとう。オッケー」

「おう」

 本棚に寄り掛かっていた栗林を見ると、スマホで何か忙しくフリック入力しているようだった。スマホを両手で持ち、二本だけの親指を総動員させて必死に何か打ち込んでいる。

 扉を開け、肘をドア枠にもたれかけて待っているとすまんすまん、と急ぎ足で出てきた。

「そういえば栗林、志望校ってどこにしてたんだっけ」

「俺? 俺はここだよ、地元」

 栗林がスマホをポケットにしまいながら答える。

「というか、ほとんどが地元じゃないかな、お前みたいに他県に行くのは少数だと思うけど。それこそあとは若松とか」

「そうか、若松。でも確かに、県外は少ないな」

 若松は志望校を同じくする友人だ。定期テストの結果を競い合うほどの学力の若松は一年生の時に同じクラスとなった。そして、それと同時にテニス部。廊下で会えば話し込むが若松は二階、俺は三階と階が違うことから今はあまり会う機会がない。

「バラバラか」

「バラバラだな」

 二時間目の開始を告げるチャイムが校内に響き、一段飛ばしで急いで教室へと戻る。

「起立、注目、礼」

 先ほどまでの授業では進路指導室で借りたテキストに収録されているうちの一番昔のものだけを解いた。まだ最新の問題を解くには準備が足りないような気がしたからだ。貸し出しを延長しつつ気長に解いていく算段でいた。

「瀬戸ー、いる?」

 教室後方からの呼びかけを受けて振り返ると、若松がいた。手を振ると机の合間を縫って瀬戸の机まで来る。

「おお、若松。どうした?」

「実はさっき進路指導室行ってきて名簿見たんだけどさ、俺も瀬戸が借りたテキストがどんなもんか見てみたくて。ちょっと借りてってもいい?」

「いいよ。全部の年の問題解くわけでもないだろ?」

「ささっとやるくらい。悪いね」

 三時間目が終了する。腹が減った。部活を引退してすでに半年は経っているが、食欲の衰えがまるで感じられない。運動をまともにしていないので食べれば食べるだけ太ってしまう、と思いつつも学食へ向かう。その途中。

「おお、瀬戸。お前もか」

 声を掛けてきたのは遠藤だった。二階のクラスであり、こいつも元テニス部という共通点がある。

「腹が減っててさ。でも、お前もだろ」

「まあな。おお、そうだ。瀬戸、ちょっといいか」

「うん?」

「俺も貸し出し帳見たんだけどさ。お前が進路指導室から借りたテキスト、ちょっと解いてみたいんだけど借りてもいいか?」

「何だよ、お前もか」

 テキストの人気がここに来て高まってきている。実は遠藤も裏では勉強に励んでいるようだった。少しホッとした。

「悪いな、今それ他のやつに貸してるんだよ。でも見せてくれ、って言われたぐらいだからもう終わってるかもしんないけど」

「マジか。じゃあ、ちょっとあたってみるわ」

 買い物を済ませて二階まで上がると、遠藤は手を振って教室に入っていった。その後テキストが再び話に上がることはなく、そのままその日を終える。

 次にそのテキストに振り回されることになるのは、一週間後だった。



 十分休憩中にいつものように栗林たちと話していると、校内アナウンスが鳴った。

「三年七組、瀬戸岳斗君、瀬戸岳斗君。至急お話があるので進路指導室まで来てください。繰り返します――」

 皆目見当が付かない中、進路指導室へ入ると渥美先生が立っていた。

「失礼します」

「ああ、瀬戸君。ごめん、すぐ終わるから。この本、まだ借りてる?」

 屈み込み、長机のバインダーに挟まれた貸し出し帳を見る。

 一月二五日。この前借りたテキスト名。そこにあった名前は、瀬戸岳斗。

「待ってる人がいるってわけじゃないんだけどね。期限過ぎちゃったし一冊だけのテキストだから、返却お願い」

「すみません。すぐ返します」

 お願いね、と改めて言うと渥美先生は足早に教室を後にした。

 そういえば、まだ若松から帰ってきていない。そういえば遠藤もあのテキストを見たがっていたような。若松からもらったらそのまま遠藤に渡すか。次の体育もあるが、若松に返してもらうだけしておこう。階段を一段飛ばしに駆け上がり、若松のクラスへ。

