夢の果てには

鳥海 摩耶

夢の果てには

 大晦日おおみそかが近づく12月末。私は最寄り駅に友人を迎えに行った。かれこれ10年ぶりの再会だ。数日前、突然彼女から連絡があった。


 高校卒業時にアメリカへ行った彼女。アメリカの音大に入り、プロのアーティストになった。


「久しぶりだね」


 10年ぶりに再会した彼女は、あの頃の無邪気むじゃきな可愛らしさはなく、落ち着いて見えた。もともと小柄こがらな彼女だが、1回り小さくなったように感じた。


「久しぶり。佳穂かほ


 10年ぶりに呼んだ友人の名は、懐かしい響きだった。

 駅からはバスに乗る。2人で一番後ろの座席に座る。夕日が沈んだすぐ後で、西の空にはまだ明るさが残っていた。


「元気?」


「うん。ぼちぼち」


 嘘ではないけど、正しくもない。佳穂かほの近況はちらほら聞いていた。活動を休止し、アメリカからこちらに戻ることも。詳しいことは聞いていないが、それが彼女にとって不本意であったことは、聞かなくても分かった。


「帰ったらとりあえず、何か食べよ」


「そうだね」


 そう言って窓の外を見ている彼女の顔は、どこか寂しそうだった。やはり未練があるのだろうか。あちらでやりきった訳ではないのだろう。これからという時に、休まないといけなくなったのだから。


 彼女は喉の病気が発覚し、活動休止を余儀なくされた。アメリカから帰国を決めたのは、治療以外にも理由があるのかもしれない。あれだけ明るくてきらきらしていた彼女が、変わってしまったのだ。


 佳穂かほは私の憧れであり、超えられない存在だった。子供の時から歌が上手いと言われ自覚もあった私は、中学で佳穂かほと出会い、打ちのめされた。佳穂かほは上手いとか、そんな言葉では表せなかった。唯一無二の、天性の歌手だった。


 高校では一緒に軽音をやり、佳穂かほがギターボーカル、私がベースをした。彼女の歌声は学校中で評判になり、文化祭ライブでは大きな体育館を満員にした。そんな佳穂かほを世間が見ていないはずはなく、国内の音大からいくつも推薦が来ていた。それらを断り、佳穂かほは単身、アメリカ行きを決めたのだ。


 世界一のアーティストになるよ、そう明るく言って旅立った佳穂かほは、私にはまぶしすぎた。各種ミュージックサイトで紹介された、彼女の記事を読みながら、私は隠しきれない嫉妬を感じていた。その気持ちを見ないように、私は自分の心に蓋をした。


 くすぶる気持ちへのささやかな抵抗として、私は動画投稿サイトに弾き語りを投稿し続けた。ありがたいことにチャンネル登録者もだんだん増えた。けれど、所詮アマチュアだ。プロになった佳穂かほには敵わなかった。


 だから、佳穂かほが活動休止を発表した時、私はどこかほっとしている自分がいることに気付いていた。かけがえのない友達の、はじめての挫折。佳穂かほも特別な人じゃない、それを喜ぶ最低な自分。否応なく自覚させられた。


