HなY談。
@Kodo_Itsuki
HなY談。
好きな人と出会って恋をするのは、とても簡単だ。
けれど、二人の女が同じ男に同じ恋をして、
幸せだと感じることは決して容易いことではない。
浮気や不倫は、同じ人間に別々の人間がそれぞれ違う感情の恋をする事だと思う。
私の場合とは全く違っている。
私はユキ。
日本の真ん中、自然が溢れる岐阜県で生まれた。
名前は、冬に降り積もる雪のようにありのままに生きて欲しいという意味を込めて、両親がつけてくれた。
幼い頃の最初の記憶は、好きな男の子の姿を近くで眺めていられるだけで、幸せの意味も知らずに幸せを感じていたことだ。
家庭環境はあまり良いとは言えなかった。
家族が揃うと両親は喧嘩ばかりしていた。
毎日泣いてばかりの母親に、女として同情という気持ちが芽生えていた。
そんな母を泣かせる父は、子供の心を掴むのが上手い男で、妹も私も一緒に遊んでくれた父のことが大好きだった。
小学生の時、家で妹と二人で隠れんぼをして遊んでいると、
父が押し入れの奥に隠していた大人向けの本を見つけた。
それがなぜイケナイものなのかははっきりとは理解していなかったが、
イケナイことをしていると感じながら、
妹と順番に両親が来ないかを監視しあって、本を読み漁った。
誰にも言えない姉妹だけの秘密を、
おままごとや隠れんぼと同じ遊戯の延長で楽しんでいた。
遊びというのは、アレンジやエスカレートしていくのが子供の常だ。
本の中の女性が感じているような気持ちを知ろうとした。
ポーズなどを真似している時に、強い快感があることを発見した。
その快感を知ってから、本を読むという遊びは、
感情を自分の体にぶつける遊びになっていった。
ーーーそれがイケナイことと知りながら…。
両親への後ろめたさからなのか、快楽への衝撃からなのか、
いつの頃からか、自分の心の中の自分じゃない自分と魂と魂の交信をしているような感覚があった。
時々、頭の中で小さな声が囁くようになった。「もっと感じて。気持ちいいでしょ?」
それは私の声なのに、私じゃない気がした。
その声が聞こえるたび、心が少し離れるような、
ぼんやりとした感覚が訪れた。
私は妹と二人でこの遊びに、
栗拾いと名付けた。
大人になって、それが自らの体を探求する行為だと知る事になるのだが、
幼い小学生の私は本能で、何か特別なものだと感じていたのかもしれない。
私がそれを特別な行為だと知ったのは保健の授業で、
心の中でくすくす笑っていた。
家に帰宅して、いの一番に妹の寛子に教え、
これからは、栗拾いをする時は、見張りを付けて親にバレないようにしようと妹に言った。
妹は素直に従った。
今思えば幼い隠語だった栗拾いの言葉を気に入ってしまった過去の自分に、
何故なのかと疑問を抱くこともあるが、
現在の私は、妹との絆を感じること、
ノスタルジーな気持ちを抱く言葉の力に、
魔法とかファンタジーに似た、女の子が誰しも憧れる“夢や魔法”のような存在なんだと思わざるを得なかった。
今でも秋になるとその言葉を思い浮かべてしまうのは私の秘密である。
むっつりな幼少期から時が流れて、中学1年生の冬のとある昼休みに、
クラスの男子達が話している大人っぽい内容に興味を引かれた。
「知ってるか? セックスのことをHって言うだろ?
あのHって変態をアルファベットにした”HENTAI”の頭文字のエイチからきてるんだって!」
そんな男子達の話を盗み聞きし、悶々とした心で帰宅した。
夕ご飯を食べてお風呂に入り自室に戻り、早く秘密の遊びをしたい私は、
まだかまだかと夜が更けるのを待ち、家族が寝静まったのを見計らい栗拾いをした。
その頃の私は、さらなる快楽を追求していた。
より良い方法を試行錯誤していた。
携帯電話の細いアンテナを自らの中に挿れて、振動機能を使う事が一番のお気に入りのやり方だった。
エクスタシーを得るコツは、体を動かすのではなく心を集中させること。
男子達が嬉しそうに話す内容を思い出しながら、
秘密の遊びをして自分の心の中の誰かとコンタクトを取りながら寝落ちた。
その時見た夢の内容は今でもはっきりと覚えている。
というよりも、忘れることができない。
アルファベットのHの真ん中の棒に股を挟んで快楽を楽しんでいる私を、
何故か私が見ていた。
夢の中の私は、遠くから私を見つめながら微笑んでいた。でもその目は冷たくて、「お前は弱いね」と囁いている気がした。
目覚めた時、頭がズキズキ痛んで、現実が少しぼやけていた。
まるで自分が自分じゃないような、離れた視点で体を見ている感覚が残った。
その夢を見た朝。
目が覚めて家族がいる居間に向かうと、いつも朝の情報番組を流し見ながら新聞を広げてる父の姿はなかった。
おはようの朝の挨拶もなく無言で家事をする母親に違和感を感じた。
母は、卵焼きを食卓にコトッと置くと、私と妹に目に涙を浮かべてこう呟いた。
「お父さんと離婚することになったよ。ごめんね。」
それを聞いた妹は泣いていた。
母は私に向かってこう言った。
「ユキのお陰で決心がついたよ。ありがとうね。」
その言葉の意味も、ありがとうが何に対してなのかも質問することができないまま、
風が窓を叩く音と、妹と母が鼻をすする音だけが時間の流れを感じさせてくれた。
父が出て行った後、母は娘の私達には不自由なく生活できるようにしてくれていた。
中学校生活を普通に過ごしていた私に恋の転機が訪れた。
恋した男の子の名前は廣田くん。
いつも周りの5、6人位の男子と遊んでいて、真面目なタイプではないけど誰にでも優しく接する事ができる人だった。
中学3年生の時に廣田くんに愛の告白をするもこっぴどくフラレたうえに告白した事が周りの同級生に知られてしまった。
廣田くんの周りの同級生達から馬鹿にされ、
からかわれた事がきっかけで容姿に自信が無くなり、
父がいない寂しさ、
父の母に対するクズな振る舞い、
1年ちょっとの片思いの苦さが、
私を現実の男から遠ざける強いものとなっていった。
そんな私が逃避したのは二次元の男で、
私は一人の二次元のキャラクターに恋をして、
思春期の情欲の全てをそのキャラクターにぶつけていた。
同じキャラの事が好きな友達やファンに嫉妬する程に。
