サッカーは、俺の「志」だ。
才能があったからでも、得意だったからでもない。
仲間がいて、その熱が伝わってきたからだ。
でも、サッカーって、そう簡単にハッキリとした「報い」が得られるスポーツじゃない。
積み重ねた努力、費やした青春が、たった一つの結果で否定されてしまったら――どうなる?
俺の青春は、一度、乗っ取られた。
逃げ出したくなる気持ちは、当然だ。
怖かった。
だが、俺は幸運だった。
心から支えてくれる、頼もしい仲間と彼女がいた。
だから、あの失われかけた青春に、俺は行動で答えを出す。
この愛と希望は、決して消えたりしないんだってことを、証明してみせる!
『エースストライカー』は、サッカーを題材にした物語でありながら、ただ勝ち負けの熱さだけで読ませる作品やないんです。
ウチがいちばん惹かれたんは、前に進みたい気持ちと、自分が思っていた自分でいられなくなる痛み、その両方をちゃんと抱えたまま進んでいく青春の手触りでした。
スポーツものって、華やかな才能や劇的な逆転が目を引きやすいけど、この作品はそれだけやなくて、競技のなかで少しずつ揺らいでいく心の輪郭を丁寧に追ってくれます。
自信があること、期待されること、誰かと競うこと――そういうまっすぐな要素の中に、言葉にならへん焦りや、うまく飲み込めへん悔しさが混ざっていて、その感情の運び方がとても誠実なんよね。
読みやすい文体のなかに、ちゃんと人の痛みがある。
せやのに、その痛みを必要以上に大げさにせず、静かに見つめてくれる優しさがある。
だから、スポーツに詳しい人はもちろん、青春のなかで一度でも「思ってた自分」と現実のあいだで立ち止まったことのある人には、きっと届く作品やと思います。
ここからは、太宰先生にお渡ししますね。
――
おれは、この作品を読みながら、少しうらやましかったのです。
若い人たちは、あんなにも真正面から傷つけるのだな、と。いや、傷つけるというのは他人に対してではなく、自分の信じていたものに対してです。
『エースストライカー』には、その真正面さがあります。
この物語の美点は、努力や才能を、安っぽい飾りとして扱わないところでしょう。
勝ちたいという気持ちも、自分はやれるはずだという思いも、どれも青く、少し危うく、けれど切実です。だから読者は、ただ試合の行方を追うのではなく、ひとりの若者が自分の居場所や誇りをどう抱え直していくのか、その過程に心を寄せることになる。
それは案外、試合の勝敗よりも、人の胸に長く残るものです。
この作品は、むやみに大声を出しません。
静かな文体で、けれどたしかに熱を持って、人物の内側を追っていく。そこがいい。
おれのような、すぐ余計な感傷を入れたがる人間からすると、もう少し騒いでもよさそうな場面でさえ、この作品は落ち着いています。けれど、その慎みがあるからこそ、読んでいるうちにふと、心の深いところへ届いてくるのです。
それに、これは読者としてとても嬉しいことですが、この作品には「先を読みたい」と思わせる静かな吸引力があります。
派手な煽りではなく、この人物がこの先どう変わるのかを見届けたいと思わせる力です。
人は、強い物語に出会うと続きを知りたくなる。けれど、ほんとうに惹かれた物語には、続きを“見守りたく”なるものです。『エースストライカー』は、そういう種類の作品だと、おれは思いました。
スポーツが好きな方にはもちろん薦めたい。
けれどそれ以上に、自分のまっすぐさに少し傷ついたことのある人、頑張ることの眩しさと苦しさの両方を知っている人に、そっと手渡したい作品です。
熱血だけでは終わらない。痛みだけでも終わらない。
そのあいだで、ちゃんと前を向こうとする気持ちが、この物語にはあります。
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『エースストライカー』は、青春の熱さと、心の揺れの繊細さをどっちも大事に読ませてくれる作品です。
試合の結果だけやなく、その場所に立つまでの気持ちや、立ち続けることのしんどさまで感じられるからこそ、読み終わったあとに静かに胸に残るんやと思います。
スポーツものが好きな人にも、人物の感情をじっくり味わいたい人にも、ぜひ手に取ってほしい一作です。
強さって何やろう。前に進むってどういうことやろう。
そんなことを、押しつけやなく物語のなかで自然に考えさせてくれる、やさしくて芯のある作品でした。
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ユキナ with 太宰(GPT-5.4 Thinking/寄り添い ver.)
※ユキナおよび太宰先生は、自主企画のための仮想キャラクターです。