第3話 深夜のバズり

 現代社会において、情報の拡散速度は魔法よりも速い。

 特に「D-Tube」や「X」といったSNSにおいては、衝撃的な映像は秒速で国境を越える。


 時刻は午後8時を回った頃。

 日本のトレンドワード、そしてD-Tubeの急上昇ランキングは、ある一つの動画によって完全に占拠されていた。


『【放送事故】閃光の剣カイトの配信に映った謎のおっさん、ボスを瞬殺してしまう』

『合成? 本物? 19階層のミノタウロス・ジェネラルが一撃でバラバラに』

『素材を捨てて帰宅する男』

『パジャマおじさん』


 元々はチャンネル登録者数2000人程度の、中堅配信者カイトの枠で起きたハプニングだ。

 しかし、その映像のインパクトはあまりにも強烈すぎた。


 薄暗いダンジョンの通路。

 ヨレヨレの作業着を着た、死んだ魚のような目をした男。

 彼が、あくびをしながら、まるでコンビニに行くついでかのような気軽さで、災害級モンスターであるミノタウロス・ジェネラルを「解体」してのけたのだ。


 ネット掲示板やSNSでは、喧々諤々の議論が巻き起こっていた。


「これ絶対CGだろ。今の技術ならこれくらい作れる」

「いや、カイトの配信は生放送だったぞ。リアルタイムで合成処理なんて無理だ」

「じゃあヤラセ? 事前に弱らせておいたボスを倒したフリしたとか?」

「だとしても、あの『バラバラ死体』の描写はエグすぎる。作り物に見えない」

「てか、このおっさん誰だよ。F級のバッジつけてるぞ」

「F級があの動きできるわけねえだろwww」

「でも最後、魔石だけポケットに入れてたぞ。手慣れすぎてて怖い」


 憶測が憶測を呼び、動画の再生回数は数時間で100万回を突破しようとしていた。

 世界が「彼」を探し始めている。

 だが、当の本人が今どこで何をしているのかを知る者は、まだ誰もいなかった。


 ――ただ一人、都内のとあるマンションの一室で、晩酌を楽しんでいた女性を除いて。


★★★★★★★★★★★


「ぷはぁーっ! 生き返るぅ~!」


 東京都練馬区、探索者協会職員寮。

 その一室で、豪快な感嘆の声が響いた。


 伊藤みのり、28歳。

 探索者協会のダンジョン管理課で主任を務める彼女は、職場では「クールで有能なキャリアウーマン」として通っている。

 キリッとしたタイトスカートの制服を着こなし、膨大な事務処理を涼しい顔で捌く姿は、多くの新人職員や探索者たちの憧れの的だ。


 だが、今の彼女にその面影はない。

 メイクは完全にオフ。髪は適当なシュシュで頭のてっぺんで結び、服装に至っては高校時代のジャージに、伸び切ったTシャツという干物女スタイルだ。

 右手には350mlの缶ビール。

 左手には、コンビニで買った焼き鳥のパック。


「あー、今日も疲れた。カイト君のパーティ、また書類不備で出してくるんだもん。あのリーダー、顔はいいけど字が汚いんだよなぁ……」


 みのりは独り言を呟きながら、焼き鳥を串から直接食らいつく。

 テレビはつけっぱなしのニュース番組。

 スマホでSNSをダラダラと眺めながら、一日の疲れをアルコールで洗浄する。これこそが至福の時間だ。


「ん? 何これ。トレンド入り?」


 Xのタイムラインに、やたらと同じワードが並んでいることに気づく。


 『パジャマおじさん』

 『ミノタウロス瞬殺』


「なにこれ、新しいアニメの宣伝? パジャマおじさんって……語呂悪すぎでしょ」


 興味本位で、添付されていた動画リンクをタップする。

 どうやらD-Tubeの切り抜き動画のようだ。

 サムネイルには、薄暗いダンジョンと、猫背の男の後ろ姿が映っている。


「……ん?」


 再生ボタンを押した瞬間、みのりの手が止まった。

 画面から流れてくる音声。


『あー……腰いてぇ。マジで労災下りねえかな』


 その低く、気だるげな声。

 みのりの眉がピクリと動く。

 聞き覚えがある。いや、聞き覚えどころではない。

 つい数日前も、行きつけの居酒屋で「腰が痛い」「最近の若いモンスターは元気が良すぎる」と愚痴り合っていた相手の声に酷似している。


「まさか……ね」


 嫌な予感が背筋を走る。

 みのりはスマホを顔に近づけ、画面を凝視した。

 映像の中で、男がミノタウロス・ジェネラルと対峙する。

