類と呼ぶ

ぶちギレオタク

1

「ねーさんっ」

 前振りもなく開かれる扉に書きかけの字がぶれる。こんな入り方、こんな呼び方してくる人なんて一人しかいないのに、ふわりと漂ってくる芳香が過剰に招かざる客の正体を示す。

「ノック。あと返事待って」

「はーい」

 反省の意が欠片も込められてない間延びした声につい出そうになったため息を飲み込んで、振り返る。まるで上機嫌な猫のように、かおりが跳ねるようにこれまた断りなくぽふとベッドへ腰かける。まさに猫にしか許されない傍若無人さ。猫くらいかわいくなければ許されない無遠慮なのに、自分のかわいさをちゃんと自覚してやってるから尚更たちが悪い。

「で、何か用?」

 ペンを置き、人の枕を勝手に抱え、すっかり居座る体勢に入ったかおりへきちんと体ごと向き直る。にんまりと微笑まれる。構うから行為を助長させるよという理性の声には聞こえないフリ。

「今度のコンクールに絵を出すけど、姉さんにモデルやって欲しくて」

 ぎゅっと枕を抱きしめて、かおりがこちらへ身を乗り出す。上目遣いで覗き込み、殊更に甘い声でねだる。

 ふむと腕を組み、片眉だけ上げて続きを促す。あのかおりがモデルを頼むだけで、こんなあざとく媚びるわけがない。受験生の貴重な時間を割かせるからなんて殊勝さ、端から考えすらもしなかったに違いない。裸婦画でも描くつもりか。

「その際着てもらいたい衣装もあって、ワンピースの」

 かちりと、きつく歯を噛みしめた音が部屋に響く。実感できる勢いで血液が急速に頭にのぼり、怒りが熱量として計測できるほど実体を持つ。裸婦画の方がまだマシだった。

「断る」

 予想できた反応か、切り捨てるような拒絶にかおりは怯まない。それが一層苛立ちを煽る。

「ただの服でしょ、そんな嫌がらなくても」

 ただの服、なんてぞんざいな物言いに一瞬目の前が赤くなった。ふざけるな。

 身だしなみ、振る舞い、言葉遣い一つにも、生活のありとあらゆるところから性に合わない「らしさ」を強いられるおぞましさもわからないくせに。正反対の性だったらまだわかりやすく反抗できたのに。どちらでもないなんて、声すら上げられない。窒息する程ではないから、ただじっと息苦しさに耐えるしかない日々を勝手に「ただの」に貶めるなんてふざけるな。

 頭に血が上っていた。

 デリケートな地雷を的確に踏み抜かれた。

 見えていたのに捨て置かれたその傲慢を、ぐちゃぐちゃに砕いてやりたかった。

 引きずり落したかった。

 言い訳ならいくらでもできる。結局、私は。

「あんたが、」

 私と違って、学校指定のブレザーとプリーツスカートを何の違和感もなく着こなすかおりの肩を掴んで、押し倒した。

「私に抱かれるくらい嫌だって、言えばわかる?」


 怒りに飲まれて暴力に走る短絡さがあった方がよかったのか。

 自分のコンプレックスに折り合いが付けれるもっと冷めた客観視があった方がよかったのか。

 それとも、血の繋がった実の妹に魅力を覚えない感受性があった方がよかったのか。

 そのどれも欠いた果て、かおりは丸く目を瞠って、私の下に組み敷かれている。

 きょとんとした顔のままで、状況を正しく認識してないのか抵抗どころか、抱えた枕すらそのままに身じろぎ一つしない。その常識的な呑気さを引き裂きたい。

「いいよ」

「は?」

「だから抱いていいよ」

 と思ったのに。あっさり吐かれた受容に眩暈がした。

「あんた……」

 ばか?気が狂った?自分を何だと思ってる?

