もしもこの世から、春が消えたなら
もも
もしも、春が来なかったら
もう暖かくなってもいい季節にも関わらず、窓からの景色は白一色。空も生憎の灰色だ。
まるで、晴らしてくれるなよと言わんばかりの天気に、人々はうんざりとした顔を見せている。
異常気象。
その言葉が日常になった頃、日本の四季は、静かに姿を消した。
かつては、ここにも、桜が咲いていた時があった。もう、何年も前の話だ。
そのピンクの綺麗さを、もう何年見ていないのだろう。
日本の四季から、春と秋が完全に姿をなくしてしまった頃から、日本から、桜が消えた。
正確に言えば、咲かなくなってしまった。
夏には緑の葉をつけるだけ。冬には枯れて葉が落ちるだけ。
そんな寂しい季節になってしまった。
「
私がいるのは、決して豪華ではないが、不便もない、極一般的な老人ホームだ。ここには何もかもがあって。何もかもがなかった。
家族が来ることもない。
当然さ。
私は褒められた父親ではなかったからだ。今更その事を悔やむつもりはない。私にとっては、それが最善だったからだ。あの頃の私は、抜け殻だったから。
「佐々木さん、ご飯食べましょう」
「……餅はないのか」
「桜餅ですか?駄目ですよ。血糖値、上がったらどうするんですか。」
「…全く、つまらんの」
ここでは、何もかもがない。桜餅もない。
外を見ても、桜がない。
「佐々木さん」
「昔は綺麗だったんだ。家の庭に大きな木もあった。本当だ。」
「そうなんですね」
「信じてないだろ。本当にあったんだって」
* * * * *
「佐々木さん見て!これ、凄く綺麗。」
「本当だ。こんな綺麗に落ちてるなんて」
「ふふ、これ私が貰うわ」
「けど、そんなの拾ってどうするんだ?綺麗だけど、飾ってもすぐに枯れてしまうだろう」
彼女の笑顔は、まるで満開の桜のように美しかった。
「ほら、綺麗でしょう?」
花びら全部つけたまま、落ちてしまった桜を、彼女は水の入ったコップに浮かべた。
「あぁ、本当に。綺麗だ」
「佐々木さんったら、何のことを言ってるの?」
「な、にって。桜じゃないか…」
「ふふ、そうかな?」
「…そうだよ、」
「なんだ。」
「なんだって…、なんだよ。」
「てっきり、私に言ってるんだと思って。」
彼女は私なんかよりも何枚も上手で、いつも私をからかうように笑ってた。
その日彼女と桜を見たのは、2度目の春だった。
「……そう。」
「何?」
「そう、だ!君に言ったんだ!君が、あまりにも綺麗だと思ったんだ!」
一世一代の告白だったのに。
彼女はそんな私を、やっぱり笑うんだ。だから私も、つられて笑った。
桜の花びらが、まるでそんな2人を祝うようにひらひらと舞った。
* * * * *
「彼女は私の、生涯でたった一人愛した人だった。」
「素敵ですね。」
「そう思うかい?」
「えぇ。さぁもう休みましょう。」
「まだ話したりない。」
「でももう夜ですよ。」
「なぜ時間だけは平等にやって来るんだ。」
女性のヘルパーは、私に眠るようにベッドへと促す。まだ話し足りない。まだ、眠りたくない。それでも、どうしてか夜は音もなく、近づいて来て、いつの間にかそこにいる。
「分かったよ。もう寝るよ。」
「はい。おやすみなさい。」
「起きたら桜、咲いてるかもしれないからな。」
「そうだといいですね。」
何度そう言って目を閉じたことだろうか。
いつか、またいつか。何回願って来ただろうか。結局いつも、私の願いは何一つ、叶えられずに消えていった。
「雪、やみましたね。」
「…また、暑くなるのかね。」
「エアコンのリモコン、置いておきますね。」
雪がやめば、次第に夏が訪れる。また、春のチャンスは影を薄くしていく。
「今年も、無理なのかね」
「どうですかね。でもまた来年ありますよ。」