 若松、と廊下から呼びかけると早弁をしていたところのようだった。

「一週間前くらいに貸した進路指導室のテキスト、そろそろ返してくんね?」

「ごめんな。実は遠藤が来て、少し見たいから、って言ってたから貸しちゃった」

「おいおい、又貸しかよ。しょうがないな」

 短く答え、すぐさま三階まで駆け上がる。今すぐにでも遠藤のところへ行って訳を聞きたいが、次は体育で着替えが必要だった。

 手早く着替えて体育館に向かうと、準備運動の最中だった。そそくさと混ざり、その後からは各自でやりたいスポーツをやるという、選択スポーツ。

 栗林と二人で選んだバドミントンは思いのほか人気で、体育館の半面が人で溢れている。コートを挟んで試合をするのは一番奥の位置にあるコートだけで、それ以外はラリーをするだけのコート。それでもまだ体育館の面積は足りず、壇上やコートとコートの間など場所を見つけては皆バドミントンをしている。

 だから、こうして座っていても教官から注意を受けることはない。場所がありません、と真っ当な言い訳ができるからだ。

「でも、いきなりなんなんだ? 志望校一緒のやつは若松だけなのに、なんであのテキストを遠藤が借りるんだ?」

「志望校以外のテストがどんなものか気になるほど勉強熱心になったんだなあ」

「そうだといいんだけどな。体育終わったら、遠藤に話聞きにいかなくちゃな」

「付き合うよ」

「サンキュ。もし、万が一あいつがテキスト失くしてたら、新たに買うことも視野か」

「そこまで?」

「全てのことがないとは言い切れないのが遠藤」

 うーん、と曖昧な返事の栗林。そう、絶対はない男が遠藤。

「それに、このまま紛失ってなったら責任追及されるのは俺だしなあ」

「もとはと言えばお前が又貸ししたのが悪いしな」

「そうなんだよ」

 シャトルが左右に往復する様子を目線で追いながら話を交わす。

「でも、よくそこまでやるな。俺なんて図書室で借りた本もう二年は借りっぱだぞ」

「延滞した日数分だけ借りれないペナルティを考えると、お前もう図書室使えないぞ」

「だから、選りすぐりの本を借りパクしたんだよ」

「借りパクって言っちゃってるし。で、何借りた?」

「国語便覧」

「お前、国語の古垣先生が怖いからってそこまでするかよ」

「これで忘れ物で怒られるってことはなくなるわけだ」

「お前にテキスト貸さなくてよかったわ、本当」

「卒業までには返すよ」

 雑談をしていると、教官からの号令で皆が片付けを始める。結局ラケットは手持無沙汰解消のお供にしかならなかった。

 制服姿に戻り、昼休み中の遠藤の下へ。

「テキスト? あー、あったな」

 弁当をもりもりと食べ、レモンティーで喉を潤す姿の遠藤がいた。そして、その過去形の言い草からして今遠藤の手元にないことは明らかだった。

「失くしたのか? 正直に言ってみろ」

「悪い、他のやつに貸しちまった」

「お前もかよ。なんで若松もお前も又貸しすんだ? もう返却期限来てんだぞ」

 空気を一度肺に送り、熱を持ってとげとげしくならないように言葉を冷ます。

「で、誰に貸したんだよ?」

「さっき、内海に」

「さっきかよ」

 栗林が言葉に棘を含ませて遠藤に応じた。

 内海は同じくテニス部員の一人だった。そういえば、あいつから志望校の話はまだ聞いていない。又貸し自体は不満に思うが、もしかしたら、内海も俺や若松と同じ大学を目指しているかもしれない。そう思うと、どこか嬉しい気持ちもあった。

「お前な、借り物なんだからそんなほいほいと扱うんじゃねえよ」

「悪かったって。申し訳ない」

 言いたいことは山ほどあるが、息に変えて体から出す。

「瀬戸、そろそろ戻るか」

 教室の針は残り五分を示している。

「そうだな、内海にはこの後――いや、放課後になるか。この後から模擬テストが始まるし。終わり次第行ってみるかな」

「そのくらい明日でも大丈夫だろ。俺ら受験を控えた高校三年生だぞ? テスト受けた後は復習しないと今の実力分かんなくなって、テキストがどうこう言ってる場合じゃなくなるぞ」