 言いたいことがいっぺんに詰め掛けて、言葉に詰まる。

「それで姉さんが買えるなら、いくらでも抱いていいよ」

 だから姉さん、描かせて。

 見上げる瞳が蜂蜜のように蕩けて、奥に孕んだ言い知れぬ熱に背筋がぞくりとする。無邪気な笑顔はわがままをせがむ少女のままなのに。

 それが情欲ならまだよかった。自分の薄暗いそれとは明確に異質なものに却って怯みそうになる。

「物の喩えって、知ってる?」

 囚える側のはずが、気付けば逃げ道を探している。僅かに首を傾げて、かおりは視線を離さない。

「知ってるけど、姉さん本気でしょ。咄嗟に出てくるくらいだし」

 当たり前すぎる指摘に押し黙る。

 自認は生まれつき周りの期待とのずれから自覚できるが、指向は意識する相手がいて初めて明確に認識できる。私の場合、最悪なことにその相手は実の妹 かおりだった。

 最初にそれに気付かされたのは匂いだった。甘く、花に近いが決定的に違う、嗅ぐだけで安らぎ、漂うだけでふらっと追いかけたくなる香り。残り香だけでかおりがいた痕跡を判別できる、というのは異常なことって、母に怪訝な目を向けられてようやくわかった。

 過剰な関心を隠すよう覚えた後でも、視線がかおりに吸い寄られるのは止められなかった。同じ家で暮らしているからいくらでも隙を見せられた首筋、しなやかに伸び行く肢体、だらしなく寝転がる時に覗く腰元。視覚情報を遮断したところで呼吸まで止められず、息を吸うだけで鼻は鋭敏に甘い香りを拾い上げて、それだけで理性が揺らいだ。最悪だった。最悪だ。

 気ままな猫のように時折甘えてくるかおりを突き放すこともできず、物理的に距離を取って頭を冷やすことも叶わず、自分ではどうしようもない情念だけ降り積もった結果、今。


 怒りで箍が飛んで、口が滑って、今。

 関係が決定的に破綻するはずが、なぜかあっさり受け容れられた。自分で作り出した状況なのに、何か致命的なものを見落とした気がしてならない。

 動けずにいるとすっと頬を撫でられ、背中が粟立つ。いつの間に枕を放り出したかおりが手を伸ばして、誘うように耳元をくすぐる。

「姉さん」

 甘く、濡れた吐息。どろりと絡みつくような熱っぽい視線。ねちっこく、感官に訴える愛撫。

 よう、ではなく、誘っている。明確に。誤解の余地なく。躊躇いなく。

 頭がくらくらする。触れられたところからかおりの匂いが纏わりついて、わかりたくない言葉ばかり喚いて脳内がうるさい。

 しゅるとリボンを引き抜く衣擦れがやけに耳に響く。ほっそりした指がブラウスのボタンに添えて、ぷちぷちと一つずつ外していく。白い素肌が覗く。華奢な鎖骨が顕わになる。無防備な肌着が外気に晒される。ぱさりと払って、かおりは自らの守りを剥いで、柔らかい中身を曝け出す。

「姉さん」

 服従を示すように両手を投げ出し、指先だけ彼女の両側につっかえている腕に絡みつく。手の甲を撫ぜられる熱に息が鋭くなる。

 人間の鈍い爪先では握りしめたところでシーツすら破けやしない。なら噛みついたって傷つけやしないだろう。とめどなく押し寄せる欲を振り払うように、吠える。

「あんた……マジでなんなの?こんなのおかしいと思わない?」

「おかしいって、ただのセックスでしょ?」

「実の姉とのセックスだろうが」

「だから?」

 かひゅっと、吸う息を間違えた音がする。さっきから頭に血が集まりすぎて、目眩を通り越して頭が痛い。

「……あんた、押し倒されれば誰でも股を開くわけ?」

「流石に誰でもとはしないよ。姉さんでしょ?」

「だからそれがおかしいっつってんだろうが。なに、あんた私が好きだった?」

「そんなわけないでしょ」

 ころころと、かおりがおかしそうに笑う。後頭部がすぅと冷える。当たり前で、繰り返し自分に言い聞かしても、胸が軋む感覚までは止められない。

「だったらなんなんだよ。好きでもないのに何で私に抱かれようとしてんだよ」

「えぇ、言ったじゃん。姉さんを描かせてくれるんなら、抱いてもいいって」

 すっと手を伸ばし、かおりが私を抱き寄せる。大して強い力でもないのに逆らうという発想も浮かばないまま、引き寄せられ、かおりが目を瞑って尚も引き込み――

 ばっと顔を背けて、着地点をずらされかおりの髪に顔を埋める。ぶわっと濃厚に香る匂いに脳内を侵襲され、一時だけ取り戻した思考がまたぐずぐずと崩れそうになる。死を紙一重に回避したとばかりに心臓が急拍子を刻む。そんなの欠片も気にかけず、耳元でかおりがくすくすと笑う。

