ねえ、世界が消えはじめたんだ。
ゆきんこ
ねえ、世界が消えはじめたんだ。
朝、机の上のペンがないことに気づいた。昨日、確かに置いたはずの黒いペンは、どこを探しても見つからない。「置き忘れたのか」と思い、もう一度机の上を整理する。だが、カップも、時計も、ノートも――すべてが、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。
違和感は、ほんの小さな出来事から始まった。しかし、日を追うごとに、それは大きくなっていった。家の中の家具が少しずつ減り、壁の色も薄れていく。窓の外の景色も変わり、いつも見かける人々の姿はまばらになった。声が聞こえない。街を歩いても、笑い声も足音も、遠くからかすかに響く程度だ。
大切な人の名前を呼んだ。けれど返事はない。振り向いても、誰もいない。微笑もうとする顔も、手を振る姿も、少しずつ遠ざかる。孤独が、静かに、確実に積み重なっていく。
私は毎日を、ただ生きているだけのように過ごしていた。食事も、歩くことも、呼吸もできる。でも、心は重く、世界はどこか空虚だった。昨日の出来事や、ほんの些細な思い出の断片さえ、薄れていく。名前を呼んでも、誰も振り向かない。音も、匂いも、色も、触れる感覚さえ、少しずつ消えていった。
ある夜、ベッドに横たわり、窓の外の街をぼんやり眺めた。そこには、かつての賑わいはなく、淡く白い霧のような空間だけが広がっていた。遠くに見えるはずの街灯も、車の光も、消えている。心の奥底で、私は気づいていた。これは、終わりへ向かう途中の夢なのだと。死ぬ直前の、私だけの夢。
その日から、世界はさらに静かになった。音は完全に消え、触れている感覚もわからない。空気の温度も匂いもなく、光さえ失われつつある。存在の境界がぼやけ、私は自分がどこにいるのかもわからなくなった。孤独が、私を包み込み、世界のすべてが白く溶けていく。
それでも、心の奥底で希望のような感覚が残っていた。もしかしたら、最後に何かが残るかもしれない――そんな淡い期待。
そして、すべてが消えたその瞬間、光が差し込んだ。柔らかく暖かい光。視界が一瞬だけ戻り、私の大切な人や家族の顔があった。泣きそうな顔、微笑もうとする顔、優しく手を差し伸べる手。声は聞こえない。触れている感覚もない。
それでも、私はわかった。私はひとりじゃない。存在していた世界の記憶も、残った人々も、すべてが私を見守っていることを。
視界はゆっくりと閉じていく。最後に残ったのは、安心だけ。静かでやさしい光に包まれながら、私は世界と一体になり、すべてが静かに消えていった。
ねえ、世界が消えはじめたんだ。 ゆきんこ @komorebi_
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