 栗林の言葉もその通りだ。ここは素直に折れる。

「それもそうか。じゃあ明日にでも内海にあたろう」

 満足そうに栗林が頷く。すると向き直って遠藤を囃し立てる。

「ほれ、お前も模擬テストあるんだしちゃんと現実と向き合えよ」

「分かってるわ」

 不機嫌そうに応じる遠藤。部室でのおふざけの一幕をなぜか頭に思い出していた。

 放課後。

「悪いな、瀬戸。今日ちょっと寄らなくちゃいけないとこあっから、一人で帰っててくれ」

「少しぐらいなら全然待つけど」

「それが、どのくらいかかるか分かんないんだ。お前も受験生なんだし、勉強時間を削ってまで待ってもらうほどの用事じゃないから、先に帰っててくれ」

 有無を言わさず。電車に揺られながらそのやり取りをぼんやりと思い浮かべながら単語帳を眺め、一人帰路に着く。



「栗林、今日は早いな」

 昨日は用事があったろうに、珍しく俺よりも早く教室に来て座っていた。ただ、別に勉強していたわけでもないことが何も置かれていない机から窺える。

「よう、瀬戸。昨日のテキストのことがあったしな。俺も行くよ、内海んとこ」

「助かる。とは言っても隣のクラスだけどな」

 三階の廊下を数歩歩いて内海のクラスへ行くと、内海はあっけらかんと言った。

「おう、昨日遠藤から借りた」

「俺から転々と行方を変えてそのテキストが内海のところへ行き着いたってことは知ってた?」

「そうなの? ちょっと問題の傾向がどんなもんか知りたくて、遠藤がちょうど見てたから借りたんだけどな」

「そっから又貸しはしてないよな?」

「してねえよ。ほら」

 差し出されたテキストには志望校の大学名が印字されている。内海の口ぶりから、それが嘘ではないことを確認する。そして同時に、問題の傾向という言葉から聞こうと思っていたことを思い出す。

「そういや内海、お前志望校はどこなの?」

「俺? 俺は北海道の方だけど」

「北海道!?」

「おう。ちょっと気になる学部があってさ」

「マジかお前――マジか」

 言葉が続かず、ぎこちなくただ感情のままを口から出すことしかできない。卒業すれば繋ぎとめていた結び目がほどける。あとは流されるままに宙を漂うだけ。たまに触れ合うことはあれど今ほど固く結ばれることはもうないのかもしれない。

「ほれ。テキスト、これだろ?」

 気持ちを切り替えて、内海から手渡されたテキストを手に取り今一度観察する。

 目覚めるような赤色の表紙に、志望校に据えた大学名が黒字で記されている。妙にツヤがかかっているような――

「ほらほら、見惚れてないでさ。早速返して来いよ。うかうかしてっとまた貸してくれ、ってやつが来るかもしれないだろ」

 栗林に促されて、そんなにいるか、と言いつつ内海の教室を後にする。

「じゃあ俺は教室戻ってるわ。進路指導室に返してくるんだろ?」

「――いや、せっかくだし返す前にもう少し問題解いてみるか」

「いいのかよ、また渥美先生にお小言言われるぞ」

「ちょっとだけだって。一時間目終わったら返しに行くよ」

 教室へ入り、カバンを机のフックに引っかけて筆箱を取り出す。さらにテキストを広げ、一番後ろのページから引っ張り出したのはマークシート。

 一問目。長文を読み、下線部の単語を置き換えても文意の通じる英単語を以下の①~④から選択しなさい。

 傍線の引かれた単語はcompanions。選択肢は、

 ①colleagues、②associates、③company、④clients。

 答えを書こうとマークシートにボールペンを押し付ける。ぐりぐりとペン先を回したところで、違和感に気が付く。

 滑らか過ぎる感触。おかしいと思ったその後には、やってしまったという後悔の念が続いた。

「これ、原本か……」

 シャーペンだと筆圧次第で濃くも薄くもなってしまうことから、いつもボールペンで書いていた。延滞した上に原本への塗りつぶし。初めての図書の貸し出しで一気に二つのルールを破ることになるとは……。

「なあ、栗林。マークシートのコピーってどうやんの?」

「ん? 普通のコピーの通りだけど。写し取るための上のところを持ち上げて、そこにマークシートを挟む。それでコピーみたいなボタンを押せば始まるはず」

「サンキュー」

「でも、なんでコピー?」

「実は原本だって気が付かなくて一個マークしちゃってさ。もう遅いけどコピーはしておこうと思って」

 栗林の目が見開かれたことに気が付く。

「……どうかした?」

「ああ、何でも。ただ、なんかお前らしいな」

「なんだよ」

「いや、天然っつうか。鈍いっつうか。まあいいや、行ってきな」

 栗林の物言いに引っかかるものが残るが、促されるままに教室を後にする。他に何か気付いていないだけで別のルール違反はしてないよな、と不安に思う。

 進路指導室入って奥、背中合わせの本棚の脇にあたる場所に印刷機が置かれていた。初めてコピーする人でも操作ができるよう、懇切丁寧に印刷方法がメモに書かれて貼り付けられている。大方、栗林の説明と合致しているようだ。

 まずは機械の上側を持ち上げて、テキストのマークシートページをうつ伏せに。機械を下ろしてパネルを操作する。

 枚数指定まで行ったところで、指を止めて辺りを見渡す。「後から使う人のためにコピーは多めに!」というポスター。その指示に従って、上に向かうスピンボタンに指を合わせる。

 一、二、三……多い方が後からの手間も省ける。そう思ってタップをしていた。違和感を感じたのはこの時だった。

 このテキスト、又貸しされるほど人気なのか?

