小さな小さな囮屋さん

すずめ屋文庫

第1話 囮屋の女将とケンさん

—— 女将さんには、夏にだけ訪れる、密かに楽しみにしている趣味がある ——



ミーン ミーン ミーン


蝉の声が聞こえ出すと、今年も夏がやって来たと思う。川沿いの宿屋で釣り人の為の囮鮎屋を営んでいる女将は、5時の目覚ましを止めると、いそいそと身支度を始めた。


囮屋の朝は早い。


サササッと化粧を施し、長めの髪をクルクルと巻き上げ、べっ甲柄の髪留めで止める。


家族の朝食をこしらえ、台所のテーブルに並べたら、自分は残り物を軽く食べ、表へ向かった。子供達は大きいから、もう勝手に起きて勝手に食べて行ってくれる。夫も自分の事は自分で出来るので、ほおって置いて問題ない。


さてさて、と。


腰巻きをし、店先に囮鮎を運び、朝一番のお客様を待つ。今日は、どんな方が来るだろうか。


お釣りの入った箱の準備をしている所で、店先から声が聞こえた。


「ぅおお〜い。いるかーい?」


この声はケンさんだ。近所に住む馴染みのお客様、というか、小学校からの同級生だから、お客様と言うより家族や親戚の感覚に近い。


「はいはーい。ちょっと待ってね〜!」


パタパタと声のする方へ向かう。


「相変わらず早いわね〜!まだ準備も出来てないわよ!」


「オメーが遅いんだがよ!はよせんと、鮎が逃げてってまうわ!」


「っとにもう〜。鮎は逃げないわよ。どーせ他の釣り客に穴場を取られたくないんでしょ。」


カカカとケンさんは笑った。当たりの様だ。


「最近は、都会のモンがよーけ来るようになったからなぁ。SNSだか何だか知らんけど、情報集めてここに来るんだわ。」


ふふ、と女将も笑った。


「情報は大切だからねぇ。ケンさんだって、私によく聞くじゃない。この前も。ほら、何か頭に笠を被ってた釣り人が大量に釣ってたのを誰かから聞いてさぁ、どの場所やったか知ってるかって、細かくさぁ。」


「それは自分の足での情報収集だからいいんだよ!インターネットっちゅうもんは、楽して情報を得るんや。ズルやズル!」


女将は片方の口の端を持ち上げると、


「あら、私だって最近はインターネットしてるんだから!お客様が来ないとそもそも商売出来ないんだから。使えるものは使うわよ〜!」


「なんやと!お前、何の情報流しとるんや!」


「ふふっ。お客様の釣り果よ。何県の何歳の誰々さんがこの川で25cmを釣り上げました〜(*^^*)って。」


ケンさんは自分の手で頭をパチンと叩きよろめくと、


「スパイの黒幕はお前やったんかっ…!!」


と嘆いた。


「まぁまぁ、そんな事言いなさんなよ。ケンさんは、子供の時からこの川を知ってるんだから。誰よりも上手じゃない。ちょっとくらい穴場がバレたって、あなたの腕には誰も敵わないわよ。」


それを聞いて、少し溜飲が下がったのか、ったくも〜!とブツブツ言いながらもケンさんは囮に使う鮎を選び始めた。

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