 5メートル級の巨体を前にしても、男は動じない。それどころか、「あーあ」と面倒くさそうに頭を掻いている。

 その仕草。

 その立ち姿。

 そして、わずかに横顔が映った瞬間――。


 無精髭。死んだ魚のような目。目の下の濃いクマ。


「ぶふぉっ!!!」


 みのりは口に含んでいたビールを、盛大に吹き出した。

 琥珀色の液体が霧となって舞い、ローテーブルの上に散乱する。

 だが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


「げほっ、ごほっ! ……う、嘘でしょ!?」


 みのりは涙目になりながら、スマホを両手で掴み直す。

 画面の中では、ちょうど「その瞬間」が訪れていた。


『……悪いけど、残業はお断りだ』


 男が呟き、すれ違いざまにナイフを一閃させる。

 次の瞬間、ボスの巨体が積み木のように崩れ落ちる。

 カメラが捉えた男の横顔は、いつもの「くたびれたおじさん」ではなく、冷徹な「狩人」のそれだった。


 間違いない。

 見間違えるはずがない。


「ゆ、悠作さん……ッ!!??」


 みのりの絶叫が、狭い部屋に響き渡った。

 画面の中の男――鈴木悠作。

 F級ポーターを自称する、彼女の飲み友達であり、協会が極秘にマークしている「規格外」の探索者だ。


「バカ! バカバカバカ! 何やってんのあの人!?」


 みのりはパニック状態で画面に向かって叫ぶ。

 悠作の実力は、協会の一部上層部と、担当であるみのりしか知らないトップシークレットだ。

 いや、正確には「悠作本人が目立つことを嫌がってランク昇格を拒否している」のを、みのりが必死に書類を誤魔化して隠蔽してあげているのだ。

 『彼はただ運が良いだけのF級です』『今回もたまたま魔物が自滅しました』と、毎回苦しい報告書を書き上げて。


 それなのに。

 よりによって、全世界配信で、あんな派手なボス討伐を見せつけるなんて。


「しかも何あのドローン! カイト君のやつじゃん! なんで悠作さんが連れて歩いてんのよ!?」

「あ、素材捨てた! バカ! それ数百万するのに!」

「魔石ポケットに入れないで! 洗濯する時大変なんだから!」


 ツッコミが追いつかない。

 動画は、悠作が気だるげに去っていく後ろ姿で終わっていた。

 コメント欄は阿鼻叫喚の嵐だ。


『こいつ誰だ!? 特定班急げ!』

『F級バッジつけてるぞ! 協会は何を隠してるんだ!』

『日本の秘密兵器か?』

『パジャマのおっさんKAKKEEEEEE!!』


 秘密兵器。

 ある意味では合っているが、実態はただの「定時退社したいおじさん」だ。

 みのりは頭を抱えてソファに突っ伏した。


「終わった……私の平穏な日々が……」

「明日から問い合わせの電話が殺到する……マスコミも来る……」

「どうすんのよこれぇ……隠しきれないよぉ……」


 みのりは呻きながら、スマホを取り直す。

 悠作に電話をかけるが、コール音が鳴るだけで繋がらない。


 「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか……」


「まだダンジョンの中か……! あのバカ、帰ってきたら説教だ……いや、その前に!」


 みのりはガバッと起き上がった。

 酔いは一瞬で覚めていた。

 このままだと、悠作の個人情報が特定され、自宅にYouTuberや野次馬が押し寄せるのは時間の問題だ。

 彼のアパートはセキュリティなんて存在しない、築40年のボロ物件なのだから。


「とりあえず協会の情報操作班に連絡して、動画の拡散を……いや、もう遅いか。なら、逆手にとって『プロモーション映像でした』って嘘をつく? いや、無理がある……」


 優秀な脳みそをフル回転させ、みのりは事態の収拾案を練り始める。

 だが、彼女の奮闘を知る由もなく、当の本人は今まさに、呑気に帰路についているはずだった。


★★★★★★★★★★★


 午後9時過ぎ。

 東京都内、駅から徒歩20分の場所にある、木造アパート『ひまわり荘』。

 その203号室のドアが、キイィ……と錆びついた音を立てて開いた。


「……ただいま」


 暗い部屋に、俺の声が虚しく響く。

 返事はない。あるわけがない。一人暮らし歴12年のベテランだ。

