神騙りの祝福

hibana

神騙りの祝福

 山道を登り、長い長い石段も上り、神社の境内に足を踏み入れた。僕は白い息を吐きながら膝に両手をつく。母は肩にかけたバッグの紐を握りしめながら、微塵も歩調を緩めずそのまま賽銭箱まで近づいて行った。


「こんな寂れた神社、本当に力があるのかしらね。人も全然いないじゃないの」

 そんなことを言う母に、僕は少しドキドキして周りを見た。「失礼だよ、母さん」と僕は宥めるように言う。

 母は何も言わずに小銭を出して、賽銭箱に入れた。鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。僕も少し慌ててそれに倣う。


 母はたぶん、僕の受験のことを神様に頼んでいる。だから僕もそうしなければならないと思って、もうすぐ臨むことになる中学受験のことを願った。

 気づいたら母はもう顔を上げていて、「タカラ、一応お守り買っていきましょう」と歩いて行くところだった。


「実に無礼だね、お前の母親は」


 僕は飛び上がって横を見る。いつからいたのか、そこには和服姿の男の人が立っていた。短く揃えられた髭を撫でながら、僕の母を眺めている。


「こ、こんにちは……」

「挨拶できて偉いな」


 神社の人だろうか。先程の母の言葉を聞かれていたのかもしれない。僕は「すみません」と頭を下げる。男の人は僕のことをちらりと見て「お前が謝ることでもなければ、謝る相手も俺ではないよ」と言った。


「礼儀正しい坊やには教えてあげるがね、この神社からは早く出て行った方がいい」

「どうしてですか?」

「神様がね、ご機嫌斜めなんだ」


 かみさま、と僕が呟いたその瞬間に空気が揺れた。


 顔を上げた男の人が「おや」と目を細める。それから顎に手を当てて、「坊や……」と聞き取れるかどうかの小さな声で言った。

「俺の名は御言ミコトだ。ま、気が向いたら呼んでくれたまえ」

「え、え、」

 早朝の柔らかな光が消えていき、辺りは暗くなっていく。烏の鳴く声が二度ほど聴こえ、僕の意識は暗転した。







 目を開けると、僕はバックに田んぼが広がる砂ぼこりの中にいた。立ち上がり、周りを見渡す。

「ここどこ……?」

 呟いてその辺りをちょろちょろ動き回り、「母さん?」と声をかける。状況がよくわからなかった。


「お前ェ!」


 そんな怒声が響いて飛び上がる。振り向くと、農作業中のようなおじいさんがそこにいた。


「オメ、あの祠壊したんかァ!!」


 ぽかんとしたが、すぐに顔の前で右手をぶんぶん振った。「僕、何も壊してないです」と言いながら後ずさる。

 おじいさんがぐんぐん近づいてくるので、僕はどうしようかと考えた。逃げるべきか、あるいは無実を訴えるべきか。だがどうやって無実を証明しよう。僕はアリバイどころか、どうやってここまで来たかもわからないのだ。

「僕じゃないです」

 そう言いながらも後ずさり、結局わっと逃げ出した。


「母さん! 母さん! 警察の人ー!」


 数分走っていたが、ガタガタした道につまずいて転ぶ。「いてて」と言いながら顔を上げると、そこに二つの影があって「ひっ」と短い悲鳴を上げた。


「おねえさん」

「おねえちゃん」

「あのほこら、こわしちゃったんだ」

「あのほこら、こわしちゃったの?」

「いけないんだー」

「いけないんだー。カゲロウ様にあやまってね」

「あやまってね」


 双子、だろうか。瓜二つの少女が僕を見おろしている。呆けていると、後ろからザッザッと多数の足音が聞こえてきた。

「祠を壊したガキはどこだ」と怒り狂う声が聞こえる。


 僕は泣き出しそうになりながら立ち上がり、逃げ道を探した。二歩三歩うしろに退いて、また走り出す。


「かあさーん! せんせー! 警察の人ー! 父さん! ばあちゃん! じいちゃん! うわーっ!! おまわりさん! べんごしさん! おいしゃさん! 母さん! ミコトさんっ!」


 するとそのままの勢いで、僕は何かとぶつかった。後ろにひっくり返ると、「やあ、坊や。いつ呼んでくれるんだろうと思ったが、お医者さんの次に信頼してくれて嬉しいよ」と御言さんは言う。僕は『さっき聞いた名前だから口から出てきただけです』とは言えずに、うんうんと頷いた。

