『俺達のグレートなキャンプ225 クリーニング技術総動員だ!臨時クリーニング屋、開業!』
海山純平
第225話 クリーニング技術総動員だ!臨時クリーニング屋、開業!
俺達のグレートなキャンプ225 クリーニング技術総動員だ!臨時クリーニング屋、開業!
朝靄が立ち込める湖畔のキャンプ場。鳥のさえずりが響く中、石川のテントから威勢の良い声が響き渡った。
「よっしゃあああ!今日も最高のグレートキャンプ日和だぜええええ!」
ジッパーを勢いよく開け、両腕を大きく広げて飛び出してくる石川。その手には何故か業務用スチームクリーナーが握られている。朝日を浴びて、まるで聖剣でも掲げるかのような神々しいポーズ。
隣のテントから這い出てきた富山が、寝癖だらけの髪のまま、その光景を目の当たりにして固まった。口が半開きになり、瞬きを三回。額に手を当て、深く深く息を吸い込む。
「石川…あれは…何…?」声が震えている。予感、嫌な予感しかしない。
「見ろよ富山!」石川がスチームクリーナーを振り回す。ブォンブォンと空気を切る音。「今日のグレートキャンプはこれだ!クリーニング技術総動員スペシャル!臨時クリーニング屋開業だああああ!」
富山の顔から血の気が引いた。両手で自分の頬を挟み、ゆっくりと首を横に振る。「嘘でしょ…嘘だと言って…」
「本気だぜ!」石川が親指を立てる。歯がキラーンと光った気がした。
その時、千葉のテントがバババッと開いた。飛び出してくる千葉、既に完全装備。洗剤の入ったバケツを両手に持ち、頭にはタオルを鉢巻きのように巻いている。目がギラギラと輝いている。
「石川さん!準備できてます!いつでも開業できます!」
「千葉!準備早いな!」
「昨日の夜、石川さんがこっそり教えてくれたんで、テンション上がって一睡もしてません!」
富山が両手で顔を覆った。指の隙間から二人を見る。「最悪だ…二人とも最悪だ…」小声で呟く。肩が小刻みに震えている。
石川がテントの横に積まれた段ボール箱を次々と開けていく。中から出てくるのは、アイロン三台、シミ抜き剤十五種類、ブラシ各種、洗濯板、スプレーボトル、漂白剤、中性洗剤、酸性洗剤、アルカリ性洗剤、そして何故か白衣三着。
「何これ!?白衣まで!?」富山が叫ぶ。
「プロっぽいだろ!?」石川がニカッと笑う。
千葉が白衣に袖を通す。サイズがブカブカで、まるで子供が大人の服を着ているよう。でも本人は気にしていない。胸を張り、襟を正し、「クリーニングドクター千葉、ただいま参上!」とポーズを決めた。
富山が大きく息を吐く。両手を腰に当て、空を仰ぐ。数秒の沈黙。鳥の声だけが響く。やがて諦めたように肩を落とし、「…白衣、私のも用意してあるんでしょうね」とぼそりと言った。
「当たり前だ!」石川が白衣を放り投げる。
富山がキャッチ。白衣を広げて見つめ、深い溜息。「…サイズぴったりじゃない。準備周到なのがまた腹立つわ」
三十分後、炊事場横のスペースは完全にクリーニング工房と化していた。
折りたたみテーブルを三台並べ、その上に機材を整然と配置。左側がシミ抜きコーナー、中央がアイロンステーション、右側が仕上げブース。千葉が手書きした看板が立っている。「臨時クリーニング&シミ抜き処 無料奉仕中!どんな汚れもお任せ!」デカデカと描かれた謎の筋肉マッチョな洗濯板キャラクターが、なぜか親指を立てている。
「この看板のキャラ、何…?」富山が眉をひそめる。
「ウォッシュマンです!」千葉が誇らしげに胸を張る。「洗濯の神様的な!」
「どう見てもただのマッチョよ…」
石川が白衣の袖をまくり上げる。腕まくりの動作が妙にキマっている。「よし!開店だ!さあ来い、汚れども!俺が全部落としてやる!」
しかし、キャンプ場を歩く人々は、チラチラとこちらを見るものの、誰も近づいてこない。警戒している目つき。何人かの親が子供を引き寄せ、早足で通り過ぎていく。
