最強陰陽師に拾われた千陽路の新妻日記

常盤 陽伽吏

第1話

「ただいま戻りました。千陽路ちひろさま」

「お帰りなさい、祐佑ゆうすけ

 愛する夫の帰宅に、千陽路の声が弾んだ。

 渋谷区松濤しょうとうにある高級マンションの一室。そこに新婚の千陽路と祐佑は暮らしている。

「遅くなって申し訳ありません」

 祐佑は頭を下げた。

「ううん。祐佑が大事なお仕事をしていることはわかっているもの」

 千陽路は笑顔でそう言った。

紫苑しおんさんとアメリカに行っていたんでしょう? どうだった?」

「そうですね……正直に申し上げると、難航しています」

「そう……」

 千陽路の顔が陰った。

「千陽路さま、どうかそのようなお顔をなさらないでください。私もですが、竹階たけしなさんも上手くいくように努力をしております」

「うん……ねぇ、祐佑。それより疲れているでしょう? お茶淹れるね」

「千陽路さま。そのようなことは私が……」

「何言ってるの。お仕事から疲れて帰って来ただんな様にお茶を淹れるくらい、当たり前よ」

 笑って、千陽路はソファーから立ち上がる。

「ですが……」

「いいから、座ってて。マフィンを焼いたの。食べてね」

 千陽路は新妻らしく楽し気にキッチンに立ち、祐佑が好きなアールグレイの紅茶と手作りのマフィンをトレイに乗せて戻って来た。

「どうぞ」

「ありがとうございます、千陽路さま」

 祐佑は笑顔を浮かべて紅茶をひと口。そしてマフィンをひと口。

「とても美味しいです、千陽路さま」

「嬉しい」

 そう言って、千陽路は自分自身も紅茶を飲み、マフィンをかじる。

 しかしマフィンは少し、粉っぽかった。

「……粉っぽい……失敗しちゃった……」

 千陽路は意気消沈して言った。

「そんなことは……」

「粉っぽいもの」

「手作りらしくてよろしいかと思いますよ」

「でも……」

「千陽路さま。お店で買うものはプロが作ったものです。彼らはそれを生業にしているのですから、完璧であるべきですが、千陽路さまはお菓子作りのプロではいらっしゃいません。何と言っても千陽路さまは松岡家本家まつおかけほんけ次期当主でいらっしゃるのですから。彼らのように完璧であられる必要はございません」

 祐佑の、どこかピントのずれた、それでも千陽路を気遣う言葉に彼女は笑みを浮かべる。

「……そうね」

「……千陽路さま……」

 祐佑も笑みを浮かべて、そっと千陽路に口付ける。

「祐佑……」

「お会いしたかったです。本当に……」

「私も……」

 祐佑は千陽路をそっと腕の中に抱きとめた。

「お淋しい思いをさせて、申し訳ございません」

「……祐佑が大切なお仕事をしているのはわかっているもの……」

「千陽路さまは幼い頃からそうおっしゃっておられましたね……慎太郎しんたろうさまがお忙しくされていても、パパが大切なお仕事をしていることはわかっている、と……我儘などひと言もおっしゃらず、黙って慎太郎さまをお待ちになっておられました」

 そう。

 幼い千陽路を残して仕事に行かなければならなかった、父である慎太郎。彼がどれほど心残りであっても、松岡家本家当主という重責を担う以上、私情を捨てる以外なかったのだ。それを健気に理解しようとする幼い千陽路を祐佑は側近くでずっと見守っていた。

 祐佑。父の親友財田さいた誠志朗せいしろう。そして乳母の杉澤すぎさわ弥栄子やえこが千陽路に心からの愛情を持って接していたが、父である慎太郎の代わりになれるはずもなく、千陽路はいつもどこか淋しそうだった。

