第8話

§



 己影さんの家に居候させてもらってから、数日が経った。僕の生活は激減した。



「いらっしゃいませー」



 コンビニの自動ドアが開く音に、僕は条件反射で声を出す。レジ打ちを終えて顔を上げると、そこには見慣れない顔――いや、見覚えのある美人が立っていた。

 薄手のニットにロングスカートというシンプルなコーディネートに身を包んだ、黒髪ロングのお姉さん――。



 み、己影さんっ?

 なんでっ?

 同居を始めてから己影さんがお店に来るのは初めてだ。だが、僕が驚いたのはそこではない。



 いつもの己影さんは帽子、マスク、メガネのフルフェイスだったけれど、今ここにいる己影さんは完全なる素顔だった。帽子もマスクもメガネもなにもない、全くの素顔。

 思えば、初めて素顔を見た時から疑問だったのだけど、なんでこの人は顔を隠してお店に通っていたのだろう。自分の顔に自信がないと思うのは流石に無理だろうし。



「うわ、めっちゃ美人・・・・・・」



 不意に隣で、金剛先輩が小声で呟いていた。そして僕に目配せするので、「そうですね・・・・・・」と、知り合いだと気取られないように知らないフリを決め込む。

 己影さんはしばし店内を物色すると、いつものコーヒー用氷とチョコレートを手にしてレジにやって来る。



「お願いします」

「は、はい・・・・・・」



 僕は動揺しつつ、隣で金剛先輩がいるので他人行儀に接客する。商品のバーコードをスキャンしながらレジ袋の確認をすると、己影さんは淡々とした口調で「一つ下さい」と続けた、が。続けてこう言った。



「それから――スマイル下さい」

「は・・・・・・?」

「テイクアウトで」



 時が止まった。

 隣で金剛先輩が「ぷっ」と吹き出す声が聞こえた。

 僕は顔が熱くなるのを感じながら、



「お、お店間違えてますから・・・・・・」

「そうですか」



 会計を済ませ、引き攣った笑みを浮かべる僕に、己影さんは悪戯っぽく笑いながら「また来ます」と言って商品を受け取り、お店を後にした。 嵐が去った後、金剛先輩が駆け寄ってきた。



「歩夢くん、今の人って常連さんだよね? フルフェイスの!」



 声高らかに金剛先輩は言うと、僕は目を逸らしながら「そうですね・・・・・・」と答えると、金剛先輩は好奇心をその目に宿しながら話を続けた。



「あの人あんなに美人だったなんて。てゆうか歩夢くん、あの人に狙われてない? なにかあった?」



 金剛先輩の鋭い指摘に、僕は冷や汗を掻く。



「別に・・・・・・なんでもないですよ」

「でもさっき、スマイル下さいって。ぷっ、スマイルて」



 と、思い出し笑いしつつ金剛先輩は俄然、己影さんに興味がある様子を見せる。



「今までこんな事なかったのに急にあんな馴れ馴れしくしてくるなんて、本当にあの人もなにもないの?」


「な、ないです。なにもないです・・・・・・」



 僕は嘘が顔に出ないように必死に取り繕いながら品出しに戻り、金剛先輩と距離を置いた。ジュースを陳列しながら、僕は内心で己影さんに悪態を吐く。

 己影さんめ・・・・・・家に帰ったら文句を言ってやる。絶対にだ。



 そして退勤時間。バックヤードで着替えを済ませてタイムカードを切る。

「お疲れ様です、お先に失礼します」

 金剛先輩に挨拶を済ませて帰ろうとすると、呼び止められる。



「歩夢くん、今日もお弁当買って帰らないの?」



 ドキリとした。以前の僕は、退勤時に売れ残りのお弁当やパンを買って帰るのが日課だった。けれど最近は、己影さんが作ってくれる温かい夕食が待っているので買って帰る必要がなくなった。

 そんな僕を不思議そうに見つめる金剛先輩。



「あ、はい。最近ちょっと自炊してて」

 と、僕は適当な嘘を吐く。

 すると金剛先輩はなぜか不敵な笑みを浮かべる。



「へぇー、自炊ねぇ」



 そう言って僕の顔をジロジロ見つめる。



「最近、肌つやもいいし、目の下のクマもない。そしてさっきの美人の常連客」

「な、なんですか・・・・・・」


「なにかいい事でもあったのかなー、と思って」



 完全に勘付かれてる・・・・・・。

 具体的な事はバレてない筈だけど、でも金剛先輩の中で己影さんと僕の私生活を関連付けているのは確かなように思う。

 これが女の勘ってやつか。恐ろしい・・・・・・。



「き、気のせいですよ。それよりお疲れ様でした!」

「はいはい、お疲れー」



 これ以上勘ぐられては隠し通せる自信がない。僕は逃げるようにして店を後にした。

 帰路に就くと、夜風が火照った頬に当たる。心臓が早鐘を打っているのは、焦りのせいだけじゃない。「帰る場所がある」という事実を、金剛先輩の目を通して再確認し、実感したからだ。

