第11話 回復系少女と何もしない時間
朝だった。
正確には、昼に近い朝。
カーテン越しの光が柔らかく、時間の輪郭が曖昧な時間帯。
リビングには誰もいない――と思っていた。
「……おはよう」
ソファの端に、エイルが座っていた。
いつものように静かで、淡い色の服を着て、何かを考えているのか、いないのか分からない表情。
「おはよう……早いな」
「……ここ、朝がいちばん落ち着く」
それだけ言って、彼女は窓の外を見た。
言葉は少ないが、不思議と会話が途切れた感じはしない。
「今日は……どこか行く?」
「……パワースポット」
「え?」
即答だった。
「……人間界の。行ってみたい」
「なんでまた」
少し考えるような間。
「……似てる。ここに」
つまり、この家と。
*
最初に向かったのは、街外れの小さな神社だった。
観光地でもなんでもない。
地元の人がたまに手を合わせる程度の場所。
「……静か」
エイルは鳥居をくぐるなり、そう呟いた。
「こういうとこ、好きなんだ」
「……うん」
境内の隅に腰を下ろす。
特に何をするわけでもない。
エイルは目を閉じ、深く息を吸った。
それだけで、空気が少し柔らかくなった気がした。
「……回復してる?」
「……少し」
彼女の“少し”は、だいたい“十分”を意味する。
次は、小さな川沿いの遊歩道。
水音と風の音だけがある。
エイルは川を眺めながら、ぽつりと言った。
「……この世界は、ざわざわしてる」
「まあな」
「……でも、ここは、静か」
その言葉が、胸に落ちる。
俺は、ずっとざわざわしていた。
告白して、振られて、何も変われなくて。
引きこもって、時間だけが過ぎて。
なのに。
今は、何も考えなくていい。
*
最後に、公園のベンチに座った。
日差しがちょうどよく、眠くなる。
エイルは、隣に座る。
近い。
だが、不思議と意識しすぎない距離。
「……ねえ」
珍しく、彼女から話しかけてきた。
「ん?」
「……ここに来てから」
少し言葉を探すような間。
「……あなた、前より……静か」
「そうか?」
「……うん。痛い感じが、減った」
ドキリとする。
図星だった。
「……前は、ここ」
彼女は自分の胸に指を当てる。
「……ざらざらしてた」
「……そんな顔してた?」
「……してた」
短く、でも確信のある言い方。
しばらく、沈黙。
それは気まずさじゃない。
ただ、同じ場所で、同じ時間を過ごしているだけ。
エイルが、そっと俺の袖を掴んだ。
「……ここ」
「ん?」
「……離れたくない」
告白でも、恋の言葉でもない。
でも、それ以上に重い言葉だった。
「……俺も、嫌いじゃない」
そう返すと、エイルは小さく頷いた。
それだけ。
手を繋ぐことも、抱きしめることもない。
だが、距離は――これ以上ないほど近かった。
*
帰り道。
夕暮れの空が、オレンジに染まっている。
「……今日は、何もしてないな」
俺が言うと、
「……それが、いちばん」
エイルはそう答えた。
何もしない時間。
それが、確かに俺を回復させていた。
この家が、
この場所が、
この関係が――
少しだけ、救いになっている。
そう思えた一日だった。
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