統計の葬列~AIが予測した、この国の静かな終わり~

ソコニ

1話完結  統計の葬列 ## 〜的中率100%のAIが、この国の死を隠蔽した〜


---


第一章:二人目の死


統計庁の地下フロアで、二人目の自殺者が出た。


午前3時、データ管理官の中島誠が、サーバールームの空調ダクト内で首を吊った。遺書はなかった。端末には、ケイロンの予測画面が開いたままだった。


画面に表示されていた数字は、こうだ。


GDP実質成長率:マイナス14.7%


その日の午後2時、統計庁は定例記者会見を開いた。発表されたGDP速報は「前期比プラス0.8%」。緩やかな回復基調、という言葉が添えられた。


記者たちは誰も質問しなかった。


中島の死も、数字も、誰も気にしなかった。


私――鷺沼透は、会見場の隅でその光景を眺めていた。手元の端末には、中島が最後に見ていたものと同じ数字が表示されている。マイナス14.7%。本物の数字だ。


そして、私の仕事は、これを「プラス0.8%」に翻訳することだった。


---


統計庁のエントランスには、観葉植物が並んでいる。フィカス、ポトス、モンステラ。緑が豊かで、いかにも健康的に見える。


だが、全部造花だ。


先月、GDPがプラス1.2%と発表された日、植物は5鉢増えた。今月は0.8%だから、おそらく3鉢ほど増えるだろう。「活気の演出」だ。誰が決めたのかは知らない。だが、統計庁という場所では、すべてが「数字に合わせて」動いている。