 私の家に入ると、佳穂かほは部屋を見回した。


 「あんまり変わってなくて、安心した」


 「欲しい家具とか、特にないしね」


 「あ、このソファ。まだ使ってるんだ。こたつも懐かしい」


 「うん」


 佳穂かほはベッドソファに体を預ける。さすがに10年使っているから、クッションがへたっていて、佳穂かほはソファに沈みこんだ。


 「ブラックでいい?」


 「うん」


 佳穂かほがこちらに帰ってくると聞いて、彼女のお気に入りの銘柄めいがらを買っておいたのだ。乾燥した室内を、コーヒーの香ばしい香りが満たしていく。


 「ありがとう。これ、好きなんだ」


 そういって笑う佳穂かほは、10年前の面影があった。


 私も佳穂かほの隣に座る。二人分の重さにおんぼろソファーは耐えられず、一緒に沈み込む。


 「理沙りさ最近どう?」


 「まあ、ぼちぼち」


 「そっか。まあ、元気そうでよかった。こうして理沙りさと話すの、何年ぶりかな」


 「10年は経ってるんじゃない?」


 「そっかあ、そんなになるかあ」


 佳穂かほはしみじみと言った。


 それからしばらく、佳穂かほは住んでいたニューヨークの喫茶店、部屋の雰囲気、お店で出会った女性の話……、いろいろなことを話してくれた。でも、あちらでやっていたはずの、音楽に関することは話題にしなかった。佳穂かほが音楽の話題を避けた理由を、私は理解していた。


 「理沙りささ、プロになるって、どういうことか分かる?」


 佳穂かほはこたつの上にマグカップを置くと、唐突に言った。


 「いきなりどうしたの」


 「いや、最近あたしなりにいろいろ考えてることでさ。あたし、プロになるって、ゴールだと思ってたの。プロのアーティストとしてデビューできたら、そのあとは自由だって」


 「うん」


 「でもね、違った。プロになるって、スタートラインに立っただけだったの。そこから、いろんな人の意見を聞いて、嫌なことも我慢して……。それでいて、自分を見失ったらダメで」


 「うん」


 「もうさ、あたし限界だったの」


 さっきから佳穂かほの声がかすれていることには気づいていた。あんなに明るかった親友の泣く顔を、私は初めて見た。


 とっさに、私は佳穂かほを抱きしめていた。そうするしかなかった。佳穂かほの泣き顔を、私は見ていられない。


 佳穂かほのすすり泣きが、私の鼓膜こまくを嫌というほど震わせた。もう、聞きたくない。でも、ちゃんと聞いていたい。泣くことなんてなかった親友の、魂からの叫びだから。


 無意識に、抱く手に力が入る。


 「……ちょっと痛い」


 「ごめん」


 佳穂かほを抱く力を緩める。佳穂かほは鼻をすすって、小さく息を吐いた。


 「理沙りさ、ティッシュ取って」


 そっと佳穂かほを解放し、机の上の箱を取る。


 「はい」


 「ありがと」


 涙声で言って、佳穂かほは鼻をかんだ。


 「ずっとひとりでさ。あたし。もちろん、マネージャーとか知り合いのアーティストとかはいたけどさ、だけど、ほんとに心許せる人はいなかった。やっぱり、あっちだと私はよそ者だもん。日本だとあたしは一番だと思ってたよ。自信もあった。だけどさ、アメリカにはあたしみたいな人いっぱいいるんだよ。だからさ」


 そこまで言って、また佳穂かほは泣きそうになった。


 「もういいから」


 また佳穂かほを抱きしめる。


 「佳穂かほは、もういいから」


 ただ泣き続ける佳穂かほを、私はただ抱き続けた。

 



 「佳穂かほ、私、佳穂かほに謝らないといけないの」


 「何? 急にどうしたの」


 先ほど泣き止んだばかりで、目元を赤くした佳穂かほがきく。こたつの上に置かれたままの飲みかけのコーヒーからは、まだうっすらと湯気が立っている。


 今しかないと思った。親友の佳穂かほに対して思った嫉妬。どろどろした感情。それを放置することは無理だった。


 「佳穂かほが、休むって言った時、私、ちょっとだけほっとしたの」


 「……」


 「佳穂かほも、普通の人なんだ。私と同じように、挫折するんだって」


 「理沙りさ……」


 「軽蔑してくれていい。最低だよね。友達の挫折を、喜ぶなんて」


 佳穂かほはううん、と首を横に振った。


 「理沙りさがそんなこと、気にする必要ないよ。あたしが勝手に挫折したんだから」


 「ごめん。佳穂かほ。ほんとにごめん」


 「いいって」


 佳穂かほはそう笑って、最低な私を、許してくれる。


 「そういや理沙りさ


 そういって、彼女はスマホを出し、動画サイトのアプリを開いた。


 「毎日つらかったけどさ、あたし、1つだけ楽しみがあったの」


 そこに表示されている動画を見て、私は息をのんだ。


 「これ、理沙りさでしょ?」


 私の「弾いてみた」動画。この前アップしたものだった。


 そんな。私の動画を、佳穂かほが?