高校に進学しアルバイトができる歳になると、
全財産と言っても過言ではないお金をキャラクターのグッズを買う為に使った。
約5年間。
現実と夢の区別もつかず私はこの人と結ばれると勝手に思い込んでいた。
簡易的に作れるホームページで妄想で私と推しているキャラクターとの恋愛短編小説を掲載したり、
キャラクターと自分が親密になるイラストを描いて掲載したりしていた。
ホームページで私の存在を知ってくれたファンの数はそれなりにいた。
ファンの人達は私の活動を応援してくれていた。
時々、自分の身体の一部を写した写真を掲載していたっていうのもあるのだろう。
下心で閲覧する男性ファンが殆どだったと思っている。
ファンがいることに慢心の心が芽生えた。
その物語のヒロインに嫉妬し、好きなキャラクターとヒロインが結ばれてしまった物語の終盤の展開に怒りで我を忘れて、インターネットで作者のホームページやファンサイトを荒らして回った。
現実も駄目。
2次元も駄目。
とにかく荒れていた。
そんな自分に天罰が下った。
日課の様にインターネット掲示板などを荒らしていると、
私が叩いた人が恨んでなのかは分からないが、
住所や素性を特定されてインターネットで晒されてしまったのだ。
身元をインターネットで晒された事で、荒らしている事を恨んだ人達なのか分からないが、アルバイト先のコンビニに6人の集団が押しかけて来た。
ステレオタイプのいわゆるオタクと呼ばれる男5人と、
ガリガリに痩せた性格の暗そうな女が一人。
気弱そうな人間も群れると気が大きくなり犯罪に近い脅迫や強要を私に強いてきた。
私はその時に怒りと恐怖で、
近くにあった電子レンジを男達に投げつけ、入口のガラスが割れて、とにかく近くにあった大きくて硬いものを探して、見つけては怒りに任せて投げていた。
私が怒鳴り散らして暴れているとさっきまで得意になって脅迫などをしていた集団も蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ガリガリの女は一番早く姿を消した。
逃げた集団を追いかけて一人の男を捕まえた。
捕まえた男は体勢を崩した。
怒鳴り散らしながら捕まえた男の顔面を殴り男が掛けていた眼鏡の破片で手が切れた。
黒い血痕が制服に付着していたが痛みは全く感じなかった。
静かな森の近くのコンビニの防犯ベルが鳴り響き野次馬に囲まれながら恐怖と怒りと色々な感情が合わさり泣きじゃくる私を何故か私は野次馬の視点で見ていた。
その時、頭の中で声が響いた。
「よくやったよ。もっと強く。」
それは私の声だったのに、嬉しそうに笑っていた。
早くこの一日を終わらせたい。
一通りの聴取を受けた後、
涙のシャワーを浴びながら帰宅して、
ベッドに倒れ込みおもむろに色々な感情を秘密の遊びにぶつけた。
この日の体を探求は現実逃避の衝動からだった。
この時は人生の中で一番だと思う位に一心不乱にしていた。
快楽の頂点が何度も訪れると意識を失っていた。
繰り返し見るHにまたがる自分の夢を見た。
アルファベットHに跨がって私が快楽の頂点に達して体をヒクヒクとさせた様子を見た瞬間だった。
夢の中の私は、満足げに笑っていた。
「これで少しは強くなったね。」
ハッと目が覚めた。
目を開けてぼんやりと見える景色は暗かった。
木のせせらぎが聞こえて風が肌を撫でた。
何かを訴えている妹の寛子の声が聞こえた。
何人かの男の笑い声も聞こえた。
家に誰か遊びに来ているのかと思ったが、
はっきりと覚醒した目の前に広がる光景は自室の部屋では無かった。
アルバイト先に押しかけてきた集団の男の一人が土に埋まって泣き叫ぶ姿とそれを見て妹と笑っている妹の不良友達が4人いた。
何が起こっているのか理解はできていなかったが、犯罪の様な悪い事が目の前で起きている事は認識できていた。
怯える気持ちと戸惑う気持ちの中、私は妹達に辞めるように説得した。
妹の悪友達は姉さんがそう言うならと、
土に埋もれた男を土から引っ張り出した。
コンビニに押しかけて来た強気な態度の男からは想像できない位に小さく感じた。
体を震わせゴメンナサイと言いながら涙を流す男の姿を見て私は戸惑いだけしかなかった。
妹の不良友達の車で約5分位走り、山を下ると市街地で出た。
市街地との距離がそこまで離れていない事が、泣いていた男を山に置き去りにした不安な気持ちを小さくしていた。
車で家まで送って貰うと玄関の前で妹の寛子は涙を浮かべて、
「おねえの言う事に逆らえなかったんだから!
私の友達めちゃくちゃする奴らだから、
超怖かったんだからね!」
そう言い放った。
ーそう。寛子は昔から私には逆らえない。
逆らわないように小さい時から躾をしていた。
しかし、その小さい時からの主従関係が何故あの山に埋もれた男の光景に繋がるのか。
思考が追いつかなかった。
妹の切羽詰まった態度に何も聞く事ができなかった。
頭の中で声が響いた。
「私が守ってあげたよ。感謝して。」
その声に、怖さが混じった。
その日私は夢を見ずに眠りに落ちた。
ーー時は流れ
至る所ばかりの10代20代前半の思春期を終えて、
妹の結婚パーティーで知り合った宏明と付き合う事になった。
25歳にして初めて彼氏ができた。
付き合った男の名前は宏明。
宏明は自分と同じ歳で工場で働いていて、髪を染めて少しやんちゃなタイプだ。
顔は目が細くて笑うと八重歯が見える少年らしさを残した顔をしている。
私は父が作業着を着て現場に毎日出勤する姿を見ていた為に男の人は作業着を着て仕事をする事が一番懸命に働く事なんだと思っていた。
宏明は奥手なのか付き合って2ヶ月経ってもキスや抱きしめるまでしかしてこない。
その先の親密な関係に私は小さい時から興味はあるけれど怖さも同じ位あった。
そんな私に宏明は気を遣ってくれてなのか分からないが、
一緒に寝泊まりする機会があった時にお互いの裸を知りながらもその先には進まなかった。
宏明と過ごす時間は初めての事が多くて、
デートは常に新鮮で私にとっては人が多くて怖い街の印象しかない名古屋の街も、
宏明と一緒なら楽しいだけの街にしか思えなかった。
悲惨な恋愛をしてきた私の事を可愛いと褒めてくれる宏明がいて自分は少し自分の容姿に自信がついていた。