十分経過。風が吹く。看板のウォッシュマンがカタカタと揺れる。
二十分経過。遠くで犬が吠える。
「…来ないな」石川が腕を組む。
「そりゃそうでしょ!」富山が即座に返す。「普通、キャンプ場で突然クリーニング屋なんて、怪しさ満点よ!しかもこの白衣!完全に怪しい集団じゃない!」
千葉が看板を見つめ、顎に手を当てる。考え込むポーズ。数秒後、パッと顔を上げた。「じゃあ実演販売ならぬ、実演クリーニングしましょう!石川さん、何か汚しますか!?」
「おお!それだ!」
「何が『それだ』よ!」富山が頭を抱える。
石川が自分のTシャツを脱ぎ始めた。
「ちょっと待って!何してんのよ!」富山が慌てて止める。
「見せつけるんだよ!俺のこのシャツに醤油ぶっかけて、それを一瞬で落とす!」
「馬鹿なの!?本当に馬鹿なの!?」
その時、恐る恐る近づいてくる人影。三十代くらいの母親が、五歳くらいの女の子の手を引いている。女の子の真っ白なワンピースには、鮮やかな赤いシミが胸のあたりに大きく広がっている。
母親の表情は困り果てている。眉間にシワを寄せ、申し訳なさそうに「あの…」と声をかける。
石川の目の色が変わった。さっきまでのふざけた表情が消え、一瞬で真剣な職人の顔になる。白衣の前を正し、姿勢を正して、「はい!どうぞ!」と明るく応対した。
「本当に…無料なんですか?」母親が不安そうに尋ねる。
「もちろんです!」千葉が満面の笑みで答える。「汚れ落とし、大好きなんで!」
女の子が母親の後ろに隠れながら、チラチラとこちらを見ている。目に涙が溜まっている。小さな声で「お洋服…」と呟いた。
富山がしゃがみ込み、女の子と目線を合わせる。優しく微笑んで、「大丈夫よ。すぐ綺麗にしてあげるからね」と声をかける。女の子が少し安心したように頷いた。
母親がワンピースを手渡す。「朝ごはんの時に、トマトジュースを思いっきりこぼしちゃって…お気に入りの服なんです…」
石川がワンピースを受け取る。両手で広げ、光に透かして確認。目を細め、シミの位置、広がり具合、浸透度を瞬時に判断している。その動作はまるでベテラン職人のよう。
「トマトジュース…リコピン色素か」石川が呟く。「時間は…一時間弱。まだ完全には定着してない。いける」
千葉が既に洗面器に水を張っている。手際が良い。スプレーボトルを三本並べ、中性洗剤、酸素系漂白剤、クエン酸水をスタンバイ。
「千葉、まず中性洗剤で油分を分解する。それから酸素系で色素を抜く」
「了解です!」
石川がワンピースの裏側にタオルを当てる。シミの部分だけを水で湿らせ、中性洗剤を二滴垂らす。指の腹で優しく、円を描くように揉み込んでいく。力加減が絶妙。強すぎず、弱すぎず。
三十秒後、タオルに赤い色が移り始めた。
「来た!」千葉が身を乗り出す。
石川が流水で洗剤を流す。まだ薄く赤みが残っている。眉をひそめ、「次、酸素系だ」と言う。
千葉が酸素系漂白剤を混ぜた水をスプレーする。シュッシュッシュッと五回。石川がそれを優しく叩き込む。トントントントン。リズミカルな動作。
二分後、スチームクリーナーのスイッチを入れる。ジュワアアアッと蒸気が噴き出す。その蒸気をシミに当てていく。白い蒸気がワンピースを包み込む。
「見えない…」女の子が不安そうに呟く。
「大丈夫」富山が優しく頭を撫でる。「魔法かけてるのよ」
蒸気が晴れると、シミが消えていた。完全に、跡形もなく。
「えっ…」母親が目を見開く。
石川がワンピースを掲げる。陽の光に透かすと、真っ白。元通り。
「嘘…!」母親が声を詰まらせる。
「お洋服!」女の子が飛び跳ねる。「綺麗!」
母親が何度も何度もお礼を言う。目に涙を浮かべながら、「本当にありがとうございます」と深々と頭を下げる。女の子もペコリとお辞儀。
