『負けた魔王に、聖女が「明日のおかず」の話を延々とする話』
男女鹿メテ(オメガメテ)
「魔王を殺すのは、アジの開きを食べてからでも遅くない」
「さあ、殺せ。我が心臓を貫き、この退屈な永劫に終止符を打て」
漆黒の玉座に座る魔王は、美しかった。
月明かりを凝縮したような銀髪に、血のように赤い瞳。その端正な顔立ちは、しかし、死ぬほど面倒くさそうな表情で歪んでいた。
対する私――教会から『人類最後の希望』と祭り上げられた聖女エルナは、手にした聖剣を無造作に床へ放り出した。カラン、と高い音が静寂に響く。
「……何をしている、聖女よ」
「何って、準備ですよ。魔王さん死ぬ前にこれ食べてください」
私は背負っていたバスケットから、タッパーを取り出した。中には白く艶やかな、独特の甘い香りを放つ物体が詰まっている。
「実家の母が、秘伝の製法で漬けた『大根のべったら漬け』です。これがないと、私の実家の朝は始まらないんですよ」
「……は?」
「ポリポリして美味しいんです。
魔王の眉間に、深いシワが寄った。
数多の勇者を屠り、軍勢を灰に変えてきた破壊の化身が、今、一切れの白い大根を前にして本気で困惑している。
「貴様、正気か? 私は世界の敵だぞ。今すぐ私を屠り、英雄になればいいだろう。そうすれば、その……ベったらだか何だかも、一生食べ放題になるのではないのか」
「嫌ですよ、疲れました」
私は玉座の階段にどっかりと腰を下ろした。
「私が魔王さんを殺したところで、どうせ次は隣国の王様が『戦後処理だ!』『利権だ!』って騒ぎ始めるだけです。そうしたらまた私、駆り出されるんですよ。魔物はいなくなったけど次は人間同士の戦争だ、聖女様お願いします、って。……もう、うんざりなんです」
「……」
「そんなことより、明日の朝ごはんは何にします? 私はアジの開きが食べたいです」
「……アジの……開き?」
「そうです。脂の乗ったやつを、炭火でじっくり焼いて、少しだけ醤油を垂らして……皮はパリッと、身はふっくら。白いご飯に、アジの塩気。最高だと思いませんか?」
魔王の喉が、微かに、けれど確かな音を立てて鳴った。
数千年生きてきた魔の王は、おそらく『空腹』という概念を忘れていたのだろう。魔力さえあれば肉体は維持できる。だが、本能は別の答えを出していた。
「魔王さん、死ぬのはアジを食べてからにしませんか? あと、来週には山菜が旬を迎えます。タラの芽の天ぷら、食べたことあります?」
「……ない」
「じゃあ、来週までは生きてください。約束ですよ」
私はタッパーから一切れのべったら漬けを指でつまみ、魔王の口元へ差し出した。
魔王は忌々しそうに私を睨みつけ――けれど、誘惑に勝てなかったのか、慎重にそれを口に含んだ。
ポリッ。
小気味いい音が、静まり返った玉座の間に響い
た。
「……悪くない」
「でしょう? さあ、次は白米を炊く準備をしますよ。手伝ってください」
魔王の『永劫の退屈』が、食欲という名の
『日常』に侵食された瞬間だった。
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