 千陽路はわずか十八歳で祐佑と結ばれたが、その彼女の夫である彼も、結局は彼女を十分に守ることができていないと言う事実があった。

「千陽路さま。千陽路さまはいかがお過ごしでいらっしゃいましたか?」

「私? そうね……パパが今は紫苑さんのフォローに回ってしまったから、今は私がパパの代わりに松岡家本家のお仕事をしてるでしょう? だから色んなおうちにお伺いしてるわ。もちろん、パパには全然かなわないけど、でも、できるだけのことはやってる」

「側近は誰が務めておりますか?」

「ん-……今は、田ノ倉たのくらさんが同行してくれることが多いかな?」

「田ノ倉ですか……」

 祐佑の記憶の中、田ノ倉は松岡家本家に仕える側近のうちでも若く、目立たない存在だった。

「その人事は慎太郎さまがお決めになったのですか?」

「うん。年齢が近い方が私も気楽だろうって。側近の人たちって、おじさんばっかりでしょう? 田ノ倉さんは若いから」

「慎太郎さまのご決定に異を唱えるつもりはありませんが、田ノ倉のような若輩では依頼人に下に見られるのではありませんか?」

「そんなことないわ。それに、ほとんどのおうちにはパパと一緒に行ったことがあるもの。みんなきちんと対応してくれてるから安心して」

「そうですか……そうであれば良いのですが……」

「ねぇ、祐佑。しばらくは日本にいられるんでしょう?」

「そうであれば良いのですが……正直、竹階さんの予定は目まぐるしく変わりますから……」

「そう……」

 祐佑の言葉を聞いて千陽路の表情が曇る。

「申し訳ございません、千陽路さま」

「ううん。祐佑が大事なお仕事をしてることはちゃんとわかっているもの」

「千陽路さま……」

 祐佑は腕の中の妻を抱き締めた。

「千陽路さまはいつもそうおっしゃいます……慎太郎さまにも、私にも……ですが、お淋しい思いをさせてしまっていることは事実です。どのようにお詫びすればよいのか……」

「そんなこと、言わないで」

 千陽路は笑みを浮かべる。

「でも、祐佑が日本にいる間にデートできたら嬉しいな」

「どちらへでもお供いたします」

「ホントに? 嬉しい!」

 千陽路は満面の笑みを浮かべた。

 祐佑はこんなことでこの笑顔が見られるのであれば、どんなことでもしてやりたいと心から思った。

「ですが、千陽路さまもお忙しく過ごされておられるでしょう?」

「うん。でも、松岡家本家にも術者の人はいるし、分家の人も手伝ってくれてるわ。どうしても私じゃなきゃダメって言う訳じゃないもの。祐佑とデートする時間くらい作れるから大丈夫」

