I会館にて

ひるなか

第1話

 この話はもう何年も前になる出来事だ。

 その頃私は、葬儀会館の下請けで納棺関連の仕事をしていた。

 毎日、受注が入った何ヶ所かの会館や自宅に行って納棺をするのだ。

 そんなある日、I葬儀会館にて納棺の仕事を請け負った。

 二人一組で行う仕事だが、まだまだ新人だった私にできることは少ない。

 せいぜい、備品の準備や手伝いぐらいのことしか上手くできなかった。

 そんな新人にとって、まずやらなくてはいけない仕事がある。

 それは納棺を行う控室の裏口前に、重たい棺を運ぶことであった。

 私は棺が乗った台車を一人でゆっくりゆっくり押しながら、慎重に廊下を進んだ。

 当然ながら、葬儀会館は大きな音を立てることも走ることも禁止である。

 控室には亡くなった故人様と遺族様がいらっしゃるので、失礼があってはいけないと普段から先輩に厳しく指導されているのだ。

 そんな遺族控室の裏には棺を搬入する専用の入口があり、納棺の儀式が始まるまではその手前に棺を用意しなければならない。

 早くこの棺を置いて、別の準備をしている先輩と合流しなくては。

 私は音を立てないようにそっと棺の台車を所定の位置に停める。

 そしてその場から立ち去ろうとした時だった。


 控室の中からはっきりと声が聞こえた。

 女の人の泣き声だった。


「えーん。えーん。えーん」


 その声は何の感情もこもっていなかった。

 この仕事中によく聞く、心が潰れてしまいそうな悲しい泣き声ではない。

 反対に、茶化すような声でもない。

 何も無い。

 一つの抑揚もない、ただただ、そこにある文字を大声で読んだだけかのような棒読み。

「え」「ー」「ん」という文字を順番にきっちり三回、声に出しただけとしか表現しようがなかった。

 それは下手くそな泣き真似だった。

 あからさまな嘘泣きだった。


 その声を耳にした瞬間全身に鳥肌が立ち、私は控室に背を向け、規則も忘れて走り出した。

 葬儀の場において、遺族様からあのような気味の悪い声を聞いたことは一度も無い。

 廊下を走りながら私は必死に考えた。


 部屋の中にいる遺族様の声じゃなくて、テレビの音だったのかもしれない。

 遺族様がスマホで動画を見ていたのかも。

 そうだ、喋るぬいぐるみや音声が鳴るおもちゃが置いてあるのかもしれない。

 故人様が大事にしていたぬいぐるみを部屋に持ち込むのはよくあることじゃないか。


 そんなことを自分に言い聞かせながら、心のどこかで「ありえない」とわかっていた。

 人の死を見送る大切な儀式を行う、葬儀会館の控室だ。

 テレビの音がそう簡単に筒抜けになるような構造をしていない。

 今まで、テレビの音が外まで聞こえてきたことなど一度だって無い。

 転がるように逃げてきた姿を見た先輩が「何やってるの!もう納棺の時間になるのに」と叱りつつ、私が逃げてきたばかりの遺族控室へ向かう。

 仕事なので「怖いから行きたくないです」と言うわけにはいかない。

 私は仕方なく先輩の影に隠れるようにして、もと来た道を辿る。


「失礼いたします。納棺の係のものです」


 礼をして入室する先輩の後ろに引っ付き、慌てて頭を下げた。

 そして、小さな控室の中をすぐに見渡す。

 ひどく静かな部屋の中、喪主の男性が一人でぼんやりとした目をして前を見つめていた。

 その視線の先で老婆のご遺体が布団に寝かされている。

 泣き声を上げるような女性の姿はどこにもない。

 そして音の出るぬいぐるみも、おもちゃも何も置かれていなかった。


 結局、納棺はそのまま静かに行われ、声の正体は最後までわからず仕舞いだった。

 あの声の主が何のために、悲しいフリをしていたのかもさっぱりわからない。


 それから仕事を辞めるまで何度もI葬儀会館の同じ控室で仕事をしたが、あの感情の無い泣き真似を聞くことは二度となかった。

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I会館にて ひるなか @hirunaka_yonaka

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