ビリーブ――座標を撃ち抜く電子銃

青出インディゴ

プロトコル

◇◇◇事象1


 Nullナル(自称であり、いわゆる本名は未確定。おそらく以後の人生でも確定しない)がはじめて結婚式に参列したのは、奇しくも29という素数の年齢だった。

 花嫁はきれいだった。が、ナルは居心地が悪かった。

 なぜ彼女が招待されたのか? ただ花嫁と会社でデスクがとなりだったからに過ぎない。人は数をそろえるのが好きである。花嫁はたぶん袋の中に1から100までの任意の自然数を書いたボールを入れて、その中からひとつを取り出したのだ。ナルは花嫁の兄弟の数も知らなかった。

 披露宴会場の無数のシャンデリアは白く輝き、円卓が波紋のように並んでいる。

「この鴨おいしいですね」隣席の見知らぬ人が言う。

「そうですね。初めて食べます」彼女は返す。なぜラズベリーソースがかかっているのだろうと考えながら。甘いのかしょっぱいのか、確定しえない風味。しかし初対面の相手に素朴な疑問を投げかけることはできなかった。

「え、なんて?」

 この喧噪だから聞き返されるのも仕方ない。ナルは強いて声を張った。

「鴨を食べるのは初めてです」

「えー、そうなんですか」

 見知らぬ人はそれだけ言うと、反対側の人に話しかけはじめた。

 ナルはなんだか気恥ずかしかった。早起きして美容院でセットしてもらった髪も、袖の透けたワンピースも。

 なにかのセレモニーがはじまり、主役席で花嫁と花婿がキスをしている。わあ、と思った。

 気づくと、8人の円卓では会話のグループができあがっていて、ナルは取り残されていた。なぜ偶数なのにひとり余るのだろう。でも話したい人がいるわけでもない。

 そういえば、さっきアナウンスで、ホールにチョコレートファウンテンが用意されていると言っていた。

 ホールに出ると、茶色い円錐が幾層も積み上がった塔が、光を反射しながらくるくると回り続けている。頂点はまばゆいほどに高い。くるくる、くるくる。女性の先客が数人いて、それぞれの獲物をつつきながら笑いさざめいている。

 皿の上にいちごを取る。

 くるくるにいちごを刺す。

 赤が茶色に塗りつぶされる。光沢のある円錐は小さなチョコレートファウンテン。ナルは目を細め、チョコレートファウンテンにかぶりつく。

「いまどきよく披露宴なんてやるよね」

「だいたいリゾートかフォトウェディングが多いんじゃない?」

「私のときはそうしたいな」

 女性客たちが話している。

「ねえ、ひと段落したみたいだよ。写真撮りに行く?」

「私いいや。興味ない」

 なぜ彼女が招待されたのか?

 なぜ鴨肉にラズベリーソースがかかっているのか?

 なぜ偶数なのにひとり余るのか?

 この世界はナルにはわからないことだらけだった。ひらかれた扉から、花嫁の引きつった笑顔が見える。少なくとも、と彼女は思う。主役席は奇数じゃない。


 餅田(本名、あるいは限りなく本名に近いと考えられている)は、じっと目の前の参列者の背中を見つめていた。一挙手一投足を記憶に焼きつけ、脳内でシミュレーションを繰り返す。やがて自分の順番が回ってきた。

 1)焼香台の少し手前で一礼。焼香台の前に進んで一礼。

 2)右手で謎の粉末をつまみ、指をひたいの近くに寄せる。

 3)粉末をとなりの箱の中の炭の上に巻く。

 4)合掌。

 5)少し下がる。一礼する。

 席に戻った。誰も咎めないので、たぶん自分のやり方で正解だったのだろう。ため息をつき、黒いネクタイの先をつまむ。

 黒い人たちの列は続く。厳かに、かたくなに。

 みんな神妙な顔をしている。当たり前だ。だが、その当たり前に直面すると、餅田は笑い出したいような不思議な気持ちになる。そして、それはいけないことだと知っている。

 同僚がなぜこんなことになったのか知らない。たしか彼よりまだ5歳くらいしか上じゃないはずだ。知っている人もいるのかもしれないが、自分には知らされなかった。知りたいような気もする。知っていれば、笑い出したいような不謹慎な気持ちは湧いてこないのかもしれない。

