毒の雨と傘

猫戸針子

毒の雨と傘

毒の雨がなぜ降り続けるのか。

それは誰も知らない。

正確には、知っている人はもう語らず、語る人はもう知らない。


混沌。それがこの世界に残された唯一の答えだった。


そして……毒の雨をしのぐ『傘』のみがそれを黙して語る。


この世界で生き抜くために、地べたを這いずり栄華を掴み取った女がひとり、いた。



***


宝石のように輝く化粧品道具、見事な金細工に縁取られた鏡台。

健康的で艶やかな唇に鮮やかなルージュを上品に引かれる。


「奥様…お気に召されましたか?」

「…………。」

「た、大変申し訳ございません。今すぐ…」

「もう良いわ。あなたの手は役に立たない飾りね」


シャンデリアの灯りを背に真っ赤な唇が嘲笑に歪み、もったいつけた様子でゆっくりと右手が上がる。部屋の隅に控えていた男が、素早く駆け寄りメイドの女を後ろ手に捕らえる。

泣きわめくメイドを面白そうに眺める"奥様″と呼ばれた女は歌うように男に命じた。


「その両手、二度と傘を持てないようにしてあげて。後は任せるわ」

「かしこまりました」

「いやぁぁぁぁぁ!」

「ああ、忘れていたわ。私の評判が落ちては困るし…舌も軽く料理しておきなさい」

「奥様!外だけは…外だけは!奥様ーーっ!」


引きずられて行くメイドの声が遠ざかり、やがて軽快で優雅なモーツァルトの曲のみが部屋を包む。女は鏡台に向き直りルージュを引き直すと、よく手入れされた指でパネルを操作した。

鏡台はモニターに変わり、雨の中傘を差した暗い顔の者達が映る。

それをしばし眺め、ふっと目を逸らした。思い出したように、大きく口角を上げる。


「施しの時間だったわね。食糧危機……極限状態ってホント…バカが増えてたーのしっ」


ダイニングテーブルには瑞々しい果物が盛られており、ナッツが上品に置かれている。



***


いつの頃からか降り始めた毒の雨。国半分を荒廃させたその雨はしかし、財を成すものにとって取るに足らないものであった。


外で作れないなら、内側で作ればいい。浄水場がダメになったのなら雨水を使わずに水を循環させれば良い。何しろ人口はたっぷりと減り、備蓄水も、人体からの排出水も、再循環できるのだから。


だが、それらを平等に分配してはさすがに尽きる。

ただただ消費するだけの者らには最低限与えれば良い。


財ある者達の一団、「生命保安協会」は国に一定数の人間を確保し管理していた。表向きは国からの配給として。

この「生命保安協会」の出資者は、財と美と娯楽を握る者たちが名を連ねていた。モニター越しに傘を差す人々を眺め薄ら笑いを浮かべる女もそのひとりだ。


「所詮、与えられた物にすがるだけの人間なんて、使い捨てられて終わり。さてと…」


メイドだった者が、傘もなく雨降りしきる外を走り回っている様子を見届けると、民衆観覧に飽きた女は、パネルを操作しコールした。モニターは切り替わり紳士が映る。


「ごきげんよう、ミスターR」

『ごきげんようxx夫人、相変わらずの美貌ですな』

「まあ、嬉しい。お送り頂いた果物、とても出来が良くて美味しゅうございましたわ。こちらの製品はいかが?」

『脂の乗った、大変美味なサワラでございました。民衆用のイワシのすり身も栄養価測定値が高い。食したいとは思いませんがね。ははは』

「ふふっ、歪んで味の薄いリンゴも食べたいとは思いませんわ。でも、どちらも貴重な食糧ですし、どうせ味などあれらに分かりませんもの」


挨拶そこそこに、互いの生産地の確認をし、今後の方針を話し終わると、女は静かにモニターを切った。


──絶対に生き残ってのし上がってやる


雨の音が耳の奥で粘り着き響く。


ふー、っと深く息を吐くと、元に戻った鏡台に映る自分を見た。


今は違う。自分は相応しい場所にいる。


鏡に手を当てなぞり、美しく整った自分をしばし見つめた。


「………。」


用の済んだ化粧を落とすと、ゆっくりとクローゼットへ向かう。


ずらりと並ぶ煌びやかな服の中から白く清潔感のあるシンプルなワンピースを手に取り着替えた。

クローゼットを出ると、メイドを片付けた男がちょうど戻ってきたところだった。


「地下ですか?」

「ええ、汚い物を見たから清められたい気分」


言いながら矛盾している、と女は自嘲する。彼女は確かにミスターRとの品格ある会話を楽しんでいたが、同時に退屈で仕方なかった。

完璧な自分に完璧な仲間。何ひとつ不足はない。だが時折感じる虚無感。例えようのないそれは、夫を殺して以来緩やかに、しかし際限なくなお膨れ上がってゆく。



──吐き溜めで死ぬには惜しい美貌だ。拾ってやろう。


──な、何をする!恩を忘れたか!



