鏡像異星体

火之冬弧

鏡像異星体

 くるっと一周、でもその前に半ひねり



「ママ、虹だー」

「虹? 今日はずっと青空で虹なんて見えないと思うけど?」

「ママが虹になってるー」



 世界では奇妙な病気が流行していた。

 その病は人間の体内にとある異常な分子が侵入し、増殖することによって引き起こされる。これにより感染者の水晶体にその異常分子が蓄積し、感染者の視界を虹色に染める。この虹の形状・模様はランダムに変化し続け、感染者に少なくないストレスや心理的負担を蓄積させる。

 この病の厄介なところは、理論上の治療法が見つかっているにもかかわらず実際の治療が現状不可能な点にある。シミュレーションによると、この病を治療するには体内の異常分子の鏡像異性体を感染者の体内へ送り、異常分子との対消滅の如き反応を引き起こす必要がある。しかしながら、その鏡像異性体が現段階でいかなる方法を用いても生成できていないのだ。それが技術的な問題なのか、それとも原理的に不可能な事であるのかは現状はっきりしていない。

 結果として現時点ではこの異常分子の鏡像異性体は作れていないし、見つかってもいない。そのため治療を受けられた人はおらず、またそれ以外の治療法が見つかっていないため、感染者は日に日に増している。現状の対策としては、感染者は隔離され、感染者は日常生活を専用の眼鏡かコンタクトレンズをつけて過ごす。この眼鏡やコンタクトレンズは眼に入る光を調整し、これまでの色彩を可能な限り再現する。しかし時々刻々と変化する虹のパターンに完全に対応することは難しい。またコストの観点から大多数の感染者は単一のパターンにのみ対応した簡素な器具しか付けられない。早急な治療法の確立が求められる中、有効策は見つからず感染者数だけが増えていった。



 異常分子による未曾有の病の発生から十年、我々は宇宙船の中にいた。十年といっても、それは到達し得る限界速度付近で飛んでいる我々の宇宙船内部の時間ではあるが。

 宇宙船が旅立った理由は二つ。星外における異常分子の鏡像異性体の探査、他の方法で治療できる文明を持った星の捜索。計画の初期段階では感染者全員を連れて行くことも提案されたが、流石にそれは通らず結果として三割の千五百人余りが搭乗した。それから十年、寿命やストレスによる自殺によって人数は減り、現在の船内での感染者数は三百人余りである。

 計画では、あと五年で対策が見つからなければ探索を諦め、我々は敗北を故郷へ伝える手筈である。現段階で鏡像異性体も高度な文明も見つかっておらず、船員達の間には焦りと不安が募っていた。そんな中、とある恒星系が宇宙船の探索センサーにかかった。


「ダイア隊長! およそ三光年先に我々の故郷とよく似た環境の恒星系を発見しました」


 隊員の一人、レオナ副隊長が告げたその恒星系は、しばらく恒星系を見つけられていなかった船員には希望の光に見えた。


「どうします? 行きますか?」


 興奮気味のレオナの横で、まだ件の恒星系がぼんやりとしか映っていないモニターを眺めながら、隊長のダイアは呟いた。


「決定は詳しく調べてからだが、三年か……行くべきだろうな」


 それから間も無くその恒星系へ向かうことが決定した。



 故郷とよく似た環境の恒星系が見つかってからおよそ三年。宇宙船はその内側へと辿り着いた。


「驚いたな……我々の故郷によく似た惑星もあるぞ」


 惑星の周りにはいくつもの物体が回っている。


「人工衛星と思われる物体もあります。高度な文明が期待できそうですね」


 我々と同等以上の文明レベルであれば、異常分子の鏡像異性体も作り出せるかもしれない。期待に胸を膨らませながら、ダイアは惑星を廻る人工衛星の一つを見ていた。


「あの人工衛星……どこかで見たような……」

「隊長、あの惑星に行きましょうか?」


 そう言いながら、レオナは既に準備を始めていた。ダイアはモニターに映る青く輝く故郷とよく似た星を眺めながら、その場所へと進路を調整した。


「あぁ、行くぞ」



 その惑星に近づくにつれ、いろいろなことがわかってきた。

 その惑星は、船員達の故郷に非常によく似ていた。陸地の形はほとんど見覚えのあるものであった。遠目で見た際の違いといえば、一部方角が反転しているように見えるのだ。南北は変わらないのだが、東西が変だ。さしずめ東が西になっているようだ。