ユキの身体は魅力的だねと遊ぶ度に可愛がってくれる彼に、
ー私の全てを捧げたい。
そう思っていたのだが、
同じ歳の周りの友達に未だに経験がない女の子はいなくて、25歳で経験がないという事で彼を幻滅させるのでは無いかと、不安な気持ちで宏明と会うのが辛くなっていた。
どこか男っぽい性格を持つ私は、経験がない事に童貞の男の子が抱く劣等感を同じ様に抱いていた。
男の子はずるい生き物だ。
週間紙や雑誌に少し目をやれば一つ上の男になる方法が広告に書いてあるのに、一つ上の女になる方法は簡単に教えて貰えないのだから。
そんな最初の彼氏との不安を女友達に相談する事もできずに悩んでいる日々を過ごしていると、
男が途切れない女友達の優子に執拗に誘われた。
優子のお願いに仕方がなくホストクラブのような場所に行った。
後で優子に確認した所、行った場所はメンパブというホストクラブをマイルドにした場所だった。
そういった場所に行った事の無い私は、
照明の数が多いのに何故か暗いその空間に踏み込んだ時、現実感を全く感じる事ができなかった。
自分と住む世界の違う人種の男達がいて私は完全に萎縮していた。
居づらい場所で不安になり、優子に救いを求めて話を掛けても男との会話に夢中で私の事など相手にしてくれはしなかった。
従業員の男の子の一人が人見知りな私を察して接客についてくれた。
緊張して下を向いてた私に、優しく話しかけてくれた。
ヒロと名乗る男の子に私は少しずつ心を開いていった。
ヒロの容姿は中性的で整った顔をしていた。
宏明以外の男に嫌悪感しかない私だったが、
ヒロの優しさに夢見心地の時間を過ごしていた。
私はダメな考えだと思いつつも、優しいヒロに経験がないことで悩んでいる事を相談をした。
今まで誰にも言えなかった事も含め。
目に涙を浮かべて。
学生の時に秘密の遊びでは飽きたらずその先を求めて激痛があったこと、親密な関係に怯えているという秘密を話してしまった。
ーーこんな私嫌だ。
ーーーなんとかできないかな。
ヒロにすがってしまった。
ヒロは私に連絡先を渡し、
「お店が終わるまで待っててくれる?」
優しい声で私に微笑んでくれた。
優子はお酒が入ると何人かいる彼氏の家に泊まる事が多い為、少し腹を立てていた私は先に帰ると嘘を言って店を出た。
近くのコンビニのイートインでホットココアを飲みながら、時間が過ぎるのを暗い道路を眺めて待っていた。
時々通る車のヘッドライトにヒロの笑顔を重ねて。
電話が鳴ったのは深夜2時過ぎだった。
「今からそこに行くから待ってて。」
シンプルに内容だけ伝えてプツンと切れた優しさの無い通話内容だったのだが、
待っている時間の暇つぶしでヒロの顔を100回以上思い描いていた私は幸せを感じた。
まるで幼少の最初の記憶の小さい時に見ていた彼が私に話してくれた様なそんな気持ちだった。
暗い道路の奥から、黒が多めの服を着て明るい髪色のヒロが歩いて来た。
コンビニの明るさで見たヒロの容姿はお店で見た時よりも格好悪く見えた。
元々目が悪い私は何ルクスの差のヒロの顔をヘッドライトに思い描いていたのか心の中でくすくすと笑ってしまった。
格好良さに怯えていた自分は少し緊張が解けた。
ヒロの少し残念な姿を見た私は、宏明の事が好きな自分の気持ちに偽りがない事に安心を覚えた。
しかしその感じた安心が浮気という罪悪感を消し去らせた。
ヒロは私と会話できる距離まで近付くと体を抱き寄せてきた。
薄暗いお店の中での距離では感じる事は無かった、タバコと香水の混じった甘い匂いが鼻から脳に刺激すると、宏明と遊びに行った時に目に映った名古屋の都会の街路樹に心が癒やされた事を思い出した。
ヒロはホテルに行こうと言い電話でタクシーを呼びだした。
タクシーをコンビニの前で待っていると、ちょっと待ってて!と言い。ヒロはコンビニの店内に入りレジで何かを買っていた。
店の外でタクシーとヒロを待っているとヒロが目の前に立ち私の頬が急に暖かくなった。
ヒロはココアの缶を手に2本持っていた。
悪戯な表情を浮かべて2本のココアの缶で冷えた頬を挟み込んでいた。
手に持ったココアを1本私に手渡すと
「寒い日は温かいココア飲みたくなるんだよね。」
と言い。笑顔で私に微笑みかけた。
ヒロを待っている間にココアを1杯飲み干していた私は、少し嫌だなと思いつつも、ヒロが一生懸命に考えてくれた小さな優しさを踏みにじる事はできなかった。
連続で飲む2杯目のココア。
さっきも飲んだよ!なんて言えずにココアを口に含むと、甘くなり過ぎた口の中が逆に苦く感じた。
おいしい!久しぶりに飲むと感動するね!と言い。
待ち望んでやっと食べれる大好物のケーキを口にした子供の様に振る舞ってヒロに喜んで見せた。
結果的に私はヒロがくれた優しさに対して、嘘で返す事というひどい事をしてしまった。
タクシーが到着して運転手にラブホテルの住所を伝えてタクシーが動き出すと運転手は信号が赤になる度に私の事をバックミラー越しにチラチラと見ていた。
ラブホテルでこれから私がどんな姿にされるのかを想像されている気がした。
ヒロの手は私の太ももの上。
恥ずかさを感じる赤信号を6つ過ぎた時タクシーはホテルに到着した。
私がお金を出そうとした時、すっとヒロの手がストップのゼスチャーをした。
良いからとは言ってくれたけど、私は頼んでいる立場だから申し訳無くなった。
一緒にタクシーを降りた時にヒロは、
「初めての思い出なんだからいい思い出作ろう。」と。
余りに優しいキザな台詞だった為に私は笑ってしまった。
少し解れたとはいえ、緊張でグレーのインナーを黒に染めるくらいに私は脇汗をじっとりとかいていた。
薄暗いホテルのロビーで部屋を選ぶヒロはコンビニで見た時よりも格好良かった。
私は容姿で男の良し悪しを決めていると思う。
と思う。と断言できないのには理由がある。
私は決してモテない訳では無い。
他の女の子よりも大きいバストのお陰というか大きいバストのせいもあって、
夏になると薄い上着では大きなバストを隠しきれないので毎年夏になると男が下心で寄って来る。
夏に言い寄ってきた男達は私の性格や顔なんてどうでも良くてただ親密になりたいのだと感じていた。
男の下心は手に取るように分かる。
