第24話 血の届かない部屋
王宮の最深部。
外光を完全に遮断した小会議室は、魔法灯の淡い燐光だけが石壁を青白く照らしていた。
昼と夜の区別すら失われたこの空間は、王都という巨大な都市の心臓部でありながら、血の通わない内臓のようでもあった。
日差しの熱も、病室で流された涙も、ここには届かない。届くはずがない。
この部屋が扱うのは、感情ではなく『整理』だ。
漂うのは高級な葉巻の煙と、冷え切った紅茶の匂い。
それらは混ざり合うことなく、ただ空気を重くするだけだった。
円卓を囲むのは、この国の実権を握る重鎮たち。
民の声を直接聞くことはないが、民の運命を決めることには慣れきった者たちだ。
その中心で、軍務卿が一通の診断書を卓上へと滑らせた。
「……聖盾エルフレッド・レギウス。
右腕の神経は完全に死滅。加えて、過剰な失血とにより先程まで意識がなかった。」
淡々とした報告だった。
そこに、人が生きるか死ぬかという緊張はない。
あるのは『想定通りか否か』を確認するための、ただの事務連絡だ。
「リリアナ様が力を尽くしても、再生は叶わなかった。」
軍務卿は、わずかに言葉を区切った。
「肉体は治ったが、腕が動かない、そして――象徴としての彼自身が」
その言葉に、数名が小さく頷く。
誰も驚かない。むしろ、納得が先に立っていた。
内務大臣が、指先で卓を叩きながら口を開く。
「戦えなくなった英雄、ではない。弱くなった、使えなくなった英雄。 それが、最も厄介だ」
「力を失った存在は哀れだが、力を失いつつある存在は……危険だ」
宰相が眼鏡の奥で目を細める。
「民は、強者を称える以上に、傷ついた英雄を、その物語を強く愛する」
誰かが、低く鼻で笑った。
「血を流し、腕を失い、それでも生き延びた。
それだけで物語は完成してしまう。
……もはや彼は、人ではなく象徴だ」
「象徴は、勝手に動いてはならない」
内務大臣が続ける。
「彼が弱った姿で王都に居続ければ、民は問うだろう。
なぜ彼だけが、あれほどの犠牲を払ったのか。
なぜ王国は、それを許したのか。
なぜ、次は自分ではないと言えるのか」
答えられぬ問いは、不満へ変わる。
不満はやがて、怒りへ変わる。
「怒りの矛先は、必ず上へ向かう」
宰相は、感情を一切含まない声で言い切った。
「聖女リリアナ様、サフィア様だけで、信仰は足りている。これ以上、民が縋る傷ついた神は不要だ」
沈黙が落ちる。
それは合意の証だった。
「……ただし、問題が一つある」
軍務卿が視線を上げた。
「彼は、この短い期間で完全に弱ってしまった。失血が想定以上だった。今は英雄以前に、いつどこで襲われるかわかったものではない」
「それは、むしろ好都合では?」
内務大臣が言う。
「本調子になる前に、環境を整えられる」
「だが」
宰相が指を組む。
「厄介な女がいる」
名を出さずとも、誰もが理解した。
「――シグレか」
「団長は病室に張り付いている。見舞いの名目だが、実態は護衛だ。彼女は、エルフレッドが弱くなった姿を誰よりも直視している」
「感情で動く人間ほど、扱いにくいものはない」
内務大臣が吐き捨てる。
「忠誠か、執着か。どちらにせよ、政治には不要だ」
軍務卿は、わずかに口角を上げた。
「私が何とかする」
その言葉には、確信があった。
「団長職とはいえ私の部下だ、いくらでも正当な理由を用意できる。栄転、療養、視察、選択肢は多い」
「……だが、女王陛下は?」
誰かが、慎重にその名を口にした。
一瞬、空気が張り詰める。
この国において、最終的な裁可権は、形式上は確かに女王にある。
だが――
「問題ない」
答えたのは、宰相だった。
「女王陛下は、英雄を嫌ってはおられん。
むしろ、好意的ですらあるだろう」
「ならば尚更――」
「だからこそ、だ」
宰相は淡々と遮った。
「陛下は国が平穏であることを何より重んじられる。弱った英雄が民の同情と信仰を集め続ける状況を、陛下が良しとされるはずがない」
宰相が続ける
「我々が整えた結論を見せればいい。
彼は自らの意思で療養を選び、王都を去った。
王国は十分な恩賞と敬意をもってそれを見送った――そういう形を用意すれば、陛下は必ず頷かれる」
それは、説得ではない。
既成事実の押し付けだった。
「女王陛下は慈悲深い。だが同時に、終わった話を蒸し返す方でもない」
「すでに決まった平穏を壊してまで、一人の弱った英雄を呼び戻すことはなさらんだろう」
誰も、それを否定しなかった。
この国では、王権とは意思ではなく、
都合よく利用される正当性でしかない。
「事後で構わん」
宰相が結論を告げる。
「彼が王都を去り、時間が経てば、陛下も民も、それを当然の流れとして受け入れる」
「英雄の物語は、我々が締めくくる」
その言葉に、異論は出なかった。
円卓の上では、すでに結論が出ている。
血を流しすぎて眠り続ける男の意思など、最初から考慮の外だ。
「弱くなった英雄は、この国には不要だ」
議論が終わり、椅子を引く音が静かに響いた。
「外交と称して外へ出す」
そのとき、宰相の指先が、卓上の端に置かれていた装飾品に触れた。
祝祭の記念として献上された、小さな騎士の人形。
右手に剣ではなく、左腕に大きな盾を構えた造形だった。
盾の表面には、王国の紋章と、守護の文字が誇らしげに刻まれている。
「……皮肉なものだな」
宰相は人形を手に取り、盾を指で軽く叩いた。
「民は、盾を掲げる姿を『美談』にする。
血を流し、身を削り、それでも守った……と」
乾いた音が、室内に響く。
「だが実際はどうだ?」
盾を構えた人形の頭部を、宰相は無造作に摘まんだ。
「守った者は壊れ、守られた側だけが生き延びる。いわば消耗品だ。」
パキリ、と。
陶器が割れる、嫌に軽い音。
人形の頭部が、盾ごと胴体からもぎ取られ、床に落ちた。
青白い魔法灯の光を反射しながら、首のない騎士の頭が、静かに転がっていく。
残された胴体は、なおも盾を構えたまま、卓上に立ち尽くしていた。
守るべき主も、意味も失った、空虚な姿で。
「盾はな、壊れた瞬間に役目を終える」
宰相は、床に転がった頭部を一瞥しただけで言った。
「それ以上そこに置いておけば、なぜ壊れたのかを考えさせてしまう」
軍務卿が、静かに頷く。
「だからこそ、彼には早々に表舞台から退いてもらう」
誰も反論しない。
彼らにとって、英雄とは人ではない。
使えるうちは称え、弱った瞬間に排除すべき社会装置だ。
血を流しすぎ、意識すら戻らぬ男が、この密室で再び盾として扱われていることを、本人は知らない。
「準備を進めろ」
軍務卿が告げた。
「団長――シグレの件も含めて、だ。
感情で動く者は、配置を変えればいい」
床に転がった人形の頭は、盾に刻まれた王国紋章を抱いたまま、無言で天井を見上げていた。
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