冷えた心と冷酒を、お節介の熱が溶かすまで

Tom Eny

冷えた心と冷酒を、お節介の熱が溶かすまで

冷えた心と冷酒を、お節介の熱が溶かすまで



金曜、夜。街の裏通り。 引き戸を開けると、喧騒が熱気となって顔を打つ。 システムエンジニア、早乙女拓馬。 彼にとって、ルーティンは心の防壁だった。 カウンターの隅。冷酒の徳利。 「大将、いつもの」 大将の豪造が、七輪の火をドカッと煽る。 「おう、早乙女。……無理だ。今日、その注文は受けねえ」 豪造がカウンターを乗り出した。巨大な岩のような威圧感。 「お前、クマが先週の二倍だぞ。画面ばっかり見てねえで太陽を拝め。体あっての仕事だ」 拓馬の「静」を、豪造の「動」が蹂躙していく。 「さっき市場で、死んだ目をした金目鯛に会った。お前にそっくりだった。だから金目鯛が俺に言ったんだ。『活を入れてやれ』ってな」 ドン、と皿が置かれる。 金目鯛のエスニックソースがけ。 静寂を愛する男の前に、色彩の暴力が並んだ。



箸を運ぶ。 パリッと焼けた皮目から、ふっくらとした身の旨味が溢れる。 ナンプラー、レモングラス、唐辛子。 拓馬の日常には存在しない、賑やかな味だ。 (……美味い。疲れた体に、この無遠慮な熱が染み込んでくる) 「どうだ、早乙女。人生もシステムも、予期せぬ刺激が必要なんだよ。フリーズしちまう前にな」 豪造の声が、拓馬の内なる孤独を塗り替えていく。 「大将、それ、一口いいかい」 隣の佐藤が皿を覗き込む。拓馬は黙って身を譲った。 「やるねえ、大将。このソース、最高だ」 店内の笑い声が重なり合う。 孤独だったはずの食事は、いつの間にか熱を帯びた「輪」に変わっていた。



皿は空になった。 拓馬は、ゆっくりと立ち上がる。 もう、ルーティンの外側に踏み出すことを、心は拒んでいなかった。 「大将」 豪造が奥から振り返る。 「今日の『いつもの』、一番のお節介でした。……ありがとうございます」 豪造が、弾けるように笑った。 「そうだろうよ。それが俺の『いつもの』だ」 拓馬は、隣の佐藤に向き直る。 「お孫さんの写真、僕にも見せていただけますか」 店を満たす、無遠慮な温かさ。 最後に飲み干した冷酒は、店の熱気ですっかり常温になっていた。 けれど、今の彼にはそのぬるさが、どんな美酒よりも心地よかった。

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