傘を待つ少女
中輝 蛍
第1話 赤点組の集い
「はい、そこまで。回収するからそのままでね」
静謐な教室に教師の号令と時間を告げるチャイムが鳴り響く。
やっと終わったか。俺は椅子に座ったまま体を伸ばす。わざわざ夏休みに学校で追試を受けさせなくてもいいだろうに、と文句の一つでも言いたい気分だったが、口には出せない。これは最近行われた期末試験の赤点者を対象にした追試だからだ。だが自業自得とはいえ、たかが一時間程度のためにこうして学校まで足を運ぶことは、嫌なことに変わりはなかった。教室に空調が完備されていることが、せめてもの救いだ。
教師が回答用紙を回収している間、やることもないので一番後ろの窓際の席から閑散とした教室を見回す。普段であれば活気に溢れ騒がしいくらいの教室も、夏休みである今は教師を除けば四人しかいない。
「はい、これで午前の追試は終了です。寄り道しないで帰るように。午後もある人は昼休憩に入ってください。事前に伝えた通り学食は開いてないので、昼食はこの教室で食べてくださいね」
教師はそう告げると、回答用紙を持ってさっさと教室を出ていく。それが合図となって、残された俺たちは同時に吐息を漏らすと、それぞれの行動に移る。
追試が終わった俺は、かばんに筆記用具を手早く詰め込む。今日は待ちわびていたゲームソフトの発売日であり、そのために追試を乗り越えたと言っても過言ではない。早く遊びたい俺は席を立つと、足早に教室を出ていこうとする。
「やーっと終わったなー
そんな俺の前に、長い赤髪をなびかせながら豪快に笑う
「ああ、そうだな。悪いが、俺は今日急いで帰りたい。ちょっとどいてくれるか?」
俺は見上げながら竜堂に訊く。身長が軽く二メートルを超えている彼女のぎょろりとした目がこちらを見下ろす。
「そんな冷たいこと言うなよ。せっかくなら一緒に帰ろうぜ」
やっぱりな、と内心ため息をつく。一人で過ごしたいから他人と距離を置いているのに、こいつはそんなのお構いなしだ。
「そうは言っても、お前と俺の家は正反対だぞ。学校で別れて帰ればいいだろ」
「私のことは気にするな。真っすぐ帰れば大して時間かかんねーって」
「お前それ……っておい! やめろ、離せって!」
言い終わるより先に俺の腕を掴むと、屈託のない笑顔で強引に引っ張る。彼女は想像を絶するほどの力の持ち主だ。必死に抵抗するがまったく歯が立たず、ずるずると引きずられていく。
「ちょっと待てよ。お前たち、もう帰っちまうのか?」
すがるような声がするほうを竜堂と同時に振り返る。厚いカーテンが掛かる窓際の最前席に座る、栗色のショートヘアの小柄な男がこちらに体を向けている。くりっとした目のせいで童顔に見えるが、がっしりと引き締まった体の持ち主であり、それがアンバランスながらどこかしっくりくる。
いつも陽気に笑いかけてくる
「なあ頼むよ、どうせ暇だろ? もう少しここにいてくれよ」
「お前がちゃんと勉強してないからだろ。俺は早く帰りたいんだ、悪いが構ってられない」
俺と竜堂は午前で終わりだが、明人は午後までみっちり追試漬けだ。
「いいぜー土屋」
そんな俺の主張は一切無視され、竜堂に彼の席まで引きずられていく。
「へへ、さすが竜堂だぜ。どこかの薄情者とは大違いだ」
どうやら見捨てようとした俺への当てこすりらしい。それならこちらにも考えがある。
「ふーん、俺を薄情者呼ばわりか。そういえば明人、この前貸したゲームソフトは見つかったか?」
意地悪そうな笑みを浮かべていた彼の表情が凍りつく。
「ああ、いや、その……あれだ。このテストが終わってから探そうと思ってたから、まだ見つかっていなけど、まあ大丈夫だ、うん」
こいつ、忘れてたな。平静を装っているが、声は震え、目が泳いでいる。動揺がまったく隠せていない。
「そ……そうだ
「はぁ? ふざけるな、俺は犬じゃないっていつも言ってるだろ! 無くしたのはお前だ。お前が探せ」
「それはそうなんだけどさぁ……なあ、頼むよぉ」
泣き出しそうな顔で俺に縋りついてくる。なんだか俺が虐めているみたいできまりが悪い。
「そーゆーことなら私が探してやろうか? なんだか宝さがしみたいでおもしろそうだし」
竜堂は目を輝かして身を乗り出したが、それと同じだけ身を引いた明人は困った顔で目線を逸らした。
「いやぁ、気持ちは嬉しいが竜堂はちょっとなぁ……俺の部屋狭いし、なんかいろいろ壊されそうだし」
「えー、なんだよそれー。ひでーじゃねーか」
抗議する竜堂を見ながら、内心で明人に賛同する。明人の実家では父親が自動車の整備工場をやっていて、地下が居住スペースになっている。小柄な彼に合わせて作られた部屋は天井が低く、竜堂には窮屈だろう。それにあの部屋は、機械いじりが趣味の明人が自作した作品や道具が散乱している。竜堂には悪いが、持ち前の怪力でそれらを悪気なく破壊しまくる姿が容易に想像できる。
「ふふ、なんだか楽しそうだね。私も混ぜてもらえるかな」
二人が言い争っているところに、
「よう瞳ちゃん、なーんか珍しいなー瞳ちゃんが追試なんて」
竜堂が笑顔で迎える。確かに、お世辞にも勉強熱心とは言えないが、赤点を取った石神を見るのは今回が初めてだった。彼女は肩をすくめて答える。