「来年か。あるのかな。」
恐らく私は、もう長くはないことを感じている。なんとも不思議な感覚だ。死期が近づいた人間は、こうも勘が働くものなのだろうかと、自分でも驚いている。今まで目覚めたことのない力が宿るような。不思議だ。
だから、私には分かる。きっと来年はないのだと言うことが。
「昨日の続き、聞いてくれるか」
* * * * *
「結婚!してください!」
「佐々木さん。手、震えてますよ。」
「ふ、震えてません!」
「頑張ってくれたんですね。私の為に。」
彼女が、私の手を上から包むように握ってくれた。その手はとても温かかった。
「よろしくお願いします。」
「え……本当に!本当ですか!え、夢?夢じゃないですよね!や、やったー!!!」
「やったーって。」
彼女が笑ってくれた。私はそれだけで、幸せだった。
これから一生かけて、私が幸せにします。そう、約束したんです。
「あなたを、幸せにさせてください」
「私、大変ですよ?」
「はい。」
「結構大雑把ですし。寝顔なんて、酷いですよ。目、ちょっと開きます。」
「それは…少し、見てみたいですね。」
「勝手に見たら許しません。」
「わかりました。見たい時は、確認します。」
「ふふ、佐々木さんって本当変わってます。」
「変わってますか…私」
持っていた鞄から、1冊の本を取り出して、その本に挟んで置いたしおりを、彼女に渡した。
「これ。」
「桜の押し花です。ごめんなさい、指輪はまだ、用意出来てなくて。こんなものしかないんです。でも、いつか必ず!」
「佐々木さん」
「……はい」
「凄く、凄く嬉しい」
彼女の綺麗な瞳から、涙が一粒零れ落ちる姿が美しくて。私は一生忘れないと誓った。
この日は春らしくぽかぽかとしていて、桜もまだ満開を迎えてすぐの頃で、それはそれは美しい春の日だった。
これが彼女と見た最後の桜になるとは、その時は思ってもいなかった。
これが最後だと知っていたのなら、もっと何か、彼女に出来ることがあったのではないかと、今でも考えては、答えの出ない問いに、苦しむ時がある。
でも、私はあの日
確かに幸せだったということだけは、どうか伝えさせて欲しい。
* * * * *
「それで、どうなっちゃったんですか。」
女性のヘルパーの姿勢が、少しだけ前のめりになった気がした。
「あぁ。それでな…。」
「佐々木さん?」
「……今日はちょっと、気分が良くないみたいだ。」
「もう、休みましょうか。また、明日聞かせてください。」
「……そうするよ。」
記憶というものは曖昧で。ずっと覚えていようと思っていたものも、いつの間にかあやふやになっていってしまう。
もう、彼女の笑顔でさえ、どんな風に笑っていたのだろうかと、時々思い出せなくなることが増えた。
あの日誓ったことは、もう果たせなくなってしまっているのだろうか。だとしたら、申し訳ない。
きっと今頃、私のことを怒っているかな。
「忘れん坊の佐々木勇!《ささきいさむ》」
なんて、昔は良く怒られたものだ。
あぁ、分かってるよ。ごめんな。
* * * * *
「え……それ、どういうこと。」
「余命半年だって。」
「……ま、待って。え、何。何かの冗談?……全然笑えないんだけど」
「ね。私もそう思った。」
「だって、君…全然元気じゃないか。」
「うん。ね。不思議。」
「不思議って……。」
どうして、彼女は笑っているのだろうと、私は怒っていた。
決して彼女に対してではない。しかし、確かに彼女に怒っていた。
「……なんで、君なんだ。」
「大丈夫よ。佐々木さん。」
「大丈夫って…何が。」
「だって私、まだ生きてるわ。」
彼女の笑顔が、苦しかった。
彼女はとっくに自分の病気を受け入れていて、なんでもない風に笑ってた。それが私には、辛かった。