 御言さんは右手を差し出す。それを握って、僕は立ち上がった。


 その時、足音が止まった。


 というか、全ての音が止まった。


 この世界で唯一動いている僕と御言さんが、気まずいながらも歩き出す。「あの……」と僕は口を開いた。

「なんなんですか? これ」

「神隠しだね」

「神かくし?」

 御言さんが立ち止まって、「どうやらお前の母さんが、御神体を壊したらしい」と言う。あまりにも淡々とした様子だったので、僕はちょっと遅れて「うえっ!?」と訊き返してしまった。

「ほ、ほんとですか……?」

「ああ。ダメだよ器物損壊は。あの神社にちゃんと管理人がいたら警察沙汰になってたよ」

「すみませんでした……たぶんわざとじゃないと思います……」

「お前は母親のことでよく謝るね」

 僕はちょっと唇を尖らせて、そのことについては何も言わなかった。その代わり御言さんを上目遣いで見て「ミコトさんって、神社の人じゃないんですか?」と尋ねてみる。「関係者ではある」と御言さんは言った。


「この神社がなんの神様を祀っているか知ってる?」

「えっと……すみません」

「大昔からこの土地では龍神様を土着の神として祀ってきた。そして俺の家は、代々龍神様にまつわる祭祀を執り行ってきた。今で言う、宮司みたいなもんかな。昔は神社はなかったけどね」

「なるほど」

「そんな家に、俺は百五十年ほど前に生まれた」

「ひゃ……!?」


 僕は思わず御言さんの顔を見た。「な、長生きですね??」とコメントすると、御言さんはあっけらかんとした様子で「死んでるよ」と言う。

「じゃあ……」

「魂、というか。オバケって言った方がいいかな。怖がらないでくれよ、悪いオバケじゃないんだから」

 しばらく逡巡する。あの村人たちと比べたら御言さんは全然怖くないので、僕は御言さんを信じることにした。


「じゃあ、ミコトさんは神様を祀る家に生まれたんですか?」

「そして俺は、龍神様の声を聞く子供として育てられた」

「すごいですね」

「まあ神様の声なんて聞こえるわけない。嘘つきの家だったんだ。俺は散々神の言葉を騙った」

「……ミコトさんは、どうして成仏できてないの?」

という考え方は俺にはないがね。しかしここに魂として存在しているのは、俺にまだ役目があるからだろう」

「役目?」

「俺はそれが嫌で嫌で、今の今まで逃げているわけだが」


 当惑して、僕はとりあえず前を向いていた。御言さんは「さて、この世界の話をしよう」と言う。

「神かくし……でしたっけ?」

「ああ、そうさ。お前の母さんが御神体を壊したせいで、元からご機嫌斜めだった龍神様はご立腹だ」

「でも、変なことがいくつかあるよ」

「なんだい?」

「さっきの女の子たちは僕を“お姉さん”って呼んだ。僕が女の子に見えるかな?」

「少なくとも俺には見えない」

「それとあの子たちは“カゲロウ様”って言ってた。龍神様の名前はカゲロウ様じゃないですよね?」

「違うな。全然違うとこの土地神だ、それは」

 僕は耳の辺りを掻いて、「じゃあここは神社とは関係ない、変な村だよ」と結論づけた。御言さんはにっこり笑って、「お前は頭がいいな。俺もそう思っていた」と肯定する。


「神隠しの中には、相手の一番いやな記憶に閉じ込めて嫌がらせするものがある。俺はそういうものだと思うな、この世界は」

「一番いやな記憶……?」


 歩きながら僕は「どうやったら出られるんだろう」と呟いた。御言さんは「出られないよ」と言う。

「……えっ?」

「神社もすっかり廃れてしまって信仰もほとんど絶えた。龍神様は今や立派な祟り神だ。人間がどうこうできる存在じゃない。お前たちは勘違いしているかもしれないが、“神を祀る”という行為は人間の手に余る存在をどうにか繋ぎとめるのに必要なことなんだ。それを怠れば神は人の手を離れる。そして手に負えなくなる。お前もお前の母親も、元の世界には戻れないよ。しかしお前は礼儀正しい子供だし、お前のことくらいは俺が保護してやろう。この世界で、ひどい目に遭わないようにしてあげようね」