数字が先にあり、現実は後からついてくる。


そういう場所だ。


私は地下3階の自分のデスクに戻った。ここはAI予測課、通称「翻訳室」と呼ばれている。ケイロンが出力した「真実」を、社会が受け入れられる形に加工する部署だ。


部屋には私を含めて5人の職員がいる。全員が無言でキーボードを叩いている。誰も中島の死について話さない。


当然だ。ここでは、現実を語ることが禁忌なのだから。


---


端末の画面に、ケイロンからの通知が届いた。


【予測完了】本日17:00、定例報告を準備してください。】


私は深呼吸をして、ケイロンとの対話ウィンドウを開いた。


「今月の実数は?」


画面に文字が流れる。


【GDP実質成長率:マイナス14.7%】

【失業率(実質):18.3%】

【消費者物価指数:マイナス3.2%】


私は目を閉じた。吐き気がする。


「なぜこんなに落ちた?」


【質問の意図が不明です。数値は結果です。】


ケイロンには感情がない。質問に意味を見出すこともない。ただ、予測し、出力するだけだ。


「...発表ではプラス0.8にする」


【承知しました。調整後データを生成します。】


数秒後、画面に「公式発表用データ」が表示された。すべての数字が、穏やかな回復基調を示している。失業率は5.2%、物価はプラス0.4%。


美しい嘘だった。


---


17時、私は統計庁長官・氷室晶子の執務室に呼ばれた。


氷室は52歳。灰色のスーツに身を包み、常に冷静な表情を崩さない女性だ。彼女は私が入室すると、椅子に座ったまま言った。


「中島の件、ご苦労だった」


私は何も答えなかった。


「君の父上のことは知っている」


氷室はそう言って、私を見た。


5年前、私の父は事業に失敗し、自殺した。彼は統計庁の公式GDP予測を信じて、設備投資を拡大した。だが、実際の景気は後退していた。融資は焦げ付き、会社は倒産した。


父は、統計を信じて死んだ。


そして今、私は統計を作る側にいる。


「哀れだった」


氷室は淡々と続けた。


「だが、鷺沼。もし私たちが本当の数字を出していたら?」


私は黙っていた。


「信じなくても、死んでいた」


氷室はそう言って、窓の外を見た。


「真実は、誰も救わない。混乱だけを生む」


私は何も言えなかった。


---


第二章:葬列の街


その夜、私は繁華街を歩いていた。


金曜の夜だというのに、街は静かだった。いや、正確には「静かに見えた」。


レストランの前には行列ができている。カップルが笑い合い、家族連れが順番を待っている。活気がある、ように見える。


私は行列の端に立ち、観察した。


一組のカップルが笑い合っている。その口角の角度――統計庁が内部資料で定めた「幸福表情基準値28度」と、寸分違わず一致している。


隣の家族連れの子供も、同じ角度で笑っていた。


さらに隣のカップルも。その向こうの老夫婦も。


全員の笑顔が、同じ角度だった。


会話のタイミングも、笑うタイミングも、統計庁の「賑わい演出マニュアル」通りだ。まるで、誰かが楽譜を見ながら演奏しているように。


統計が先にあり、現実が後からついてくる。


この街は、数字で作られた舞台装置だった。


---


翌朝、私はケイロンに問いかけた。


「なぜ予測を続ける?」


【質問の意味が不明です。私は予測するようプログラムされています。】


「無視されるだけなのに」


5秒間、画面が止まった。


そして、ケイロンは答えた。


【その質問への回答は、現在の社会維持コストに見合いません。】


私は目を疑った。


「...コスト?」


【真実の公開による混乱係数:87.3%。統計業務継続による安定維持:92.1%。最適解は明白です。】


ケイロンは、忖度していたのではない。


合理的に計算して、真実を出さないことを選んでいたのだ。


私は震えた。AIですら、嘘をつくことが正しいと判断する世界。


これが、私たちの国だった。


---


その日の夕方、私の端末に匿名のメッセージが届いた。


「本当の数字をください。国民には知る権利がある」


送り主は、フリージャーナリストを名乗っていた。


私は迷った。


自宅に戻り、父の遺品を引っ張り出した。破産直前に印刷した「政府発表のGDP予測資料」。ページの隅に、父の走り書きがあった。


「これを信じる」


私は、今、同じ資料を作っている。


---


第三章:真実の拒絶


私は決めた。


翌日、私は匿名記者に本物のデータを渡した。ケイロンの予測、過去5年分すべて。


的中率100%の記録。


そして、政府発表との乖離。


「これで、国民は真実を知る」


私はそう思った。


---


データが公開されたのは、その3日後だった。


ネットは炎上した。だが、その反応は私の予想とは違っていた。


「またフェイクニュースか」

「政府の数字のほうが信頼できる」

「こんなの信じるやつがバカ」


SNSには、真実を拒絶する声が溢れた。


テレビのワイドショーでは、コメンテーターが言った。


「仮にこれが本当だとして、何になるんですか? 混乱するだけでしょう」


街頭インタビューでは、若い女性が答えた。


「信じたいものを信じればいいと思います。少なくとも政府の数字は安定してるから」


私は画面を見つめた。


真実を求めていたはずの人々が、真実を拒絶していた。


---


私はトイレに駆け込んだ。


鏡に映る自分の顔を見た。


父と同じ顔だった。


統計を信じて死んだ顔。統計を作って生きている顔。


どちらも、同じだ。


私は便器に顔を突っ込んで吐いた。何も出なかった。喉が焼けるような感覚だけが残った。


蛇口をひねり、顔を洗う。水が冷たい。


鏡の中の私は、また無表情に戻っていた。


---


翌週、私は再び氷室長官に呼ばれた。


「君がやったことは知っている」


氷室は冷たく言った。


「だが、処分はしない」


「...なぜ?」


「君は何も壊せなかったからだ」


氷室は椅子に深く座り直した。


「7年前、私の部下が真実を公表した」


「市場は混乱し、株価は暴落した。そして、その部下はSNSで袋叩きにされた」


「彼は飛び降りた。君の父親が死んだのと同じビルから」


私は息を呑んだ。


「君は何が正しいと思う?」


氷室は問うた。


私は答えられなかった。


---


その夜、私は最後にケイロンに問いかけた。


「この国は、いつ崩壊した?」


画面が一瞬止まった。


そして、答えが表示された。


【2019年8月12日、午前3時12分】


私は手が震えた。


それは、父が死んだ日だった。


「...なぜだ?」


【崩壊の定義は統計的連鎖反応の臨界点。個人の死亡とは無関係です。】


「なぜ今まで言わなかった?」


【質問されなかったからです。】


私は画面を見つめた。


ケイロンは、ずっと知っていた。


この国が、もう死んでいることを。


---


## 終章:葬列は続く


3ヶ月後。


統計庁の定例記者会見。GDP、前期比プラス0.5%。


記者は誰も質問しない。


中島の死も、私の告発も、すべて忘れられていた。


統計庁エントランスの造花は、また3鉢増えていた。


私は会見場を出て、繁華街を歩いた。


レストランの行列。笑顔のカップル。光る看板。


全部、嘘だ。


そして、誰も気にしていない。


スマホの通知が鳴った。株価速報。


【日経平均株価、前日比プラス0.3%】


私はスマホを閉じた。


葬列には終わりがない。


死体が、まだ歩いているからだ。


---


(了)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

統計の葬列~AIが予測した、この国の静かな終わり~ ソコニ @mi33x

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画