「我々の故郷とは自転の向きが異なるな」


 モニターに映る惑星表面の雲の形から、ダイアは推測する。この惑星はまるで船員達の故郷の星を鏡写しにしたようだった。


「東と西は逆ですけど、南と北みたいに同じものもありますね」

「角速度は軸性ベクトルだからな、速度のような極性ベクトルとは違うんだろう」

「なるほど、私たちの惑星ふるさとでは角速度をあらわすベクトルの向きは南極から北極へ向いていました。今我々は南極から北極への向きを角速度の基準としているから、この惑星の角速度が反転してみえるんですね」


 重力による上下の区別がない宇宙空間では、代わりとなる基準の方向を用意せねばならない。


「なんにせよ、あの星が我々の故郷の鏡写しのようなものであるなら、希望が見えてきたぞ」


 そこは彼らの故郷と【反転】した世界。ということは。


「ええ、あの星に異常分子が存在すれば、それは我々の知る異常分子と鏡像異性体の関係になっている可能性が高いですね」


 その星のあらゆるものが鏡写しになっているならば、それはきっと分子構造も例外ではないだろう。


「であれば向かうべきだ」


 宇宙船は人工衛星を避けながら、惑星へと降り立った。



 惑星の大気圏内へ入ると、見慣れた文明が現れた。ダイア達は宇宙船から様子を伺う。


「どうやら思ったとおり、ここは我々の故郷の鏡写しのようですね」

「しかし文字まで反転しているとはな。似ていても違う星ということなのか」


 宇宙船を人気のない土地へ着陸させ、船員を代表して降りたダイアとレオナは先に見える街へと歩き出した。その直後、二人の斜め後方から声が聞こえる。


「突然申し訳ありません、あなた方はもしや『D to L計画』の方々では?」


 それは彼らが背負った計画名であった。ダイアとレオナが同時に振り返ると、自分たちとよく似た姿の存在が立っていた。二人の故郷の常識でいえば、この者が声の発信源だろうか。


「確かにそうだが、なぜあなたがそれを知っている? 我々がこの星に来たのは初めてだし、彼方からこの星と交信を続けていたわけではないはずだが」


 この惑星の土着存在は冷静に続ける。


「確かに『来た』のは初めてかもしれませんね。ですが我々があなた方を知っているように、あなたもこの星を知っているはずです。少しばかり風変わりしているかもしれませんが」


 既知。この存在は船員達に関して何かを知っており、船員達はこの星に関して何かを知っている? と同時に、怪訝な顔をしているのは船員達だけではなかった。


「あなた方は計画の終了を告げに帰ってきたのではないのですか? 予定より早い帰還であったのと、事前の連絡がなかったため少し戸惑いましたが」


 帰還? 話が噛み合わない。


「ちょっと待て、話を整理させてほしい。我々は未知の惑星だと思ってここへきたのだが、ここは我々の故郷なのか?」

「えっ!? えっ!? どういうことです?」


 困惑する二人に対して、土着存在は腑に落ちたような表情をした。


「なるほど、そういうことでしたか」


 その存在は冷静に伝える。


「ここはあなた方の惑星ふるさと、その未来です」



 そこは彼らがいた時代からは百年余り未来のようだった。


「あなた方が旅立ってからおよそ二十年後、私たちはこの異常分子の鏡像異性体を生み出すことが現行人類の技術力では難しいと判断しました」


 船員達の数世代後の子孫だという土着存在は、都心部へ向かう車内で船員達が旅立った後のこの星における異常分子による病の経緯いきさつを語る。


「ランダムな虹の変化に対応したコンタクトレンズが感染者に普及しました。そのコンタクトレンズは水晶体内の異常分子の配位をリアルタイムで観測し、対応する補正をおこないます」