「佐々木さん。無理しなくていいのよ。佐々木さんが辛ければ、無理に会いに来なくていいわ。」
「……そんなこと。」
完全に、否定することが出来なかった。
彼女は私の全てだったから。私にはとても、受け入れることが出来なかったんだ。
「私は大丈夫よ。一人でもやっていけるわ。」
私は、彼女の手を、一度離した。
離してしまった。
彼女の強さから。
それが偽りだと、気付かぬように。
彼女から、離れた。
何度も、何度も悔いている。
あの日彼女が震えていたのを、私は気づけたはずだったのに。長い間、一人にさせた。その罰が今、巡り巡ってやって来てる。
「……佐々木さん!佐々木さん?分かりますか?」
「……分かります」
「良かった……。」
ヘルパーさんの顔色が悪い。私はきっと、生死を彷徨ったのだろう。
室内に流れる空気は、張り詰めていた。
「ご家族の方に、連絡したのですが…」
「……ありがとう。」
「……すみません。」
「あなたが謝ることじゃ、ないですよ。」
「でも…。」
「全ては、私がしたことの報いですから。」
でももし、もう一度私に会ってくれるというなら。謝りたい。
今更何をと言うかもしれないが、本当に申し訳ないと思っていると、一言でも。なんて、都合がいいよな。
「……続き、聞いてくれるか。」
「でも、今は休んだほうが。」
「いいや。今、話したい気分なんだ。」
「…分かりました。聞きますから。」
「ありがとう。」
* * * * *
私が彼女と向き合えるようになるまで、ふた月もかかってしまった。
「……ごめん。遅くなって。」
彼女はそんな私を見て、「おかえり」と涙を流した。その涙を見て、私は後悔の念にかられた。やはり、彼女を一人にするべきではなかったと。一緒に、苦しむことを選ぶべきだったと。
「ごめん、ごめん、ごめんな。」
「いいの。悪いのは私よ。病気になんかなった私が悪いのよ。」
「なんで君が悪いんだ!君は何も、何も悪くないじゃないか。」
「……佐々木さん」
「悪いのは私だよ。頼むから、私を憎んでくれ。」
「そんなこと、出来ないわ。」
彼女が私の頬に触れてくれた。その手は、前よりもずっと細かった。
ごめん、心細かっただろうに。苦しかっただろうに。
その手を強く握った。
もう、二度と離しはしないよ。ごめん、ごめん。
「…愛してる。」
「……私もよ。愛してる。」
彼女の弱った身体を、優しく抱きしめた。彼女の変化に、私は涙が止まらなかった。
「大丈夫だ。私がいる。だから、大丈夫だ。」
「……佐々木さんてば、大袈裟よ。」
「ほら」と笑って、彼女はまた「私は生きてるわ」と高らかに言う。
「そうだな。ちゃんと生きてるな。」
だから私も、彼女と生きることにした。もう、涙は見せないと決めた。
彼女の笑顔が、やっぱり何よりも好きだったから。
「来年の桜、一緒に見ようね。」
秋の紅葉が見える頃に、彼女が言った。
「ここの庭、桜の木沢山あるらしい。」
「窓からでも見れるかな。」
「んー。あ、あれ。桜の木だよ。」
「ベッド起こせばギリギリ見えるね。」
「見えるところまで、私が連れていくよ。」
「おんぶでね。」
「え、おんぶ?」
「そう。おんぶ。おんぶで花見、良くない?」
「恥ずかしくないのかそれ。」
「だって私背低いし。おんぶだったらほら、佐々木さんと同じ目線で、桜が見えるでしょ?それって素敵じゃない?」
彼女はいつも、斜め上な考えを言う。
それが私には新鮮で、可笑しかった。
「そんなに笑う?」
「はは、ごめん。素敵だなって思って。」
「本当に思ってるの?それ。」
「思ってるって。ごめん。機嫌直して。」
「じゃあ…桜餅。桜餅で許すわ。」
「桜餅?今売ってるのかな。」
「売ってるとこ見つけて買ってきて。じゃないとずーっと、怒ってるからね。」
「それは嫌だな。」