バストを見て口説かれるから。
下心で寄って来た男をモテポイントに加算するのは少し微妙な気もするが、
男性が女性を選ぶ時に生まれ持って差異のある容姿で選んでも許されている風潮に対して女性が容姿で男性を選ぶと面食いだとか夢見すぎだとか言われる事に腹を立てている。
下心で寄って来る男がいる限り、私も隣にいる男を容姿で選びたい。
捻れた思想だと頭では理解できている。
しかし、下心のみで近付いてくる男達が私の心を捻れさせたのだから仕方のない事だと思っている。
私の顔を見て話してくれているヒロに対して他の男達には感じられない特別な優しさを感じた。
入った部屋は学校の教室位に広かった。
明るさを無段階に調節できる照明。
大きなベッドがある事。
大きなベッドの上の天井見ると大きな鏡がある事。
灰皿の上にマッチと爪切りが置いてある事。
ファミリーレストランのメニューの様な冊子がガラスのテーブルに広がって置いてある事。
ガラスのテーブルの前のソファーにはタバコの焦げ跡がある事。
きれいな部屋でお姫様になった気分だったのだが、夢見心地だけではいさせて貰えない雰囲気を感じてしまっていた。
頭の中で声が囁いた。
「これで経験できるね。怖がらないで。」
その声に、少し安心したような気がした。
着ていたコートをハンガーに掛けて、二人で大きなベッドで手を繋いでいると
一緒にシャワー浴びる?と聞かれたので恥ずかしがった私は、
恥ずかしいから別々で浴びたいと言った瞬間だった。
彼は笑顔で私を押し倒した。
スカートを脱がされて靴下を脱がされると
ヒロは太ももにキスをした。
私は恥ずかしさの余りにずっと目を閉じていた。
セーターの中に手を入れてブラジャーのホックを外したヒロが、起き上がらないと服を脱がせれないよと笑って言った。
私は汗で張り付いた肌着を見られなくなかったので、ベッドから少し離れてセーターと肌着を一緒に脱いだ。
ブラジャーを外して、脱いだ衣類を畳んでソファーの上に置きに行こうとするとヒロが後ろから抱きついてきた。
シャワーを浴びたいと懇願したが、気にならないから大丈夫と言われた。
恥ずかしさで頭の中は真っ白になっていたが興奮はしていた。
私の身を包む最後の布がゆっくりと離れていく感覚に、息が詰まった。
ヒロも服を脱ぎ、抱きしめてキスをした時、
熱いものが私の肌に触れるのを感じた。
怖さが興奮や恥ずかしさを打ち消した。
目を開けると天井の鏡の自分と目が合った。
不格好なポーズで寝乱れた髪。
鏡に映った自分を私は私じゃないと思いたい位に恥ずかしくなった。
それでも体は正直で、ヒロの吐息に反応して少しずつ快感を覚えていった。
何分経ったのだろう。
痛みはほとんど無く、ただ不思議な感覚が広がった。
ヒロが果てると優しくキスをしてくれた。
キスの後でそそくさと私を腕枕しタバコに火をつけた。
ヒロが幸せそうに吸うタバコに私も吸ってみたいと言った。
一口タバコを吸ってむせ返ってしまった。
それを見たヒロは笑っていた。
私も初めて吸ったタバコのマズさに笑ってしまった。
二人の笑い声が静かな大きな部屋に響くと、まるで親密な時間を過ごす前の時間に戻ったような気がした。
その時、頭の中で声が響いた。
「これで大人になったね。でも、まだ弱いよ。」
鏡に映る自分を見ながら、少し離れた感覚がした。
最後に携帯電話で見た時間はAM2:45だった。
ベッドで私の横にいるヒロが携帯電話の明かりをつけるとAM4:52と表示されていた。
ホテルで過ごした時間は体感では3時間以上経っていた感覚だった。
優子と遊びに行く為に家の玄関を出てからまだ10時間位しか経っていない事を考えていた。
そんな事を考えていると、少し夢見心地だった私の気持ちは現実へと戻っていった。
湯船にお湯を張って一緒に入りヒロに彼女がいる事やヒロが来月から介護の仕事を始める事を聞いた。
部屋を出て朝日が徹夜した目に強い刺激を与えた。
ヒロはタクシーで送ると言ってくれたが甘えてばかりでもいけないので別々に帰ることを提案した。
別れ間際に
「血出なくて良かったね。彼氏とうまくやりなよ!」
笑顔でそう言った。
ヒロに彼女がいる事。
髪をセットしていなく朝日に照らされた残念な姿。経験を得られた安心感や寝不足もあり、ヒロに対しての好きとかの恋の様な感情は一切無くなっていた。
今日、経験した数々の初めては私を大人に成長させてくれた様な気持ちにさせてくれた。
25歳の私が大人に成長するという言い方は少し妙だが、大人とは博識な人間の事をいう事なのだと私は心のどこかで思っていたのだろう。
帰宅して、洗面所で化粧を落として部屋着に着替えた。
さっきまで過ごしていたホテルの大きなベッドの半分以下のサイズのベッドに倒れ込む様に横になった。
経験を得て親密な関係への不安が無くなり、宏明とデートする日が楽しみだな。などと。
ヒロと過ごした時間を思い出すこともせずに、宏明を裏切っていた罪悪感も感じる事も無く、宏明と次に会う日の事を想像しながら浮かれた気持ちで眠りについた。
その日見た夢は、私がエイチの中央の棒にまたがる夢だった。
自分の視点だったのではっきりとエイチなのか分からなかったが私はエイチの棒にまたがっていると、はっきりと認識していた。
少し離れた所から自分と同じ容姿の女が遠くで私を見ていた。
遠くの私と同じ容姿の女はラブホテルの鏡に映った私と同じ顔をしていた。
いつも繰り返し見る夢では私が私を見ている感覚があるのに私の事を見ている女は私とは違う別人だという感覚があった。
私は股がった棒で体を刺激すると、夢の中の意識が段々遠くなっていった。
近くを通った車の音で目が覚めた。
カーテンから薄っすら入る日光を見ておよその時間が分かった。
宏明に会いたい気持ちで頭が一杯だった。
私は尿意を我慢しながら、仕事終わったら会いたいと宏明にメールで伝えた。
夕方に返信は来た。
俺も会えるなら会いたいとだけメッセージをくれた。
飾り過ぎないおしゃれをして、持っている下着の中から一番綺麗で可愛い下着を身に着けて宏明が来る為の準備をしていた。
私は地元を少し離れいて愛知県の小牧市で賃貸のワンルームマンションで一人暮らしをしていた。