 くそっ。また自分の体裁ばかりだ。なぜ悲しめない。

 心が晴れ晴れするようなクラシック音楽が流れている。陰鬱な音楽じゃないほうが、かえって場の雰囲気が引き立つんだろうな。と、若い同僚が目を赤くしているのを見ながら、彼はぼんやり考える。

 たくさんの白い花が線香の煙をまとってしめやかさを競っている。

 となりの席の人が焼香から帰ってきて、また座席が窮屈になる。

「つくづく残念ですね」その同僚のひとりはささやく。

「ほんとですね」彼もささやく。

「まさかあんなことにね――子供さんもまだ小さいのに」

「あっ、お子さんがいるんだ」

「ああ、離婚した奥さんのほうに」

「そうだったのか」

 彼は首を伸ばして最前列に目を向けた。黒い半ズボン姿の男の子がちょこんと座っていた。

「そうだったのか」

「早いよ、ほんとに」

「そうですね、早い」

 読経が再開する。妙なる旋律。たしか最後は――ギャーテー、ギャーテー、ハラギャーテー、ハラソーギャーテー、ボジソワカ、とかいうんじゃなかったかな。4・4・6・8・5。読経が終わる。餅田が覚えている一節が読まれたか読まれていないかわからないが、必要十分だったと感じた。いびつだった円が満ちたような。

 マイクが円を破った。

「これをもちまして、ご葬儀を終了いたします。ご参列いただき、誠にありがとうございました」

 そして彼らはまた数珠順列となり、今度は遺族の前を通りながら扉へと進んでいく。餅田も珠の連なりのひとつとなった。

 男の子の前に来た。

 彼はどんぐりのような目を大きくひらき、どうしてここにいるかわからないなりにわかるふりをしている。

 餅田はそそくさとその前を通り過ぎた。行け、行け、彼岸に行け、完全に行け、悟りよ、幸あれ!

 久しぶりに出た外界は、霧雨に濡れていた。


◇◇◇試行1


「ナルさん、はじめまして。

 餅田といいます。

 こちらこそこれからよろしくお願いします。

 僕はいま仕事で海外に住んでいるのですが、暇を見つけて海に行ったりしています。

【写真】」

「餅田さん、はじめまして。

 よろしくお願いします。

 真っ青な海と白い雲、素敵な写真ですね。真ん中に写ってるのが餅田さんですか? サーフィンもなさるんですね」

「はい。こちらで覚えました。

【写真】

 ナルさんはスポーツを好いていますか?」

「私はもっぱら見る専ですが、フィギュアスケートは好きですね」

「ああ、フィギュアスケート! いいですね。僕もよく行きますよ」

「そちらにもスケートリンクがあるんですか? 暑い国だと思ってました!」

「僕らクラス専用のものがあるんです。いつか会えたらナルさんも招待したいなあ」

「なんだかすごいですね。楽しみにしてます」

「餅田さん、はじめまして。

 ナルといいます。

 よろしくお願いします。

 真っ青な海と白い雲、素敵な写真ですね。真ん中に写っているのが餅田さんですか? サーフィンもなさるのですね」

「お恥ずかしながら今年からはじめまして。

 まだまだ立ち上がるので精一杯というところですが、この年から新しいことにチャレンジするのも楽しいものですね。

【写真】」

「チャレンジとは素晴らしいことです。サーフィンなんて難しそう」

「そんなことないですよ。ナルさんはスポーツはお好きですか?」

「私は昔フィギュアスケートをしていました。

【写真】」

「これはナルさんですか? すごいですね。僕はあまり見たことありませんが、オリンピックなどテレビでやってるのは見たりします」

「もしよろしければ教えますよ! リンクにご招待します」

「いいですね。いつかご一緒したいものです」

「楽しみにしています」


◇◇◇試行2


「ナルさん、こんばんは。

 昨日の足の怪我は大丈夫ですか? ゆっくり休めましたか?」

「餅田さん、こんばんは。

 結局会社休んじゃいました。いまは少しよくなりました」

「心配です。病院は行きましたか? 今夜は早めに寝てくださいね」

「心配ありがとうございます。病院は行きました。はい、早めに寝ますね!

