帰さないで。

照れ蜜柑

一話

 今シーズン初雪を観測したとかで盛り上がった職場のテレビ前。

 早めに帰りな、と定時前に上がらせてもらえた。

 自宅まではさほど遠くないが帰宅ラッシュ時に電車の遅延を震えながら待つのはごめんなのでそうさせてもらう。


 早めに自宅の最寄りに到着。

 今日は鍋だな、と新雪で静まり返った街の中、ひとりごちた。

 吐く息にちらちらと結晶が舞う。

 顔に当たる冷気の痛さに急かされながら買い物を済ませた。


「はーっ、さむさむっ」


 買い溜めた具材を持ってかじかむ指先を温めながら鍵をかざす。

 郵便物は……ないようだ。

 ところで三階の山浦さんは新聞であふれかえっているが大丈夫だろうか、最後に見かけたのは蝉と小学生の煩わしい九月はじめだったが。

 なんて、どうせ五分後には忘れている心を他人に配って、否、押し付けて私は善人だという自認を保っている。

 はは。自嘲すればエントランスだのに口が一気に冷え込んで鉄の味がした。

 エレベーターを待つ。

 五、四、三、

「二、……あ、着いた」


 突然の声に驚いて右を向けば地元のセーラー服。

 このマンションでは初めて見たヤンキー高校の生徒だ。


「あ……こんばんは。今日は冷えますね」

「そうですね。初雪らしいですね」


 にこりとこちらに微笑みかける彼女はクラスのマドンナを思わせた。

 なんだ、学校の噂なんて所詮噂だったのだ。

 最近の子は目立った悪さなんてしない、親世代の評判にすぎなかった。

 鵜呑みにした自分を恥じる。


「わたし、ここなので。さようなら」

「え! 偶然! わたしもここなんですよ~」

「そうなんですね! 初めて見かける制服なのでてっきり別の階かと」

「そりゃそうですよ~」


 だって、私ここの住人じゃないもん。

 微かなリップ音が年相応の瑞々しさを思わせた。


「えっ」

「だ~か~ら~親に追い出されたの! おねーさん、泊めて?」


 ねっ、とこちらに微笑みかける、圧を伴って。

 前言撤回、彼女はクラスのマドンナなどではなく組を締め上げる番長だ。

 吹き抜けから襲ってくる木枯らしに寒っ、と鼻を赤らめる彼女が、家出少女だった高校生時代を思い起こさせるので仕方なく鍵を開けた。

 冬だし女の子だし……根負けしたし。

 お湯を沸かしマグカップ二つにココアパウダーを入れる。

 あ、残り少なくなってきた。

 今日買えばよかったな。


「はあ……、外寒いから入れたけどそれ飲んだら帰ってね」


 上がっていく湯気に手を温めながらはい、と番長の前に差し出した。

 んっく、んっく。

 喉を鳴らしてみるみる飲んでいく。

 虚勢を張ってるのかな。

 素の彼女は今よりずっと幼い気がした。


「ふふっ。口についてるよ」


 ティッシュをとってやれば拭ってと言うように片目を瞑る。

 仕方なく唇周辺を丁寧に拭き取ってやった。

 その手をとられて頬に寄せられる。

 ゴミ捨て場に出るぶち猫のようだった。


「おねーさんかわいいね」


 添えた手の平から伝わる体温はまだ低くて寒い中待ち続ける彼女の孤独な時間を思った。

 まだ寒いの、と聞けば予想もしない答えが返ってくる。


「不用心に家に上げると襲われちゃうよ? 女の子同士なら、って過信しちゃダメだよ」

「……ん?」

「恋人とかいるの? さゆとかどう?」


 屈強な男でも惚れてしまいそうなイケメン的顎クイをかまされ、声も出せない間に左手はわたしの首元から胸へ

「って! 何しているの」

「え、セクハラ」

「わたしの親切心でここに居れたの忘れないでよ、もう帰って」

「やだ。帰らない。今日は泊めてよ」

「……本当に困ってるなら警察行くけど」

「警察、ね……。いいけど困るのはおねーさんじゃない? こっちの出方次第で誘拐犯にされちゃうよ?」


 なんとお口が上手なこと。

 溜息一つ、吐き出して。


「はあー、もう帰って!!」


 わちゃわちゃしながら玄関先まで追い詰める。

 セーラーの袖からちらりと素肌を覗かせた。

 左腕にイカ焼きみたいな傷がある。

 ……ぞっとした。この子、もしかして

「リスカしてるってバレた?」

「…………」


 何も、言えなかった。

 見すぎてしまった、反省。


「いいよ、おねーさんなら。さゆ、カワイソウな子なの。見て」

「ちょっ! ……どうしたのそれ」