小牧市の街並みは、都会の名古屋と田舎の岐阜のグラデーションの丁度良いバランスが有り、小牧市の街の色をとても気に入っていた。
妹も結婚して、娘達の良い母親で有り続ける母への親孝行のつもりでもあった。
実家に帰ろうと思えばすぐに帰れる距離で、私は小牧市が与えてくれている全ての環境が自分の住むべき一番の街だと思っていた。
宏明が家を訪れたのは20時頃だった。
私の作る簡易的な家庭料理を宏明はいつも喜んでくれた。
ご飯を食べ終わると私から一緒にお風呂に入りたいと宏明に伝えた。
宏明は少し大胆になった私に喜んでくれた。
大人に成長した私の心は恥じらいを捨てて大胆にさせてくれた。
お風呂から出てタオルで軽く拭いただけの乾かない身体で愛で潤った気持ちで宏明の全てを体で受け止めた。
親密な時間を終え息が荒くなっている宏明に初めて一つになれた喜びを伝えたくて
「初めて最後までできて嬉しい。」
心からの言葉を宏明に投げかけた。
俺もそうだよと言ってくれると思っていたのだが。
私の言葉で空気が凍りついた。
笑顔だった宏明の表情が緊張したのが伝わった。
その顔の強張りに私も何も言葉を発する事ができなくなった。
カチッ
カチッ
安い壁掛け時計の秒針だけが聞こえる部屋で沈黙を破ったのは宏明の震えた声だった。
「ユキとしたのこれが初めてじゃないけど。」
私は言われた言葉の理解が追いつかないまま宏明は続けた。
「付き合う事になった日、俺の部屋でしたのが最初でその後何回もしてる。ユキは感じやすいからか、した後5分位寝てるよ。」
頭が真っ白になったと同時に宏明に情事の内容を細かく説明されると記憶には無い筈なのに鮮明に体験した景色が脳裏に焼き付いていた。
言葉が出ない。
涙が何故か溢れた。
頭の中が真っ白になり気が遠くなっていった。
夢の中にまだいるのだと思っていた。
部屋の隅で私はその光景を眺めていた。
夢の中で裸の宏明が裸の私に
「昨日コンビニでユキと知らない男が一緒にいたのを俺の友達が見たって言ってて。今日会って聞こうと思ってたんだ。ユキとは付き合って間もないしこれ以上不安な気持ちとか好きとかも思いたくないから別れたい。」
ーーー引き止めたい。
ーーーー泣いてすがりたい。
何故かその光景を見ている事しかできない私は服を着て玄関から靴を履いて出ていく宏明の姿を眺めていた。
心の中で泣きながら。
ズキンと下腹部から痛みを感じた気がして我に返った。
静かな部屋で涙で瞼が腫れていた。
痛みを感じた部分を触ってみても痛みは無かった。
私は宏明に初めてを捧げた時の痛みが今になって瞬間的に蘇ったからなのだと。
そう感じた。
そこから私は私の全てを知る事になる。
宏明が辛く感じながらも話してくれた事がきっかけで私は自分の記憶に欠けたピースがある事を知った。
宏明は記憶のピースを私の心の隙間に挿し込んでくれた。
恩人とも言える私の初めての恋人はもういない。
失って初めて大切だったと気付くものもあるが失う前から大切だったものを失う辛さは、
生きている意味すら見失う絶望があった。
息もしたくない。
裏切っていた事を後悔した。
裏切っていた感覚すら無かった数時間前の自分を憎んだ。
謝罪の気持ちを伝える事ができない。
感謝の気持ちも伝える事ができない。
宏明に繋がる事のない携帯電話を握りしめていた。
これは夢だと思いたかった。
テーブルの上の片付けられて無い2つの茶碗と2つのコップが私を現実から逃してはくれなかった。
突然携帯電話が震えて光を放った。
優子からの着信だった。
携帯電話から放たれた光は、右乳房の近くに付いていたキスマークを照らした。
無気力になった私は着信に応える訳でも無く宏明が付けた最後の愛を光が消えるまで眺めていた。
何時間経ったのだろう。
優子から二度目の着信で正確な時を知った。
ーーーもしもし。
着信に応じた私は昨日からの出来事を全てを話した。
記憶に欠けたピースがある事を伏せて。
優子は笑っていた。
落ち込んだ時に一緒に落ち込んでくれる訳でもなくいつも笑ってくれる優子だからずっと友達の関係が続いている。
優子は嘘をついて帰った事も笑って許してくれた。
「ユキさ〜中学の時に廣田君の教科書をビリビリに破いてトイレに捨てて、からかった男子達の教科書も全部捨てたりしたよね!今回は男に復讐してないから、ユキも大人になったんだなって思って感心したよ!」
またパチっと記憶に空いた隙間に失っていた記憶のピースが埋まった。
「今回も妹の寛子ちゃんの友達使って宏明とヒロを山に埋めたら元気出るよ!」
優子の冗談がきっかけで、私は数年前の山での出来事は私が仕組んだ事だと理解した。
妹の声が聞きたくなった。
またご飯でも行こうと早々と優子の電話を切り、妹の寛子に電話をかけた。
12コールは鳴らしただろうか。
寛子は眠そうな声で電話に出た。
私は眼鏡を割った時にできた手の古傷に痛み感じながら山での出来事を妹の寛子に謝罪した。
「おねえがあの顔で怒る時って、私怖くて止められない時多いよ…
お父さんが出て行った時も、お母さんを守ろうとしたのかも知れないけど、おねえはお父さん怒鳴りつけてたじゃん。
山でも友達使って男を拉致して殺すんじゃないかおねえと友達を止めるのに私めちゃくちゃ必死だったんだから!」
パチッパチっとパズルのピースが頭の中で音を立てて組み込まれていった。
私は、もう怒ったりしないよ。ごめんね。と言い電話を切った。
電話が切れるとさっきまでに無気力な自分はもういなかった。
宏明との過ごした思い出が幸せで溢れていたと少しでも思いたくて、携帯電話の中のファイルを探した。
一緒に撮った写真はわずか3枚。
ご飯を食べてる宏明の写真はいっぱいある。
私は宏明の声が好きだった為に宏明に内緒で会話を録音していた音声データがある事を思い出した。
初めて宏明が私の家に遊びに来た日の録音データだ。
1時間半程録音されている音声を聞いてみた。
テレビのバラエティ番組の音がしていて、時々テレビの音を掻き消す大きなボリュームで宏明と私が会話していた。
最初の1時間位はそんな内容だった。
チュッ…
ハァ…
チュッ…
と聞こえる。
寂しさを感じた私は宏明が付けたキスマークを撫でていた。
「ユキのここ凄くなってる…。」
宏明の優しい声が聞こえた瞬間だった。
オォン!
ハァッハアっ!