 餅田さんは体調崩したりしてませんか?」

「僕は大丈夫です。お抱えのドクターがいますから。よかったらナルさんもオンライン診察を受けませんか?」

「お抱えのドクターなんているんですか! 診察は大丈夫です。昼に湿布をもらったので様子見しますね」

「はい、僕らビジネスマンは体が資本なので会社が雇ってくれるのですよ。

【写真】

 ナルさんが元気そうでよかった」

「大企業はすごいなあ。私なんて有給を取るのだって清水の舞台からみたいな感じです。

 お心遣い嬉しいです」

「はい、清水寺は美しいですね」

「そうですね。餅田さんは行かれたことはありますか?」

「ないですが、いま検索して写真を見ました。いつか一緒に行きましょう」

「いいですね、ぜひ」

「餅田さん、こんばんは。

 結局会社を休んでしまいました。いまは少しよくなりました」

「ナルさん、こんばんは。

 よかったです。どうなったかと昼も心配してました。ちゃんとお医者さんも行けたんですね」

「ええ、そうなんですか! 嬉しいな、ありがとうございます。はい、この通り包帯も巻いてもらいました。

【写真】

 餅田さんは体調を崩すなどしていませんか?」

「いえいえ。

 はい、僕は大丈夫です。昨日、有給を取れるかの話になりましたけど、スムーズにいきましたか?」

「はい。上司とはいい関係を築いているので、快く承諾してくれました」

「ほんと僕らサラリーマンのつらいところですね。休むにも気を遣う」

「そのとおりですね。もし結婚して子供が生まれたら、もっと自由な働き方をしたいと考えています」

「自由ですか、それって大事ですよね。あの、ナルさんは結婚を真剣にお考えなんですか?」

「はい、私は結婚を真剣に考えています。餅田さんはどうですか?」

「えーと、僕はもちろん考えてます。ナルさんは結婚にあたってどんなことを大切にしたいと思いますか?」

「最も大切なのは愛だと考えています」

「愛ですか」

「求めていた答えと違いますか?」

「ああ、いいえ、でもなんだか照れますね」


◇◇◇試行3


「ナルさん、もう帰った? 今日の仕事はどうだった?」

「餅田さん、ただいま。今日も残業で疲れたよー。でもやり残したこといくつかあるから、明日以降恐怖」

「それは恐怖。でも無理はしないで。ナルさんの体が一番大切だからね」

「ありがとう。餅田さんのほうは?」

「【写真】」

「すごい会場。ここでプレゼンしたの?」

「うん、緊張した」

「すごいね。尊敬する」

「ランチ休憩のレストランがおいしかったよ。今度ナルさんも行こうね」

「ありがとう。早く会いたいな」

「俺も会いたいけど、パスポートの関係でしばらく帰国できそうにないんだ。その手続きさえ終わればすぐなんだけど」

「そうなんだ。手続きは面倒なの?」

「保証金が30万円必要なんだよね。いつも電子マネーだからキャッシュがなくて」

「そうかあ。すぐには下ろせないの?」

「無理だなあ。時間がない。図々しいお願いだけど、もしナルさんが俺の口座に振り込んでくれれば、すぐにでも手続きして、来週直接会ったときに返すよ」

「来週? ずいぶん急だね」

「休暇が取れそうなんだ」

「そうなんだね! 空港は羽田?」

「そう。迎えに来てくれる? どうかな? 振り込みできそう?」

「日程教えてくれたら都合つけてみるよ。本当に保証金が必要なの?」

「餅田さん、ただいま。今日も残業で疲れたよ。でもやり残したことがいくつかあるから、明日以降恐怖」

「ナルさん、お帰り。俺も帰ったよ。まあ明日のことはお互い忘れよう」

「あはは、餅田さんもお疲れさま。いまはなにをしているの? 私はお風呂から上がったところ。

【写真】」

「俺はベッドでだらだらしてるところ。

 えーと、こういう写真を送ってくるのはあまりよくないかと」

「ごめんなさい。迷惑だった?」