 聞く限りだと、ここを志望校としているのは若松一人だけ。交友関係の範囲外を考えても、二、三人くらいがせいぜいだろう。それなのに、何人も借りようとしている。さらに、もれなく全員又貸しをしている。印刷機から、一問目の①が黒く塗りつぶされたマークシートのコピーが吐き出され続ける。

 形のなかった違和感が目の前に現れると、もう一つ輪郭が見えてきたことがある。

 進路指導室にあるそれを確認すると、やはり前回のままで変わっていない。部屋から持ち出し、二階へ向かう。目的の人物のところへ。そいつは、珍しく机に向かってペンを動かしていた。

「なーにしてんだ、遠藤」

「うわっ」

 遠藤の肩に手を回し、強引に肩を組む。すると、遠藤は勢いよくのけぞったかと思うと、机の上で腕を組む。その下には――

「え? お前なんでそのテキスト持ってんの?」

 遠藤の肘に敷かれたテキスト。そして、今小脇に抱えたテキスト。二つの大学名が全く同じだった。

「それに何だこれ」

 はみ出している紙を一枚とって見る。マークシートのコピーだった。ただ不可解なところがある。妙に規則的だった。斜めに塗りつぶしが並んでいる。それに、一つの問題に対して全てのマークが黒くなっている問題もある。これは――?

「おい、遠藤。お前そろそろ栗林に――って、おっと」

 遠藤が遮ろうと手を伸ばしたところに、教室へ入ってきたのは内海だった。素早く遠藤と俺の持つテキストそれぞれに視線を配ると、はあ、っと息を吐いた。

「ネタバラシかな」

 


「で、どこがおかしいと思った?」

 授業が始まる前の実習室には遠藤、内海、若林、俺、そして栗林もいた。切り出したのも栗林からだった。

「まず単純に俺の交友範囲で若松しか同じ志望校のやつがいないのに、なんでそんなに人気があるのかは疑問に思ったよ。でも一番確証を持ったのはこれ」

 四人の前にそれを差し出す。進路指導室から持ってきたものだ。

「貸し出し帳?」

 若松が呟く。

「名簿には俺の名前で書いていたんだ。返されていないってことで渥美先生に呼ばれたのは俺。まあ、それは当たり前。名簿に載ってる人物がテキストを持ってるって思うのは普通。でも、又貸ししてすでに俺の手から離れて普通の人はその行く先を知らないはずなのに、俺が貸した先の人物からまた又貸しをしたやつがいる」

 視線をきっと遠藤に合わせる。

「遠藤、お前学食で一緒になったとき誰に渡したか言ってないのに若松から借りてたよな」

 冷めた目線が遠藤を取り囲む。

「え、言ってなかったっけ」

「お前、そういうところが甘いんだよ。バレた時もそうだったじゃねえか。机にでかでかと広げて、そんでもってドアの近くで書くやつがいるかよ」

 内海が責め立てるも、遠藤は不満そうにぶつぶつと何か言っている。

「まあしょうがない。どっかで綻びは出るって元からの話だったし」

 空気を仕切り直したのは栗林だった。

「それで、俺たちが何してたのかは分かった?」

「全く。ただ、お前らの中で又貸しが横行しているってことくらいはな。何してたの?」

「ほら、遠藤」

 肘を突かれて遠藤が一歩前に出て前に紙を広げる。マークシートだった。規則的に楕円の黒が並ぶ。じっくりと見てみると――

「合、格?」

「おせえよ」

 不服そうに遠藤が言うと、違うでしょ、と若松。

「それが本来の目的じゃないじゃん。それは遠藤がやりたくてやっただけのだろ。ほら、その裏」

 若松の言葉に素直に従って、遠藤が裏返しにしてそのマークシートを渡してくる。手に取って眺めると、そこには文字の塊が三つ。

 寄せ書きだった。

 文字からはそれぞれの特徴が現れていた。若松は筆の濃さも字もちょうどよく、読みやすい。内海は字は右上がりだが、誰よりも長く書いてくれている。遠藤のはと言うと、なかなかに崩れている……。

 あれ? 栗林のは?

