「アレルギーは根性で治る(笑)」と笑った脳筋担任。娘に給食のパンを無理やり食べさせアナフィラキシーを起こさせた結果、警察と弁護士に追い詰められ破滅するまで

品川太朗

第1話 新学期と新しい担任



「お母さん、これ。乳化剤って書いてあるけど、大豆由来?」


「どれどれ……うん、これは大豆由来だから大丈夫。小麦は入ってないよ」


 スーパーの買い物かごに入れる前、十歳の娘、結衣ゆいが私にパッケージを見せてくる。

 パッケージの裏面、原材料名の欄を二人で確認する作業。


 それは、結衣が物心ついた頃からの、我が家の当たり前の日常だった。


 結衣には、重度の小麦アレルギーがある。


 パンや麺類はもちろん、つなぎに使われるわずかな小麦粉、醤油に含まれる成分にさえ反応することもある。

 誤って摂取すれば、全身の蕁麻疹じんましんだけでは済まない。


 喉が腫れ上がり、呼吸ができなくなるアナフィラキシーショックを起こす危険性が高いのだ。


 食事は命に直結する。

 だからこそ、私たちは常に神経を尖らせてきた。


 けれど、そんな緊張感とは裏腹に、結衣の学校生活はとても穏やかで楽しいものだった。


宮本みやもと先生、赤ちゃん産まれたら見に来てねって言ってたよ」


「そう。楽しみだね」


 三年生から担任をしてくれていた宮本先生は、アレルギーに対する知識も深く、クラスの子どもたちにも丁寧に教えてくれていた。


「結衣ちゃんのアレルギーは、好き嫌いとは違うんだよ」と。


 おかげで、給食の時間に結衣が代わりの弁当を広げても、誰も奇異な目で見たりしない。


 学校は、家と同じくらい安全な場所。

 そう信じて疑わなかった。


 ――あの日、あの手紙が届くまでは。


 四月。新学期を迎えたその日、学校から配られたプリントには、宮本先生が予定より早く産休に入ること、そして代わりに新しい先生が着任することが記されていた。


権田ごんだ……修一先生?」


 聞き慣れない名前に、胸の奥で小さく警鐘が鳴るのを感じた。


 不安を打ち消すように、私は結衣の背中をポンと叩く。


「大丈夫よ。学校にはちゃんと申し送りしてあるはずだし、養護の先生もいるから」


「うん……そうだよね」


 結衣は少し不安そうに笑った。

 その笑顔を守るために、私はもっと早く気づくべきだったのだ。


 この世には、悪気さえなければ何をしても許されると思い込んでいる――。

 **「善意の怪物」**がいるということに。


     ◇


 最初の違和感は、四月の保護者会だった。


 教室の前に立った新しい担任、権田先生は、ジャージ姿が似合う日焼けした大柄な男性だった。


「えー、新しく担任になりました権田です! 私のモットーは『不撓不屈ふとうふくつ』! 子どもたちには、困難に打ち勝つ強い心と体を育てていきたいと思ってます!」


 大きな声が教室に響く。

 ハキハキとした喋り方、真っ直ぐな視線。保護者の中には「頼りがいがありそう」と好意的なひそひそ話をする人もいた。


 けれど、私は妙な胸騒ぎを覚えていた。

 彼の言葉には、どこか「弱さ」を否定するような響きがあったからだ。


 会が終わり、私は個別に挨拶をするために権田先生の元へ向かった。

 結衣のアレルギーのことを再確認するためだ。


「ああ、結衣さんのお母さんですね! 聞いてますよ、給食が食べられないとか」


 食べられない、という言い方に少し引っかかる。


「はい。重度の小麦アレルギーですので、引き続きお弁当を持参させます。給食当番の際も、配膳での接触を避けるようにお願いしてありまして……」


「いやあ、お母さん。心配しすぎじゃないですか?」


 権田先生は、私の言葉を遮って、豪快に笑った。


「え?」


「今の子はね、ちょっと過保護に育てられすぎなんですよ。アレルギーとか言いますけど、要は『慣れ』でしょう?」


 権田先生は胸を張って言い放った。


「僕も昔はピーマンが嫌いでしたが、親父に無理やり食わされて克服しましたからね! ガハハ!」


 頭の中が真っ白になった。

 ピーマンの好き嫌いと、命に関わる免疫反応を一緒にしている?


「先生、それは違います。好き嫌いではなく、アレルギーなんです。最悪の場合、命に関わります」


 私が強い口調で訂正すると、権田先生は「はいはい」と面倒くさそうに手を振った。


「わかってますよ、一応ね。まあ、僕のクラスになったからには、少しずつでも身体を強くしていきましょう。みんなと同じ釜の飯を食えるようになるのが、一番の幸せですからね」


 その目は、私の訴えを全く聞いていなかった。


 自分の考えこそが正義であり、私を「神経質な過保護な親」と決めつけている目だった。


 帰り道、繋いだ結衣の手の温かさを感じながら、私は冷たい汗が背中を伝うのを感じていた。


 この先生は、危ない。

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