「そうですか……では、どちらへ参りましょうか?」

「そうねぇ……」

 祐佑の言葉に千陽路は考え込んだ。

「……ディズニーランドに行きたい! どうかな?」

 千陽路は目を輝かせてそう言った。

「ディズニーランドですか?」

「うん。あ、大丈夫よ。ジェットコースターとかは乗らないから」

 祐佑がジェットコースターを苦手とすることを知っている千陽路は朗らかに言った。

「ただ、パークの中を散歩したり食事したりしたいの」

「かしこまりました、千陽路さま。ご一緒に参りましょう」

 祐佑が笑みを浮かべてそう言ったので、千陽路は嬉しそうにうなずいた。


 デートは翌日だった。

 子供でも乗れるようなアトラクションを楽しんだり、パーク内を散策したり、ワゴンの軽食を食べ歩きしたり、千陽路と祐佑はディズニーランドを満喫した。

「お土産買おう?」

 千陽路は嬉しそうにそう言って、土産物屋に足を向ける。

「お土産ですか?」

「うん。パパとかおじさまとか……家のみんなにも。ねぇ? おうちにも思い出に何か買って帰らない?」

「そうですね。そうしましょうか」

「うん」

 土産物屋を見て回り、千陽路は嬉しそうに色々な物を買った。

 マグカップは父、慎太郎に。

 ロックグラスは誠志朗に。

 大きなチョコレートの箱は松岡家本家のみなに。

 そして自分たちのためにキレイなオルゴール。

「おじさま、松岡家本家にいてくれるといいんだけど……」

「この頃自宅のように松岡家本家にいるとおしゃっていたので、いらっしゃると思いますよ」

「そう。パパもいてくれるといいんだけど」

「そうですね」

 祐佑が運転するクルマに乗って、渋谷にある松岡家本家に向かう。

 渋滞に巻き込まれたこともあり、クルマが松岡家本家に辿り着いたのは午後八時を過ぎた頃だった。

「千陽路さま、お帰りなさいませ」

「千陽路さまのお帰りだ」

「お帰りなさいませ、千陽路さま」

 松岡家本家に仕える者たちが次期当主の帰宅を出迎えた。

「ただいま。パパとおじさまはいる?」

「はい。奥座敷においででございます」

「ありがとう。あ、これ。みんなにお土産。ディズニーランドに行って来たの。チョコレートよ。みんなで食べてね」

「お心遣い、ありがたく頂戴いたします」

 千陽路は柔らかく笑って奥座敷に足を向けた。

 松岡家本家の長い廊下を渡り、奥座敷の襖の前で足を止めた。

「千陽路です」

「千陽路。来たのか。お入り」

 柔らかな父、慎太郎の声に千陽路は襖を静かに開けて中へと入る。

「千陽路。祐佑もよく来てくれたな」

「お二人揃ってお出ましかよ」

 慎太郎と誠志朗が口を開いた。

「ディズニーランドに行って来たの。お土産渡しに来たのよ」

「お土産? 嬉しいな」

「パパにはマグカップ。おじさまにはロックグラスにしたの」

「俺にも?」

「もちろんじゃない。パパはコーヒーが好きでしょう? だからマグカップ。おじさまはお酒飲むからロックグラスがいいかなって」

「わぁ……嬉しいな。ありがとう、ちーちゃん」

 誠志朗は本当に嬉しそうにロックグラスの箱を開け、中身を取り出した。

 金で縁取られ、目立たない大きさでミッキーマウスの透かし彫りがワンポイント施されているなかなかに凝ったものだった。

「へぇ……いいじゃん」

「気に入ってくれた?」

「ああ。ありがとうな。大事にするよ」

「良かった」

 千陽路は嬉しそうな笑みを浮かべた。

「だけどさ、祐佑ってジェットコースター苦手なんだろう? 何も乗れなかったんじゃないのか?」

「いいのよ。雰囲気楽しみたかっただけだから」

「あー。でもな、ジェットコースターも乗れない男じゃ頼りにならないと思うけどな」

 誠志朗は千陽路と祐佑の結婚に反対していたし、今もって快くは思っていないようだった。

「いい加減にしろって、誠志朗。諦め悪いな、あんたも」

「だってさー」

「いいじゃないか。二人とも幸せそうなんだし。でも、祐佑が出張ばっかりだから千陽路も淋しいだろう?」

「ホントのこと言うとそうなんだけど……でも、祐佑が大事な仕事をしていることはわかっているから……」

「いい子! ちーちゃんってホントいい子だよなぁ」

 誠志朗がしみじみとそう言った。

「祐佑にはもったいないよ」