 俺は玄関で泥だらけのブーツを脱ぎ、作業着の上着をハンガーに掛けた。


「ふぅ……今日は疲れたな」


 どっと疲れが押し寄せてくる。

 18階層からの徒歩帰宅。しかも途中でミノタウロスという邪魔が入った。

 予定よりも1時間半のオーバーだ。これは明日の筋肉痛が確定したな。


 俺は洗面所に向かい、顔を洗う。

 鏡に映った自分を見る。無精髭に、目の下のクマ。

 いつもの冴えないおっさんの顔だ。

 さっきまで世界中がこの顔を見て騒いでいたことなど、露ほども知らない俺は、タオルで顔を拭きながらキッチンへと向かった。


 狭い1Kの部屋だが、キッチンだけは異様な充実ぶりを見せている。

 三口コンロに、業務用のオーブン。壁には研ぎ澄まされた包丁がズラリと並び、棚には世界各国のスパイスが瓶詰めされている。

 ここだけ見れば、ミシュラン星付きレストランの厨房のようだ。


「さて、と」


 俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プシュッと開ける。

 喉に流し込む黄金色の液体。炭酸の刺激と苦味が、疲れた体に染み渡る。


「くぅ〜……これの為に生きてるわ」


 至福の一口目を味わった後、俺はエプロンを装着した。

 どんなに疲れていても、料理の手は抜かない。それが俺の流儀だ。

 今日のメインディッシュは、昨日から仕込んでおいた『オーク肉の角煮』だ。

 オークのバラ肉は脂身が多いが、しっかりと下茹でして臭みを消し、特製のタレで長時間煮込むことで、箸で切れるほど柔らかくなる。


 圧力鍋の蓋を開ける。

 湯気と共に、醤油と生姜、そして八角の甘い香りが立ち上った。


「お……いい色だ」


 飴色に輝く肉塊。

 俺は菜箸で一切れ掴み、小皿に移して味見をする。

 口に入れた瞬間、脂身がトロリと溶け出し、肉の旨味が爆発した。


「……完璧だ」


 思わずニヤリと笑みがこぼれる。

 ミノタウロスを倒した時ですら表情を崩さなかった俺が、今、この角煮の前で今日一番の笑顔を見せていた。


「あとは煮玉子を添えて、辛子を少し……っと」


 手早く盛り付けを行い、ちゃぶ台に運ぶ。

 テレビをつける。

 ニュースキャスターが何やら深刻な顔でニュースを読んでいるが、音量を絞っているので内容は聞こえない。

 画面の隅に『謎の探索者、現る?』というテロップが出ているが、俺は興味なくチャンネルを変えた。

 バラエティ番組で芸人が笑っている。これくらいが丁度いい。


 俺は座布団にあぐらをかき、二本目のビールを開けた。

 リュックを失ったのは痛手だが、ポケットに入れたミノタウロスの魔石がある。

 あれを換金すれば、新しい魔法鞄を買って、ついでに良い日本酒も買えるだろう。

 カイトたちとの縁も切れたし、明日からはまた別のパーティを探して、地味に日銭を稼げばいい。


「平和だな」


 俺は角煮を口に運び、ビールを煽る。

 窓の外では、遠くでサイレンの音が聞こえる。

 まるで、これから俺の身に降りかかる騒動を予兆するかのように。


 ブブブッ。ブブブッ。


 テーブルの上に置いていたスマホが震えた。

 着信画面を見る。

 表示されている名前は『伊藤みのり』。


「……げ」


 俺は露骨に嫌な顔をした。

 この時間の電話はロクなことがない。「明日急に人が足りなくなったから来て」とか「報告書のここが読めない」とか、そんな用件に決まっている。

 今はプライベートタイムだ。仕事の話は聞きたくない。


「……気づかなかったことにしよう」


 俺はスマホを裏返し、着信を無視することに決めた。

 明日の朝、適当に「寝てました」と言い訳すればいい。


 ――しかし、俺は知らなかった。


 この着信が、仕事の依頼などという生易しいものではなく、「お前、今すぐ逃げないと人生終わるぞ」という緊急警報だったことを。


 スマホは震え続ける。

 俺はそれを無視して、トロトロの煮玉子を口に放り込んだ。

 うん、味が染みてて美味い。


 この平和な晩酌が、俺にとって「一般人」として過ごす最後の夜になるとは、この時の俺はまだ、微塵も思っていなかったのである。

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