青春ブランコ/哀愁ブランコ

冬原たえ

青春ブランコ/哀愁ブランコ

青春ブランコ


 きいこ、きいこ。


 ブランコの錆びた金属が擦れあって、耳に痛い音が鳴る。足が地面のすれすれを通るたび、軽く落ち葉が舞い上がる。頭のてっぺんに光る街灯はジジ、と音を立てて虫を誘っていた。

 ブランコを漕ぐたび風が頬を刺して、痛い。もうそろそろ冬用のコートを出さなきゃな。そんな思考すら、ぼんやり霞んでいる。


──24にもなって、何ブランコなんか乗ってんだか。


 そんな自嘲だけが、はっきりと頭にあった。


 彼氏と別れた。つい数時間前の話だ。会社でいい人を見つけてしまったらしい。大学生の頃から付き合っていたのに。


「あーあ」


 私って、そんなミリョクなかったかな。ぽっと出の女の人に、負けちゃうくらい。


 きいこ、きいこ、ブランコが軋む。巻き起こった風が耳に入り込んでツンとする。私もこのまま、風になれたらいいのに──


「──お前、今何歳だ」


 私を感傷から引き揚げたのは、低くざらついた声。幼稚園の頃からの腐れ縁。


「……24」


「24がどうしてブランコなんか乗ってんだよ、ガキ」


 眉間にシワを寄せた、雨月だった。


「いいじゃん別に。乗りたいから乗ってるの」


 きいこ、きいこ。ざっ、ざ、ざ。

 幾度か地面を蹴って、ブランコを止める。身体を反らして彼を見上げると、雨月は随分と怪訝そうな顔をして私の後ろに立っていた。


「……」


「……」


「のっぴきならねぇ事情があるのは分かった」


 しばらく無言で見詰め合って、ため息をひとつ。そうして雨月は、きい、と音を立てて隣のブランコに座った。


「……雨月だって乗ったじゃん。ブランコ。24のくせに」


「そうだな」


 きいこ、きいこ。二つ分のブランコの音が、濃紺の星空に響き渡る。

 二人でブランコに乗るのなんていつぶりだろう。12歳とか、だろうか。


(……いや)


 12歳はもう立派な女のコだったから、きっと違う。もっと昔だ。


「それで、何があったんだよ」


 昔の思い出に浸っていたそのとき、雨月の無骨な声が懐古を破った。何でだろう、雨月の声は、ちょっとトーンが低いくせにいつも優しい。話してみろって、言外に言ってくれるみたいに。


「……彼氏と別れた」


 そんな私の勝手な憶測に甘えて、ほろりと口から言葉がこぼれた。


「あぁ、あのいけすかねぇやつ」


「仮にも[[rb:幼馴染>私]]の恋人なんですけど」


「元、だろ」


「う……」


 前言撤回。傷に塩を塗られた。胸がずきずきする。その代わり、その傷口から愚痴が次から次へのなだれ出てきた。


「……すっごいね、申し訳なさそうに切り出されたの。あんなに下手に出られたらさ、受け入れるしかないよね。実質浮気だよね? なのに、私が悪いことしたみたい」


 ぐるぐると舌が回る。目が回る。どうやらブランコを漕ぎ過ぎたらしい。そして、考えすぎた。


「……結婚まで、考えてたのになぁ。指輪だって見に行ったんだよ」


 ぽそり、絞り出した最後の一滴は、ひどく情けない。


 ……きい。


 じわりと涙が浮かんで、慌ててブランコを漕いだ。背中を反らして、そういう漕ぎ方をしてるだけに見えるように。涙が乾くように。

 それでも、ぐちゃぐちゃになった心は酸素を求めて喘いでいた。そして、雨月なら慰めをくれるだろうと確信があった。性格が悪いのは分かっている。けれど、そんな自制なんて失恋の傷心を前に効くわけがなくて──