 コンタクトレンズ一枚につき一種類の虹にしか対応できなかった当時と比べると、それは飛躍的な進歩だった。


「とはいえ、ずっと付け続けるわけにはいきませんし、感染者の精神的負担は小さくありません。我々は治療法の確立をずっと待ち続けていました。」


 その言葉に、二人は胸を締め付けられる思いだった。二人は希望を求めてこの星に来たのであって、希望を持ってこの星に来たわけではなかった。


「未曾有の病から百年を過ぎた現在の感染者数はおよそ三百万人です」

「そうか……感染という性質上仕方がないことだが、結構増えてしまったな」



 程なくして、都心部の一角にある宇宙センターへと着いた。

 この星は間違いなく二人の故郷、その未来だ。ダイアを隊長、レオナを副隊長とした宇宙船の渡航記録もあるし、この星に着陸する前に見た人工衛星は二人を乗せた宇宙船が故郷を立つ前には計画段階であったものだ。


「奇妙な現象ですね。ぐるっと一周してきたのでしょうか」

「この宇宙は存外小さかったのかもしれないな」


 ここは我々の故郷ふるさと、そのはずだ。だがひとつの大きな違いは、色々なものが反転している点にある。ここに来るまでに見た広告や看板の文字は全て反転していた。ここへ来るまでに歪みの象徴ワームホールのようなものに落ちた記録はなく、宇宙空間を進んでいたらいつの間にか宇宙が反転していた。


「仮に宇宙を一周して戻ってきたとして、世界が反転しているのはおかしくないですか?」


 レオナのもっともな疑問に対し、ダイアは少し考えて呟く。


「この世界には向きなんて無かったのかもしれないな」



 反転した世界と反転していない宇宙船。それらが相見えたことは、両者の希望となった。互いの異常分子悩みの種は、互いの鏡像異性体希望の光である。


「感染者から異常分子を取り出すことも、感染者にその鏡像異性体を投与することも可能です」


 それからは早かった。百年後の手際の良さで、あっという間に両陣営から感染者はいなくなった。


「あなた方は私たちに希望をくださいました」

「我々にとっても同じだ、まさかその希望が回り回って自分たちの故郷にあることになるとは思わなかったが」


 誰もが予想していなかった形で、百年以上蔓延った異常分子による病は幕を閉じた。


「自分達が自分達の希望となった。なんとも不思議な話ですね」



 諸々の確認が完了し、ダイアたちにも安息が訪れた。


「あなた方はこれからどうしますか? もう一度旅立ってこの星へ帰ってきますか?」

「そうさせてもらおう。反転しているというのもなかなか面倒だ。匂いや味に慣れないし、何より文字を読むのが大変だ」

「わかりました。そうおっしゃると思いましたので、宇宙船はすでに用意してあります。往路より早く帰れるでしょう」

「わざわざ用意してくれたのか。申し訳ないな。病の治療にも協力していただいたのに」

「それはこちらも同じですよ。救世主には相応の対応をするものです」



 別れの時がやってきた。

 全員が元の故郷へと帰還するわけではなかった。宇宙を一周して来た者の中には、これ以上の旅よりも新鮮味のある故郷で過ごすことを選ぶ者もいた。

 準備を終えたダイアは宇宙船の入り口へと続く仮設の階段へ足を掛けながら、振り返って反転した故郷を眺める。


「では、さらばだ」

「えぇ、英雄たちの帰還をお待ちしています」


 英雄たちを乗せた宇宙船は再び宇宙一周の旅へと出た。



 宇宙船内。計画を達成し重荷の取れたダイアとレオナは、運転を百年後の人工知能に任せ、しばし談笑する。


「隊長は戻ったら何をするつもりですか?」

「私はこの宇宙を探究しようと思う」

「えっ! またここへ来るんですか?」

「それも手だが、何もそれだけが探求ではない。地上での活動も含め、色々やってみるさ」

「なるほどー、いいですね」

「そういうお前はどうするんだ」

「私はもう宇宙はいいですかねー。それよりも、あの異常分子についてもっと詳しく知りたいっす」

「それも良いな。結局あれについてはわかっていないことが多い。頑張れ」


宇宙船は眠りにつき、静かに故郷へと向かう。



 船員達は故郷へと帰ってきた。最初に旅立ってから二百年と少し、再び旅立ってからは百年経った。

着陸した宇宙船から船員達が出てくると、それを待っている人影があった。


「おかえりなさい。英雄たちの帰還をお待ちしておりました」

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