オォンッ
動物のような低くて大きいボリュームの鳴き声に、ギュッと心臓を掴まれた。
耳の意識を最大に集中させると、その動物は私だった。
録音した自分の声は別人に聞こえることもあるが、
録音されている声ははっきりと自分だと認識できた。
テレビを観ながら宏明と話していた私の声と一緒だったからだ。
再生を止めようとしたのに、手が勝手に動いてボリュームを上げた。頭の奥で「もっと聞けよ」と声がした。
20分は続いただろうか……。
私の声をした動物と、宏明の熱だけが伝わってきた。
私はそれを聴き、興奮していた。
携帯電話のスピーカーを耳に当て、
興奮の衝動を抑えることもできずに、
おもむろに体を探求した。
気が遠くなっていき、夢を見た。
私は向かい合わせに私と手を取り合っていた。
目の前にいる私は、
オォン!
オォンッ!
と恍惚な表情を浮かべながら鳴いていた。
それがしばらく続くと、
宏明の声が遠くで聞こえてきて、ボソボソと何かを言っていた。
目の前にいる私は、私の頭を撫でてくれた。
それがとても心地良かった。
私は向かい合わせに私と手を取り合っていた。
目の前にいる私は、
オォン!
オォンッ!
と恍惚な表情を浮かべながら鳴いていた。
それがしばらく続くと、
宏明の声が遠くで聞こえてきて、ボソボソと何かを言っていた。
目の前にいる私は、私の頭を撫でてくれた。
それがとても心地良かった。
手を取り合った向かい合わせの私たちは、
アルファベットのHのようだった。
目の前の私が耳元で囁いた。
「あいつ、美味しかったよね。また壊そうか?」
私は首を振ったのに、手は離れなかった。
凄くぅゥ……
ハァ⋯
良かっタぁァ……
目の前にいる私がそう囁くと、ハッと目が覚めた。
音声を再生し終わった携帯電話は、
AM 4:12と表示されていた。
音声を再生しながら途中で意識を失った私は、
録音内容を1時間20分から聴き直した。
夢の中で聞いていた音だった。
私は、繰り返し見る自分自身のHの夢は、
私と私の心の中のワタシとの絆を繋いだ夢なんだと確信した。
強い悲しみ、強い痛み、強い快楽にストレスを感じることなく、私の自我が保たれていることに、自分自身に感謝をした。
もう一人の自分と手を取り合って生きていけることができれば、この先の人生を幸せに生きていけると思った。
私の心は弱くて脆いのに対し、もう一人のワタシは、
妹の寛子や友達の優子の様に、辛いことも笑って跳ね除ける強さを持っていた。
私は優しさや常識や知識を備えていると自負する。
もう一人のワタシは暴力的で無知な部分が多い。
二人の自分が共通するところは、
同じ男を愛せる所と、愛の処理の仕方だった。
栗拾いをしては二人で幸せを感じ、
好みの男性を知り合っては二人で恋を共有した。
2番目から28番目の破れた恋に多少の痛みを感じることもあったが、笑顔で過ごす日々をコントロールできていた。
5年の時が流れ、上々な人生に転機が訪れた。
私は名古屋にいた。
名古屋で工場に勤める私に、優香というかけがえのない友達がいた。
優香は優子の友達で、名古屋で働く私と優香は自然と遊ぶ回数も増えていた。
優香はアパレルショップで働き、いつも服がおしゃれでネイルも綺麗。
土曜日の休みの日にフラペチーノの写真をSNSに上げる姿は、私の目には少し遠い世界の人のように映っていた。
私は優香と同じ職場で働こうと思い求人情報を見たが、時給は800円だった。
「その割には、いつも服もおしゃれだしネイルも綺麗だし……」と、私は思った。
軽く、優香の家庭が裕福なのだろうと想像した。
二人は気楽に話せる友達で、仕事の愚痴や趣味の話も、何でも話した。
フラペチーノに懺悔しろ
この言葉がきっかけで、全ては始まり、全てが終わる。
優香の働くアパレルショップに、何度も通う中年男性が現れた。
男は気さくに優香の連絡先を聞いてきたが、断っていた。
しかし何度も通う中年男性は悪い人ではないと判断し、連絡先を教えることになる。
やがて中年の男は、たわいもない相談や雑談の中で
「お小遣いあげるからデートしよう」と冗談を言うようになったが、
優香は冗談として受け流していた。
優香は土曜日が休みだったので、私は優香に電話をした。
「ねぇ、優香! 土曜日買い物に行こう!」と無邪気に誘った。
しかし優香は申し訳無さそうな声で
「ごめん! 今日は用事があるんだ」と断った。
優香の新しいネイルの写真の横に私も一緒に写るんだと勝手に想像していた計画は、無くなってしまった。
優香の職場はシフト制で、土曜日か日曜日のどちらかが休みらしく、優香は土曜日休みを希望していた。
仕方がなく私は宏明に連絡した。
宏明は名古屋に来てから友達として連絡を取り合う仲になっていた。
宏明のあれからの彼女達も相談を受けたりして、全部知っていた。そんな仲だ。
「宏明、土曜日買い物付き合ってよ」
宏明は最近彼女と別れて暇してるだろうと思い誘った。
「まぁまぁ良いけど、ガソリン代割り勘ね」
こんな軽い感じも、友達として長く付き合える訳なのかなと私は思った。
ーー土曜日
名古屋の繁華街で買い物を終えて、カフェで食事を食べ終え、帰りの車で宏明の趣味の歌謡曲が少し大きめに聞こえる気がした。
間を埋めるように、宏明がぽつりと口を開く。
「友達の久志がさ、買ったパンツにポケット付いてたんだよね」
ハンドルを握る横顔は軽い。
本当に、どうでもいい話みたいに。
(……あれ、これ下ネタ話そうとしてる? そのオチ知ってる。そのポケットはコンドーム入れるやつでしょ?)