「わたしには、姉さんが必要」

 背中に回る両腕がなぜか蛇を思わせて、ぞくりとする。

「悪魔に魂を売る人だっているんだ、体ぐらい、安いと思わない?」

「……この、アートの売女め」

 くすくすと笑ったまま、かおりは否定せず、ぐっと自分の体を押し付ける。体と体に挟まれ押し潰された胸の弾力。受容するように開いて絡みつく両足。仔猫の戯れのように柔く背中を引っ掻く爪先。

「それで、姉さんはわたしに買わせてくれる?」


 あの甘い香りの根本に舌を這わせればきっと甘いだろうと思っていたのに、当然のように皮膚の無味と若干の汗のしょっぱさしかしない。撫ぜると時折物理的な反発以外の弾みでかおりが揺れる。淡白な情報にかおりというタグが付いた途端病みつきの味わいに変わり、余さず拾い上げようと脳が過熱する。余白を持とうとして深呼吸しても、本能を駆り立てる香りに溺れる。

 酸素を求めて、腕をつく。一息をして、喉が引き攣る。知るはずのなかった、日に焼かれることのない生白さ。丸みを帯びた曲線。しとげなく投げ出された嫋やかな肢体。いとも簡単に差し出されて、胸の内が酷くざらつく。同じ構造のはずなのに、どうしたって別の生き物にしか思えない。

 でも、だからこそ。そそられる。

 汗ばみ、しっとりと手に吸いつく肌が薄らと赤らむ。愛撫を重ねればぴくりと跳ねる腰。ただの吐息以外の音節がかおりの声に混ざる。

 頭がおかしくて、さっきから体温が上昇しっぱなしのはずなのに、寒さに凍えるように体が震える。

「いつき」

「――え」

 硬直する。反射的に顔を向ける。上気したかおりが首元に腕を回し引き寄せ――

 唇が塞がれる。むにゅっと柔らかい感触を押し付けられ、形を確かめるように食まれる。開いた隙間から湿った息が漏れ出て、ぬめっとしたものに舐められてようやく我に返る。

「っ!あんた、最悪」

 肩を掴んで、ベッドに押さえつけたかおりを睨む。出したままの舌でペロっと唇を舐めて、かおりはけろりと笑う。

「なんで?いつきってこういうのしたかったじゃない?」

「名前で呼ぶな」

「こういう時に姉さんって呼ぶ方が変じゃない?」

 抵抗する意思を露ほども見せず、かおりは従順に横たわっている。こてんと小首を傾げて、相も変わらず悪びれない。そもそも悪気がない。知っている。知っている。骨身に染みるほど、よく知っている。

「あんたに名前で呼ばれるよりはマシ」

「そうかな。わたしは別にいいよ?」

 甘える猫のように手に擦り寄り、かおりがちらっと流し目を送る。

「今のままでも、恋人でも。姉さんがずっとわたしの女神にいてさえくれたら、何でも好きにして」

 するりと手を絡めとられて、かおりの左胸へと誘導される。掌にとくとくと鼓動が打つ度に背筋が冷えていく。

「……なんだよ、女神って」

「女神は女神だよ」

 わたしの、アートの女神。

 歌うように、かおりが嘯く。指と指を絡ませた手を口元に持ち上げて、悪戯するように指先を甘く齧る。

「姉さんといるとね、何でも描けちゃうの」

 秘密を打ち明けるように囁いて、かおりがくすくすと笑う。

「だから、描かせて抱いて?」

 ぬるっと、指の腹がかおりの舌に包まれる。乞うようにさすられる。

 体の震えはとっくに止まっていた。冴え冴えしたこの熱を、何と呼ぼうか。

 誘われるまま、噛みつくように、かおりの唇を奪う。


 ねえさん。

 熱に浮かされるように、愛おしむように呼ばれる。濡れた目元を緩ませて、そのくせ瞳だけは寸分の狂いなくじっと私を捉える。

 かつて、カメラに撮られた人は魂を抜き取られたという。

 ならば、彼女の瞳に捕らえられれば、自分も作品の中に魂を永久に閉じ込められるのではないだろうか。

 それは相応しい代価に思えた。

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