石川がしゃがみ込み、女の子と目線を合わせる。「これからは気をつけてな」とウインク。女の子がニコッと笑った。
母子が去っていく。何度も振り返り、手を振る。
その様子を見ていた他のキャンパーたちから、ざわめきが起きた。
「今の見た?」
「一瞬で落ちた…」
「マジかよ…」
「無料なの?」
五分後、列ができ始めた。
最初は三人。十分後には七人。十五分後には列が曲がり角まで伸びていた。
「うわ!めっちゃ来た!」千葉が興奮で声を上げる。
「よっしゃあ!」石川が拳を握る。「来い!どんな汚れも受けて立つ!」
富山が慌てて整理券を作り始める。「ちょっと待って!順番に!順番に!」
次の客は、四十代くらいの男性。差し出したのは高級そうなポロシャツ。襟の部分に黄ばみが広がっている。
「これ…汗ジミなんですけど、洗濯しても落ちなくて…」男性が申し訳なさそうに言う。
石川がポロシャツを受け取る。襟を指で触り、鼻を近づけて匂いを確認。「皮脂の蓄積だな。時間経ってる。これは…」
千葉が既にアルカリ性洗剤を用意している。「重曹ペーストいきますか?」
「いや、まずは酸素系で試す。駄目なら重曹だ」
石川が酸素系漂白剤を溶かしたお湯に襟部分を浸ける。五分待つ。その間、指で優しく揉み込み続ける。揉んで、待って、また揉んで。
五分後、引き上げると、黄ばみが薄くなっている。でもまだ残っている。
「よし、重曹だ」石川が重曹ペーストを作る。水と重曹を混ぜ、クリーム状にする。それを襟に塗り込み、歯ブラシで優しくこする。シャカシャカシャカ。一定のリズム。
「うわ、落ちてる…」男性が身を乗り出す。
三分間こすり続け、流水で流す。襟が真っ白になった。
「すげえ…」男性が感動の声を上げる。「ありがとうございます!」
次々と客が来る。
「子供のTシャツに草の汁が!」
「パパのズボンにBBQソースが!」
「スニーカーに泥が!」
石川、千葉、富山の三人が役割分担。石川がシミ抜き、千葉が洗浄、富山が仕上げとアイロン。流れるような連携。
「草の汁はアルコールで!」
「BBQソースは中性洗剤から!」
「泥は乾かしてから叩く!」
時計の針が進む。十一時、十二時、十三時。列は途切れない。
そして、最初の難題が来た。
六十代くらいの女性が、恐る恐る近づいてくる。手には風呂敷に包まれた何か。「あの…これ、見てもらえますか?」
風呂敷を開くと、中から出てきたのは着物。それも高級そうな訪問着。しかし、袖の部分に大きなシミ。よく見ると…油のシミだ。
石川の目が泳いだ。額に汗が浮かぶ。「これは…着物…」
「娘の結婚式で着ようと思ってたんです…」女性の声が震える。「でも昨日の夜、ランタンの油をこぼしちゃって…」
千葉が石川の袖を引っ張る。小声で「石川さん、着物はヤバくないですか?」
「ヤバい…めちゃくちゃヤバい…」石川も小声で返す。汗が頬を伝う。
富山が割って込む。「ちょっと待って。着物は専門業者じゃないと…」
「でも」女性が悲しそうに俯く。「式は明後日なんです…業者に出しても間に合わない…」
石川が着物を見つめる。じっと、じっと。十秒の沈黙。やがて、ゴクリと唾を飲み込み、「…やります」と言った。
「石川!」富山が止めようとする。
「大丈夫」石川の目が据わっている。「昨日、クリーニング屋で着物の扱いも教わった。できる。やる」
石川が着物を慎重にテーブルに広げる。まるで貴重な古文書を扱うような慎重さ。シミの部分を確認。油、それも鉱物油。
「千葉、ベンジン持ってきてくれ」
「ベンジン!?そんなのあるんですか!?」
「段ボールの一番下」
千葉が慌てて探す。出てきたベンジンの瓶。石川がそれを布に含ませ、着物の裏側から当てる。表側から別の布で優しく叩く。トントントントン。
油が布に移っていく。ゆっくりと、確実に。石川の額には大粒の汗。手が微妙に震えている。でも動作は正確。
