生きる。

花音瀬笛人

半端者

 目下授業が行われているこの教室で聴こえる音は様々あれど、目立ったものは三つ。碌にレポートも進めない生徒達の談笑、躓いている生徒に助言する国語教師の声音。そして己の手元、小説の頁が捲られる音。

 誰しもが例外なくグループを組み課題にあたる、或いはお喋りに興じる最中、一人ポツンと席に着き本を読み耽る自分のなんと愚かで滑稽なことか。

 決して表に出すことはないが我ながら呆れたものだ。適当なグループに声を掛け混ぜてもらえばいいものを、変に意地を張って認めない。

 ただ一人、誰よりも早くにレポートを書き上げて物語の世界に沈む。奥底で、何かが溢れてこないように。

 一人でした方が早いから。誰もでもなく心の中で言い訳をして、より深く沈んだいこうとする。

 昔から、こうだ。自分が周りと違うことを理解しているし、彼らも理解しているから互いに交わらない。

 周りと僕は違うから。だから僕は、混じらない。

 体を動かすよりも活字を読む方が好きだ。男子の大半が昼休みになれば体育館で仲間と遊ぶ中、自分は独り本を読んでいる。男子で読書を好む男は自分以外にいなかった。

 下世話な話題が嫌いだ。この年頃の子によくあるように彼らは平気で下ネタを撒き散らす。気持ち悪い笑みを浮かべながら、ヤりたいだの誰それの身体がどうのと、何がそんなに面白いのか。私には分からない感情だった。ただでさえ成績は悪いだろうに何故勉学にその熱意を向けないのだろう。

 彼らは平然と他人を虐めた。言動が何処かおかしい男だった。何かと彼を引き合いに出して嘲笑し、時には遊びの体を装って暴力を振うこともあった。何故そんなに笑えるのか、本当に理解できない。かくいう私だって奴は気味が悪いし嫌いだと断言できる。しかし奴が虐められる様を見て抱いたのは加害者共への嫌悪と彼に対する憐憫。視界に入れたくもないのにあの感情を抱いたのは、僕が彼側の人間だからだろうか。

 学校における僕の立ち位置は少しばかり特殊だ。上手く喋れないが為にコミニュケーションを避け、人の輪に入らない。彼らからすれば所謂『陰キャ』だと判断するだろうし、自分でもそう思う。

 それでも鬱憤晴らしの対象、不満の捌け口として扱われたことはなかった。理由は至極単純、僕が優秀だからである。

 学校では優等生を演じていた。真面目で、成績も良好。運動もそれなり以上にできる。礼儀正しく、手のかからない生徒として教師から信頼を得た。

 生徒に対し、僕は常に優しく在った。持てる知識で疑問に答え、困り事があれば手を貸した。

 故に、彼らは僕に手を出せない。

 カースト上位にしても、下位にしても、僕は優等生で善良であると認識しているから。困った時には手を貸してくれる存在だから。

 ——私は彼らが嫌いだけれど。

 だって、僕と彼らは『分かり合えない』。分からないモノを好きになれる筈も無し。

 読書を苦行と宣う。学校という公共の場で下世話な話題を撒き散らし笑う。平然と他者を虐め、やはり笑う。

 感性は人それぞれと知ってはいる。当然だ。それでも理解し共感することはできなかった。彼らと僕、みてくれは同じでも違うイキモノに思えてくる。

 いつの頃からか居心地の悪さを覚え、次第にストレスを抱え、ついには鬱になりかけた経験もある。

 結果、色々と変化が起こった。大きなところでは二つといったもの。

 まず、虚構の世界に夢を見た。物語に耽溺し、薄汚い現実は惰性で生きるようになった。私が何かを見出すのはいつも物語に対してで、現実には希望も何も見出せない。死ぬのは怖いから、ただ生きているだけ。

 次に、女の子になった自分を夢想するようになった。綺麗な肌で可愛らしい、実に女の子然とした女の子。私は僕が嫌いだから、自分から最も遠い存在を求めたのだろう。

 また、こうも思うようになった。自分には女の子の方が向いている。裁縫が得意だ。ふわふわやもこもこといった可愛いものが好き。女子の方が気が合う。きっと自分は生まれてくる性別を間違えた。一人称だって『私』の方がしっくりとくる。オシャレをした女の子を見る度に思う。

 ——羨ましい。

 心の底から、そう思っていた筈だ。

 時間を確認するために顔を上げる。まだ低学年の頃に染みついた癖。学校ではつい気になって時計を見てしまう。

 終業まで数分の時刻だった。それでクラスメイト達の談笑は続き、レポートは遅々として進まない。

 変わらぬ現実にそっと息を吐く。最近はこれが増えていた。

 ああ、女の子になりたい。自分ではない誰かになりたい。未来には何もないのだ。ただ美しい虚構物語に思いを馳せ、幻想ユメに焦がれる。

 目を瞑れば浮かび上がる幾多の世界。いずれも

 現実には何もない。強いて言えば二つだけ。本と——

 キーン。

 唐突な耳鳴りに深く沈んだ思考が浮き上がる。ふと周りを見渡せば誰もが耳を押さえ顔を顰めていた。……どういうことだ? 

