静寂に囚われた青
五日乃とうふ
第1話
『ダハハハハハハこいつやべえ!!』
『叫び声一つ上げないとか』
『さすがに強情すぎ笑』
『は~あ、クソが』
「…っ!!………はっ」
最悪の目覚めだった。朧気な頭が冷や汗にじわじわと熱を奪われていく。深海のように美しい青の瞳が見開かれ、ただぼんやりと天井を映している。
「夢か………」
ようやくはっきりした意識を取り戻したその男、レイス・ヘルネシアは何を考える事もなく、ゆっくりと身を起こした。寝癖のない銀髪がさらさらと背中を流れる。彼は回らない頭を回して、とりあえずココアを飲もうとリビングに向かう。悪夢を見た日の朝は決まってココアだった。静かにココアを淹れて、勢いよく飲み干す。そんなことで無理に落ち着けるわけもなく、服の袖で冷や汗を拭う。そこにドアの開く音がする。同居人、ヒュース・ヘルネシアがやってきたのだ。
「レイス、おはよう」
明るいトーンでレイスに声を掛けたこの男は、緑髪に赤い目隠しをして白衣を着ているという、なんとも珍妙な見た目をしていた。
「…おはよう」
暗いトーンで挨拶を返す。
「ココアってことは…また悪夢?」
聡いヒュースはココアの粉の袋を見てレイスに問う。
「まあ、そんなところ…」
「…そっか、最近寝れてる?」
心配そうに様子を伺うヒュース。レイスの目のクマが濃いのは一目見ればすぐに分かった。
「…あんまり」
「それはよくないねぇ。睡眠薬とか、要る?」
「いや、別に要らない…」
睡眠薬を使ったところで、悪夢を見るのには変わりないと半ば諦めているレイス。それを悟ったのか、ヒュースはそれ以上何も聞いてこなかった。
「とりあえず、ご飯食べよ」
「あぁ、うん」
食卓につく二人。会話らしい会話もなく、ただ食事の音のみがむなしく響く。先に沈黙を破ったのはヒュースだった。
「最近、仕事はどう?」
「………」
カトラリーを置いて、ゆっくり呼吸して、たっぷりの間を置いてからようやくレイスは喋る。
「…まあまあかな。特に変わったこともないよ」
「そっかあ…」
「でも………」
何か言い淀むレイス。何度も呼吸して、物言いたげな顔をしている。
「やっぱりいいや。ごちそうさま」
そう言って彼は席を立つ。
「ねぇレイス、言いたいことがあるなら、言って欲しいなあ…」
その言葉を背にリビングを後にして、レイスは自分の部屋に向かった。
彼はくまのぬいぐるみをおもむろに手に取って向かい合い、本音を言う練習をしようと深呼吸する。
「ヒュース、あの、あのね………実は」
と次の言葉を言おうとした瞬間、喉の奥から強烈な違和感が彼を襲う。
「ぅえっ…げほっげほげほ…」
えずいた。しばらく咳き込んでしまう。
「はあ…」
やっぱりだめか、と思考する。なんでこんなに言葉に詰まってしまうのか、レイスは自分でも分からなかった。言いたいことはたくさんあるのに、言えないもどかしさで胸が苦しい。
『お前の言うことなんか誰も聞いてねえって!』
『そうそう、言うだけ無駄なんだよ』
彼の頭の中でうるさい声が嫌に響く。思い出したくなくても、こいつらは出てくるからどうしようもない。
『少しくらい喚くとかしたら?』
『ガキのくせに全然ガキっぽくないのな、お前』
『次は熱湯ぶっかけてやろうぜ!』
『は?つまんねーの、行こうぜお前ら』
『お前の目、気に入らねんだよ』
『あーあ、やりすぎだって、この前もボスに怒られたばっかだろ』
『いーんだよ、こいつは何やったってなーんも反応しないんだから』
「っはぁ、っはぁ、っはぁっ」
分かっている、これはただの記憶、記憶、記憶、記憶、記憶…。彼の呼吸音だけが部屋に響く。嫌に心臓がうるさい。落ち着かないと、落ち着け、落ち着け。
コンコン、と唐突にドアが鳴る。
「レイスー、大丈夫ー?」
ヒュースだ。心配して様子を見に来たらしい。
「だい、大丈夫…」
「そう?何かあったら言ってね」
足音が遠のいていく。いつの間にか彼の呼吸も落ち着いていた。大丈夫、大丈夫とレイスは自分に暗示をかける。
「仕事…行かなきゃ…」
少し震えの残るまま、レイスは支度を始めた。
「お呼びでしょうか、ボス」
事務所に着くとボスの部屋に行くように言われて、レイスはすぐに向かった。
「あぁ、来たかゼロ。今回、渡す仕事についてだが――」
ここではコードネームで呼ばれる決まりだ。レイスのコードネームは『ゼロ』だった。社長机の向こうから書類をボスが差し出している。確認しろ、ということだ。迷いなく書類を受け取る。
「確認します」
パラ、パラと流れるように書類の内容を確認するレイス。
「確認終わりました」
「よし、じゃあそのまま掃除屋と打ち合わせをしてくれ」
「了解です」
「今回はヴァニタスを呼んでいる」
「ありがとうございます」
そこにコンコン、とドアをノックする音が響く。
「ボス、ヴァニタスです」
「入ってくれ」