十分後、シミが消えた。
女性が息を呑む。「ない…シミが…」
石川がふうっと息を吐く。手の震えが止まらない。「良かった…」
女性が涙ぐむ。「ありがとうございます…本当に…」
周りで見ていた客たちから拍手が起きた。
「すげえ!」
「着物まで!」
「プロじゃん!」
石川が照れくさそうに頭を掻く。でも表情は達成感に満ちている。
その後も依頼は続く。
「テントに鳥のフン!」
「寝袋にカレーこぼした!」
「キャンプチェアにコーヒー!」
全部受ける。全部落とす。
十四時を過ぎた頃、奇妙な依頼が来た。
二十代の男性が、ニヤニヤしながら近づいてくる。手には釣り用のベスト。「これ、魚の内臓ついちゃって…臭いんすよね」
石川が受け取る。鼻を近づけ…「うおっ!」と顔をしかめる。物凄い生臭さ。
千葉も嗅いで、「うげえ!」と顔を背ける。
富山が遠くから「私は嗅がない!絶対嗅がない!」と叫ぶ。
「これは…」石川が眉間にシワを寄せる。「重曹とクエン酸で中和して…いや、まず酢で!」
千葉が酢を持ってくる。石川がベストに酢をスプレー。ジュワーッと泡立つ。その後、重曹を振りかけ、お湯で洗い流す。
匂いを確認。「…まだ残ってる」
「じゃあこれ!」千葉がレモンを取り出す。なぜかレモン。
「なんでレモン持ってんの!?」富山が驚く。
「朝、炊事場で見つけたんで!なんとなく!」
レモン汁を絞り、ベストに揉み込む。レモンの爽やかな香りが広がる。
五分後、生臭さが消えていた。
「マジか!」男性が驚く。「レモンで消えるんだ!」
次の客は、三十代の女性。差し出したのはヨガマット。「これ、泥だらけで…」
「ヨガマット!?」石川が目を丸くする。「なんでキャンプ場でヨガマット!?」
「朝、湖畔でヨガしてたら、犬が飛びかかってきて…」
「犬!?」
千葉が既にブラシを構えている。「やりましょう石川さん!」
ヨガマットを広げ、泥を乾かす。乾いたら叩いて落とす。残った泥は中性洗剤で。大きなブラシでゴシゴシ。二人がかりで五分間こすり続ける。
ヨガマットが綺麗になった。
「すごい…」女性が感動。
次は大学生くらいの男の子。差し出したのはギター。アコースティックギターのボディに泥のシミ。
「ギター!?」石川が叫ぶ。「なんでギターが!?」
「昨日、焚き火の前で弾いてたら、友達がふざけて泥投げてきて…」
「友達最悪だな!」
千葉が慎重にギターを受け取る。「これ、下手したら塗装剥がれますよね…」
「だな…」石川が真剣な顔。「水はNG。から拭きして、それから…」
石川がマイクロファイバークロスで優しく拭く。その後、ギター用のポリッシュを極少量使用。丁寧に、丁寧に。まるで赤ちゃんを扱うような慎重さ。
十分後、ギターのボディがピカピカになった。
「うおおお!」男の子が歓声を上げる。「マジでありがとうございます!」
次から次へと、予想外の依頼。
「サーフボードに!」
「自転車に!」
「双眼鏡に!」
「なんでこんなもんまで!?」富山が頭を抱える。
「知るか!とにかくやる!」石川の目が輝いている。もはやハイになっている。
十五時を回った頃、石川のテンションは最高潮に達していた。
「次!」石川が叫ぶ。白衣の袖は完全にまくり上げられ、額には汗が光る。目はギラギラ。まるでボクサーが試合中に見せる集中力。
「パスタソースのシミです…」恐る恐る差し出される白いシャツ。
石川がチラッと見ただけで、「ははっ!」と笑った。「パスタのケチャップ汚れ?はは!目瞑ってもできるぜ!」
「石川、調子乗ってる…」富山が呆れ顔。
石川が本当に目を瞑る。
「ちょっと!本当に瞑らなくていいから!」富山が慌てる。
でも石川は目を瞑ったまま、的確にシャツを掴み、的確に洗剤をスプレー。まるで見えているかのような動き。
「見えてるだろ!」千葉がツッコむ。
「見えてねえよ!これが職人の勘だ!」