「いやいや、むしろその逆だけど! 運営も見てるみたいだからさ、一応」

「そかそか、餅田さん真面目なんだね。素敵」

「真面目っていうか堅物なんだよ、たぶん。それでいままでも上手くいかなかったのかな」

「私は餅田さんのそんなところが好きだよ。でも、それなら私から言わなきゃいけないかな」

「なにを?」

「今度お茶しませんか」

「あ、そうか。ごめん、俺が言うべきだったね」

「ううん。これも私たちらしいじゃない?」

「うわーごめん!」

「いいんだよ、それより返事は?」

「もちろんお願いします。

 どこがいいかな? 帰国は久しぶりだよね? 羽田に迎えに行こうか?」

「嬉しい! だけど、誘っておいてごめんだけど、すぐには会えないんだ」

「そうなんだね、仕事が忙しい?」

「そうなの。実は大ミスしちゃって、急いで30万円用意しなきゃいけないんだ」

「会社の経費では?」

「すぐには稟議がとおらなくて。先に支払えば、あとで返せるんだけど」

「それで毎日忙しかったんだね、つらかったね」

「うん……もし餅田さんさえよければ、立て替えてもらうことってできるかな……?」

「難しい問題だね……」


◇◇◇事象2


|a|^2+|b|^2=1

 羽田空港は規格化条件。観測すれば必ずどちらかの結果に確定する。(本当に?)。


――から、ご搭乗のお客様にご案内いたします。ただいまよりクォーク航空1935便ドバイ行きの搭乗手続きを承ります。お客様は出発カウンターSまで――


 秘密をスキャンする機械に人が並ぶ、並ぶ、並ぶ。男も女も大人も子供も肌の色の黒い人も白い人も褐色の人もスーツケースも。銀色の黒色の白色のピンク色の水色のスーツケース。違う、ここじゃない。ここは出発フロア。到着するほうに行かないと。


 本当に到着するのだろうか。スマホは鳴らない。機内モードだからさ。さあアナウンスに耳を澄ませろ。


――ォーク航空1935便ドバイ行きは、まもなく搭乗手続きを締め切らせていただきます。まだ手続きをお済ませでないお客様は、出発カウンターSまでお急ぎのうえ――


 ロビーの人が動く。波動のように。粒子のように。それは押し寄せては引いていく波。あるいは、ちぐはぐに飛び交う遊離電子。人は人類というかたまりで、人というひとりの人。人はずっとかたまりだったのに、いつの間にかあなたというひとりになった。あなたというひとりを見つけなければ。観測しなければ。軌道を描く電子の一粒となって、激動に立ち向かって進んでいく。


 俺が会話していたのは恋人というコンテクストだった。空港のフロアにはコンテクストの具現があふれかえっている。来た人たち、行く人たち、別れる人たち、繋がる人たち。笑ったり、叫んだり、後悔したり、騙したりしている。ずっとその脈絡に入れてほしかった。


――お待たせいたしました。クォーク航空1935便ドバイ行きは全てのお客様を機内へご案内いたします。搭乗券とパスポートをご用意のうえ、42番ゲートより――


 彼らは行ってしまう。置いていかれてしまう。あの人に会うこともできないまま。ここで会って、ここで別れたドバイ行き1935便の人々。わかってほしい、なぜここにいるか。あなたたちひとりひとりを電子銃で撃ったことを。


 だけど彼女という具現は見つからなかったから、階層を上がることにした。エスカレーターが軌跡を描いて盛り上がっていく。高く高く座標を突き抜け、頂点に達した先で透明なガラスの壁に遮られる。そらが広がっている。いや、からは広がらない。青い底は無限の可能性が多層的に振動するくう間だ。人が歩く。無数の可能性が。ナルという可能性も。


――のご案内をいたします。ドバイからのハドロン航空5391便は、ただいま到着いたし――


 あの電子のやりとりがシナプスとなり、彼我のニューロンを繋いで、ある神経伝達物質が生まれた。物質の名前は言わない。言ったとたんに定義されてしまうから。それは怖いから。