そう思った瞬間、宏明は続けた。
「でさ、そのポケットにラブレターが入ってたんだって」
(いや、恋愛ドラマだ)
心の中で即座に訂正する。
こういう話を、どう受け取ればいいのか分からなくなる。
「でもさ、おかしくない? 新品のパンツにラブレターだよ?」
窓の外の信号が青に変わる。車がゆっくり動き出した。
「……ん? ホラーなのかな?」
思ったより素直に、声に出てしまった。
「いやいや」
宏明は笑う。
「女の店員さんがオススメしてくれたパンツだったらしくてさ。
その店員さんからのラブレターだったんだって」
少しだけ、胸の奥が緩む。
「恋バナなのそれ」
今度は声に出して、確かめるみたいに呟いた。
窓の外の景色だけが、いつも通りに流れていった。
――と思った瞬間、目が止まった。
そこには、手を繋いで歩く優香と原口主任の姿があった。
(……え? なにあれ……)
心臓が、軽く跳ねた。
さっきのパンツ話のドキドキと、今目の前にある現実が、一気に重なる。
「……優香と原口主任」
思わず小さな声が溢れる。
宏明は笑いながらコーヒーをすすり、車はゆっくり進んでいく。
窓の外の景色だけが、残酷に、でも淡々と流れていった。
頭の中で声が響いた。
「あれ、見ちゃったね。どうする?」
その声に、嫉妬のようなものが混じっていた。
原口主任は私の働く工場の主任で上司だ。
私が名古屋に来て働いて間もない頃、ミスをして書類の束を工場の床にぶちまけた事があった。
私は慌てて書類を拾っていた。
様子を見つけた原口主任は私に近付いてきた。
私は怒られる覚悟、クビになる覚悟すらしていた。
書類には承認の判子やサインなどがある為、それを工場の汚れた床に落としてしまったのだから。
原口主任の取った行動は意外だった。
「仕事と付き合いたての彼氏とのエッチは早く済ませろよ!」
と笑いながら下ネタを含んだ冗談交じりに笑顔で私の気持ちを解し、一緒に書類を拾ってくれた。
10歳以上歳上の名古屋で初めて信頼できる大人の男性に出会った気がした。
その日から仕事のモチベーションの一つに、原口主任に認めて貰うという目標が増えた。
仕事が続かない私が一番長く働けているのは、原口主任のお陰と言っても過言ではない。
それは、恋心とは違う感情だった。
“推し”という感情はこういう事なんじゃないかと思っていた。
ーーでもそんな原口主任と優香がどうして⋯。
(あれ?ユキの奴なんか元気無いな⋯)
宏明は、緊張を解そうと煙草を一本取り出して言った。
「そういやさ、マッチ売りの少女って話、あるじゃん」
私は黙って話を聞く。
「寒い夜にさ、火をつけて、一瞬だけあったかくなるやつ」
小さな音で火がつく。
「でさ、前にやった子も、そんな感じだったんだよね」
煙を吐いた。
「その子の履いてたパンツを買ってくれる“パパ”がいる、って噂があってさ。それで勝手にパンツ売りの少女って呼ばれてた女が居てさ」
宏明は事実かどうかは、どうでもよさそうだった。
「売ってるの、物じゃないんだよな。一瞬の“あったかさ”みたいなやつ」
少し考えてから、付け足す。
「……あれ? 名前は確か、ゆみかだったっけなぁ」
名前は曖昧なまま。
「俺さ、なんでだろ。Yが付く女の子とばっか、縁あるんだよな」
「しかし、パンツ売りの少女は無いでしょ」
笑いながら話す宏明。
その日、優香のSNSの投稿には新しいネイルとフラペチーノの写真が上がっていた。
ーー週明け
月曜日の仕事を終えて、スマートフォンを手に取ると、優香から通知が届いていた。
「ごめんね! 土曜日は遊べなくて…今からご飯行かない?」
私は少し迷った。
土曜日のことはまだ心の奥に残っている。あの時、窓の外に見た手を繋ぐ優香と原口主任の姿。
でも、画面を開くと自然と笑みが浮かぶ。
「いいよ! 今から行こう」
ほどなくして、私たちは近くのカフェへ。
優香は少し照れくさそうに笑いながら、注文を済ませると話し始めた。
「そうそう、実はね…」
そこから始まったのは、優香の惚気話だった。
「彼氏がさ、二週間前の私の誕生日にネックレスと…パンツをくれたんだよ」
(パンツ?)
心の中で少しだけ引っかかる。
でも優香は笑顔で、まるでそれが特別なことではないかのように話す。
「私が黒猫飼ってるから、黒猫と彼の髪型はライオンっぽいから、ライオンと黒猫のチャームが付いたネックレスなんだよ!
そのと同じ黒猫とライオンのパンツなんだって」
私は自然と頷きながら聞く。
笑い話のように軽く、でも確かに、優香の声には嬉しさがこもっていた。
窓の外の夜景が、二人の会話をやわらかく包み込む。
(原口主任って白髪混じりの短髪だった様な⋯)
「それでね、久志がラブレターまで入れてくれたの…もう、信じられないくらい可愛くて!」
(原口主任は正樹で久志じゃない!!!)
私の心は優香の踊るような声とは裏腹に張り詰めていた。
優香の頬が少し赤くなりながら惚気話は続いているが、内容は頭に入ってこない。
私は微笑みながら、それをただ聞くしかなかった。
心のどこかで、土曜日に目撃した光景――優香と原口主任の手――が小さな影を落とす。
でも今は、ただ友達の話に耳を傾ける時間だった。
(久志って宏明の友達も久志だった様な⋯)
「ねぇ、優香⋯久志さんとはどこで知り合って付き合う事になったの⋯?」
優香は待ってましたと笑顔で答える。
「私のアパレルショップにたまに買いに来るお客さんでね!
でね! 見た目が超タイプだったの!
それで、いつもオススメ有りますか?って聞かれるからそれを分かってて、お店の商品のパンツにラブレターを潜ませて、それを渡したらじゃあって買っていったんだよ!
そしたら連絡くれてね⋯」
(やっぱりっ⋯!)
私は宏明の友達の久志君が優香の彼氏なんだと確信した。
でも、じゃあ原口主任はなんなの⋯?
という疑問だけが残る。
頭の中で声が響いた。
「 気付いてるんだろ?」
これ以上この場に居たら緊張が優香に伝わると思い咄嗟に私はまだ話途中の優香を遮る様に、
「 ラブラブで羨ましいなぁ。
あっ! 明日もお互い仕事だし、今度またゆっくり話そうよ!」
私は話を切り上げて優香と別れ帰宅した。
帰宅後、原口主任の手を思い出しながら、
一心不乱に栗拾いをして寝落ちた。
憧れ、嫉妬、原口主任の眼差しを想像した時、
深い絶頂を迎えた。
名古屋で経験した一番の快楽だった。
事件が起こったのはその週末だ。
優香のいつもの新作ネイルとフラペチーノの写真が、普段の200倍以上バズったのだ。
しかしその写真がバズった訳ではなく、
フラペチーノに懺悔しろ
というリプライのメッセージがバズったのだ。
優香はアカウントを消した。
SNSは色々な人が居るからそんな事気にしなくて良いのにとは思ったが、それは自分に起きた事では無いからそう思うのだろう。
事件は続く⋯。
私は普段通りに通勤し、職場の工場に向かうと報道陣が物凄い数で工場を囲んでいた。
これは現実⋯??