ドアが開いて、長いポニーテールの男が入ってくる。
「彼がヴァニタスだ」
ボスの紹介を受けたヴァニタスが会釈した。レイスも会釈を返す。やや間があって、ヴァニタスが口を開いた。
「…ヴァニタスだ。よろしく」
「ゼロです。こちらこそよろしく」
挨拶を交わしたところで、二人ともテーブルを挟んで向かい合わせにソファに座る。打ち合わせの始まりだ。
「さっそく始めましょうか。まず一件目ですが――」
「あぁ、それならこういうプランで――」
「ではこの場合は――」
打ち合わせがある程度進んだところで、レイスが一枚の書類に目を留める。それは潜入任務の書類だった。
「ボス、あの、これって潜入任務…ですよね?俺、やりたくないと伝えていたはずですが…」
「えっ?…あぁ、すまんな、こっちのミスだ。…いや、でもなあ」
ボスが腕を組んで悩む。何かあるのかとレイスは聞く。
「実は、有力な奴らが出払っててな、残りの奴らの中だと、この潜入任務は今ゼロにしか頼めないんだ」
沈黙するレイス。これは断れない、と容易に察せる。ボスが椅子から立ち上がった、と思うと急にレイスに頭を下げた。
「頼む!この通りだ、今回だけ、今回だけ引き受けてくれないか?」
「!?ちょ、ボス、俺なんかに頭下げないでください!」
レイスも慌ててソファから立ち上がってボスに言う。
「分かりました。そこまで言うなら受けます」
「本当か!ありがとう、助かるよ」
ところで…と椅子に座ったボスが話を変える。
「なんで潜入任務やりたくないんだったっけ?」
「…以前にもお伝えしましたが、心身の負担が大きいからです」
「そうだったな。すまんな」
「では、残りの打ち合わせも終わらせますので」
「あぁ、引きとめて悪かったな、続けてくれ」
ソファに座り直し、残りの打ち合わせも進めるレイスとヴァニタス。滞りなく進み、打ち合わせは速やかに終わった。
「ボス、終わりましたので失礼します」
「あぁ、ゼロ、ヴァニタス、よろしく頼むよ」
ボスに一礼し、二人とも退室する。パタンと静かにドアが閉まり、ボスの部屋は静寂で満たされた。
任務の準備のため、レイスは事務所の更衣室で変装をしていた。黒い短髪のウィッグを被り、黄色のカラーコンタクトを付ける。そこにスーツを着て、黒い手袋をし、軽くメイクをして変装は完了だ。
さっそくターゲットの元へ向かうレイス。これは通常の殺しの仕事のため、打ち合わせ通りにやるだけだ。適当な路地へ入り、壁際に潜んでターゲットが来るのを待つ。少々待って、ターゲットがやってきた。それを確認したレイスは、ちょうどターゲットが路地の前を通り過ぎる瞬間を見計らってわざとぶつかる。
「すみません!僕の不注意でした!」
と勢いよく頭を下げて謝るレイス。
「おいおい、気を付けてくれよな~少年」
「何かお詫びをさせてください」
「そうだな~…二人でちょっと話せない?」
「構いませんよ」
依頼書の情報通り、見境のない男だ。吐き気がする気持ち悪さだが、そんなことは一切の欠片も顔に出さず任務を続行する。
「この辺でいいだろう」
と連れてこられた、もといさりげなく誘導した
「いやぁ~こんな可愛い子がいるなんてなぁ」
でれでれと気色悪い声で喋る男。そっとレイスを触ろうとしてくる。
「それ程でもないですよ」
少し体格差のある男に、流れるように背後から腕を回して抱きつく。レイスのその仕草に興奮する男。ちょうど男の首にレイスの手が当たる。その手にはナイフがあった。次の瞬間には、鮮烈な赤と共に男の命は零れ落ちていた。
「…これで一件終わりだな」
誰に聞かせるでもない独り言が呟かれる。それは静かな路地に吸い込まれて消えた。
「ゼロ」
「ヴァニタスさん」
そこに掃除屋がやってきた。時間通りだ。
「これだな?」
「はい、あとはよろしく頼みます」
「任せておけ」
掃除屋に後処理を任せ、帰路に就くレイス。現場に鮮烈な赤を大量に残していながら、レイスはどこも赤で染まっていない。彼は殺し屋として最高峰の内にいる一人だった。
通りをスタスタ歩きながらレイスは考え事をする。打ち合わせ通りにいってよかった、とか、ヒュースに何か買っていこうかな、とか他愛もないことだ。そこに、レイスと同じ銀髪青眼の男がすれ違う。ロングヘアをなびかせて、こちらは足早に歩いている。レイスとすれ違ってある程度距離が離れた頃、その男は振り返った。
「………気のせいか」
そう呟くと、また歩き出す男。二人の距離はどんどん離れ、やがてお互い見えなくなった。それは、あるとても寒い冬の日の出来事だった。
続く
次の更新予定
2026年1月15日 17:00 毎週 木曜日 17:00
静寂に囚われた青 五日乃とうふ @menamaito102
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