 立ち止まって、僕は俯いた。心臓が早鐘のように鳴っている。汗が地面にぽたぽたと落ちた。


「か、あさん……母さんは?」

「あの女は諦めなさい。不敬だし、御神体を壊した張本人は俺も庇えない」


 僕はとにかく、ここから出るというのは後回しにして、母を探すことにした。御言さんは走り出そうとする僕に、「お前、母親が好きか」と尋ねる。

「……僕は」

「お前は自分の願いを言わなかったね」

「僕の願い?」

「参拝の時、お前の願いは母親と同じだった。そしてそれはお前の母親の願いであって、お前の願いではない」

 僕は下を向いたまま瞬きをした。


 乾いた唇を舐めながら「願いって別にないんです。欲しいものとかも、なくて」と答える。「だから母さんに全部決めてもらってるのか?」と御言さんが笑った。僕は小さく頷く。

 そうか、と御言さんは言う。


「俺も似たようなものだ」


 そう言った御言さんは、静かに遠くを見た。

「お前、母親を探すのなら覚悟なさい。もう一度言うが俺はお前の母さんを庇うことはできないし、母親を助けようとするならお前のことも庇えないよ」

「なるべく助けてください」

「願いがない割には、我が儘だね」

 頭を掻いた御言さんが「ま、龍神様のご機嫌伺いでもするかね」と踵を返す。「ついてきてくれないんですか!?」と言うと、「言うことを聞かないガキの子守りなどするものか。好きにしなさい」と歩いて行ってしまった。


 そんな後ろ姿をじっと見つめて、それから僕は肩を落としながら歩き出す。母を探すにも、なんら手掛かりがない。

 とにかく優しそうな人を見つけて話を聞こうと決意し、木々に身を隠しながらおっかなびっくり村に近づいた。


 そっと覗いた中に、赤ん坊を抱いた女の人がいた。周りに人はいないし、僕は木陰に身を隠して「あのぅ」と声をかける。

 女の人は驚いて僕の方を見たが、訝しげな顔をしながらも「だぁれ?」と訊き返してきた。


「僕、タカラって言います」

「タカラ? ここらじゃ聞かない名前ね。よその村から迷い込んだのかしら」

「ええっと……、そんな感じで……。あの、チヨコって知ってますか?」


 千夜子は僕の母の名前だ。

 その名を聞いて女の人は眉をひそめた。

「千夜子ちゃんは……あの子とは会わない方がいいわ。あそこのおうちは今ちょっとゴタゴタしてるから」

「ゴタゴタ?」

「あまり人の家の事情に首を突っ込むものじゃない。大人しくお帰りなさいな」

「……あの、じゃあ祠のことを教えてください」

「祠?」

「カゲロウ様の祠ってどこにありますか?」

 女の人はさらに怪訝な顔をして、しかし遠くを指さした。「あのお山にあるのよ」と教えてくれる。

 僕は目を細めて山の方を見て、「あそこか……」と呟いた。

 ちょっとげんなりしながらも僕は女の人にお礼を言って、また歩き出す。手がかりも何もないし、とにかく行ってみるしかないだろう。


 やっぱりこの世界は、母さんの記憶なんだ。

 この世界が誰かへの嫌がらせなら、それは母に対してしか考えられない。ここは母の故郷なのだろうか。そういえば僕は母方の祖父母に会ったことはないし、母の実家には行ったことがなかった。ここがそうなんだ、と僕は興味深く辺りを見る。


 早歩きで山まで行ったので、僕はすっかり息を切らしていた。山道は全然舗装されているようではない。うんざりしながらも僕は、ほとんど地面に手をつきながら山を登った。


――――小僧。


 遠くから声が聞こえる。御言さんかな、と思って見渡したけれど人影はない。


――――小僧、何をしている。


 足を止めて僕は、「山を登っています」と声に応えた。それから慌てて「登っちゃいけない山ですか?」と尋ねる。


――――小僧、お前のことは招いていない。迷い込んだだけだ。元の世界に帰してやる。


「え、ほんとですか? 母さんも?」


――――お前の母親は儂の体を壊した。永遠にこの世界にいてもらう。


 僕は黙って、考えをまとめるためにまた歩き出した。「ちょっと待ってくださいね」と言っておく。


――――小僧、よく考えろ。お前は本当に、母親を助けたいのか?