スチームクリーナーを当て、仕上げる。目を開けると、シミが消えている。
「どうだ!」石川がドヤ顔。
周りの客たちが拍手。「すげえ!」「かっこいい!」
富山が額に手を当てる。「もう止められない…」
そこに、次の難題が来た。
中年の男性が、困り果てた顔で近づいてくる。手には高級そうなスーツ。ジャケット、ズボン、ベスト、三点セット。
「これ…全部に赤ワインを…」
石川が固まる。千葉も固まる。富山も固まる。
スーツ三点セット、全てに赤ワインのシミ。それも大量。
「どうやったらこうなるんですか!?」千葉が叫ぶ。
「昨日の夜、ワインボトル抱えて転んで…」男性が顔を覆う。「明日、大事な会議があるんです…」
石川の目がさらにギラつく。「…面白くなってきたじゃねえか」
「面白がるな!」富山が叫ぶ。
「千葉!富山!総力戦だ!」
三人がスーツを分担。石川がジャケット、千葉がズボン、富山がベスト。
「赤ワインは白ワインで中和!」石川が白ワインをスプレー。
「塩で水分吸収!」千葉が塩を振る。
「酸素系漂白剤!」富山が漂白剤を塗布。
三人が同時に動く。まるでオーケストラの演奏のよう。それぞれが自分のパートを完璧にこなす。
十五分間、無言の作業。集中、集中、集中。
仕上げに三人同時にスチームクリーナー。ジュワアアアッと蒸気が三方向から噴き出す。
蒸気が晴れると、スーツが元通りになっていた。
「できた…」三人が同時に呟く。
男性が絶句。口をパクパク。やがて涙を流し始めた。「ありがとうございます…!本当に…!」
周りの客たちから大歓声と拍手。
「すげえええ!」
「三人同時技!」
「プロフェッショナル!」
石川が千葉、富山とハイタッチ。「やったぜ!」
その時、事件が起きた。
突風。
強烈な風が吹き抜ける。看板が倒れ、洗剤ボトルが飛び、テーブルの上のシミ抜き剤が全部ひっくり返った。
「うわああああ!」三人が叫ぶ。
さらに悪いことに、風で飛ばされた洗剤ボトルが、待機列の客の一人、スーツ姿のビジネスマンに直撃。ボトルが開いていたため、中身がドバッとスーツにかかった。
「ああああああ!」ビジネスマンが悲鳴。
「すみません!」石川が飛んでいく。
スーツを見ると、漂白剤がかかっている。しかも濃度の高いやつ。ジャケットの肩から胸にかけて、白く変色し始めている。
「やばい…やばいやばい…」石川の顔が青ざめる。
「どうすんのよ!」富山が慌てる。
「落ち着け…落ち着くんだ…」石川が自分に言い聞かせる。「漂白されてる…色が抜けてる…これを戻すには…染色…?無理だ…でも待て…」
石川が段ボールを漁る。ガサゴソガサゴソ。「あった!」
取り出したのは、布用の染料ペン。黒とネイビー。
「これで…」石川がペンのキャップを開ける。「ごまかす!」
「ごまかすって!」千葉が驚く。
「他に方法がねえ!」
石川が染料ペンで、変色部分を慎重に塗っていく。薄く、薄く、何度も重ねて。ムラができないように。筆圧を均一に。
十分後、遠目には分からないレベルまで回復。
「これで…どうでしょう…」石川が恐る恐るビジネスマンに見せる。
ビジネスマンがじっと見る。五秒、十秒。やがて、「…まあ、いいか」と言った。「元々古いスーツだし」
石川がへなへなと座り込む。「良かった…」
千葉が肩を叩く。「ナイスリカバリーですよ石川さん!」
富山が溜息。「心臓に悪いわ…」
しかし、事件はこれで終わらなかった。
次の客が、真っ青な顔で駆け込んできた。大学生くらいの女の子。手には真っ白なウエディングドレス。
「これ…友達の結婚式で着る予定だったんですけど…」女の子の声が震える。
ドレスを見ると、裾の部分一面に泥。しかも芝生の染みも混じっている。
「これ…どうやって…」富山が絶句。
「さっき、写真撮ろうとして転んで…」女の子が泣きそうな顔。「式は明日なんです…」
