Tokyo Night Fantasy

@tsuyotsuyoman

第1話

女性初の管理職昇進のチャンスを、1年後輩にさらわれた。

そして今日、夫から離婚を切り出された。

「仕事と家庭、どっちが大事なんだ」

出て行く背中を、泣くこともなく見送った。


不運というものは、実に容赦がない。

何のために働き、何のために生きてきたのか。

自分の居場所がどこなのかさえ、もう分からなくなってしまった。


どれほど街を彷徨ったのか。気づくと私は東京タワーの下に立っていた。

冷たい夜風の中に、オレンジ色の灯りが滲んでいる。

——父と、よくここに来たっけ。


父は男手ひとつで私を育ててくれた。

寡黙で、不器用で、けれど誰よりも強く、優しい人だった。

一本筋の通った男だった。


子どものころ、よくこう言われたものだ。

「悲しくても、人前では泣くな。泣くなら俺の前で泣け」と。

今となっては前時代的な昭和の男の物言いに、

思春期真っ只中の私は、絶対に泣くものかと抗った。


ある日、父に尋ねたことがある。

「どうしてお父さんは東京タワーが好きなの?」

少し照れたように笑いながら、こう答えた。

「就職したばかりの頃は、この辺りが俺の営業の縄張りだった。

田舎から出てきた俺は、道も分からず、よく迷ったものさ。

けれど、このタワーを見上げれば、戻る方角が分かった。

あの光は、俺にとって道標なんだよ」


そして、少し間をおいてこう続けた。

「お前も迷ったら、ここに来ればいい。道はきっと見つかる」と。


いつもの厳しさは影を潜め、その横顔が優しく穏やかに映ったのは、

ライトアップされたタワーの演出のせいだけではなかったのかもしれない。


スマホに疎い父にLINEを教え、私は社会人になってからも、

会う時間の減った父とやり取りを続けた。

嬉しかったこと、腹の立つこと、彼氏の話まで。

返ってくるそっけない文面の最後は、決まって励ましの言葉で締めくくられた。

そこにはいつも、父の不器用な愛情が詰まっていた。


けれど、もうその相手はいない。

父が亡くなって三年が経つ。

時折スマホを開いては、今も残る父とのトーク画面を眺めるのが癖になっていた。

生きていれば、今の私に何と言うだろう。


……と、カバンの中でスマホが震えた。

「仕事の話だったら明日にして」と独り言ちながら、画面に目をやる。

見慣れた名前が、そこにあった。

父の名前だ——。


誰かの悪戯か、回線のトラブルかと思いつつも、指が勝手に動いた。

短い一行のメッセージが浮かび上がった。

『タワーの上からお前を見ている。俺の前だ、思い切り泣きなさい』


時が止まった。

時計に目をやると、20時03分を指している。

父が亡くなった時刻だった。


タワーを見上げると、胸が熱くなった。

嗚咽とともに、涙が止めどなくこぼれた。


——お父さん、私、負けないから。絶対に。


心の中でそう叫んだ瞬間、呼応するかのように、タワーの光が一段と強く瞬いた。

夜風が濡れた頬を撫でていく。

まるで父の手のひらのように。


“迷ったら、ここに戻ってくればいい。”

父の声が、風の中でかすかに、しかし確かに聞こえた。

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