 肩で息をしながら「だからちょっと考えさせてってば」とぶつぶつ言ってしまう。どこかで鼻を鳴らした音がして、あっという暇もなく僕の意識はまた暗転した。







 日が暮れてゆく独特の色の中で、誰か歩いているのが見える。あれは母さんだ。母さんと、もっと小さいころの僕だ。母さんが二歩ほど先を歩いていて、僕は俯きながらその後を追っている。小学三年生くらいだろうか。この時のことは全く覚えていないけれど、母さんの様子からして僕のテストの点が悪かったか、塾で何かあったかのどちらかだろう。

『ごめんなさい』と小さな僕は言っている。母さんは返事をせず、代わりに小さくため息をついていた。


『もっとがんばるから』

『もっと、たくさん勉強するから』

『もっと』


 実際のところ僕は、何をすればいいのかわかっていなかった。一体何を頑張ればいいのか、どうすれば母さんが許してくれるのか、微笑んでくれるのかわからずに、ない正解を探し続けていた。

 母さんから返答はない。

 それから数分歩き続け、幼い僕がやっと顔を上げる。


 その目は、母さんを睨んでいた。


 僕はハッとして、後ずさりする。

 自分がそんな顔をしているなんて、気づかなかった。


 それからいくつも、いくつもの場面が浮かんでは消える。なんとかしなきゃ、母さんに許されなきゃ、と思うたびに僕はそっと母さんを睨んでいた。

 それで僕は、ようやく今までお腹の中に積もっていくばかりだった感情の正体を認めることができた。


「僕は、母さんが嫌いだ」


 そう呟いた瞬間、意識が山の麓に戻ってきた。土のにおい、草木のにおいが鼻をつく。

 しばらく立ち尽くしたあとで、僕はまた歩き出す。


――――小僧、何をしている。


「山を登ってます」


――――なんのために。


「わからない」


――――小僧、お前は母親を恨んでいる。憎んでいる。そしてそれは正しい。お前の母親は、お前を呪っている。


「わからない」


――――お前を元の世界に戻してやるぞ。父親と仲良く暮らすがいい。


「母さんを返して」


――――……なぜ。


「母さんのこと、嫌いだ。でも助けたい」


――――なぜ。


 僕は頬をあたたかいものが伝っていくのを感じていた。土のついた袖でごしごしと拭う。これが怒りなのか悲しみなのか、よくわからなかった。


「あの人が僕の母さんで、僕の母さんはあの人しかいないから。だれも僕から母さんを奪う権利なんてない。僕は……僕には、母さんなんて嫌いだって言う権利がある。それで……母さんの、返事を聞く権利があるんだ」


 空気が揺らぐ。

 そうして、頭に何か載ったような感覚があった。思わず両手を上げて自分の頭を触ろうとすると、そこにあるのが大きな手のひらだと気づく。手のひらはガシガシと僕の頭を撫でた。


「その答えは、なかなか俺好みだね」


 御言さんはそう言った。

 それから「おいで」と御言さんが僕の手を引いて歩き出す。一歩踏み出すごとに世界は色を失くしていき、セピア色の空が見えた。




『お父さん、わたし、東京の大学に行きたい』

 まだ制服姿の母が見える。母の父――――僕の祖父だろうか。男の人が険しい顔つきで『大学になんかやらん。女はこれからの人生、嫁に行って子を産んで、子供の面倒見終わったら親の面倒見る。それだけだ』と言って顔をそむけた。母は制服のリボンをいじりながら、何も言わず踵を返す。