石川がドレスを見る。千葉も見る。富山も見る。
三人で顔を見合わせる。
「…やるしかないな」石川が呟く。
「ですね」千葉が頷く。
「…覚悟決めたわよ」富山が腕まくり。
三人がドレスを広げる。まず泥を乾かす。ドライヤーで十分。乾いたら優しくブラシで叩き落とす。残った泥は洗剤で。芝生の染みは…
「レモンとお湯!」石川が叫ぶ。
千葉がレモンを絞る。お湯と混ぜる。それをスプレーして、蒸気で温める。
三十分の格闘。
ドレスが真っ白になった。
「できた…!」三人が叫ぶ。
女の子が泣き出した。「ありがとうございます…!」
周りの客たちから大歓声。
「すげえええ!」
「ウエディングドレス!」
「神業!」
石川が天を仰ぐ。「やったあああああ!」
千葉が飛び跳ねる。「グレートです!超グレート!」
富山が微笑む。「…まあ、たまにはいいわね、こういうの」
列はさらに伸びた。もはやキャンプ場の名物と化している。
十七時、ようやく最後の客。
老夫婦が、古いアルバムを持ってきた。表紙にカビ。
「これ…亡くなった息子の…」老婦人が涙声。
石川が真剣な顔で受け取る。「お任せください」
カビ取り剤、歯ブラシ、マイクロファイバークロス。慎重に、優しく。三十分かけて、アルバムを蘇らせた。
老夫婦が何度も何度も頭を下げる。
石川が笑顔で「元気出してくださいね」と言った。
夕日が沈む。
三人はテーブルの前に座り込んだ。へとへと。動けない。
「疲れた…」石川が空を仰ぐ。
「でも…楽しかったですね…」千葉が笑う。
「…認めるわ」富山が小さく笑った。「今日のグレートキャンプ、最高だったわ」
遠くから管理人が駆けてくる。「石川さん!来月もお願いします!」
石川がニヤリ。「もちろん!」
星空の下、三人は笑い合った。
これが俺達のグレートなキャンプ。
最高だ。
夜。焚き火を囲んで三人が座っている。
パチパチと薪が爆ぜる音。星空が頭上に広がり、虫の声が心地よく響く。石川が缶ビールのプルタブを開け、プシュッという音。千葉がカップラーメンにお湯を注ぎ、湯気が立ち上る。富山がマシュマロを串に刺し、火に近づける。
しばらくの沈黙。心地よい疲労感が三人を包む。
富山がふと、串を持ったまま固まった。マシュマロが焦げそうになっているのも気づかず、じっと焚き火を見つめている。眉間にシワを寄せ、首を傾げる。
「…ねえ」
石川が缶ビールを傾けながら「ん?」と返事。
「今日一日振り返ってみてなんだけど…」富山がゆっくりと顔を上げる。表情が徐々に困惑に染まっていく。「いや、キャンプ場に何であんな服の依頼来たの!?」
石川がビールを噴きそうになる。「ブッ…あ、危ねえ」
千葉がカップラーメンの箸を止める。「え、今更ですか?」
「今更だけど!」富山が串を振り回す。焦げたマシュマロがプルプル揺れる。「だってよ、考えてみてよ!最初はトマトジュースとか汗ジミとかで、まあ分かるのよ。キャンプ場だし。BBQソースとか泥とかも分かる。分かるわよ!」
富山の声が大きくなる。立ち上がり、両手を広げる。
「でもあの後!ヨガマット!?ギター!?サーフボード!?」
「あったなあ」石川が遠い目。
「自転車!双眼鏡!それから…それから…!」富山が指を折りながら数える。「スーツ三点セット、ウエディングドレス、訪問着、アルバム!何よこれ!キャンプ場でしょここ!?」
千葉がカップラーメンをすすりながら、「確かに…言われてみれば…」と呟く。
「特に!」富山がビシッと指を立てる。「ウエディングドレス!あれ何!?なんでキャンプ場にウエディングドレス持ってきてんのよ!明日結婚式って言ってたけど、前日にキャンプする!?普通!?」
石川が缶ビールを置き、顎に手を当てる。「確かに…」