「栗林が提案してさ。俺らでやろう、ってチャットのグループ作ってたんだよ。瀬戸が卒業したら離れちゃうから、って」

 若松の説明に栗林が照れくさそうに笑った後、説明を加える。

「俺がお前と一緒に進路指導室行った時あったろ? お前が志望校のテキスト解こうとした時に、俺らからの寄せ書きあったら面白いんじゃね? って前から思っててよ。でもそしたらお前、こっちが準備も何もできてないのに借りて行こうとしたからさ。解き終わってもう二度と借りないんだったらその時点で頓挫しちまうから、もう大慌てよ。だから若松に頼んで、今すぐ瀬戸に借りに来い、ってさ。あの時は借りてすぐに持ってっちまって悪かったな。それに、問題を解くのも邪魔して」

「いいよいいよ。一年分だけだったし、解きたかったの」

「悪いな。まあ、そんなところだ」

 栗林が後頭部を掻きながらこの話を締めようとした。そこへ、ふと思った疑問をそのままに口にする。

「でも、栗林の分がなくない?」

「俺のか? 俺のは時間がなかったからまた後で書いてやるよ。誰かさんが塗り絵をしたくてたまらなくなったからな」

 にやにやと栗林が笑う。その時、小脇に抱えていた重さを突然思い出した。

「というか、それなら俺が持ってるこの本は……?」

「ああ、それ? プレゼント」

「プレゼント?」

「ほれ、年をしっかり見てみろ。最後まで気が付かなかったな。全然気が付かないしサプライズのしがいがないやつだ、まったく」

 内海の言葉に反射的に本の表紙を見る。今年発売だ。進路指導室にあった去年のものではない。妙にツヤがかかっていると思っていたのはそういうことだったのか、と合点がいく。

「昨日、俺だけ先に帰ったろ? そん時に買った。んで、今日の朝早く来て、内海に渡した」

 視線を向けると、ピースをしている内海がいた。

「若松と喧嘩せず使えよ」

「終わったら貸してね」

 若松が控えめに言う。

「あーあ、マークシートの塗りつぶしで『合格』って付け足さなけりゃ誤魔化せてたかもしれないのに」

「ゲン担ぎだって話じゃねえか。なんなら元々は白紙に書くつもりだったのを、過去問のマークシートに書こう、つったの内海だろ。それもゲン担ぎだったらおんなじだ」

「でも、お前の『合格』でバレそうになったから栗林は書店行って代わりのテキスト買ってこなくちゃいけなくなったしな。これは折半だな。遠藤、お前多めに払えよな」

 一同が和やかな空気を取り戻す。一緒になって笑うのは部活の時以来だった。また、こいつらとテニスでもやりたい。

「そういや、瀬戸。お前、マークシートの原本に書いたって言ってたよな。どこ書いた?」

「ああ、一問目のところ。ボールペンで書いちまったわ、悪いな」

「どれどれ……」

 テーブルに置いていたテキストを栗林が手に取り、何やらページを繰っている。

「お前、間違えてるじゃん」

「え? マジ?」

「ほら、ここ。companionsの言い換え、お前はcolleaguesって書いてて、これは仕事上の関係らしい。companionsは私的な友人関係だから、③のcompanyだと」

「company? 会社だけじゃないんだな」

「危なかったな。そうだ、俺からの寄せ書きがまだだったな。せっかくだし今書いてやる」

 黒い楕円で構成される「合格」のマークシートを裏返し、栗林が書き込む。


 ――companionsはcompanyだぞ! 栗林


「どうだ、これで忘れないだろ?」

「ああ、これで問題として出てきても絶対答えられるな」

 部活の面々が集うこの時間を、そのまま残したい念に駆られる。ポケットに入れていたボールペンを握っていた。

「……俺も書いちゃおっと」

「お前の寄せ書きなのに書くのかよ」

「せっかくだ、せっかく」


 ――全員合格! 瀬戸


「大丈夫かよ、一人やばそうなやついるけど」

「どこかには行けるだろ」

「それもそうか。なるようになる、か」

 遠藤と内海が小競り合いする様子を遠目に眺める。

「なあ、栗林」

「どした」

 この時間を、いつかの将来思い出す気がする。きっと、思い出す。

「寄せ書き、ここにいる全員分やろう」

「いいアイディアだ。それぞれの志望校のテキスト、又貸ししまくるか」

「そんなことしてたら優しい渥美先生じゃなくて、あの古垣大先生から直々のお叱りを受けることになるぞ」

「国語便覧を盾に徹底抗戦か」

「バカ野郎」

 チャイムが鳴り、一時間目が始まる。

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返す返す、また又貸し 襖山諄也 @ouyama-shunya

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