「私ってそんなにミリョク無いかなぁ。でも、無いってことなんだろうな。料理がヘタだったからかな。ガサツだったし、仕事で疲れてデート中にアクビしてたし」


──自己否定を、繰り出した。

 けれど、慰めをもらうために零した言葉は徐々に本当の自己否定へと姿を変えてしまったらしい。

 空には、満月。その満月みたいに悲しさで満ちきった心は涙を隠す余裕すらなくなって、とうとう頬に雫が伝った。


「どうして、こうなっちゃったんだろうなぁ」


「……お前は」


 静かな夜を切り裂くみたいに、雨月が呟いた。重たくて、ナイフみたい。なのに、どこか柔らかな声音。


「前、買ってたろ。作り置きの本」


「え? ……うん」


「俺に味見頼んで、デートのときはめかし込んで、メールの返事の相談までしてきやがって」


「……」


「そこまでそいつのこと考えて健気に尽くしてきたやつの、どこに魅力がねぇってんだ」


 いつになく、雨月は饒舌だった。肌寒い晩秋にそぐわない、体温の篭った声。

 全部無駄になった気さえしていた数年が、たったこれだけで報われた気がして。


「……何赤くなってる」


 きいこ、ブランコを寄せて、雨月が私の頬をつついた。


「ごめん。でも、やけに具体的だったから……」


「何年一緒にいると思ってんだよ。バカ」


 ふ、と雨月が小さく頬を緩める。


「……」


 スーツ姿のはずなのに。雨月のシャツも、ネクタイも、高校のときの制服に見えた。


 あぁ、そう言えば。

 昔、雨月のこと好きだったな。

 ずっとそばにいてくれる、雨月のことが。


「まぁ、今日くらいは存分に泣けよ。そんくらいなら、許されるだろ」


「っ」


 するり、私の涙を拭った雨月が、デコピンをひとつ。そうして彼は、きい、と音を立ててブランコから立ち上がった。それがちょっと、寂しい。

 ──けれど。


「おら」


「きゃっ!? ちょっと! 勢いよく押さないでよ!」


 雨月が私の背後に回り込んで、ぐんと背中を押した。ふわりとした若干の浮遊感が、心の痛みを身体から引き離してゆくような心地がする。


「待って、高い高い高い! 」


「気分を変えさせてやろうとしたんだが」


 きいこ、きいこ。

 どれだけ文句を垂れたって、雨月は私を押し出すことをやめない。まるで、前に進めとでも言っているみたいに。


「……っ、もう!」

 