 無造作にスカートをめくるのでいくら女同士でもと言おうとしたところで大きな切り傷が見えた。

 自分ではつけにくいような位置に十センチほどの赤い筋。


「ままにつけられたの」

「そ、そう……。な、名前、さゆちゃんなんだね」

「そー、さゆっていうの。話逸らさなくていいよ」


 そう言えば、出会ったとき「親に追い出された」とか言っていた。

 この子を家に無理やり帰して何かあったら……。

 瞬間、脳裏に虐待死のニュースがよぎってしまう。

 てかてかと赤いテロップで「一体何が」の文字、わたしは事件の前日家に上げたことで警察に重要参考人認定され、世間からはなぜ助けなかったと誹謗中傷の嵐。

 とはいえ、親が心配しないわけがない。


「今、目の前で親に連絡して」


 泊めるにしてもこれが最大限の譲歩だった。

 しかしその提案も軽々しく棄却される。


「ままがこの時間に起きてるわけないもん。今頃酒飲んで潰れてるよ」


 そう笑う彼女の目が寂しそうだったから、それ以上は言及できなかった。

 流されてしまった連絡も普段のわたしなら「せめて留守電吹き込んどいて」くらいは言うものだが、眠気には抗えず思考を放棄する。

 鍋の具材も空っぽの冷蔵庫に押し込んで、布団を引っ張り出した。


「もういいや。わたし寝るから常識の範囲で好きにしていいよ」

「えっ、いいんですか。おねーさん寝ちゃうの? さゆを追い出さなくていいの?」

「追い出されたいの?」

「ううん! 泊めてくれる人なんて今までいなかったから」


 嬉しい、とはにかむさゆちゃんに満足してぬくぬくオフトゥンの引力に吸い込まれていく。



 朝。おはようございます。

 どうしましょう、親御さんの出方次第では本当に警察案件だ。

 昨夜のわたしは飲んでもいないのに。

 雪の魔力とは恐ろしいものだ。

 アラームより早く目覚めたので時間には余裕がある、時間には。

 さゆちゃんはわたしの隣でぴったりと眠っている。

 実家の無愛想な猫のようだ。


「んう……」

「おはよう、さゆちゃん。学校は……すぐあそこだから近いか」

「ままに追い出されたから鞄ないし」

「家、帰らなきゃね」

「やだな。……帰さないで」


 彼女かよ、と思いつつその瞳が真剣に訴えかけてくるので妥協案で家まで付き添うことにした。


「さ、準備して。あなたのお家に帰らなきゃ」

「……はーい」


 頬を膨らませ生意気に返事をする。

 やっぱり実家のデブ猫に体型以外そっくりだ。

 わたしは道を知らないので案内してもらう、右腕に彼女の体躯を絡みつかせたまま。

 ……ところで彼女はなぜ昨日、エントランスに入れたのだろう。


「それはね」

「うわっ! びっくりした。考えてること読めるの? エスパーかよ」

「えっへん! じゃなくて、おねーさんが分かりやすいだけだよ」


 鼻高々に夕べの不法侵入ルートをありありと教えてくれる彼女。

 みるみる血の気を失う私。

 二人の影は朝だから身長よりずっと長い。


「それって犯罪じゃん!」

「きゃー! おねーさんが怒ったー!!」

「怒ってない、呆れてるの」

「あ、次こっち」

「左様ですか……」


 なんて、わちゃわちゃとじゃれ合っている間にまあずいぶん立派なお屋敷が現れた。

 これだけお金を持っているのに母親の機嫌一つで寒空の下何も持たずに追い出されるものだから、高校生は顔色を読む術を生き抜くために自然と身につける。

 わたしもそうだったっけなあ。


「ああ、それはお隣の後藤さんち。うちはこっちだよ」


 歩きにくいから離れればいいものを、何が面白いのかぴったりとくっついたまま呼び鈴を鳴らした。


「はーい! ……なんだ、小百合ね」

「あれ、名前」

「てへ、バレちゃった」

「ったくもう……。どこまで嘘ついているのか分からなくなったからあなたのこと信用できなくなるよ」


 舌を出す悪戯っ子に道徳の教科書を朗読するような気持ちで諭す。

 わたしもノー残業のために課長に愛想を振りまきまくっているので人のことを言えないが。


「あなたは誰ですか」


 当然の質問だ。

 さて、何と答えようか。

 わたしの中の重役たちが会議を即刻開始した。

 「『昨日、偶然出会って』」、「いや怪しまれます」。

 「『彼女がしつこくて』」、「親御さんの前で小百合ちゃんのせいにはできないでしょう」。

 「じゃあどうしましょう……」。