「……くだらない」


女は目を伏せた。


「は?」

「なんでもないわ」


穴の空いた傘で駆けずり回り、今日を生きる為なら何でもやった。配給時はいつもいつも生命保安協会の最上階を睨み付けていた。


雨音は激しく女の耳の奥を打つ。もう雨など無縁なのに。この地位を手に入れてから、全く止むことがないのだ。


そんな時、彼女を癒してくれるのが「楽園」。間違っても、外のあの薄汚れた世界ではない。女が大切に育んでいる救いの場だ。


男を連れ地下30階へ通じるエレベーターへ乗り込む。電気は贅沢だが、廃棄物発電を設置している女の住まいは、雨が降る前と変わらず明るい。


目的地へ移動する間、黙って従う男に女は何気なく問い掛ける。大した意味はなかった。


「あなた、何かやりたいことはある」


男はしばし考える様子を見せ、口を開く。


「奥様が日々健やかに過ごせるよう尽くしたいです」

「そう、つまらない人ね」


爪を眺めながら何気なく流し適当な返事を返した。男が何か言いたそうな素振りをしたが、女は見ていなかった。

そして30階に辿り着く。女の豪奢な部屋とは対照的に淡く優しい色合いの廊下が現れた。期待に高揚する女の前にスっと出た男は扉を開く。


そこは楽園だった。


人口太陽光の下、子供達が芝生の上を元気に走り回り、可愛らしい笑い声やふざけ合う声。のんびりと花かんむりを作る少女、無邪気に木に登る少年。

そこは眩しいほどに生命の明るさが満ち溢れ輝いていた。


「あ、ママせんせー!」

「ママせんせーだ!」


女に気付いた子供達が嬉しそうに駆け寄ってくる。抱き留めた女はメイドやミスターRに見せていた顔とは全く違う慈愛に満ちた眼差しを子供達向けていた。


外に子供はいない。それは「生命保安協会」が誕生を確認してすぐに保護するからだ。子供達は各出資者が管理し未来を担う優秀な人材育成をする、というのが今のところの方針だが、女はかつての美しい世界で伸び伸びと過ごさせることを選んだ。


「ママせんせー、絵本に書いてある『傘』ってなあに?」


読んで欲しそうに雨の日の絵のページを見せる少女の頭を撫でた女は、優しく胸元に手を当てる。子供達は毒の雨を知らない。


「傘はね、みんなの心の中にあるのよ」


不思議そうにする子供達を見渡し、女は微笑みかける。外の傘をいつか知る時が来る彼らには別なことを伝えたかった。


「仲良くすること。それが傘。この絵は1つを1人が持っているけれど、持っていない人には皆はどうする?」

「かすよー」

「貸せない時にはどうする?」


絵本を持ってきた女の子は絵をじっと見て顔を上げる。


「半分入れてあげる!」

「よくできました。それが仲良くすること。私の可愛い子供達、みんなずっと仲良く元気でいてね」


両腕いっぱいに抱き締める子供達を愛しく思い、言い知れぬ幸福感が女の胸に湧き上がる。


(私にとっての『傘』。この子達の為に私は自分を守って世界を整えよう)


男は素の笑顔で子供達と戯れる女をドアの前でじっと見ている。見慣れない監視ユニットが1つ増えていた。


子供達の楽園の様子を一通りチェックした女は、エレベーターに乗り込み部屋に戻る。贅は尽くすがやることも多い。

汚らしくバカな外の民衆の管理にも無駄な時間を割かれるが、あれらからあの子達が生まれたのだと思えば少しは施しについて検討しようなどという仏心も浮かぶものだ。


「さあ、着替えて次の会議に備えようかしら。あなた、スケジュールを……ぐっ」


部屋に入りクローゼットに向かおうとした女の背にドンと重い衝撃が走った。何が起きたのか分からないまま、膝が折れ床に倒れる。


「あなたに尽くしたお陰で、全ての管理“権限”を把握できました」


冷ややかに見下ろす男。女は少し顔を傾けた。

なぜ、とは問わずに。


「そう…あなたは……つまらない人ではなかったのね」


そういうもの…自分がよく知っていたことを振り払うように、絨毯の上を張った。どこへ向かうのかも分からぬまま。

女の視界に、閉ざされた黒い傘が入り、不意に手を伸ばす……が、次の瞬間、乾いた破裂音が背から胸へ抜けた。


一度小さく声を上げた女は、目を閉じることなく止まった。


ただひとり残った男は、絨毯に広がる鈍い赤へ囁く。


「父さん、やっと奪い返したよ…」


男は傘へ伸ばした女の手を踏み、暗い歓喜に打ち震えた。





END


※本作の世界観は、ピュアニスタのめのう様より許可を得てお借りしています。



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