 雨月の手が触れる背中がじんわり熱を持ち始めたことに、今はまだ気づかないふりをすることにした。



哀愁ブランコ


 きいこ、きいこ。

 団地の目の前にある公園から、間抜けな金属音が聞こえる。

 誰だ、こんな時間に遊んでるガキは。

 そんな思いで公園を覗いたが、そこに居たのはもう20年来の付き合いになる俺の幼馴染だった。


──あいつは24にもなって、どうしてブランコなんて乗ってんだ。


 そんなこと何を考えずとも何か事情があることは察せられたが、生憎俺はそこまで素直な人間じゃなかった。


「お前、今何歳だ」


 そんな皮肉と一緒に公園に足を踏み入れる。ざく、と朽葉が割れる音がした。


「……24」


「24がどうしてブランコなんか乗ってんだよ、ガキ」



「いいじゃん別に。乗りたいから乗ってるの」


 きいこ、きいこ。ざっ、ざ、ざ。

 幾度か地面を蹴って、そいつがブランコを止めた。

 拗ねたような声。背中を反らし俺を見たそいつの顔は、ぎゅっと真ん中に皺が寄っていた。


「……のっぴきならねぇ事情があるのは分かった」


 しばらく無言で見詰め合って、ため息をひとつ。そうして俺は幼馴染の隣のブランコに腰掛けた。きぃ、と、ブランコが軋む。


「……雨月だって乗ったじゃん。ブランコ。24のくせに」


「そうだな」


 二人でブランコに乗るのは12歳以来か。こいつがブランコから落っこちて、痛みと恥ずかしさで物凄い形相をしていたことを思い出す。

 回顧に浸りそうになって、静かにかぶりを振る。

 ここに座った目的は、こいつの傷心の理由を聞き出すことだ。


「それで、何があった」


 俺の声が公園に響く。ちらりと幼馴染を一瞥すれば、そいつは口を開けては閉じを繰り返していた。

 そんな躊躇いののちに、そいつはぽつり、


「……彼氏と別れた」


 と、そう言った。

 今にも千切れそうなか細い声で。けれど、そんな糸みたいな声は、俺の前に垂れてきた希望の光みたく思えてしまった。こいつには申し訳ないと思うが。


「あぁ、あのいけすかねぇやつ」


 そんなホンネが声音に出ないよう、さり気なく手を口元にやる。元より感情が表情に出る方ではないが、念の為。


「仮にも私の恋人なんですけど」


「元、だろ」


「う……」


──だめだ。少し、舞い上がってる。罪悪感と同時にある期待が芽を出して、にょきにょきと成長していた。


 ゆったりとまばたきをして、その芽を摘む。俺はこいつの馴染みだ。そう言い聞かせる。変なことをしてその役目から降ろされるのは御免だった。


「……すっごいね、申し訳なさそうに切り出されたの。あんなに下手に出られたらさ、受け入れるしかないよね。実質浮気だよね? なのに、私が悪いことしたみたい。……結婚まで、考えてたのになぁ。指輪だって見に行ったんだよ」


 ぽそり、絞り出したそいつの声は、ひどく情けない。


 ……きい。


 そいつを一瞥すれば、彼女の目には涙がきらり。そして、慌ててブランコを漕ぎはじめた。実に分かりやすいやつだ。意地っ張りなくせに後ろ向きな思考。昔から何ら変わっていない。大方、涙を隠そうとでもしているんだろう。


「私ってそんなにミリョク無いかなぁ。でも、無いってことなんだろうな。料理がヘタだったからかな。ガサツだったし、仕事で疲れてデート中にアクビしてたし」


 ぴく、と眉が動く。ミリョクがない? ガサツ? よくそんなことが言えるもんだ。そんななら、俺は10年以上もお前に片思いなんかしねぇってのに。


「……お前は前、買ってたろ。作り置きの本」


「え? ……うん」


「俺に味見頼んで、デートのときはめかし込んで、メールの返事の相談までしてきやがって」


 これは、慰めに擬態した恨み言だ。俺をほったらかしておいて、会って数年の男にうつつを抜かすこいつへの。


「そこまでそいつのこと考えて健気に尽くしてきたやつの、どこに魅力がねぇってんだ」


 そして、これは口説き文句だった。こいつには到底届くはずもないが。

 それでも、希望があるのなら。そんな一抹の期待を視線に乗せて幼馴染を見つめれば、その頬は朱に染まっていて。


「……何赤くなってる」


 きいこ、ブランコを寄せて、惚れた女の頬を突いた。その行為すら、幼馴染の特権に過ぎないのが恨めしい。


「ごめん。でも、やけに具体的だったから……」


「何年一緒にいると思ってる」


 何年お前を想ってると思ってんだ。

 そんなこと、言えやしないまま。


「まぁ、今日くらいは存分に泣けよ。そんくらいなら、許されるだろ」


「いっ」


 するり、涙を拭ってデコピンをひとつ。そうして、きい、と音を立ててブランコから立ち上がった。

 俺を目で追う理由は何だ。慰めてくれるやつがいなくなるからか、幼馴染だからなのか。

 そう思うと、無性に腹が立った。


「おら」


 怒りに任せて、そいつの背中を押してやった。

 きい、とブランコが音を立てて大きな弧を描く。


「待って、高い高い高い! 」


「 気分を変えさせてやろうとしたんだが」


 どれだけ文句を垂れたって、やめてやるもんか。

 届け、届けと念じる。届くはずがないのに。

 きいこ、きいこと鳴るブランコは、思いの届かぬ俺の悲鳴にも似ていた。

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青春ブランコ/哀愁ブランコ 冬原たえ @tae_mojikaki

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