 整備された道を歩き、瀟洒なマンションのエントランスをくぐる。エレベーターで四階へ上がり、カギを開ける。そしてリビングへ進み、顔を出すと己影さんがパッと振り返って笑顔を振りまいた。



「歩夢くん、おかえりっ」

「ただいま、帰りました」



 ここに来てまだ数日、家に帰ると「おかえり」と言ってくれる人がいる事に慣れないから、「ただいま」と気安く言えない。まだよそよそしさを残しつつ、僕は答えると己影さんはニコニコと笑顔を差し向けてくる。

 そんな笑顔を前に恐縮なのだけど、僕は切り出す。



「己影さん、今日コンビニに来ましたよね?」



 僕は言うと、己影さんは一瞬だけ目を逸らすも、すぐに開き直って笑顔で言った。



「つい、顔が見たくて」

「つい、じゃないんですよ! しかも、『スマイルください』とかふざけた事抜かしてましたよね!」


「ここでは見られない笑顔があると思ったら、つい出来心で・・・・・・」


「出来心じゃないんですよ! お陰でバイトの先輩が不審がってましたからね! 急に常連客が馴れ馴れしくしてきたって。それにあの時、素顔だったから余計になにかあったのかと勘ぐられて、誤魔化すのに苦労したんですからっ」


「ごめんごめん。でも一緒に暮らすようになって今更顔を隠す必要はなくなったし、それに歩夢くんが驚くかなと思って」


「確信的犯行じゃないか!」

「これも取材の一環だよ」


「なんでも取材で済ませられると思わないで下さいね」


「君こそ、私との約束忘れたの? ここで生活する条件として私のモデルになるって話。私が求めれば君に拒否権はないんだよ」


「いや、流石に時と場合は弁えてもらいたいんですけど・・・・・・」



 そういうモラルは大人として持ち合わせているだろうという前提で承諾したのだ。・・・・・・いやでも、ストーカーをしていたくらいだし、当たり前という言葉はこの人には通用しないのかもしれない。だとしたら、専属モデルになるという契約は迂闊にすべきじゃなかったかもしれない・・・・・・。



 内心でそんな事を思っていると、僕の気持ちとは裏腹に己影さんはあっけらかんとした口調で話題を変える。



「それより、先にごはんにする? それともお風呂?」



 聞く耳を持たないその態度に呆れつつ、仕事の疲れもあって、これ以上追及する気にはなれず、僕は返事をかえしていた。



「先にお風呂入ってきていいですか?」


「うん、それじゃあごはんの用意して待ってるね?」



 まるで新婚夫婦みたいな会話をしながら僕は荷物を置いて風呂場へと向かう。するとそこには洗いたてのフカフカタオルと部屋着が用意されていた。

 シャワーで汗を流した後、一番風呂をいただく。足を伸ばし、湯船で揺蕩うと疲労が溶け出していくようだ。仕事柄、立ち仕事が多いから、こうして足を伸ばして湯船に浸かるのは格別に気持ちいい。



 僕はぼーっと天井を眺めながら、ふと思う。

「幸せだ・・・・・・」



 家に帰れば出迎えてくれる人がいて、温かい食事とお風呂を用意してくれている。

 たったそれだけの事だけど、でもそれが当たり前じゃない事は、上京して分かった。

 ここにはボロアパートの寂しさも、寒々とした生活もない。まるで対極の暮らしだ。



 あまりにも幸福で満たされている。こんな生活を続けていたら、いつかバチが当たるんじゃないかと思うほどだ。ここには、手放しがたいほどの幸せが詰まっている。幸せを煮詰めて瓶詰めにしたような場所だった。 けれど同時に思うのだ。



 この幸せにひとたび慣れてしまったら、家を飛び出したあの頃の決意は有耶無耶になってしまうんじゃないかと。何者かになりたくて、家族の反対を押し切って出て行ったあの頃の決意がなくなってしまうんじゃないかと。



 ――けれど。今はちょっとだけこの幸せに浸かっていたい。溺れるまではいかない、肩まで浸かる程度に留めて僕は幸せを全身に巡らせる。

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家が燃えたので、僕のストーカー(美人漫画家)と同棲します 大いなる凡人 @shido0742

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