幽かな君に捧ぐ奇譚

tMG

プロローグ

 梅雨の盛り、雨上がりの夕暮れ。蒸すような空気に包まれた町の中で、その部屋の中だけは妙に涼しく、不気味な静けさに包まれていた。

 部屋の主である彼は、恐怖に顔を歪めながら少しずつ後退りをしていた。その視線の先にいるのは、制服を着た一人の少女。薄暗い部屋に差す夕陽は彼女の首元までしか届いておらず、表情は闇に沈んでいた。影の向こうに覗く口元は、微かに笑みを湛えていた。

 次の瞬間、彼は仰向けに床へと倒れ込んだ。転がっていたスクールバッグに足を取られたのだ。受け身も取れぬまま強かに腰を打ちつけ、喉の奥から呻き声が漏れた。その痛みと衝撃に、彼は反射的に目を閉じた。

 彼が目を開けたとき、少女は忽然と姿を消していた。今度はひゅっと、息を呑む音が彼の喉から漏れた。頭を左右に振って部屋の中を見回すが、彼女の姿はどこにもない。

 頼むから自分の見間違いであってくれ、そんな祈りを胸に抱えたまま彼は体を起こし、倒れた拍子にズレ落ちていた眼鏡を拾い上げた。

 震える指で眼鏡をかけ直し、顔を上げた彼の視界に、少女はいた。すぐそばで身を屈め、彼の顔を覗き込むように、首を傾げていた。

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