私を見つけた同僚が急いで手を引っ張り、工場の裏口から工場へ入った。
いつもの明るい職場ではなく、張り詰めた緊張感が工場の鉄を冷たく感じさせた。
同僚が緊張した表情で
「昨日、原口主任が逮捕されたのよ!」
「あんな優しい人がなんで⋯⋯」
工場のコミュニケーションルームのテレビに写っているのは、今まさに私が居る工場だった。
テレビには工場主任が児童で逮捕!?の文字が写され、
原口主任の顔と押収物の持ち物とパンツが映る。
(ライオンと黒猫のパンツ⋯!!!)
私はこの時、優香と原口主任が援助交際的な関係であったのだと悟った。
宏明から詳細を聞かされたのは、その日の夜だった。
優香と原口主任が援助交際的な関係になっていたのは、優香と久志君が付き合ってからだったという。
最初はお小遣いあげるからデートしようという原口主任の冗談の誘いを真に受けなかった優香は、彼氏ができた事も原口主任に伝えて、距離を置いていた。
久志君が会う度にネイルを褒めてくれるのが嬉しかった優香は、会う度に新作のネイルを準備しなきゃというプレッシャーが芽生えたのだ。
しかし彼女は時給が800円で決して裕福な暮らしではなく、ネイルサロンに通うお金も無かったのだ。
原口主任と優香が連絡をまた密度を高く取り合う事になったのはこのタイミングだった。
最初はご飯だけのデートだけでお金をくれていた、原口の要求は次第にエスカレートしていった。
「履いてるパンツをくれたら1万円あげるから」
1万円は優香を深い闇へ落とすのには簡単な金額だった。
こうして会う度に1万円とパンツを等価交換した。
等価交換と言う表現は相応しく、原口は優香の温もりと思い出を、優香は1万円で買える未来をお互い交換し合っていたのだ。
しかし、原口主任が逮捕された日は少し違った。
優香が履いていたパンツは久志から貰ったパンツで、優香はそのパンツは量販店で買った物だと思っていた。
しかし、そのパンツは久志が作ったオリジナルのパンツだった。
久志は、ライオンと黒猫という構図のパンツを探すが無い事が分かった久志はイラストをパソコンで作り、アイロンプリントで無地のパンツにくっつけて優香に渡した物だった。
プレタポルテではなく、久志の作ったオートクチュールのパンツだったのだ。
優香と原口が手を繋いでいるのを目撃したあの日にその事件は起きていた。
原口は優香にいつもの様にパンツをねだった。
優香は拒絶に近い俯いた顔で
「今日は駄目。彼氏に貰ったパンツだから。」
その言葉に原口は、更に興奮を覚えた。
「それなら! 5万円ならどう!?」
普段の5倍の値段に優香は承諾してしまったのだ。
(このパンツ探せばどこかに売ってるよね。
最悪、久志には無くしたと言えば良い⋯)
パンツを渡し優香と原口は道を別にした。
原口は優香と別れた後、興奮が冷めやらぬ為に児童売春の犯行に及んだという。
原口が逮捕時に持っていたライオンと黒猫のパンツは原口にとって価値のある物だったから常に持ち歩いていたんだろうと想像がつく。
児童売春で捕まった原口の押収品の映像に映るパンツを世間は児童から買ったんだろうという目で見ているが、
優香、久志、そして私の3人は、そのパンツが特別な物だと世間とは違う感情で観ることとなる。
宏明は
「しかし、パンツで始まった恋の縁がパンツによって切れるなんて、はき古したパンツのゴムみたいな話だよな」と笑いながら話す。
宏明は優香の存在も知らなければ、原口の存在も知らない。宏明からすれば、ただの男友達の情けない失恋話をしているだけだった。
私は優香が心配になり何度も電話していた。
職場にいっても休んでいる。
SNSもアカウントは無い。
30回は電話しただろうか。
迷惑だと思われても友達だから放っておけなかった。
プルルル、プルルル、
「もしもし⋯」
優香!!
「優香ぁ! 心配してたんだよ!」
無言の間が空く。
それは5秒位だったのだが、体感にすると5分にも10分にも感じられた。
「全部あなたが仕向けたんでしょ」
言葉と共に電話が切れる。
「えっ!?」
私はパニックになり、かけ直したが電話が繋がることは二度と無かった。
私はスマートフォンを手に取り、ふとSNSを開いた。
指先が画面に触れると、見覚えのないアカウントが目に入る。
「…え?」
作った覚えのないアカウント。
そのアカウントは久志へDMを送っていたのだ。
タイトルは、
フラペチーノに懺悔しろ
内容を開くと、テレビで放送された原口の押収物の写真がアップロードされていたURLが貼られている。
(…これは、私の知らないうちに?)
画面の光が暗い部屋に浮かび上がり、指先が震える。
確かに私の手元で送られたものではない。
でも、このアカウントを操作したのは、間違いなく私の一部なのだ。
――もう一人の自分が起こした出来事だと、直感的に確信した。
心臓が早鐘のように打つ。
理性では理解できるはずの状況なのに、感情はどうにも追いつかない。
(…全部、私が起こしたんだ。私は、もう一人の自分を止められなかった…)
指は勝手にスクロールを続け、URLを押そうとする。
恐怖と好奇心が交錯する。
その瞬間、スマートフォンの画面に映る自分の顔が、まるで鏡に映ったもう一人の自分を見ているように錯覚した。
心の中で、あの土曜日の窓の外の景色と、パンツの一件、優香と久志、秘密の遊び、そして原口主任――全てが繋がる。
そして、静かに、私は決意した。
(…もう、この連鎖を止めなければ。自分を、みんなを守るために)
しかし、現実は既に取り返しのつかないところまで進んでいた。
スマートフォンの画面の光が、冷たく、残酷に私の顔を照らしていた。
頭の奥で小さな声が笑っている。
「止めたつもり? 甘いよ、ユキ。」
時は流れ、春は何度も過ぎ去り、宏明は、私の知らない新しい恋をしている。
今日もどこかで、HとYは出会い、恋をし、時には愛に変わる。
その愛は密かに猥談を生み、
その猥談はちょっぴりHで、ちょっぴり残酷で、
でも確かに誰かの胸を熱くする。
HなY談は、秘密と欲望の狭間で今日も芽吹き、
小さな事件を巻き起こし、
誰かの心を揺らし、
また別の物語を紡いでいく。
そして、世界のどこかで――
また新しいHとYが出会うのだろう。
私の小さな世界にも、これだけのHなY談が存在するのだから。
ーーその時はコーヒーとパンツで栗拾いをしてラブレターを読みながらHなY談を聞かせて欲しい。
おしまい。
HなY談。 @Kodo_Itsuki
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