第13話 管理者と役割を外した時間
結界の異常は、早朝に起きた。
正確には、異常というより――揺らぎだった。
「……反応、出てる」
リビングの一角。
ノートパソコンを前に、カナデは淡々と呟いた。
相変わらず、男物のワイシャツは肩から少しずり落ち、黒のミニスカートとのバランスがちぐはぐだ。
だが、本人は一切気にしていない。
「危ないやつ?」
「即時崩壊レベルではない」
キーボードを叩く指は早い。
「……ただし、放置すると“滲む”」
「滲む?」
「境界が」
それだけで、十分だった。
*
調査名目で、俺とカナデは家を出た。
他のメンバーは、それぞれの用事で不在。
珍しく、二人きり。
目的地は、住宅街の外れにある、古い歩道橋。
「ここ?」
「……うん」
彼女は立ち止まり、周囲を見渡す。
目を閉じる。
風が、わずかに歪む。
「……結界、薄い」
そう言って、スマホの画面を確認する。
「ここが、入口のひとつ」
「直せるのか?」
「応急処置なら」
淡々とした口調。
感情は、読み取れない。
作業が始まると、会話は途切れた。
彼女は集中すると、周囲が見えなくなるタイプらしい。
ただ、時折、無意識に俺との距離を詰めてくる。
近い。
だが、それを指摘する気にはならなかった。
*
作業が終わったあと、歩道橋の階段に並んで腰を下ろした。
「……完了」
カナデは短く言う。
「お疲れ」
「……ありがとう」
珍しい言葉だった。
少しだけ、間が空く。
「……あなたは」
唐突に、彼女が口を開いた。
「どうして、ここにいる?」
「住んでるから、だけど」
「……違う」
彼女は、こちらを見ない。
「どうして、“拒まない”」
問いの意味は、すぐに分かった。
異界の住人。
霊。
危険な存在。
普通なら、排除する。
「……成り行き?」
「……成り行きで、世界は歪まない」
少しだけ、声のトーンが変わった。
「……でも、ここは歪んでいる」
風が吹く。
カナデのワイシャツが揺れ、彼女は反射的に裾を押さえた。
その仕草は、あまりにも人間的だった。
「……役割を外すと、判断が鈍る」
ぽつり。
「管理者としては、失格」
「じゃあ、今は?」
少し考える。
「……休憩中」
それは、初めて聞く言葉だった。
*
沈黙。
だが、居心地は悪くない。
「……あなた」
「過去に、何かあった?」
「……まあ」
答えを濁す。
だが、彼女はそれ以上踏み込まなかった。
「……それでも、ここにいる」
小さく、頷く。
「……なら、問題ない」
評価基準が独特すぎる。
「……結界は、あなたに反応している」
「俺に?」
「……精神状態が、錨になっている」
聞き覚えのある言葉。
「……不安定だが、壊れていない」
彼女は、ほんの一瞬だけこちらを見た。
その目は――柔らかかった。
ほんの、一瞬。
すぐに視線を逸らす。
「……だから、ここは保つ」
それが、彼女なりの肯定だった。
*
帰り道。
「……今日は、仕事だった」
唐突に言う。
「でも──」
「……悪くなかった」
それだけ。
それ以上の言葉はない。
だが、管理者としてではなく、
一人の“カナデ”として過ごした時間。
感情は、最小限。
表情は、ほぼ変わらない。
それでも。
確かに――距離は縮まっていた。
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