 「分からないわけないじゃん。理沙りさのギターの音」


 「……佳穂かほ


 「毎週動画投稿してるの、すごいよね。どんな嫌なことあっても、来週また理沙りさのギター聴けるって思ったら、頑張れたんだ」


 なんということだろう。嫉妬から始めた動画を、よりにもよって、本人が見てくれていた。嬉しさと、恥ずかしさと、もどかしさが一気に押し寄せる。


 私の目元を、生暖なまあたたかいものが流れ落ちる。


 「理沙りさ、泣いてる」


 佳穂かほは少し意地悪な顔で、そう言う。


 他でもない、わたしのコンプレックスの根源だった、その佳穂かほが、わたしの曲に救われていた。こんなことがあっていいんだろうか。


 「わかってる」


 そう言った私の声は、ぐしょぐしょだ。


 今度は、佳穂かほが私を抱擁ほうようする。


 「ありがとう。理沙りさ


 佳穂かほの優しい声に包まれ、私はそのまま佳穂かほの胸に顔をうずめる。今自分がどんな顔をしているか分かるから。止まらない涙の止め方を知らないから。私は佳穂かほにすべてを委ねることにした。


 「ありがとう」


 佳穂かほに包まれたまま、私は泣き続けた。


 泣き疲れて、私はベッドソファに大の字で沈み込んだ。へたっているけど大きなソファの柔らかさが、今は心地良い。


 もう泣き止んでからだいぶ経った。まどろんだ意識のまま、天井に向かってふうーっと息を吐く。先程までの感情のおりが、息と共に出ていく感じだった。


 佳穂かほはこたつの上のみかんを食べながら、テレビでアニメを見ている。


 「それ、何のアニメ?」


 「ああ、『ソラウタ』だよ。ラノベ原作のアニメ」


 「知らないなあ」


 「理沙りさはこういう系見ないもんね」


 「そういや、アメリカでも日本のアニメってやってるの?」


 「やってるよ。めっちゃ人気。日本で流行ってる作品はだいたいアメリカでも流行ってる。でも、『ソラウタ』はやってなかったかな」


 「そうなんだ。なんていうか、ガラパゴスってやつ?」


 「難しい言葉知ってるね」


 佳穂かほはガラパゴスって、と、くすっと笑った。


 佳穂かほが『ソラウタ』を見終わったので、伝えたかったことを言う。


 「佳穂かほは、私にとって特別なの。日本でどうとか、アメリカでどうとかじゃなくて。佳穂かほの歌の良さは、私が一番知ってるから」


 佳穂かほが一瞬真面目な顔になったので、私はしまったかな、と思った。けれど、それは杞憂きゆうで、佳穂かほはすぐにほほ笑んだ。


 「ありがと」


 佳穂かほは軽く伸びをして、ふぅーっと息を吐いた。


 「まあ、そうだよね。うん。 アタシはアメリカじゃだめだったけど、別にそれだけだし」


 「やっぱり、気にしてるよね。ごめん」


 「ううん。さっき泣いたからすっきりした」


 そういう佳穂かほの横顔は実際すっきりしていて、私は安心した。


 「理沙りさ、せっかくだしさ、また一緒にろうよ、バンド。プロとかアマチュアとか、関係なくさ」


 「いいの?」


 佳穂かほからの誘い。大学生の頃の、充実した日々がよみがえる。


 「いいよ。あの頃が一番楽しかった。だから、楽しいことは、絶対上手くいく」


 「佳穂かほ、ありがとう」


 大好きな佳穂かほと、また一緒にれる。それが、今は何より嬉しかった。

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