「部活動に熱中してしまってね。情けないことに、それで学業を疎かにしてしまったのさ」
彼女は軽音部に所属しているのだが、部員が少ないことから、他の高校の軽音部と合同でバンド活動をしている。この地区ではそれなりの知名度だが、世界中から注目を集めるバンドだ。彼女はギター兼ボーカルを務めている。
「いやーわかる。俺も頼まれて親父の仕事を手伝ってたら、勉強する時間が無くなってよ。一夜漬けで乗り切ろうとしたけど、このざまだよ」
似たような境遇の人を見つけたことが余程嬉しかったのか、嬉々として語り出す。明人はよく父親の仕事を手伝っているらしい。
「お前は少し反省しろ。自分の勉強不足を父親のせいにするなよ」
悪びれもしない明人に釘を刺したつもりだったが、予想外な答えが返ってくる。
「いや、その親父が『うちを継ぐつもりなら、別に勉強しなくていいぞ』って言ってるからな。俺はそれに従っているだけだよ」
あまりの衝撃に言葉を失ってしまう。子供の時から親に勉強しろと言われ続けてきた俺としては、信じられない言葉だった。だが同時に、明人の父親らしいとも思う。彼と同じで小柄でたくましく、顔の下半分を覆い隠す髭がトレードマークの豪快な職人気質の人だ。なによりも自分の技術に自信と誇りを持つ彼にとって、勉強は重要でないのかもしれない。
「土屋君は羨ましいな。私はこっぴどく両親に叱られたよ。部活動の時間を減らしてでも勉強しろと言われてしまった」
落胆を表すために大げさに肩を落として俯く。その時、顔とサングラスの隙間から細い黒目が覗き、一瞬どきりとする。
「私も母さんからうんざりするほど説教されたよー。誇り高き血がどうとか言ってさー」
その時のことを思い出したのか、竜堂は顔をしかめる。
「そうだテストと言えば、石神はサングラスを外さないのか?今日ぐらい大丈夫だと思うけど」
思い出したように明人が疑問を口にする。二人の席は同じ最前列だ。人がいない今日であれば自然と視界に入るはずだから、気になっていたのだろう。
「人の多さは関係ないさ。どんな時でも、誰に見られているかわからないからね。ファンのイメージを壊さないために、トレードマークであるこれは外せないよ」
石神は人差し指でサングラスの鼻あてを持ち上げながら得意げに答えたが、明人が聞きたかった回答とは違うように思う。
「ふぅん、トレードマークねぇ……」
だが、彼は別のことに気を取られているようで、感傷に浸るように遠い目をして顎をさすっている。代わりに竜堂が会話を引き取る。
「でもさー、それ見ずらくないか? 普段の生活とか大変そうだよねー」
「ふふ、確かに見えずらいことは否定しないけど、慣れれば案外気にならないよ」
「へーそうなんだ。ねーちょっと貸してよー。前からかけて見たかったんだー」
「あっ俺も俺も。ちょっと試してみたかったんだよな」
我に返った明人も加わった三人の他愛もない会話を聞きながら、俺は教室の時計を横目で見る。
「おい竜堂。結構時間が経っているが、そろそろ帰らないか?」
このままでは昼休みが終わるまで居座りかねない。俺は竜堂に早く帰るよう促す。
「えー、もう少し話してても……ん?」
なにかに気づいた竜堂は突然、自身のかばんをがさごそとかき混ぜ始める。探していたのはスマートフォンだったらしく、誰かから連絡が来ているようで振動している。それを取り出して画面を見ると、あっと声を上げる。
「そうだ、人を待たせてるんだった! 急がないと……」
言いかけて、思案顔で動きを止めてしまう。気になって顔を覗き込んでいると、徐々に左右の口角が上がっていき、最後には悪いことを思いついたような含みのある笑顔でこちらを向く。
「なあ大狼、瞳ちゃん。もしよかったら家まで送ろうか?」
突然の提案に俺たちは戸惑う。
「ふむ、そうだね……確かに送ってもらえるなら私は助かるが……」
歯切れ悪く石神が答える。俺がどうするのか気にしているようだ。竜堂がなにを企んでいるのか見当もつかないが、ここは素直に思ったことを伝える。
「いや、いいよ悪いし。俺は歩いて帰るよ」
それを聞いた彼女は、待ってましたと言わんばかりに、早口でまくし立てる。
「いやーそうか。残念だなーそれなら仕方ない。じゃあ私たちは先に帰るから、大狼も寄り道しないで、真っすぐ、今すぐ、さっさと、帰るんだぞー。それじゃあなー」
「わっ! ちょ……ちょっと! そんなに強引に引っ張らないでくれ。まさか、靴は置いていくつもりなのかい?」
石神を引きずるようにして慌ただしく教室を出ていく。
「待ってくれよぉ」と明人は呼び止めるが、彼女らに届かず、教室に虚しく響いた。思いがけず一人で帰れることになったが、気分は晴れない。竜堂の不敵な笑みが引っかかるが、わからないことを考えてもしょうがないか。言いつけを律儀に守る忠犬みたいで癪だが、彼女の言葉通り、ここはおとなしく帰るとしよう。
「俺も帰る。じゃあな明人」
「待ってくれ陽太、もう少しだけいてくれよぉ」
腕を掴まれたが、素早く振り払う。
「お前まだ昼食も食べてないだろ。いい加減諦めて、午後のテストに備えるんだな」
そんなぁ、とがっくり肩を落とす彼を置いて教室を後にする。
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