「だから、いい加減にしろって誠志朗」

 慎太郎がため息交じりに言った。

「千陽路、祐佑。夕飯は食べた?」

「ううん。渋滞に巻き込まれちゃって」

「丁度よかった。俺たちもこれから夕飯なんだ。一緒に食べよう」

「うん、パパ。いいよね? 祐佑」

「いいに決まってるだろう? 祐佑に選択肢なんかないんだから」

 そう言ったのは当然ながら誠志朗だった。

「だから……」

「慎太郎さま、どうかお気になさらないでくださいませ」

 祐佑は静かにそう口にした。

「気になるに決まってるだろう? 誠志朗、ホントにいい加減にしろって。諦めが悪いにも程があるだろうが。千陽路と祐佑は正式に結婚して幸せに暮らしてるんだから」

 慎太郎の言葉に誠志朗は子供のように口を尖らせる。

「……ホントにわがままに育った坊ちゃんなんだから……とにかく、食事にしよう」

 松岡家本家当主の言葉に、家人が動き始める。

 食事が運ばれ、誠志朗の前には日本酒が添えられた。

「祐佑。紫苑とはどうだ?」

「難しい交渉をされているようです」

「そうだろうな……紫苑のフォローまで任せてしまって悪いな」

「とんでもない。慎太郎さまのご命令でございますから。謹んで務めさせていただいております」

「難しい仕事だってことはわかってる。だからこそ、お前にしか任せられないんだ」

「ご信頼いただき、恐れ入ります」

「うん……祐佑の仕事ぶりは信頼できる。俺の方もちょっと動いてるから、もう少し頑張ってくれ」

「お任せくださいませ、慎太郎さま」

「千陽路も、祐佑が留守がちで淋しいだろうけど……」

「うん……」

 千陽路は小さくうなずいた。

「でも、祐佑は大事なお仕事をしているんだもの」

「千陽路は子供の頃から変わらないなぁ……パパが仕事仕事でほとんど一緒にいられなかったのに、ずっと我慢して……でも、パパもちゃんと考えてるからもう少しだけ時間をくれないか」

「パパ……」

「何をやろうって言うんだ? 慎太郎」

「まだ、内緒だよ」

「おいおい……」

「でも、悪いようにはしない。そこは俺を信じてくれ」

 誠志朗に問われた慎太郎は柔らかくそう言った。

 千陽路が嬉しそうにうなずく。

 千陽路の父は出来ないことを口にするような人間ではないことを彼女は知っている。

 まだ何かはわからないものの、それでも何かが、確実に動き始めようとしていた。


 松岡家本家を辞して、松濤のマンションに千陽路と祐佑は帰り着いた。

「ただいまー」

 誰もいないのに、千陽路はそう口にした。そして土産に買ったオルゴールを取り出す。

「ねぇ、どこに置こうか?」

「そうですね……そちらのチェストの上ではどうでしょう?」

「うん」

 千陽路は壁際に置かれた瀟洒しょうしゃなチェストの上にオルゴールを置いた。

「うん。ぴったり」

「千陽路様さま。お茶はいかがですか?」

「あ、私が……」

「いえ。お疲れでしょう? 私が淹れます。抹茶ラテでよろしいですか?」

 千陽路が幼い頃から抹茶ラテを好んでいることは皆知っていることだったので、祐佑はそう提案したのだった。

「うん」

 案の定、千陽路は嬉しそうにうなずいた。

「かしこまりました。おかけになってお待ちください」

「ありがとう、祐佑」

 千陽路は祐佑に礼を言って、本当に祐佑は優しいと思いながらソファーに腰を下ろす。

 待つほどのこともなく、抹茶ラテと紅茶が運ばれてきた。

「ありがとう」

「とんでもない。お疲れになったでしょう。お茶を飲んだらお風呂をお使いになって、お休みください」

「うん……おいしい……」

 抹茶ラテをひと口飲み、千陽路はにこやかにそう言った。

 和やかにお茶を飲み、今日は楽しかったと語り合っているうちに祐佑が口を開く。

「さぁ、千陽路さま。もう時間が遅くなります。お風呂を使ってお休みください」

「うん……」

 千陽路がグラスを片付けようと手を伸ばすのを祐佑は止めた。

「私がいたしますので」

「でも……」

「お気になさらず」

 祐佑の柔らかい声音に千陽路は思う。祐佑は本当に優しい、と。

 祐佑の言葉に押されるように、千陽路はバスルームに姿を消した。

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