 山を登る母の姿が見えた。

 息を切らして、祠にたどり着く。そして母は近くにあった小岩を持ち上げ、祠にぶつけた。

 祠の中にあった小さな賽銭箱ごと壊れて、中から小銭が出てくる。たぶん全部で五千円くらいはあると思う。それをかき集めて、母は山を下りていく。


『お前、祠壊したんか』


 母の細い腕を掴んだ祖父が、鬼のような形相でそう言う。母は肯定も否定もせず、じっと祖父の目を見返していた。

 祖父は苦々しい顔をして、『もうこの村にはいられん。出て行け』と吐き捨てる。


 そして母は村人に追い立てられながら、なけなしの小銭で電車に飛び乗る。持ち物は何一つなく、古い電車はガタガタと鳴いていた。


 自由、と母は呟く。


『ああ、自由っ!』


 そう言って母は笑い出した。




 僕は手を引かれたまま、また一歩踏み出す。世界はいよいよ色を失って、白黒だった。




 白黒の世界で母は赤ん坊を抱いていた。愛おしげに頬擦りして、「タカラ」と呼ぶ。


『あんたは将来、何を持っていたら幸せになれるのかしら』


 そう、母は言う。『そんなのわかんないわよね。だから、たくさん、いろんなものをたくさん持たせてあげましょうね』と。


『ね、多賀良タカラ。自分には何にもないんだ、なんて。そんな思いは絶対にさせないから』


 そう言って母は目を細め、僕の頭を撫でた。




 御言さんは言う。

「現代には、名前とは呪いであるという言葉があるらしいね」と。

 僕はよく知らなかったので、曖昧な反応しかできなかった。


 世界は少しずつ色を取り戻している。僕は瞬きをして、ゆっくり御言さんの顔を見上げた。


「しかし“呪い”という字と“祝い”という字は随分似ていると思わないか」

「……確かに、そうですね」

「どうも元は同じ意味の漢字だったらしい。どちらも、神に祈ることを意味していた」

「そうなんですか?」

「それが時を経て、あまり良くない祈り、相手を蹴落とすような祈りを“呪い”と呼び、相手のためになる祈りを“祝い”と呼ぶようになったそうな」


 御言さんは目を細める。


「お前の母さんは故郷の大事な祠を壊して賽銭泥棒までした、どうしようもない女だよ。その上、お前は母さんが嫌いだ。龍神様はお前だけなら元の世界に帰すと仰せだぞ」

「確かに、母さんはやばい人かも」

「一人で帰るか?」

「でも僕の名前は、呪いじゃなくて祝いだったと思う」

「今では呪いになっていても?」

「うん。始まりは祝いだったと思う。それで、だからってわけじゃなくて、僕は母さんを助けたいと思う」


 ふっと笑って、御言さんはまた僕の頭を撫でた。


「祝福をやろう、坊や。お前のおかげで俺も、役目を果たす覚悟ができた」


 今までより大きく空気が揺れる。地平線からキラキラと、銀色のものが立ち上っていくのが見えた。それから、


 空から何か、途方もなく大きなものが落ちてきて、僕はそれが星だと思った。

 だけどそれは龍だった。

 虹色に輝く鱗の一つ一つが、僕の頭くらいある。龍が、隕石のように落ちてきた。


「おまえは、なにを、いっている」


 それは声というより、地響きの音だった。


 御言さんは平然と、「おわかりでしょう、父上」と言う。龍は「おまえなど、儂の、子ではない」と静かに吐き捨てた。

「うそつきの、強欲の、恥知らずの一族め。儂の子を騙り、儂を騙り、民を騙した詐欺師め。お前に何が出来るというのだ」

「生前散々やったこと。あなた様を騙るのだ」

 龍は怒り狂った様子で、しばらく吠えていた。

 御言さんはそっと僕の背中を押して、「行きなさい。お前の母さんのところに」と言う。僕は頷いて、走り出した。


 山の頂上まで登ると、そこに母さんと壊れた祠があった。母さんは僕を見て、少し怯えた顔をする。

 僕はぐっと押し黙って、母さんの手を取った。


「タカラ?」

「いいから。ここ、おさえて」


 僕は壊れた祠をなんとか元の形に戻そうとした。道具もないし、できることなんてないのかもしれない。それでも必死に直そうとした。

 それからふと、あの双子の少女たちが言っていたことを思い出す。


『カゲロウ様にあやまってね』


 僕は母さんを振り向いて、「お金持ってる?」と尋ねる。母さんは当惑しながらも、頷いた。

「じゃあ、母さんが昔、カゲロウ様からとっちゃった分をここに戻して」

 そう言うと、母はハッとして、それからきまり悪そうに俯く。「早く」と僕は急かした。今までこうまで母に強くものが言えたことはないが、そんなことは気にならなかった。

 母さんが自分の財布から、震える手でそっとお札を出す。

 それから僕は祠の前で手を合わせた。母さんも思うところがあったのか、僕の隣で手を合わせた。


 ごめんなさい、母さんを許してあげてください、と僕は祈った。

 それから、僕はどうだろうと考える。僕は母さんを許しているのだろうか、と。たぶん、心から許せてはいないだろうと思った。だから僕は神様に、『許せないかもしれないけど、ひどいことはしないであげてください。僕の母さんなんです、お願いします』と祈った。