「わっ」


 突然さゆちゃんが腕に絡みつく。

 そして大きな口で宣言した。


「友達! これからこの子の家に住むの!!」

「え、ちょっと」

「あっそう! じゃあそうしなさい!!」

「ちょっとちょっと! お母さんまで。売り言葉に買い言葉じゃないですか。冷静になりましょうよ」

「おねーさん、好きにしろだって。住ませて! 家事するしバイト代も払うから!」

「ちょっと、困ります! ……じゃあ、土曜日来ていいよ。これでどう?」


 この押しの強い母娘を傍観していては望まぬ同居人ができてしまう。

 阻止したいのでなんとか妥協案を出す。

 それに土曜日まで時間を稼げれば二人も冷静になって見ず知らずのOLに大事な女子高生を預けたりなんてしなくなるだろう。


「~~っ、もう知らないわよ!」

「待ってまま!!」


 癇癪を起こしたのかお母さんは荒々しく扉を閉め、つられて嵐のように家の中へ消えていく。

 ……台風一過の晴天のもと、わたしは呆然と立ち尽くしていた。


「なんだ意外と仲いいじゃん」


 パリーン!! 否定するように中から聞こえてきたのは食器の割れるような音。

 おいおい大丈夫か。

 まあもうこの家とは関わらないのだ。

 仮に土曜日来てもそれっきり。

 わたしの家出少女時代を思い出させてくれた等価だと思えば溜飲も下がった。


「はっ! 時間!!」


 朝から台風一家に巻き込まれ一仕事終えたつもりでいたがこれからが仕事本番だ。

 ぶっ叩いたからじんじんと痛む両頬の感覚で気合を入れ直して職場へ向かう。


「『帰さないで』、か……。もう帰してー、やだ帰りたいーー」


 電車の通過する轟音に忍ばせて呟いたら隣のおじさんに咳払いされて少し恥ずかしくなった。



「おかえり。おねーさん」

「……本当に来たんだね」


 両肩に載せた来週の具材がずれて重くのしかかる。

 休日というのに制服で律儀にロビーに座っていた彼女のサイドテールが小さく揺れた。

 どうして制服なの、と聞きかけて思い至る。


「ああ、学校終わりか」

「違うよん」

「えっ、いつ来たの!? 寒かったでしょ」


 こちらの質問には答えず(それも彼女なりの気遣いなのか?)、鞄を漁る真似をした。

 ……急かされている。

 はいはい、と年上ぶってがちゃがちゃ鳴らしながら鍵を探した。


「……あのさ、制服なのは……、……おねーさんに見せれる服、これしかないんだもん」


 何が恥ずかしいのかもじもじと肩を揺らす。

 突風が都合よく吹けば彼女の折りすぎているせいで腰回りがいかつくなったスカートが捲れた。


「はっ、早く中に入ろうかっ。ほら、寒かったでしょ」

「おねーさん何焦ってるの? あ、もしかしてさゆのパンツ見えて意識しちゃった?」

「ば、馬鹿言わないでっ! 追い返すよ」

「やー! 帰さないでー。泊まる準備もしてきたのにー」

「えっ! 泊まるの!!」

「どっちにしろままは今日彼氏連れ込んでるから帰れない」

「……そう」


 修学旅行に行けるくらいのリュックを背負っているので泊まると聞いてまあ、少しは納得した。

 基本的には不服なのだが。


「あっ、パジャマ忘れた」

「そんなに大荷物で!?」

「パジャマ、パジャマ……。高校ん時のジャージしかないや、これでいい?」

「うん! これがいい!!」


 相当嬉しいようで頬をこすりつけている。

 その姿はさながら猫だ。

 ニオイや汚れはついてないよね、と急に不安になったところで思い立つ。


「流石に日曜日もその服じゃ目立つでしょ。学校バレちゃうし」

「うーん、そうだね……」

「明日買いに行くかぁ」

「ホントっ!?」

「一回きりね! セール中の一番安いやつだから!」


 慌てて付け加えたから早口になった。

 セール物だなんて我ながらケツの穴の小さいやつだとは思うがもともとこの子には住む家もあって(やや破天荒な)保護者もいてわたしにはなんの義理もない。

 まあいいか、痛めの数千円は手切れ金だと思おう。

 嬉しさのあまり小躍りする彼女の期待を無碍にはできなかった。



 朝、寝起きのいい小百合ちゃんがわたしの布団をひっぺがす。


「さ~む~い~」

「約束したでしょ、早く行こっ!」

「まだお店開いてないよぅ、う~さぶい」

「そっか」


 意外とすんなり毛布を返してくれた。

 ぬくぬくと暖を取り戻し再び睡魔に誘われる、ああ最高……。