 声をあげようとして——

 パタン。

 本手の中にあった本が音を立てて床にぶつかる。

 ああ、本が……。

 頭痛までもが襲いくる。吐き気も込み上げてきた。

 動くことさえ叶わず机に伏せる。視界すらも揺らいでゆく。

 薄れゆく意識の中、最後まで頭の中にあったのは一人の少女の顔だった。




 鼻をくすぐる草葉の匂いに目が覚めた。背中に草の感触がする。目の焦点は合わず辺りの状況が掴めない。

 此処は、何処だ?

 頭に浮かぶのは至極当然な疑問。自分は確かに教室にいた筈で、たとえ意識を失ったのだとしても草地の上で寝ているなどあり得ない。

 少しクラクラする頭を平手で叩き、瞼を擦る。視界のぼやけは消えたが、それでも明かりが見えない。

 なるほど、現在は夜のようだ。それにしても——

 どの方向へ目を向けても僅かな光さえ見当たらない。風が吹いているから此処は室内ではないだろう。と、なると……。余程の田舎か山間だ妥当なところか。

 多少は動揺しているであろう自分を落ち着けることも兼ねて深呼吸をする。

 空気がとても澄んでいた。この分なら予想はそれほど外れてもいないだろう。

 問題はどうしてこんな場所にいるか、という点だ。

 誘拐、はたぶん違う。学校にいる学生を直接、なんて現実的ではないし、わざわざ私を狙う意図も不明確。加えて拘束もせず山中に放置など余程の馬鹿でない限りはないだろう。

 頭の隅に引っ掛かるのはあの瞬間、教室にいた全員が不快感に顔を歪ませていたこと。

 もしかして。

 視界は頼りにならいからと手で周囲を探っていると、何かが触れた。それがある方へゆっくりと近づき、そっと触れてみる。

 人肌の温もりを感じた。そこに横たわっていたのは自分と同じ制服を着ている人間。風音に混じる微かな息。

 見えないから分からないが、恐らくはあの教室にいた全ての人間が此処にいる。

 これで誘拐ではないだろうということが九割九分確定した。うちのクラスは教員含め二十五名。そんな大人数をこんな場所まで運ぶ重労働をする必要がないから。

 では一体、これはなんだ? まさか神隠しなどという非現実的なモノが起こったわけでもあるまいし。

 ふと過ったその考えに心の奥底がざわついた。まさかそんな、あり得ない。理解しているが、それでも、もし、もし本当に『あり得ない』ことが起こっているのなら——。

 何か、何かないだろうか。 

 衝動のままに辺りを探る。

『あり得ない』を覆す、何か——。

 こつん。

 指先に何かが触れた。期待に胸を膨らませてそれを掴むと顔に近づける。それがなんであるかを理解して、思わずため息が漏れた。

 鉛筆。何の変哲もない鉛筆。はぁ。

 まあ、収穫自体はあった。僕らがここにいる理由に人間はからんでいない。鉛筆なんて持ってきて何の意味があるというのか。

 さて、現状から考えられることはこのくらいか。ひとまず此処にいる人間を把握してから皆で話し合うとしよう。

 丁度、雲が晴れて月明かりが——

 宙を見上げ、そして息を呑む。天に広がる光景はまさに非現実そのもの。しかし混乱を抱くよりも先に僕は魅了され、同時に涙を零した。

 夢見た幻想が、そこにある。

 虚構と割り切り、諦めた世界がそこにあった。

 とても、とても澄んだ夜空。深い藍色の闇を背に銀砂の星々が無数に煌めいている。よく知る地球のものより遥かに大きな月が蓋をするかの如く存在し、鮮やかな幻月環が周りを囲む。

 まるで現実感のない景色。いっそ夢だと言われた方が納得できる。それでも僕は、これを否定されたくはない。

 この胸の高鳴りも、頬を伝う涙も、確かに本物だから。

 夢ならばどうか、覚めないでほしい。漸く掴んだ幻想を手放したくない。明るい絶望に彩られた現実で、これ以上『僕』として生きたくはない。僕を捨てて、『私』として生きたい。現実なんて、どうでも——どうでも……。

 幻想に沈みかけた心を繋ぐ唯一の鎖。あの子の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 彼女も、此処にいるのだろうか。

 ライターもマッチも、スマホも持っていないから、月と星の明かりだけを頼りにその顔を探す。周辺に横たわる見知った顔達。その只中に、恋焦がれた顔を見つけた。

 暗く艶やかな髪、左の目尻にある黒子、平均より少しばかり大きな体躯。間違いない、間違える筈もない。

 夢見た幻想の中に、どうして捨てきれない現実を見とめて、自分自身に絶望する。

 また……、まただ。何処までいっても、振り切れない、傾き切れない、突き抜けられない。僕は、何も捨てられない。ずっと、中途半端なままで、変われない。

『僕』と『私』の間で揺れながら、どちらを選ぶことさえできない。自分とは違う誰かになりたい癖に、『私』と自分を結びつけたまま、切り離せない。

 その場に膝をつく。いつの間にか胸中の高揚と感動は消え失せて、生まれた穴には何も入ることがない。

 冷えていく思考。広がりゆく最悪の光景。もしそうなったら自分はどうなってしまうのか。恐ろしくて恐ろしくて堪らなかった。

 理性が自分に囁いている。その言葉に従って、皆を起こす為に立ち上がる。準備を、しなければ。

 幻想は充実ではない。破綻は近いうちに訪れるだろう。

 それを僕らは身をもって知ることになる。確信にも似た予感が、冷たく響く。

 美しい幻想の只中に、恐怖に駆られた半端者が佇む様を星だけが眺めていた。

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