 龍が吠えながらこちらに向かってくる。母は腰を抜かして僕と龍を交互に見ていた。それから母は、僕を庇うように抱きしめる。

 だから僕は、『この人はしょうがない人だけど、僕を愛しているんだよな』と思った。それで、たぶん、僕もこの人を愛しているんだよなと思った。


 いつの間にか近くに立っていた御言さんが、「お前たちを元の世界に帰す」と宣言する。

「できるの!?」

「できる。なぜならこれからは、俺が龍神だからだ」

「意味がわかんない!」

「言ったろう。龍神様は今や立派な祟り神だ。そしてが龍神様でないのなら、今その座は空いている。恐らく、それがここまで魂だけで存在してきた俺の役目だった。散々あのお方の声を騙ったのだ。あの方を騙れるのは俺しかいない」

「……でもそれは、あなたが嫌で嫌で仕方なかったことでしょう?」

 御言さんは笑った。「俺はね、坊や。家が大嫌いだったよ」と言う。


「龍神様の言うとおり、嘘つきで強欲で恥知らずで、だから滅んだ。でも坊やならわかってくれるだろう。。百五十年の時を経て、家族の吐いた嘘を本当にする。それはそれで、悪くないと思えたんだ」

「龍神様とミコトさんはどうなるの?」

「わからない。龍神になった俺と、祟り神になってしまわれたあの方と、生き残った方が世に放たれることになるのかな。お前たちを元の世界に帰したあとの話だ」

「……勝てる?」

「勝てるように祈るといい。俺が負ければ、祟り神が世に放たれることになるんだからな」


 それから御言さんは母さんを見た。「女」と呼びかけられ、母さんはびくりと肩を震わせる。


「多くを持つことに執着するより、今あるものを大事にしなさい」


 母さんは視線を彷徨わせた末に、ゆっくり頷いた。

「坊や、さよならだ。向こうでも強かにな」

「……はい」

 御言さんが右手をかざした。


 視界に光が満ちていく。僕は最後に、「ありがとうございます……龍神様」と言って頭を下げた。新しい龍神様は微笑んで、それからもう僕らを見ていなかった。その後ろ姿を見ながら、ゆっくり意識が遠のいていった。







 あれから、三か月が経った。

 僕は神社へと向かう石段を駆け上がる。もう何度も訪れているから、息が上がることもなくなっていた。


「ミコトさん!」


 呼びかけると、御言さんは箒を持ったまま「おや」とこちらを見る。


「今日は制服姿なのか。ということは、もう入学したのかな?」

 うん、と僕は頷く。それから「結局、私立じゃなくて公立の中学に行くことになったんだ。受験はなし」と話した。


「よくあの母親が許したね」

「うん。母さんは……僕が思ってたより……なんていうか。レスバが弱いです」


 御言さんは吹き出した。「強くなったなぁ、坊や」と可笑しそうに僕を見る。


「ミコトさんは、あれから何ともないの?」

「神様なんぞになってしまったからね。この神社をなんとかしようと色々考えてはいるが。まず掃除だな。おじさん箱入りだったからさぁ、こういう雑事は人に任せていたんだが。……巫女さんでも雇おうか、バイトで」

「お金あるの?」

「そこからかぁ」


 盛大にため息をついた御言さんが、箒の柄でとんと自分の肩を叩いた。

「信仰を取り戻さなければ、あっという間に俺まで祟り神になってしまう。どうにかならないものか」

「手伝うよ」

「それはありがたいが」

 憂鬱そうな顔の御言さんが「俺の一族はもう血が絶えているし、これはたった一度きりの部品交換だ。もし俺が祟り神になったら、その時は今度こそ人間お前たちの手で何とかしてくれたまえよ」と言う。僕はちょっと悲しくなって、「信仰を集めればいいんでしょ?」と縋るように彼を見た。

 もう一度箒の柄で自分の肩を叩いた御言さんは、「まあそんなつまらない話はやめにしようじゃないか」と言った。


「さて、中学生になったお祝いをあげようね」

「お祝い?」


 すると御言さんは、箒を逆さまに柄で地面を叩いた。

 一斉に、周りの樹々が色づく。薄紅の花弁が満開に咲いて散り始め、桜吹雪が舞った。


「掃除が面倒なので開花を止めていた」

「力の使い方間違えてるよ!」


 言いながらも、僕は感動してその様子に見入っていた。

 御言さんは微笑んで、言う。


「タカラくんの門出に、幸多からんことを」


 僕は思わず破顔して、「ありがとう、龍神様」と照れながら制服の裾を引っ張った。

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