 再び目を覚ました時、正午の鐘が鳴り渡った。

 彼女は激怒するかと思いきや頬を小さく膨らませ、行こうかと用意を始めれば早く準備を済ませるよう応援してくれる。

 小百合ちゃんは不思議だ。


「あ、セール中」

「え、ここでいいの? 向かい側にもっと女子高生向けのキャピキャピしたとこあるよ」

「ここ『が』いいの! おねーさんもお揃いにしよっ!」


 思い浮かんでいた店とは違う目の前の少女が喜ぶのが一番なので立ち止まって吟味を始めた。

 いい年こいてお揃いとは恥ずかしいが、今日を境に互いは街の中の一人に変わる。


「了解」

「やった!」

「セール中ならどれでもいいよ」


 付け加えればえーどれにしよう、っとやっと年相応の明るさを見せてくれた。

 ……この店は生地の質の高さがウリなので定価の商品を出会ったばかりのこの子に買えるほど余裕はない。

 店の外に出てベンチに腰掛けながら、ふと土曜日のショッピングモールは何年ぶりだろうかと考え込んだ。

 家出少女の頃は近所ですっかり有名になっていたので休日のここには近寄りたくなかった。

 ……あの頃は何にあんな反発していたんだっけ、どこからそんなエネルギーが湧いていたのだろう。

 すっかり思い出せなくなり、そのことすら当時恐れていたほどの恐怖は感じない。

 これが大人になる切なさか、なんてノスタルジーに心を泳がせていると、店内で小百合ちゃんがわたしに手招きをする。

 選んだのは無地のオレンジニットだった。


「これにする!」


 にかっと笑えばサイドテールが揺れた。

 二着受け取ってレジのお兄さんに預ける。

 今すぐ着たいです。

 伝えると丁寧にタグを切り取ってくれた。

 ……あ、わたしはいいです。


「えー、おねーさんも着ようよー」

「仲のいい姉妹ですね」

「いや、ちが」「はいっ! そうなんです」


 わたしの口元を塞いでまで店員さんに姉妹アピールをするのが、懐いてくれる証のようで少しだけくすぐったい。


 お会計を済ませ試着室を借りる。

 すっかり気の良くなったわたしは自ら着ると宣言してしまい、個室の中で絶賛後悔中である。

 この色結構派手じゃない?

 それに今日着てきたスキニーと似合わないかも……。

 おねーさんまだー?

 もうすぐ。

 本当はまだ脱いですらいない。

 ええいままよ!


「お二人とも似合ってますよ」

「あ、はは……」

「うーれしいっ」


 まるでデートだね。

 お兄さんには聞こえないほど小声で耳元に囁かれた。

 昨日から思っていたがこの子は思わせぶりの才能がある。

 今だって自然と腕を組んでくる。


「こ~ら、そういうのは好きな人ができた時にとっておきなさい」

「え~? さゆおねーさんのこと好きだよ?」

「好きってのは恋愛的にって意味で」

「うん、恋愛的に。付き合いたい。そうだ付き合おっ?」

「冗談でも言わない。わたしじゃなかったら本気にされちゃうよ」


 事実、わたしは高校時代気の迷いで親友を好きになってしまい、とち狂ったのか校舎裏に呼び出すというベタベタなことをした。

 結果、彼女には縁を切られてしまい、クラス中に広まった噂で卒業式に写真を撮ってくれるほどの仲の子はできなかった。

 右腕の中の現役女子高生は少し悩んだ挙句、顔を赤らめて言う。


「ううん。……本気にして」

「…………」


 何も言えないまま小百合ちゃんを家に帰した。

 この空気、あの失敗と同じだ。

 読まれることなく返されたラブレター、次の日の教室、針のむしろ。


「返さないで、ほしかったな……」


 あーあ。最後に変な思い出を作ってしまったな。

 でもこの子のことはもう忘れよう。

 今日を限りに女子高生という生き物と関わることはないから。



 やっと平穏な休日が戻った……。

 昼からビール缶を開けて小魚とカシューナッツをつまむ、これのなんと幸せなことか。

 ピンポーン。

 頼んでいた荷物が届いた。

 いそいそと呼び鈴に応じる。


「おねーさん、開けて?」


 ……嵐はこれからだったようです。

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帰さないで。 照れ蜜柑 @mikan_syousetu

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