 見えていたものがであると知るのが怖いから。

 確定しなければしんだから。

 人が降りる、降りる、降りる。あなたがいる。私もいる。人がいる。波がいる。粒子がいる。

 ある。

 ここにある。あったはずなのに。


 なぜ言葉以外のものを求めたのだろう。それが俺にとってなぜ必要だったのだろう。疑問ばかりが生まれて、疑問から答えは生まれない。世界は俺にはわからないことだらけだ。ただふたりでいたいと願っただけなのに。彼女がフィギュアスケーターじゃなくたって困らなかった。銀盤をかち割って、氷の破片の中の血まみれの自尊心を引きずり出したい。きっとそこには俺の倨傲も埋まってるんだろう。


 私は到着ゲートの前にいる。

 俺は到着ゲートの前にいる。


 目についたカフェでカフェラテかカフェオレか迷ってカフェラテをテイクアウトする。近くのソファに腰を下ろす。口をつけてみて、ふと本当にカフェラテだろうか、カフェオレかもしれないと思った。カフェオレだったらどうなるのだろう。カフェオレだから変えてくれと言ってもいいものだろうか? たぶん言わないかもしれない。カフェラテかカフェオレか本当はどっちでもいい。カフェラテかカフェオレか決めるのは店員であって「自分」じゃないんじゃないかと思った。

 透明なガラス窓の向こうの青ぞらに、一点の白い粒子が見える。太陽を反射して輝くビーズは次第に膨張しダイアモンドへと変わっていく。やがて全体が形を成すと、実はそれが紡錘形だったと知れる。飛行機は形体と割合の理想的な調和の象徴だ。遠い国から旅してきた、可能性のかたまり。無量大数の光の粒を載せて。

 コーヒーの苦みとミルクの甘みが口の中で融解している。牛乳は嫌い。だけど|カフェラテ|^2+|カフェオレ|^2=1なら飲める。

――最終のご案内を申し上げます。クォーク航空1935便ドバイ行きは、ただいま搭乗口におきまして、最終のご案内中でございます。当便ご利用のお客様は――

 スクリーンに表示されるドットを見るように、あなた(読者であるあなた)は羽田空港の到着ロビーを観測している。

 いま、長い黒髪の女性Aと、着慣れないスーツに身を包んだ男性Bがロビーの両極に立っている。

 AはX軸をプラス方向に移動しはじめた。同時にBはマイナス方向に移動しはじめる。

 到着した飛行機Cの鼻先が空港建物に垂直に向き、Cは座標軸のZ軸方向を原点に向かう。

 原点はゲート前である。A、B、Cは同じ速度で原点を目指す。

 ところが、ある係数が――ある不可知の正の係数αが、AとBにのみ働いた。

 AとBは係数αにより駆け出した。

 このとき、Cは自らを必要とする場所に落ち着き、座標を確定させた。

 係数αは加速度的に増加した。AとBは走った。息が上がる。慣れない靴が痛い。もうなにも聞こえない。

 ゲートがひらき、五月雨のように人が吐き出されている。走りながらそれを観測している。スマホが鳴る。自分は見ない。世界が自分をなぐさめても、あるいは笑っても、その神経伝達物質が生まれたことを知っている。電子が心に干渉した。その不思議さを、自己複製因子たる自分たちは数億年繰り返してきた。

 自分が見ているものとあなたの見ているものは違うかもしれない。

 愛は実験。実験は観測。

 観測するまで確定しない。観測しても確定しないかもしれない。

 自分たちはふたつなのかもしれない。

 自分たちはすでにひとつなのかもしれない。

 カフェラテのように、カフェオレのように、結婚式のように、葬式のように、男のように、女のように、詐欺のように、愛のように、テクストのように、肉体のように、いまそこにいるの?

 クォーク航空1935便ドバイ行きが飛び立つ。

 離陸しながら着陸している。見送りながら迎えている。ロビーにいながら屋根にいる。ここにいながらどこにもいない。次元を超えて撃ち抜いて。まだひとつの素粒子だったころから宇宙の膨張のきわまで、あまねく!

 可能性のプールでいま、粒子と粒子が衝突しようとしている。そのとき再び世界は崩壊するだろう。事象の地平線ですべての

  俺

 自分

    あなた

が拡散する。そしてまた旅に出る。世界が創造され、崩壊し、人が収束し、拡散し、意識が生まれ、無意識に帰り、祈りにも似たエントロピーで永劫を試行し続ける

 空。

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