「あとギター持ってきた大学生!」富山が興奮してきた。焦げたマシュマロが串から落ちそう。「友達に泥投げられたって言ってたけど、大事なギター持ってきてるのに何で泥投げられるの!?しかもキャンプ場で!友達関係どうなってんの!?」
「酷いよなあ」千葉が相槌。
「それから訪問着のおばあちゃん!」富山がさらにヒートアップ。「娘さんの結婚式に着ていくって言ってたのに、なんでキャンプ場に持ってきて、なんでランタンの油こぼすの!?前日でしょ!?前日にキャンプ!?」
石川が笑いを堪えている。肩が震えている。
「笑うな!」富山が石川の肩を叩く。「真面目に考えてよ!あとサーフボード!ここ山のキャンプ場よ!?海ないわよ!?なんで持ってきてんのよ!?」
「そ、そういえば…」千葉も笑いを堪え始める。
「スーツ三点セット全部に赤ワインこぼした人も!」富山がもう止まらない。「ワインボトル抱えて転ぶって何!?どういう状況よ!?しかも明日会議って、なんでキャンプしてんの!?」
石川がついに吹き出す。「ブハハハ!」
「笑うなって言ってんでしょ!」富山も笑いながら怒る。「本当に意味わかんないのよ!キャンプ場なのに、なんであんな色んなもの持ってきてんの!?もう…もう訳わかんない!」
富山がその場にへたり込む。焦げたマシュマロがついに串から落ち、地面に転がる。
千葉が腹を抱えて笑う。「確かに…確かに変ですよね…」
「変でしょ!?」富山が顔を上げる。「あとあのビジネスマン!漂白剤かかった人!あの人何で平日にスーツでキャンプしてんの!?意味わかんない!」
石川が涙を拭く。「富山…お前…今日一日終わってから気づくんだな…」
「だって忙しかったんだもん!」富山が反論。「次から次へと来るから、考える暇なかったのよ!でも今こうして振り返ってみたら、おかしいことだらけじゃない!」
千葉がカップラーメンを置き、真面目な顔になる。「でも富山さん、一つだけ言えることがあります」
「何よ」
「それだけ色んな人が、色んな思いでキャンプ場に来てるってことですよ」
富山がハッとした表情。
「結婚式前にリラックスしたくて来た人も、大事な会議前に気分転換したくて来た人も、亡くなった息子さんを偲びながら来たおばあちゃんも」千葉が焚き火を見つめる。「みんな、それぞれの理由があったんですよ」
石川が頷く。「そうだな。だから俺たちが、その人たちの困りごと解決できて良かったんだよ」
富山が静かに微笑む。「…そうね」
三人が焚き火を見つめる。
しばらくして、富山がポツリと言った。
「でもやっぱり、サーフボードは謎よ」
「だよな!」石川が即答。
「海ないですもんね!」千葉も頷く。
三人が顔を見合わせて、また笑い出した。
笑い声が夜空に響く。
「来月もやるんでしょ?」富山が聞く。
「当たり前だ!」石川が拳を握る。「次はもっとグレートにするぜ!」
「どうグレートにするんですか?」千葉が目を輝かせる。
「ドライクリーニング機材も導入する!」
「また荷物増えるじゃない…」富山が呆れる。
でも、その表情は楽しそうだった。
焚き火の火が、三人の笑顔を照らしている。
遠くで誰かが歌っている声が聞こえる。子供たちのはしゃぐ声。犬の鳴き声。
これがキャンプ場の夜。
そして、これが俺達のグレートなキャンプ。
明日は何が起こるだろう。
きっと、また予想外で、楽しくて、グレートな一日になる。
石川が缶ビールを掲げた。「グレートキャンプに乾杯!」
「グレートキャンプに乾杯!」千葉がジュースを掲げる。
「…グレートキャンプに、乾杯」富山がお茶を掲げる。
三人のカップと缶が、カチンと音を立てた。
星が瞬く。
最高の夜だった。
(完)
『俺達のグレートなキャンプ225 クリーニング技術総動員だ!臨時クリーニング屋、開業!』 海山純平 @umiyama117
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