【祝い】

はくすや

「祝い」という呪い

 きみはまた呼ぼれた。このところ連日だ。こんなことが続けばきみの生活は破綻する。

 もういい加減にしてほしい。いつまで私を苦しめれば気が済むの。

 きみはベッドの上で何本もの管にまみれた女を見下ろしていた。

 まだ六十前のはずだが七十手前に見える。


 ――もう一週間昏睡です。いつ何時なんどきがあるやもしれません。

 覚悟しろときみは言われた。

 そんなことを言われるのは何回目かな――ときみは思う。それは医療従事者特有の予防線なのだろう。


 傍らに絵本のページを無邪気にまくるきみの娘がいた。明日には五歳になる。

 誕生日にはケーキを食べよう。きみは前から娘に期待させていた。


 きみは娘と二人暮らしだ。毎日保育園に預けてパート勤務に出る。

 きみはきみを生んだ女と事実上縁を切っていた。

 まさか今ごろになって手を煩わせてくれるとは――ときみは目の前の老女を見下ろす。


 きみは小さい頃から些細なことで母親と喧嘩をした。すぐに何事もなかったように元の生活に戻るのだが、きみは母親との衝突をいつまでも覚えている。


 きみたちのいさかいはいつも間が悪かった。きみが三歳の時、きみの母親はひとり娘の七五三に人並みの夢を抱いた。

 それはある種の呪いだったかもしれない。ふだん不自由な生活を強いているからせめて七五三くらいは豪華に祝ってやろうという親のエゴだったかもしれない。今のきみならその気持ちも理解できる。


 きみは安くもない貸衣装を着せられた。そこまでは良かった。しかしきみは髪をいじられるのをかたくなに拒否した。

 一度へそを曲げるときみはがんとして言うことを聞かない。ひたすら泣き叫んだ。

 結局きみは髪結いを全くしないおさげ髪の不格好な姿でお参りをし、記念写真を撮った。


 それを思い出すたびにきみの母親はきみに愚痴をこぼす。毎年七五三の季節になると――だ。

 ――絶対に頭を触らせなかったよ。なんて頑固なの。誰に似たんだろ。

 ――あんただよ。


 成人式のこともよく覚えている。なんで喧嘩したかは覚えていない。

 新年を祝う日に些細なことで口論になった。暮れには一緒に写真を撮ろうね――とか言っていたはずだが、まるでなかったことになった。

 それでもきみは母親が予約してくれた美容院で着付けと髪を整えてもらい、ひとりで成人式に出た。

 写真は自撮りと友人に撮ってもらったものだけだ。母親と写ったものは一枚もない。

 半年ほど口を利かない時期を経て平時の関係に戻るが、成人式の話は禁句になった。下手に話題にするとまた喧嘩になる。


 きみときみの母親は「祝い」に縁がなかった。「祝い」になると何か良くないエピソードが起こる。そしてそれは年を経るごとに堆積たいせきされていく。ずっと脳内の記憶領域に棲み着いて繁殖する腫瘍のように。


 大晦日になると毎年のように階段から転げ落ちたり、池に落ちたり、インフルエンザにかかったりして、まともな正月を過ごしたことはない。新年を健やかに祝った記憶を探す方が難しい。


 誕生日に買ったケーキを自分が運ぶと言って落として台無しにしたこともある。あれは今のきみの娘と同じ歳頃だったか。

 ――ママ、ケーキは?

 もし明日この女が息を引き取ったらケーキどころではない。きみは娘が誕生日を迎えるたびに母親の命日を思い出すことになる。


 顔を合わすと些細なことで口論するようになったきみは母親から距離を置くようになった。

 勝手に入籍したから母親からの祝いはなかった。娘が生まれた時もそうだ。全て事後報告。

 離婚した時も母親は頼れなかった。きみは保育園どころか行政の支援、知人の助け――あらゆるものを利用したが母親だけには頼らなかった。

 ギリギリのところでどうにか食いつないでいる。そんなある日、母親が倒れたと病院から連絡があったのだ。


 独居の母親がどのような暮らしをしていたか想像するしかない。

 きみと母親は似た者同士だ。気に入らない人間とは絶対に付き合わない。

 ひとは頼るものではなく利用するもの。感謝の言葉は所詮口先だ。


 どうせ好き勝手に生きて、健康とは無縁の生活を送っていたのだろう。そんな人間にふつうの入院生活が送れるはずもない。

 きみは不本意ながらただひとりの親族ということで保証人になり、呼ばれたら時間が許す限り駆けつける毎日を送っている。しかもここ最近の面会は毎日だった。


 ――おばあちゃん、寝ているの?

 娘の声にきみはうつつに戻る。

 きみはこの女が祖母だと娘には教えていない。

 毎日面会しているから祖母だと理解したのか? それとも単に年寄りの女性だからおばあちゃんと言ったのか?


 巡回して来た若い看護師がきみの娘を褒める。

 ――お利口さんね。

 たしかに絵本を開いているが字を読めるわけではない。

 ――あした五歳になるの。

 きみの娘は罪のない笑顔を向ける。

 ――おばあちゃんがお祝いしてくれると良いね。

 ――うん。

 祝えないと言っているようにもきみには聞こえるが、こどもにはちょうど良いのかもしれない。

 きみの娘もこの若い看護師も邪気がない。似た者同士は会話も通じる。

 同じ似た者同士でもきみと母親はずっとすれ違ってばかりだったが。


 ――あと二週間でおばあちゃんも誕生日だね。

 ――ケーキ食べられるかな。

 ――食べられないかもしれない

 看護師は困ったような顔をしてから付け加えるように言った。

 ――赤いちゃんちゃんこを着てもらおうか。

 ――ちゃんちゃんこ?

 ――六十歳になったら赤ちゃんに戻るのよ。

 ――赤ちゃん? だからオムツしてるの?

 きみの娘が微笑む。

 きみはもう全てを受け入れる。

 きみの母親も誕生日が近かったことを今さらのようにきみは思い出す。


 ほんとうにこの女がそこまで生き長らえたら、赤いちゃんちゃんこくらいは用意してやろう。

 これまで祝いに嫌われてきたきみはそう思った。

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【祝い】 はくすや @hakusuya

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