「でしょう。」
「はは。分かったよ。見つけて買ってくる。」
「絶対ね。約束だからね。」
「あぁ。約束だ。」
彼女の細い指と、指切りをした。
それが彼女の願いだというなら。私はなんでもするよ。
かと言っても桜餅。見かけるのは2月から4月辺りだろう。当然近場のスーパーやコンビニには置いてあるはずもない。
知り合いに、聞いて回ったとこ。隣町の和菓子屋にあるという情報を聞きつけ、急ぎ向かった。
「桜餅、あるだけください。」
「桜餅ね。」
1つだけじゃ、きっと許してくれないだろうから。沢山あれば、きっと彼女もびっくりするだろうな。喜ぶだろうな。
「彼女が、好きなんですよ。」
「彼女さんが。そうかい。」
「はい。……彼女って言いますか。うちの奥さんが。」
生まれて初めて、奥さんという言葉を使った。
「新婚さんかい?」
「プロポーズ、しまして。」
「ほおー。そりゃお祝いだな。これも、持ってきな。」
とても気前のいいお父さんで、大福も、サービスして入れてくれた。
「ありがとうございます。喜びます!」
指輪、ようやく買いましたよ。
この指輪と桜餅見たら、きっと病気なんかどこか行っちゃうんじゃないかな。そんな希望を抱きながら、病院まで車を飛ばした。
楽しみに待っててよ。
……なんて。
「……」
桜餅の袋が、冷たい床に落ちてグシャッと鈍い音がした。
「……ばかだな。私は。」
私は結局、指輪も渡せないまま。
彼女を怒らせたまま。
最期に傍にいることすら出来なかった。
「……
一度も、名前すら呼べなかった。
もう二度と、返ってこない返事に。
もう二度と、微笑まない彼女に。
もう二度と……。
「……花江、花江っ!」
幸せに、してやれなかった。
ごめんな。花江。ごめん。
私を、どうか許してくれ……。
* * * * *
花江が亡くなったその年、春はやって来なかった。
異常気象の影響だろうか。
当然桜が咲くことも無く、花江に届くこともなかった。
「…桜、見せてやりたかったのにな。もしかして、桜餅、まだ怒ってる?いい加減、機嫌直してよ。」
そうだよな。一緒に見るって、約束したもんな。私だけ桜を見るのは、違うよな。
分かったよ。本当に、予想外だよ花江は。
「……佐々木さん」
「…………花江」
「……これ。大事なものじゃないですか。」
女性のヘルパーが、私の手に握らせてくれたのは、桜の押し花のしおりだった。
「…………あぁ」
これは、花江だ。
* * * * *
「佐々木さん色々とありがとうね。あなたのお陰で、花江は幸せだったと思うわ。」
「そんな、お母さん、私は……。」
「これ。花江が最後にずっと握りしめていたのよ。」
「……これ。」
桜の押し花のしおり。花江はずっと、大事に持っていてくれたんだ。
「……私は花江さんを、幸せには…。」
「佐々木さん。これは花江よ。」
「……え。」
お母さんが、私の背中を優しく摩って、私は動かなくなった花江のいる病室で、花江と2人きりになった。
「……」
ずっと、私は間違えていたって。
花江はきっと、笑ってる。
『私が幸せにする』
しおりの裏面に、花江の字で書かれていた。
それは花江の意思表示みたいなもので。きっと、この文を見ながら、何度も自分に言い聞かせていたんだろう。
はなから幸せにしてもらおうなんて、花江は思っていなかったんだな。
……もう、私の負けだよ。
「十分すぎるくらい、幸せだったよ。」
花江
ようやく、桜を一緒に見れそうだね。
桜餅も、一緒に食べながらさ。今度はレジャーシートもちゃんと持ってくよ。
分かったよ。おんぶでな。
もしもこの世から、春が消えたなら もも @momo05170702
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